表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/6

ラウンド3:未来への提言~AI時代の教育~

(ラウンド2の激論の余韻が残るスタジオ。あすかが、深呼吸を一つして、新たなラウンドの開始を告げる)


あすか:「『管理か、自主性か』…教育の方法論は、皆様の人間観そのものを映し出す、まさに鏡のようでした。熱い議論、ありがとうございました。しかし、皆様が築き上げた教育論は、皆様が生きた時代の産物でもあります。では、その方法論が、全くの未知の状況に置かれた時…それでも、なお通用するのでしょうか?」


(あすか、その目に挑戦的な光を宿す)


あすか:「ラウンド3、ここからは、皆様を、我々が今まさに直面している、そして、あなた方の時代には存在しなかった『未来』へとご案内します。クロノス、未来の光景を」


(あすかの声に応じ、スタジオの壁面全体が巨大なスクリーンと化す。そこに、衝撃的な映像が次々と映し出される。無人の工場でロボットアームが精密な作業をこなし、人間は空飛ぶ車で移動し、子どもたちがVRゴーグルをつけて仮想空間で遊んでいる。そして、アナウンサーが淡々と『今年、AIに代替された職業は…』と語るニュース映像が流れる)


吉田松陰:「なっ…これは何だ!?からくり人形が、勝手に動いているだと…!?」(驚きのあまり、思わず立ち上がる)


孔子:(眉をひそめ、映像の中の空虚な人々の表情を見つめている)「…人々が、皆、うつろな目をしておる。これは…果たして、豊かさと言えるのか…?」


マリア・モンテッソーリ:(VRゴーグルをつけた子どもたちの映像に、痛ましげな表情を浮かべる)「まあ…なんてことでしょう。子どもたちが、現実の、生きた世界から切り離されている…」


フランクリン:(一人だけ、目を輝かせている。その目は、新たなビジネスチャンスを見つけた発明家の目だ)「素晴らしいッ!これは、実に素晴らしい!労働という、人間にとって最も退屈な時間から、ついに解放される時代が来たというわけか!」


(映像が消え、スタジオが元の図書館の風景に戻る。しかし、対談者たちの間には、先ほどまでとは質の違う、未来に対する畏怖と興奮が入り混じった空気が流れていた)


あすか:「皆様に今、ご覧いただいたのが、我々が生きる『AI時代』の断片です。AI…すなわち、人工知能。人間を超えるほどの知能を持ち、人間の仕事の多くを代替すると言われています。フランクリンさん、あなたはこの状況を、好意的に捉えていらっしゃるようですね?」


フランクリン:「好意的どころではない!これは、人類史における最高の発明だ!考えてもみたまえ。面倒な計算、骨の折れる肉体労働、退屈な事務作業…そういったものは、全てこのAIという名の『最高の奴隷』に任せてしまえばいい。人間は、人間にしかできない、より創造的な仕事に集中できるではないか!」


あすか:「人間にしかできない、創造的な仕事、ですか」


フランクリン:「そうだとも。例えば、このAIという道具を使って、どんな新しいサービスを生み出すか、という『企画力』。あるいは、そのサービスをどうやって世界に広め、富を生む仕組みを作るか、という『経営能力』。これこそ、これからの教育が、最も力を入れて教えるべきスキルだ。具体的に言えば、AIと対話するための言語、すなわち『プログラミング』の知識は、もはや読み書き算盤そろばんと同じ、基礎教養となるだろうな」


フランクリン:(予言者のように、指を立てる)「間違いなく、未来は二種類の人間へと分かれる。AIを『使いこなす側』の人間と、AIに『使われる側』の人間だ。そして、そのどちらになるかを決めるのが、教育なのだよ。我が国の若者たちを、断じて『使われる側』にしてはならん。そのための、徹底した実学教育が必要だ」


吉田松陰:「黙って聞いていれば…!道具に使われるとは、何たる言い草か!」


(松陰、フランクリンの効率至上主義に、真っ向から反論する)


吉田松陰:「貴様の言うことは、どこまで行っても金、金、金!利益、利益、利益!そのAIとやらが、どれほど賢いのかは知らん!だが、そいつに『魂』はあるのか!?この国を愛し、友のために涙を流す『心』はあるのか!?ないだろう!ならば、人間が学ぶべきことは、そんな便利な道具の使い方などではない!その道具を、一体『何のために』使うのか!その目的を定めるための、揺るぎない『志』を育むことこそが、これまで以上に重要になるのだ!

