『事故物件』204号室
「ではこちらがハルヤマ荘204号室の鍵となります」
「ありがとうございます」
「何かございましたら、先程説明した電話番号まで」
「はい」
管理会社から鍵を受け取り、頭を下げて車に向かう。助手席に受け取ったばかりの鍵と、契約書の写しなどの入った封筒を置き、エンジンをかけて車を発進させる。向かうのはここから車で15分ほどのアパート、『ハルヤマ荘』だ。
私、山瀬麗依はごく普通の会社に勤める、ごく普通の会社員だ。
給料は手取りが月20万も満たないが、コツコツ貯金をしてきた甲斐があって、就職2年目の夏の今日、晴れて1人暮らしを始めることができた。
今の私の心には、山の向こうから私達を覗き込んでいる入道雲のような、ワクワクとドキドキが詰め込まれている。
その理由は初めての1人暮らしという理由だけでは無い。
今日から私が住む所は、築3年で1LDKのごく普通のどこにでもありそうなアパート。ただ他と違うところは家賃が3万円という事。明らかに安い。安すぎる。
これから私が暮らすところは、所謂『事故物件』というやつだ。
一昨年の1月。あるアパートの一室でバラバラの死体が見つかった。
正月に同市内にある自宅へ帰省し、3日にアパートへと戻ったのだが、そこから連絡が全く取れない事を不審に思った家族が合鍵を使って中に入ると、その部屋の住民は、リビングでバラバラとなった遺体として発見されたという。年齢は25歳。私の4つ上。性別は女性。これは私と同じ。
さて、なぜ私がここまで詳しく知っているかと言うと、ニュースで散々見たからだ。
犯人は分かっていない。当然まだ捕まっていない。何故か事件現場となった部屋にも、アパート周辺の防犯カメラにも、犯人に繋がる手掛かりは一切残っていなかったそうだ。そしてこの事件が解決しないまま、約1年半がすぎてしまった。
この街では珍しい殺人事件であるからして、言われたらばすぐに思い出すことは出来るが、言われなければ話題にも上がらない事件となってしまった。
さて、ここまできたらはっきり言ってしまった方がいいだろう。
何を隠そう、今日から私が1人で暮らす『ハルヤマ荘』の204号室こそ、事件現場となった部屋だ。
何故そんな部屋を借りたのかって?当然管理会社からどんな物件なのか説明は受けている。それでも私がその部屋を借りたのには大きな理由がある。
第一に、お金だ。私は昨年から丸々1年、1人暮らしのための貯金をしてきた。
学生の頃、限られたバイト代とお小遣いでなんとかやりくりしていた私は、社会人となって約2ヶ月、我慢しなくていいと、支給されたお給料はほぼ好きなものにつぎ込んだ。そして気づいた。「これではダメだ」と。
両親は気にしなくていいと言ってくれていたが、社会人となった娘がいつまでも自分のことだけにお金を使えるはずがない。社会人となって3ヶ月目、私は1人暮らしを決意した。
それからは欲しい本があっても中古で安くなるまで我慢する、服も購入前に本当に必要か考えてから購入する、コンビニには緊急時以外立ち寄らないなど、出来うる限りの節約をしてきた。
そして丸々1年間が経った今日、晴れて1人暮らしができることとなった。
1年間の貯金節約生活で、家賃5、6万円までは大丈夫だったのだが、わざわざ3万円の、それも事故物件を借りるに至った経緯は単純だ。
1人暮らしをしながらも、欲しい本は遠慮なく購入したい。1年間我慢してきた分、可愛い服も買って、甘いスイーツも食べたい。そしてできることなら貯金も継続したい。
悩んで悩んで、ネットで見つけた物件がここだ。怪しいほどに安すぎる物件だったが、迷うことなく担当者に連絡を取った。そして私は迷うことなく契約した。この部屋がかなりの好条件だったから。……事故物件である事を除いて。
まぁ、ただお金が惜しいだけなら迷ったと思う。でも私は迷わなかった。内見に行き、管理会社に戻ってきてからも、「本当に契約されますか?」と後ろめたそうにする担当者の言葉に被せるように、「お願いします!」と頭を下げた。
何故そこまでしてここを選んだかって?
そこで第二の理由が出てくるのだが、それはまた機会があったらとしよう。
目的地、『ハルヤマ荘』204号室へ辿り着いた。
引越し業者が到着するまでに、掃除を済ませておかねばなるまい。




