十五
早朝、空が薄明るく、窓外に霧が漂う中、スマホを握り、指が「母」の番号に浮き、ついに通話ボタンを押す。
「東京に帰る。」
声は想像より乾いて、砂紙をかけたよう。
電話の向こうで布の擦れる音、母は寝ぼけた呼吸、ぼんやりと:「いいよ。」少し間を置き、呼吸が落ち着く。「午後、手配する。」
余計な質問、偽りの世間話、なぜ急に決めたのかも聞かず。
通話記録は5秒、幻のよう、でも画面に確かに残る。
午後、ゲーム中、未読メールの音。開くと3通、整然と並ぶ:
1. 港区の高級マンションの住所、電子キー、近隣のコンビニと駅の地図付き;
2. 私立貴族音楽女子高校の転入手続き書類、校長の署名と公印済み、私の名前だけ必要;
3. 基礎科目の補習スケジュール、1対1の授業、来週月曜開始。
画面を見つめ、モンスターに攻撃されても反応なし――決断が急すぎ、自分でも東京の生活に準備ができてるか分からない。
でも心の声が、[青空]の「うちの学校に来てくれたら」が溺れる者の最後の浮木、試したいと。
母の反応、まるでずっとこの準備を待ってたかのよう、ただ私が「帰る」と言うのを。
運命だ、PCを閉じ、ベッドに横になり、思う、ある道はとっくに決まってる。
§
数日後の夕暮れ、東京の空がオレンジに染まる中、ギターを背負い、新居のマンション前。
鍵を差し込み回すと、防音材の繊維の匂い――リビングの壁は吸音処理、一面に木製楽器フックとエフェクター用コンセント、配線も隠され、急ごしらえじゃない。
テーブルに牛革の封筒、新しい銀行カードとメモ:「パスワードは誕生日、必要なものは自分で買いな。――ママ」。
メモの裏に近隣の楽器店3軒の住所と営業時間、「ここはエフェクター充実」「ここでギター整備」と。
指先がギターフックを無意識に撫で、木の表面は滑らかで温かい。
寝室に向かうと、呆然――ベッドに新品の制服:白いブレザー、黒のチェックプリーツスカート、紺のネクタイは襟に丁寧に、シワなし。
横に防塵バッグ、新しい室内履き、靴の内側に銀糸で「山葉」と刺繍、工芸品のよう。
でも次の瞬間、心臓が締まり、後悔が潮のよう――中学の記憶が衝突:トイレの個室に投げられた室内履き、汚水に浮かび、靴紐が水草のように絡み、汚れが。
あの時、教室の隅で隠れ、皆が去るのを待ってトイレに駆け込み、靴を狂ったように洗う。
指は冷水で白く腫れ、爪の間に石鹸泡、でもトイレ洗剤と汚水の匂いは消えず。
靴の黄ばみは恥の烙印、洗うほど鮮明、ゴミ箱に捨てるしかなかった。
私の人生、あの汚された室内履きのよう。
新品の靴、新学校、新生活でも、記憶の汚れは深夜に浮かび、元には戻れないと。
§
翌朝、目が重く、腫れた目眶が昨夜泣き明かしたことを思い出させる。
ベッドに横たわり、心臓の音を聞き、朝光がカーテンの隙間から床に細い光を投げるまで、ゆっくり体を起こす。
深呼吸、機械的に整理:未開封の段ボールを開け、服を季節ごとに畳んでクローゼット、本を棚に、エフェクターのケーブルを巻き、ギターをバッグから出し、布で丁寧に拭く。
動作はゆっくり、過去の自分にケジメ――諦めたことない、ただ疲れすぎ、ゾンビのよう生き延びてきた。
指がアンプの冷たいノブを撫で、ギターケーブルを慣れた手でつなぐ。弦に触れた瞬間、言葉は不要。
djentでも弾くか、重いリズムで、言えない悔しさと痛みを叫ぶ。
痛みも絶望も、ギターを再び抱くなら、頭の雑音を一時黙らせられるかも。
「おねがい!」
叫びは空気に混ざり、ギターに救いを求めるか、弱い自分に最後通告か。
目を閉じ、弦を叩き、荒々しいディストーションで世界を埋める。
でも次の瞬間、アンプの電源がそっと切られ、音壁が消える。
目を開けると、馴染みの姿、電源スイッチを握り、静かに見つめる。
「久しぶり…明花。」