かつて、我が国に『黒船』が現れた時も、そうだった!ある者は、その巨大な鉄の船にただ怯え、ある者は、その技術をどうやって金儲けに使うかだけを考えた!だが、俺たち松下村塾の人間は違った!『この危機を乗り越え、より強く、より気高い日本を創る』という、ただ一つの志のために、その黒船さえも利用してやろうと考えたのだ!AIとは、現代における黒船だ!それに使われるか、それを使って新たな時代を創るか!その分水嶺は、技術の知識ではない!人間としての、生き様なのだ!」


孔子:(松陰の熱弁を、静かに、しかし強く肯定するように頷く)「松陰殿の言う通りです。そして、フランクリン殿…あなたは、あまりに情報の『量』に目を奪われ、その『質』を見失っておられる」


フランクリン:「質、ですと?」


孔子:「うむ。そのAIとやらが普及した世は、かつてないほど、多くの情報が、瞬時に手に入る世の中なのでしょう。それは、一見、便利に見える。しかし、その中には、真実もあれば、人を惑わす偽りも、心を腐らせる毒も、大量に含まれているはずです。『言葉の乱れは、国の乱れ』。無秩序に情報が氾濫する世の中は、人々の心を惑わし、社会に深刻な混乱をもたらすでしょう。

そのような未来において、真に必要となる能力とは何か。それは、溢れる情報の中から、本当に価値あるものを見抜き、偽りを退ける、確かな『判断力』。すなわち、私が説く『智』の徳です。そして、手に入れた知識や技術を、決して悪しき道に用いない、強い倫理観。すなわち『仁』の徳です。技術が進歩すればするほど、我々は、より一層、人間としての原点に、この徳の教育に、立ち返らねばならんのです」


あすか:「AIを使いこなす『スキル』を説くフランクリンさんに対し、AIに支配されない『精神』を説く松陰先生と、AIに惑わされない『倫理』を説く孔子先生…。未来を見据えた時にも、皆様の対立軸は、全く揺らがないのですね…。では、モンテッソーリ先生。あなたはこの『AI時代』というテーマを、どうお考えになりますか?」


(モンテッソーリ、それまでの議論を分析するように、少し間を置いてから、これまでの誰とも違う、より根源的な視点を提示する)


マリア・モンテッソーリ:「皆様の議論は、大変興味深いものですわ。ですが、それは、すでに十分に成長した、いわば『大人』の教育についてのお話に聞こえます。私が懸念しているのは、もっと前の段階…AI時代に生まれてくる、幼い子どもたちのことです」


吉田松陰:「子どものこと…?」


マリア・モンテッソーリ:「ええ。フランクリンさんの言う『企画力』、松陰さんの言う『志』、孔子先生の言う『判断力』…。それらは、AIにはできない、極めて人間的な、高度な能力です。では、お聞きしますが、それらの能力は、一体、何を土台として育まれるのでしょう?

答えは、『幼児期の体験』にあります。特に、自らの『手』と『身体』を使って、現実の、物質的な世界と深く関わった体験の、質と量に、です。

AIには決してできない、ゼロからイチを生み出す『創造性』。それは、粘土をこね、絵の具を混ぜ、積み木で誰も見たことのないお城を組み立てた体験から生まれます。他者の痛みを我がことのように感じる『共感性』。それは、友達と本気で喧嘩し、涙を流し、そして仲直りした体験から育まれます。複雑な問題に、粘り強く取り組む『問題解決能力』。それは、何度失敗しても、自分の手でパズルを完成させたり、蝶々結びができるようになったりした、あの小さな成功体験の積み重ねから養われるのです。

