ラウンド2:激論!どう育てるべきか?
(ラウンド1の熱狂が冷めやらぬ中、スタジオのホログラムが『ROUND2』の文字を映し出し、その下に『管理か、自主性か?』という新たなテーマが浮かび上がる)
あすか:「皆様、魂を揺さぶるラウンド1、誠にありがとうございました。『実利』『個性』『徳』『志』…教えるべきものの本質を巡る議論は、まさに圧巻の一言でした。しかし、どんなに立派な目的地を掲げても、そこへ至る『道筋』がなければ、絵に描いた餅に過ぎません。そこで、このラウンド2では、さらに踏み込み、『どう育てるか』という具体的な方法論について、議論していただきたいと思います」
(あすか、対談者たちを見渡し、問いかける)
あすか:「テーマは『管理か、自主性か?』。…平たく言えば、厳しい規律で縛る、いわゆるスパルタ教育か。あるいは、子どもの個性を尊重し、伸び伸びと育てる自由な教育か。これは、古今東西、全ての親と教師が頭を悩ませてきた、永遠のテーマです。では、この問いに、ラウンド1で『大人が教えること自体が傲慢』とまで言い切った、モンテッソーリ先生からお話を伺いましょう。先生、あなたは徹底した『自主性』を重んじる、ということでよろしいですね?」
マリア・モンテッソーリ:(静かに頷く。その瞳は、まるで目の前にいるのが対談者ではなく、観察対象の子どもであるかのように、冷静で澄んでいる)「ええ、その通りですわ。ただし、私が言う『自主性』とは、決して『放任』のことではありません。それは、先ほども申し上げた通り、『計算され、整えられた環境』の中で保障される、目的のある自由です」
フランクリン:「計算された自由、ねえ。それはまた、矛盾した言葉に聞こえるが」
マリア・モンテッソーリ:「矛盾などしていませんわ、フランクリン。子どもは、大人が考える以上に、自らを成長させたいという強い内的衝動を持っています。特に、ある特定の能力をぐんぐん吸収する『敏感期』という特別な時期には、その衝動は爆発的なエネルギーとなって現れる。大人の役目は、そのエネルギーを無駄にせず、正しい方向へ導くための環境を、科学的に準備することなのです。
例えば、私の『子どもの家』では、子どもを罰したり、叱責したりすることは、原則としてありません。なぜなら、『罰』は、子どもの心に恐怖心を植え付け、自発的な探求心、すなわち『学ぶ喜び』の芽を摘み取ってしまう、最も愚かな行為だからです。子どもは、失敗する権利を持っています。コップの水をこぼしてしまったら、罰として立たせるのではなく、雑巾がどこにあるかを教え、自分で後始末をする方法を学ばせる。それこそが、責任感と自立心を育む、生きた教育なのです。
大人が上から『管理』し、指示し、評価するという行為は、子どもの内なる声を聞く能力を、永久に奪ってしまいます。それは、もはや教育ではなく、調教ですわ。私たちが育てるべきは、命令を待つ従順な羊ではなく、自ら問いを立て、自ら答えを見つけ出す、気高き人間なのですから」
(モンテッソーリが語り終えると、スタジオには知的な静寂が流れる。彼女の理論は、あまりに完成され、揺るぎないものに思えた。その沈黙を、重々しい咳払いが破った)
孔子:「モンテッソーリ殿。あなたの言う、子どもの内に秘められた力を信じる心、そして、失敗を許容する慈悲の心は、誠に素晴らしい。それは、私が説く『仁』の心にも通じるものです。…しかし、あなたは、あまりに社会というものを見ていない」
マリア・モンテッソーリ:「と、おっしゃいますと?」
孔子:「あなたは、子どもを、まるで無菌室の中の植物のように育てようとなさっている。しかし、一歩外へ出れば、そこは、様々な人間が共存する、複雑な『社会』です。社会には、守るべき秩序、すなわち『礼』が存在する。個人の自由が、他者の自由を侵害してはならぬという、厳然たる規律がある。その規律を教えずして、どうして社会の一員として、他者と調和して生きていけましょうか」
フランクリン:「ふむ。孔子先生の言うことにも一理ある。全くの自由市場が、かえって混乱を招くのと同じことですな」
