12月10日、プロポーズ2。
「ひかり、話があるんだ。」
プロポーズを決意した僕は、ひかりに書いた手紙をゆっくりを読み出した。
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「ひかり」
「うん?」
「話したいことが、あるんだ」
そう言った後、ひかりの目を見ることができなかった。髪がサラサラと揺れて、ひかりが僕の顔を覗き込んでいるのが分かる。
「どうしたの? 何か、あった?」
僕が発する不安が伝わったのか、ひかりが何か良からぬことを想像したのか、ひかりの毛糸のような声が、少しだけピンと張ったような気がした。
自分の周りの地面だけが、ガタガタと震えているようだった。すぐにでも逃げ出したかった。
もし、しくじってしまったら。神様、どうかグルグルとうねる濁流で、僕を連れ去って、どこまでも遠くへ連れ去って、二度とひかりが僕を目視できないようにして下さい。僕をひかりのものとから、すぐにでも連れ去ってください。いや、それは嫌だ。それだとひかりに二度と会えなくなってしまうじゃないか。ひかりに一生会えなくなってしまうのは、それだけは、嫌だ。
黙ったままの僕を心配そうに見て、ひかりは僕の手を強く握り返した。
「手紙、書いたんだ。短いけど。ひかりに」
「手紙、私に?」
「読んでも、いいかな」
ひかりは、いいよ、と弱った風のような声で返事をした。固く繋いでいた手を解き、バッグの中から長形の封筒を取り出した。手紙が冷たい風に飛ばされないように、紙を両手で持った僕の右手に、ひかりもふわりと自分の右手を重ねた。ひかりの左手は、僕の右腕をしっかり掴んでいた。
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「ひかりへ。二人で晩飯を食べるとき、ひかりは時たま抑えられないように僕の前で泣くね。涙が出ている割には、何だか幸せそうで、でも悲しそうで、僕がどうしたのと理由を聞いても、大丈夫だって少し笑って、小さくため息をつくよね。
僕はなぜひかりがそんな顔をするのかいつも分からなかった。でも、人って他人には言いたくないようなことが、一つや二つあること、僕は知っているから、僕がこんなことを言うからって、ひかりの全てを話せなんて言うつもりはないよ。
ひかりの全てを知りたいと思ってはいるけど、古いかさぶたをもう一度剥がすのは良くないことだから。
人生は本当に長くて、でもあっという間で、ひかりの周りで冷たい風が吹き荒れて、巻き上げられた木の葉が刃物のように、僕の知らないところでひかりを傷つけることがあるかもしれない。
でも、ひかりがそんな風に傷ついて、人生に絶望し、未来への歩みを止めてしまう度に、僕は、ひかりを抱きしめることはできる。これから年を取ると、僕はひかりが思っているような男じゃなくなってしまって、ひかりが傍にいてくれなくなってしまうかもしれない。だけど、同じ季節が何度僕を追い越しても、僕はひかりに会いに行くよ。僕はこの通り、子供みたいな格好悪い大人だけど、どうか、これからはずっと傍にいてほしい」
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じんじんと熱を持ったひかりの右手は、僕の右手も揺らすほどに震えていた。ひかりの右手をそっと左手で掴んで避けて、書いた手紙を封筒にしまった。
僕は両手でひかりの顔をそっと包み、涙を一杯に湛えた瞳を真っ直ぐに見て、愛しています、僕と結婚してくれませんか、と言った。
ひかりは眉間をぎゅっと寄せて、それでも固く噤んだ口の両端をきゅっと無理やり上げて、私でよければ、よろしくお願いします、と声を絞り出した。艶やかに濡れたひかりの頬は、見た目に反して熱かった。
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僕は、それにしてもひかりは泣きすぎだと思った。ひかりの肩をしっかり持ってやらないと、今にも地面に座り込んでしまいそうだった。
ううっ、ううっと嗚咽を我慢して、必死に自分を保っているようだった。ひかりの背中を優しく摩りながら、そんなに喜んでくれるなんて驚いた、でも僕もすごく嬉しいよ、ありがとう、と言った。
嬉しいよ、嬉しいけど、とひかりは言葉を濁らせた。
けど、どうしたのと僕は聞いた。
ひかりは、何度あなたからそんな言葉を聞いても、涙が止まらないくらい嬉しいの、私はあなたを本当に愛しているんだと思って、と長い睫毛の隙間から涙をこぼしながらそう言った。
「何度もそんな言葉を聞いたって、一体どういう意味?」
僕は、少し驚いてひかりにそう聞いた。
するとひかりはほんの少しだけ黙って、
「私には、前世の記憶があるの」と真剣に言った。
少し、拍子抜けした。
こんな場面でそんなことを言うひかりは、素直に面白い人だと思った。
「へえ、本当に?」と聞くと、ひかりはふふっと笑って、信じてないでしょ、と言った。
「今まで何度もあなたとの出会いを繰り返してきたの。今のあなたは、私にとって十一人目のあなたよ」
「へえ、それは面白いね。じゃあ、一つ前の僕はどんな人間だったの?」
「一つ前は、飛行機乗り。特攻隊の人だった。私たちは十七の時に知り合って、お互い好き同士だった」
「じゃあ、一人目の僕は?」
「あなたは猫だった。私が体を綺麗にしてあげたら、恩を感じて私に毎日会いにきてくれたの」
冗談にしては、よく話が作られているなと不思議に思った。
「僕は動物になったことがあるのか。じゃあ、二人目の僕は?」
ひかりはふふっと吹き出して、そんなに知りたいの、と僕に聞いた。
「知りたい。僕たちは出会うたびに、どうなったの?」
「私たちは出会うたびにお互いを好きになって、それを何度も何度も繰り返してきたの」
「それ、本当だったらすごいね。僕たちは何度も出会いを繰り返してきたのか。そうか、もしそれが本当なら、僕たちは運命の二人なのかもしれないよ」
ひかりはまたふっと吹き出して、ほら、やっぱり信じてない。でも、そうね、私たちはそういう運命なのかもね、と夜空を仰いだ。
僕はひかりをそっと抱きしめた。僕の左耳に、幸せだなあとひかりは囁いた。どくん、どくんと大きく波打つ僕の心臓を、ひかりは笑った。人工的に生み出された無数の光の粒は、煌びやかな星の瞬きを失わせていた。ゆっくりと流れる漆黒の川には、長い旅を終え錨を下した月の船が、ゆらゆらと水面を漂っていた。
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次回、またお会いしましょう。