この、人間性の根幹を育む、あまりに重要な時期に、子どもたちが、現実の、ざらざらした質感のある世界から引き離され、AIが提供する、滑らかで、都合のいい、仮想の世界だけに浸ってしまったとしたら…。その子の未来からは、真の創造性も、共感性も、そして生きる力そのものも、永久に失われてしまうでしょう。デジタル化が進む未来だからこそ、教育は、より一層、アナログな、人間的な『原体験』の価値を、守り、提供していかねばならないのです。指先は、第二の脳なのですから」


あすか:「指先は、第二の脳…。未来に進めば進むほど、人間らしい、身体的な体験が重要になる…。モンテッソーリ先生、ありがとうございます。AI時代における、人間性の土台作りの重要性、痛いほど伝わりました。ですが、その土台の上に、私たちは、どのような『知性の家』を建てるべきなのでしょうか」


(あすか、ここで、より具体的で、現代の誰もが一度は考えたことのある疑問を、対談者たちに投げかける)


あすか:「皆様に、もう一つ、お聞きしたいことがあります。そのAIが、人類の全ての知識を蓄え、どんな問いにも瞬時に『答え』を出してくれるようになったとしたら…。これまで学校教育の中心であった、知識の『暗記』や、複雑な『計算練習』は、もはや不要になるのでしょうか?」


(この問いに、真っ先に反応したのは、やはりフランクリンだった)


フランクリン:「不要になるか、ならないか。二択で言えば、答えは『YES』だ。ある程度は、確実に不要になるだろうね」


吉田松陰:「なんと…!学問の基本を、不要だと言い切るか!」


フランクリン:(松陰の声を、軽く手を上げて制する)「誤解しないでくれたまえ。もちろん、基礎的な読み書き計算は、思考の道具として絶対に必要だ。しかし、例えば、我が国の全ての州の、過去百年間の税収の推移などという複雑なデータを、頭の中に詰め込んでおく必要がどこにある?そんなものは、必要な時に、AIという賢い秘書に『おい、あのデータをまとめてくれたまえ』と命じれば、一秒で正確なグラフが出てくるのだろう?私の時代、何日もかけて図書館で調べていた手間が、完全に省けるわけだ」


フランクリン:「本当に重要な能力は、知識を『記憶』することではない。その膨大な知識の海の中から、自分の目的に合った情報を引き出し、それらを組み合わせて、新たな価値を生み出す『編集能力』だ。そして、そのためには、AIに、的確な『問い』を立てる技術こそが、何よりも重要になる。『答え』はAIが持っている。ならば、人間は『問いの質』で勝負するしかない。未来の学問の中心は、そこにあると断言するよ」


孔子:(フランクリンの言葉を、静かに、しかし、きっぱりとした口調で否定する)「断じて、否。フランクリン殿、あなたは、あまりに知を、便利な『道具』としてしか見ておられない。それは、学問の本質を見誤るものです」


フランクリン:「本質…ですと?」


孔子:「うむ。なぜ、我々は古典を学ぶのか。なぜ、歴史を学ぶのか。それは、単に過去の事実を知るためではありませぬ。幾多の賢人たちが、人生をかけて紡ぎ出した言葉や物語を、何度も何度も繰り返し、声に出して読み、暗唱する。その過程で、その思想や生き様が、まるで染み込むように、己の血肉となるのです。そのようにして、自らの内側に築き上げられた、豊かで強固な『思考の型』、あるいは『精神の背骨』とでも言うべきものがあって初めて、人は、目先の出来事に惑わされず、物事の本質を、深く、正しく捉えることができるようになる」


孔子:「『ふるきをたずねて新しきを知る』。これこそが『温故知新』。膨大な知識の蓄積という、豊かな土壌があって初めて、新しい知恵という芽も生まれるのです。その土壌作りを怠り、AIが出す、手軽な『答え』だけをつまみ食いするような学びは、根無し草を育てるようなもの。それは、浅薄な思いつきを生むことはあっても、決して、時代を動かすような、真の『知』を生み出すことはないでしょうな」


(知識を『外部の道具』と見るフランクリンと、『内面の土台』と見る孔子。二人の対立が鮮明になった時、モンテッソーリが、全く別の視点から口を開いた)


マリア・モンテッソーリ:「お二人のご意見、どちらも理解できます。ですが、私は、暗記という『行為』そのものや、知識という『結果』以上に、その『プロセス』にこそ、教育的な意味が宿ると考えていますわ」