孔子:「その通り。子どもは、まず、共同体の中で守るべき『型』を学ぶ必要があります。挨拶の仕方、食事の作法、目上の者への敬意。これらは、一見、個人の自由を束縛するように見えるかもしれません。しかし、この共通の『礼』という土台があるからこそ、人は安心して互いに関わり合い、円滑な人間関係を築くことができるのです。規律を知らぬ者の自由は、単なる『わがまま』。それは、本人を孤立させ、結果的に、その子を最も不幸にいたしますぞ」
吉田松陰:(孔子の言葉に、激しく同意する)「その通りである!規律なくして、集団はただの烏合の衆と化す!モンテッソーリ殿、あなたの言う『自主性』は、あまりに生ぬるい!もし、弟子が、友を裏切るような真似をした時、あるいは、学ぶべきことから逃げ出し、怠惰に溺れた時、あなたも『それも個性ですわ』と、ただ黙って観察しているだけなのか!?」
マリア・モンテッソーリ:「もちろん、そうではありません。そういう時は、その子の行動の裏にある、満たされていない欲求は何か、心の問題は何かを、対話を通じて、根気強く探ります。罰や強制ではなく…」
吉田松陰:「対話!?そんな悠長なことで、人の魂は変わるものかッ!」
(松陰、再びガタリと立ち上がる。その目は、モンテッソーリの冷静さを射抜くように、鋭く光る)
吉田松陰:「師弟とは、そんな生易しい関係ではない!それは、互いの魂をぶつけ合う、真剣勝負だ!弟子が道を誤れば、師は、己のこと以上に心を痛め、時には怒鳴りつけ、時には涙を流して、その間違いを正す!必要とあらば、鉄拳の一つや二つ、くれてやることもある!それは、暴力ではない!その者の未来を思う、師の熱情の発露だ!その熱意が伝わって初めて、人の心は動くのだ!
松下村塾では、俺も弟子たちも、常に本気だった!俺は、彼らの甘えを一切許さなかったし、彼らもまた、俺の教えに疑問があれば、遠慮なく食ってかかってきた!その厳しいぶつかり合いの中でこそ、互いへの絶対的な信頼が生まれ、共に国を憂う、一つの強固な『同志』となるのだ!自主性などという聞こえのいい言葉に逃げ、弟子と本気で向き合うことから目をそむけるのは、教育者としての『怠慢』に他ならん!」
あすか:「魂のぶつかり合い…!モンテッソーリ先生の科学的なアプローチとは、まさに対極にある、徹底した精神主義、関係性の教育論ですね…!フランクリンさん、この『規律と管理』、そして『自主性と自由』、真っ向から対立する二つの意見、あなたはどう思われますか?」
(あすかの問いに、フランクリンは楽しそうに口ひげをひねり、両者を面白そうに見比べた)
フランクリン:「いやはや、実に見事な対立だ。まるで、秩序を重んじるローマカトリックと、個人の信仰を重んじるプロテスタントの宗教論争を聞いているようだね。どちらが正しいか、などという議論は、正直、不毛だと思うがね」
孔子:「不毛、と申されるか」
フランクリン:「ああ、不毛だ。なぜなら、お二方の議論は、重要な視点が欠けている。それは『目的』という視点だ。何を育てるかによって、方法は変わって当然ではないのかね?例えば、規律正しく命令を遂行する兵士を育てたいなら、ミスター松陰のやり方が効率的だろう。一方で、誰も思いつかないような新しいものを発明する科学者を育てたいなら、マダム・モンテッソーリのやり方に分があるかもしれん」
フランクリン:「だが、私が育てたいのは、そのどちらでもない。『自立した市民』だ。そして、自立した市民にとって最も重要な能力は何か?それは『自己管理能力』だ」
あすか:「自己管理能力…!なるほど、誰かに『管理される』のではなく、自らを『管理する』力、ですか。それは、フランクリンさん、あなたご自身が、生涯を通じて実践されてきたことでもありますよね?」
フランクリン:(我が意を得たりと、懐から一冊の古びた革張りの手帳を取り出す)「その通り。百の言葉よりも、一つの実践だ。これを見てもらおうか。私が若かりし頃から使い続けている、いわば『自己改善ツール』だね」
