第一話 〜宙を舞う白い箱~
「あら、目を覚ましたの?」
ぼんやりと目を開けると、優しそうな、美しい女性が僕を覗き込んでいた。
そのまま、そっと僕を抱き上げる。
「どうしたの、リベル?怖い夢でも見てた?涙が出ているわ。大丈夫よ、お母さんはここにいるからね。」
——お母さん? リベル? え?どういうこと?
驚きながら周りを見渡す。
見たこともない、こぢんまりとした家の中。
調理器具、裁縫道具、明かり、テーブルや椅子……。
ここはどこ?
でも、この女性は自分のことを「お母さん」と言った……。
——もしかして、生まれ変わったの⁈
戸惑いながらも、心が躍った。
これが現実なのか、それとも夢なのかは分からない。
でも、確かに僕にはこんな優しい「お母さん」がいる。
「あら? 今度は笑ってる。何か面白いことでも見つけたかしら?」
面白いこと……この世界では、たくさん見つかるといいな。
まだ歩くことはできないけれど、あんな機械に繋がれているわけではない。
安心と幸福に包まれるような感覚に、僕は再び眠りについた。
「ふふ、また眠っちゃった?でも、とても安らいだ顔ね。おやすみなさい。」
お母さんの愛情を受けながら、僕はすくすくと育っていった。
お母さんを見ると、なぜか涙が出てしまう。
そのたびに、お母さんは優しく拭ってくれる。
僕は、お母さんが本当に大好きだった。
二歳になった頃には、ある程度話せるようになり、 お母さんの作る料理を「おいしい!」と言って食べられるようになった。
歩き回り、走り回り、少しずつ読み書きも覚えた。
幸せだった。
お母さんが本当に僕を愛してくれていると感じた。
抱きつくと、優しく微笑んで頭を撫でてくれる。
こんなに甘えられるなんて、夢みたいだ。
——でも、一つ疑問があった。
なぜ、お母さんしかいないんだろう?
それでも、幸せだからいい。
暖かい家があり、お母さんがいる。
それだけで十分だった。
前の人生とは、あまりにも違いすぎる。
こんな満ち足りた日々があるなんて——
そして夜、僕はお母さんと一緒に眠りについた——
「本当に、この家で間違いないのだな?」
深夜、ローブを纏い杖を持った白髭の男が囁いた。
「はっ、間違いありません!」
兵士の一人が答える。
「では、やるぞ。」
——ゴオッ!!
杖を地につけた瞬間、炎の壁が家を取り囲んだ。
「見つかった…!」
お母さんが飛び起きた。
僕も目を覚ましたけれど、まだ夢見心地だ。
でも、お母さんのいつもと違う表情に、緊張が走った。
「どうしたの…?」
不安そうに尋ねると、
「大丈夫。リベルは私が守るから。」
そう言って、お母さんは僕を力強く抱きしめた。
——その瞬間。
「ガァン!!」
家の扉が蹴破られた。
お母さんはさらに僕を強く抱きしめる。
入り口には、白髭の男と無数の甲冑を纏った兵士たち——。
僕は震え出した。
白髭の男が、ゆっくりと口を開いた。
「さて、お初にお目にかかります。探しましたぞ。我々がここに来た理由は——こんな辺鄙な場所に、たった二人きりで暮らしている点からも、お察しのことかと思います。多少は良い日常を送れましたかな?……だが、我々としてはそうも言っていられないのでね。まずは、一緒に来てもらいましょうか。」
そう言うと、男は両手を前に差し出し、空中をつかむような仕草を見せた。
次の瞬間——僕とお母さんの身体が宙に浮いた。
——!!
ちょうど腕と胴体を鷲掴みにされているような感覚。
そのまま、僕らは床に立たされ、背後からやってきた兵士たちに縄をかけられた。
「私はどうなってもいいから、この子だけは生かして!」
お母さんが叫んだ。
その姿を見て、僕は涙をこぼす。
「いえ、あなたは丁重にもてなします。今は手荒な真似をして申し訳ございません。そして——お分かりでしょう。用があるのは、そちらの子供です。」
……?
僕……?
僕が何をしたの……?
混乱のあまり、頭が真っ白になる。
「ふむ、まだ教えていなかったか。最期に教えておいてやろう。貴様には——魔法力が一切ないのだ。」
魔法力……?
何のことか、まったく分からない。
ただ、頭の中を無数の感情がグルグルと駆け巡る。
「まあ、知ったところで、やるべきことは変わらぬ。連れ出せ!」
僕たちは外へと連れ出された。
炎に照らされた夜。
無数の兵士たちが、包囲するように立ち尽くしていた。
「さて、この場で直接手を下すのも、見るに堪えぬことでしょう。ましてや、心が痛むはず。——ゆえに、こちらをご用意いたしました。」
白髭の男が指し示したのは、大きな白い木の箱だった。
その蓋には、魔法陣のような、呪文のような模様が描かれている。
「これは……?」
お母さんが息をのむ。
「我々も、何もこんなことをしたくてしているわけではございません。幸いすぐそちらに深めの川が流れている。そして、その川には、浅瀬も大きな障害物もないことを確認済みです。」
「まさか……⁈」
お母さんが凍りつく。
「そのまさかです。貴女様は、我が主にとっても大切な御方。しかし——そちらの子供は、この世にいてはならない存在。とはいえ、我々にも慈悲の心は多少はある。……ゆえに——」
「ゆえに……?」
お母さんが震える。
「流していただきます。」
——!!
お母さんが号泣した。
僕はまだ状況を理解できていない。
ただ——自分の命が狙われていることだけは、ようやく分かった。
けれど、"魔法力" がどうとか言われても、何が何だか分からない。
兵士たちは箱の蓋を開けた。
それは、まるで——白い棺桶だった。
……違う。これは本物の棺桶だ。
僕専用に作られた、死の箱。
ようやく意味が分かった。
こいつらは——僕を生きたままこの箱に閉じ込め、そのまま川へ流して殺すつもりなんだ……!
恐怖が一気に押し寄せる。
涙が止まらない。
お母さんは、その姿を見て、さらに強く泣いた。
「では、あまり時間をかけてもいられないのでね、始めさせていただきます。」
白髭の男が、再び空中をつかむような動作をすると——僕の身体は、また宙へ浮かび上がった。
ただ、今度は違う。
その先には——白い棺桶。
そして——僕はその中へ、無理やり押し込まれた。
「まあ、冥土の土産にロープは切っておいてあげましょう。どうせ中からは開けられない構造です。 さあ、最期に別れの挨拶を。」
棺桶の中に押し込まれた僕の前に——お母さんが連れてこられた。
号泣するお母さん。
声を絞り出しながら、僕に語りかける。
「……何もしてあげられなくて、ごめんね。守ってあげられなくて、ごめんね。こんなひどいことをして、ごめんね。あなたのこと……世界一愛しているわ。ごめんね、私を恨んでね。」
その言葉に、僕はより一層泣きじゃくる。
でも——泣いている場合じゃない。
最期に伝えなくちゃ……!
「お母さん……ありがとう……僕も、世界一愛しているよ……。」
——バタン!!
蓋が閉められた。
真っ暗な世界。
かすかに、お母さんの泣き声が聞こえる。
——ガタン!!
箱が担ぎ上げられ、動き出す。
そして、一瞬の静寂の後——
勢いよく、宙を舞い——着水。
——そうして、僕は捨てられた。