あすか:「プロセス、ですか?」


マリア・モンテッソーリ:「ええ。例えば、私の『子どもの家』に、千の位まである、金色のビーズでできた教具があります。子どもたちは、それを自分の手で運び、並べ、触り、その重さや、かさ、そして美しさを、五感の全てで感じながら、『千とは、これほどたくさんなのだ』ということを、身体で理解していくのです。AIに『1000という数字について教えろ』と命じれば、おそらく、その定義や数学的な特性を、瞬時にテキストで示してくれるでしょう。しかし、その子が、あのビーズに触れた時の、驚きと感動、そして、数の世界の壮大さを実感した、あの豊かな体験は、決して得られません。

計算も同じです。答えを出すことだけが目的なのではありません。答えに至るまでの道筋を、ああでもない、こうでもないと、試行錯誤する過程でこそ、論理的な思考力や、粘り強さが育まれるのです。AIが提供する『正しい答え』は、子どもから、その最も重要な『試行錯誤する機会』、すなわち、脳が発達し、知性が構築される、かけがえのないプロセスを奪ってしまう危険性を、私は、強く懸念いたします」


(モンテッソーリの言葉に、スタジオの誰もが、自らの子ども時代を思い出し、深く頷いていた。その静かな共感の空気を、松陰の魂の叫びが、再び引き裂いた)


吉田松陰:「その通りだ!そして、そのプロセスには、常に『苦しみ』が伴うことを忘れてはならん!」


(松陰、その瞳に、自らが乗り越えてきたであろう、数多の苦難の記憶を宿して語る)


吉田松陰:「そもそも、学問とは、楽な道ではない!フランクリン殿は、AIが退屈なことから解放してくれると言うが、その退屈さに耐え、乗り越えること自体が、人間を鍛えるのではないか!九九を覚える、あの単調な反復の苦しさ。意味も分からぬ漢詩を、ただひたすら暗記する、あの退屈さ。それを、歯を食いしばって乗り越えた者だけが、手に入れられる強靭な『精神力』というものがある!

俺が、この国の形を肌で知るために、どれだけの地図を頭に叩き込み、どれだけの地名を暗記したか!俺が、西洋の脅威を理解するために、どれだけ眠い目をこすり、蘭学の書を読み解いたか!その、もがき苦しむ過程があったからこそ、得た知識は、単なる情報ではなく、俺自身の『血肉』となったのだ!安易に答えを得るな!近道を探すな!七転八倒し、泥にまみれて、自らの力で掴み取った知恵でなければ、いざという国難の時に、何の役にも立たんぞ!」


あすか:(圧倒されながらも、必死に議論をまとめる)「知識の暗記は、もはや不要なのか?…この問いに対し、フランクリンさんは『問いを立てる力』が重要だと、その役割の転換を説かれました。孔子先生は、思考の土台を作る上で『必要不可欠』だと。モンテッソーリ先生は、結果ではなく『学ぶプロセス』そのものに価値があると。そして、松陰先生は、そのプロセスにおける『苦労』こそが、人間を鍛えると…

AIという、未来の、あまりに強力な道具を前にして、私たちは、図らずも、『学ぶとは何か』『人間が、自らの力で知を得るとはどういうことか』という、教育の、そして、人間存在そのものの、根源的な問いに、再び向き合わされているのかもしれません。

スキルか、精神か。結果か、プロセスか。効率か、苦労か…。未来への扉を開ける、本当の鍵は、一体どこに隠されているのでしょうか。皆様、ラウンド3、ありがとうございました」


(あすか、クロノスを操作する。ホログラムの文字が『ROUND3FIN』へと変わる)


あすか:「そして、次が、いよいよ最終ラウンドです。これまでの全ての議論を踏まえ、皆様には、現代日本への、最後の提言を、まとめていただきたいと思います!」


(終わりが近いことを告げる、荘厳で、どこか寂寥感のあるBGMが流れ始める。4人の賢者は、長い戦いの果てに、それぞれの思想の核心を見つめ直し、最後の言葉を紡ぎだす準備を始めていた)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