(フランクリンが手帳を開くと、そのページがスタジオのモニターに大きく映し出される。そこには『節制』『沈黙』『規律』…といった13の徳目が並び、曜日ごとにチェックを付けるための細かな表が書き込まれている)
フランクリン:「私は、完璧な道徳的境地に達するという、壮大な計画を思いついた。そして、そのために必要だと考えた13の徳目をリストアップし、一週間ごとに一つの徳目に集中して、日々の行いをこの手帳で採点したのだ。『今日は、無駄なおしゃべりをしなかったか?』『他人の利益になることを、何か一つでもしたか?』といった具合にね」
吉田松陰:「ほう…日記のようなものか。俺も『講孟余話』で日々の省察を記したが、そこまで細かくは…」
フランクリン:「これは日記ではない。自己に対する、厳格な『会計報告書』だよ。結果かね?もちろん、完璧にできたことなど、ただの一度もない。この手帳は、私の欠点の記録で真っ黒だ。ハハハ!(楽しそうに笑う)
しかし、重要なのはそこじゃない。この『より良くなろうと試みること自体』が、私を以前よりも、はるかに幸福で、優れた人間にしたという事実だ。教育とは、これではないのかね?誰かに強制されるのではない。自ら目標を立て、自ら行動し、自ら評価し、自ら改善する。このサイクルを回す術を教えることこそ、真の自立、真の自由へと繋がる道なのだよ」
マリア・モンテッソーリ:(フランクリンの言葉に、初めて明確な同意の表情を見せる)「…素晴らしいですわ、フランクリン。それは、私たちが目指す『内発的動機づけ』と『自己訂正能力』の、成人における一つの理想的な完成形と言えるかもしれません。目標設定、実践、そして自己評価。それは、まさに子どもが『お仕事』を通じて行っていることと、本質的には同じです。あなたの方法は、非常に科学的です」
孔子:(静かに頷きながらも、疑問を呈する)「己を日に三度省みる。それは、まさに君子が目指す修養の姿そのものですな。その志は、誠に尊い。…しかし、フランクリン殿。あえてお聞きするが、世の中の人間が皆、あなたのように強く、理性的であるとは限りません。誘惑に負ける者、怠惰に溺れる者、あるいは、そもそも自らを省みる知恵さえ持たぬ者もいる。そのような弱い人間たちを、一体どうやって導くおつもりか。あなたの『自己管理』は、一部のできる人間だけを対象とした、エリート教育ではありませんかな?」
吉田松陰:「その通りだ!孔子先生の仰る通り!そして、その『自己管理』の目的が、結局は『己の完成』という、内向きなものに終始している!その素晴らしい管理能力を、なぜ、この国を良くするという、より大きな目的のために使わんのだ!自分一人が小綺麗に、立派になったところで、国が外国に蹂躏されてしまえば、その徳も富も、何の意味があるというのだ!」
フランクリン:「おっと、それは誤解だ、ミスター松陰。私も公共の精神を軽んじているわけではない。現に、図書館や大学、消防隊といった公共事業も立ち上げた。だが、順番が違うと言っているのだ。まず、自立した個人があってこそ、健全な社会貢献も可能になる。足元のおぼつかない人間に、天下国家を語らせても、それは空論に過ぎん」
あすか:「ありがとうございます!フランクリンさんの『自己管理』という第三の道もまた、新たな議論を呼びましたね…。では、皆様の考え方の違いが、より鮮明になるであろう、具体的な質問をさせてください」
(あすか、少し真剣な表情になり、問いを投げかける)
あすか:「もし、教え子が、あるいは国民が、社会のルールを破るような、明確な『間違い』を犯した時…皆様なら、どう対処しますか?『罰』は、やはり必要悪なのでしょうか?」
(『罰』という言葉に、四者の間に再び緊張が走る)
マリア・モンテッソーリ:(即座に、しかし静かに反論する)「いいえ。私は、罰は『悪』ではあっても、『必要』だとは断じて思いません。先ほども申し上げましたが、罰は恐怖心しか生みません。問題行動は、その子が発している『SOS』のサインなのです。なぜ、その子は、そういう行動を取らざるを得なかったのか?その子の心の中で、何が起きているのか?私たちは、罰を与える裁判官ではなく、その原因を探り、取り除いてあげる医者であるべきです。罰は、最も安易で、最も教育的でない、大人の怠慢の表れですわ」
