話し合い 1
怒りに我を忘れて、私は逃げ惑う足を追いかけた。……なんて事にはならなかった。
足は、私から逃げなかった。そして、足との距離を詰めた私は、それに触れる事は出来なかった。それもそうだ。私は足を見ることができるが、それに触れることはできないのだから。
実は私、山瀬麗衣は、この世のものでないものを見ることができる。
いつからだったのかは、正直覚えていない。生まれながら見ることができていたのかもしれない。はっきりしたところは分からない。だが、物心つく頃には見えていたことだけは確かだ。
初めは、他の人も見えていると思っていた。初めて私にしか見えていないと気付いたのは、確か小学生の頃。
1年か2年の遠足の時に、公園の木の上にいたそれを見て、私は友達に言った。「ねえ、あんなところに子猫がいる。下りれなくなっちゃったのかな」と。
友達は私と同じように木を見上げたが、子猫を見つけることはできなかった。当然、子猫はこの世のものではなかったから。
それから少し経って、母と買い物に出かけた時の事。
母の隣を歩いていた時だった。正面から、勢いよく走ってくる女の人がいた。避けようと思ったが、私が避けるよりも、その女の人が私にぶつかってくる方が早かった。
ぶつかる瞬間、私は目を閉じた。が、待っても待っても、人がぶつかってくる衝撃はやってこなかった。
立ち止まってしまった私を心配そうに呼ぶ母の声に、恐る恐る目を開けた私は、その女の人がどこにもいないことに気付いた。
よく分からないまま、買い物を終えた母と家に帰った私は、鏡を見てびっくりした。さっきの女の人は、私の頭の上に浮いていた。
出そうになった声を必死に堪えて、自室に戻った私は、女の人と話をした。そして、ようやく理解した。
私が見ていた者たちは、所謂【幽霊】という存在なのだと。
それから、女の人と話すうちに、私は【幽霊】を見ることができても、触ることができないと理解した。
さて、今、私の目の前には、踝から下の、両足がある。いや、居る。
私はそれに触ることができないから、捕獲することもできない。いつでも私から逃げられる状況だ。
それなのに、その足は私から逃げるそぶりも見せない。
顔がないからどこを見ているのか、いや、そもそも見えているのかも分からないが、きっと足は私を見ている。まるで、何か伝えたいことがあるとでも言うかのように。
それなら大人しく話を聞こう、とはならなかった。
「問おう。何故、私のものを勝手に散らかした?しかも足で、足で触って!」
仁王立ちで足を見下ろす私は、冷静になろうと努力していた。怒り狂いそうになる感情を、必死で押さえつけていた。
そんな私の目に、足は言い訳を考えているような、冤罪をかけられた時のような居心地の悪さを感じているように見えた。
そして私は気付いた。
私の目の前にいるのは、足だ。足だけだ。
手を使って私の荷物を散らかすことができないのなら、顔がないから喋ることもできないのではないか。つまり、問いただしたところで、無駄なのではないか。
「そんな……それならどうしたら……ん?」
項垂れる私の視界の端に、何かが映り込んだ。
一瞬見間違いかと思い、改めてそちらに目を向けたが、見間違いなどではなかった。
「嘘……」
呆然と呟くしかない私に、答えるものはない。
目の前の光景を信じることはできないが、今信じなかったとしても、起きてしまっていることは事実である。
視線を足に戻すと、それは微動だにせずそこに佇んだいた。
今の状況を否定したところで、どうにかなるわけではない。それなら受け入れよう。
その考えに至った私は、足の前に座り、宙に浮いた私のペンが、紙に文字が書かれるのを待った。