フランクリン:「マダムの理想は美しいが、現実的ではないな。例えば、私の印刷所で、職人がインクを盗んだとしよう。その原因を探ってやるのもいいが、その間に他の職人たちが真似をしたら、店はあっという間に潰れてしまう。社会の秩序を保つためには、ルールを破れば『割に合わない』ということを、明確に示す必要がある。
ただし、私も、ただ罰を与えるのが最善だとは思わん。より効果的なのは、その逆だ。『正しい行いをすれば、必ず報われる』という、明確な『褒美』のシステムを構築することだね。罰による恐怖で縛るよりも、褒美による希望で導く方が、はるかに人間の生産性を上げる。徳ある行いは、巡り巡って、自分に利益をもたらすのだ、ということを社会全体で学ぶべきなのだよ」
孔子:「褒美で人を釣る、か…。フランクリン殿、それは、人を利に聡いだけの動物と見なすようなものですぞ。人が過ちを犯した時に重要なのは、外から与えられる罰や褒美ではありませぬ。その者自身の内なる『恥の心』を目覚めさせることです」
孔子:「なぜ、その行いが過ちであったのか。それが、どれだけ他者を傷つけ、共同体の信頼を損なうものであったのかを、対話を通じて、根気よく理解させる。そして、その者が、自らの行いを心の底から恥じ、二度と繰り返すまいと誓うこと。それこそが、真の更生です。『罰』とは、その内省を促すための、最後のきっかけに過ぎぬ。故に、罰を与える者は、誰よりも深い仁の心と、公平無私な徳を備えていなければならぬのです」
吉田松陰:「甘い!孔子先生の教えは、平時においては理想であろう!しかし、今は、国が生きるか死ぬかの瀬戸際にあるという前提を忘れてはならん!」
(松陰、テーブルをドンと叩く。その音に、スタジオが震える)
吉田松陰:「例えば、我が同志の中に、敵に寝返る裏切り者が出たとしよう!その者と対話し、恥の心を説いている間に、我々は皆、首を刎ねられてしまう!国を思う心を忘れた者、同志を裏切る者は、すなわち『敵』だ!敵に対しては、断固たる処罰をもって臨むのが、組織の規律を保つ唯一の道!信賞必罰!その峻別を曖昧にすれば、組織は内側から腐り、崩壊する!非情に見えようと、その一つの厳しい罰が、結果として、より多くの仲間と、国そのものを救うことになるのだ!」
あすか:「罰は不要、というモンテッソーリ先生。罰より褒美、というフランクリンさん。罰は内省を促すため、という孔子先生。そして、組織を守るための峻烈な罰を肯定する、松陰先生…。『罰』一つをとっても、これほどまでに意見が分かれるとは…」
(深くため息をつき、しかし、何かを掴んだかのように顔を上げる)
あすか:「皆様、ありがとうございます。よく分かりました。教育の方法論とは、単なるテクニックの話ではないのですね。その人の、人間に対する見方…『人間とは、本来、善なるものか、悪なるものか』『理で動くのか、情で動くのか』。そして、その人が信じる、社会のあり方そのものを、まるで鏡のように映し出すものなのですね。
『管理』か『自主性』か。この問いに、たった一つの答えはありませんでした。しかし、私たちは、4つの、それぞれに強力で、そして全く異なる『コンパス』を手に入れることができました。それは、未来という、まだ地図のない荒野を旅する上で、何よりも心強い武器になるはずです」
(あすか、クロノスを操作する。ホログラムの文字が『ROUND2FIN』へと変わる)
あすか:「ラウンド2は、これにて終了です。次のラウンドでは、この4つのコンパスを手に、いよいよ、我々が今まさに直面している、未来という名の荒野へ、皆様をご案内したいと思います!」
(次の、より困難なテーマを予感させる、重厚なBGMが鳴り響く。4人の対談者は、これまでの議論の疲労と、これからの戦いへの覚悟が入り混じった、複雑な表情で互いを見据えていた)