夏越しの大祓
「思ってたんと違うー……」
鈴凛は布団の中で眠れないまま朝を迎えた。
望もうと望むまいとやるべきことがある。佳鹿はそう言った。
「……最悪……」
鈴凛は体を布団の中で折り曲げる。
機織りのリースが何者であったが、それが知りたかった。八岐大蛇が化けた思われるほどの存在であった乙女。
期待していたことは、どれだけ彼女が照日ノ君に愛されていたとか、どれだけ美しかったとか、二人の過去の愛のエピソードとか、実は素戔嗚様も好きでリースを取り合ったとかそういう話だった。
誰かを前も殺したなんて知りたくもなかった。
「わたしと柊木省吾って……」
鈴凛は一人で重苦しくつぶやいてみる。
以前のリースがどうかは知らないが、鈴凛は今回、柊木省吾がどんな人物かもよく知る前に、殺してしまった。
「……いやでも……戦姫になってなければ、そもそも柊木省吾と会うこともなかったよね」
鈴凛は一人で悶々と考える。
「てゆうか……前も人殺したってやばくない……わたし……」
自分はそんな短絡的に誰かを殺すような人間なのか。
貧乏で根暗で何の勇気も持ち合わせて無い気弱な自分。
それが鈴凛の中にある源鈴凛だった。
「もう……さっぱりわからない……」
鈴凛は自分がどこにいるのかわからなくなるような感覚に襲われていた。
リースは自由奔放だった。
「わたしは……わたしは……」
わからなすぎる。
「ああ……」
また明の飴が欲しい……。
鈴凛はそこまできてはっとする。
「だめだめだめ!」
口の中にじわっと唾液が出て、あの飴の味を思い出す。
「また考えまくっちゃってる」
穢レが部屋に立ち込めていた。
「神だってわからないって言ってたじゃん」
意識して明るい声をだす。
「考えるの、やめようよ、やめよ」
鈴凛はぱんぱんと自分の顔をたたいて飛び起きた。
考えれば考えるほど、ぐるぐると周り、その遠心力で自分を見失いそうな気がした。
「飴のことを考えるのもだめ!」
「部屋でうじうじしてるのもだめ!」
鈴凛は支度をして、納戸をでた。今日は毛利神社にバスケットボール部の祈願にいくことになっている。
「おはようございます。高天原はいかがでしたかな?」
境内に入ると、毛利元閃が神主の格好をしていた。紫陽花に水をやっているようだった。
そうだ、この人は毛利神社の神主だったと思い出す。
そしてこの人から飴をもらったことを思い出す。
「……いや……特には……」
鈴凛は殺人鬼と運命の赤い糸で結ばれていたことが判ったなどというダークな内容をほがらかな朝の笑顔の老人に打ち明けることはできなかった。
そしてまた飴もらえます?とも聞けなかった。
「……なにも……」
そこまで言ってもっとこの老人に伝えなければいけなかったことを思い出す。
勘定所の嫌がらせで、修祓の実績はマイナス処理され、百の宮の財源が無くなった。佳鹿のずうずうしい金蔓作戦で哀の財源で回していくということで事なきを得たが、それはきっと毛利家は天雅家にますます気を使わなければいけないということであり……
「……あーとそういえば……」
いったいどう切り出そう……と鈴凛は困ってしまった。
奥からアーネストに車椅子を押されている閃がやってきた。
「おはようございます」
「おはよう閃くん」
「……おはようございます、百姫様」
閃は冷たく形式的な挨拶をした。
「なにもないのが一番ですな」
鈴凛は苦笑いで合わせる。
神域から戻ってきた時にはこに老人は泣いて喜んでいた。財源が0になったなど心臓に悪すぎるかもしれない。
「そう……ですね……」
鈴凛はあたりさわりのないことを言った。
「そういえば……あのような者ですから……修一郎のことでお困りのことがありましたら、遠慮なく申し付けてください」
「ああ……はい」
おおいにあると思いながらも、いい人そうな老人を前に言い出せない。
閃はチクればいいのに、といった顔でこちらを見ている。
「ああ……いえ……まあ」
元閃の笑顔には隙がない。どうもこの老人には本当のことが言いづらかった。
「お爺さま」
毛利就一郎の声だった。階段を父親の毛利照親と登ってくる。
「おお照親、就一郎」
「もう先方は来られているみたいですよ」
「そうかそうか」
「では失礼いたします」
「失礼いたします」
毛利照親は鈴凛に小さく会釈した。
鈴凛もぺこりと頭を下げる。
閃たちも社務所に向かっていく。
「先輩はいかないんですか?」
毛利就一郎だけ置いて、行ってしまった。
「祖父に何を言われたのですか?」
毛利就一郎はそれには返事をせずいつになく冷たく二人の背中をみやって言った。
「え? いや……特に何も」
「気をつけてください。僕や父以上の曲者ですよ」
そう言って遠目に家族を見て毛利就一郎は笑ったが、目はどこか笑っていない気がした。
「元閃さんはいい人でしょ、先輩と違って安易に誰かを殺そうとしたり玉手匣したりしないですから」
鈴凛は呆れながら言った。
毛利就一郎はいつもの仮面のようにくっと口端を吊り上げて笑った。
「相変わらずお花畑ですねえ。おそらく祖父は柊木一族の悪事に関しては、耳に入っていたと思いますよ。祖父の領内です。あれほどの死者の数だ。大量殺人鬼を放し飼いにしていた。……それでも、僕より、いい人ですか?」
「え?」
鈴凛はびくりとする。
「のほほんとしてますが恐ろしい老人ですよ」
「母が母国へ情報を渡そうとしたから、母は祖父に消されたって話もあるくらいですし」
毛利就一郎がさらりととんでもないことを言った。
「……!」
鈴凛の顔をチラリと見て、反応を楽しんでから毛利就一郎が説明を付け加えた。
「母は八咫烏のような西洋支部、薔薇十字団のよい血筋の人だったんです」
「お母さんが……」
「アーネストはその置土産みたいなものです」
毛利就一郎はとんでもないことを平然と言った。いつかアーネストが閃に母親がいないと言っていたのは聞いたことがある。自殺したというような話もきいたような気がした。
「どういうこと……?閃くんのお母さんは自殺したってアーネストが……」
「公式にはそうなってますね」
鈴凛は毛利就一郎がその表情の裏に悲しみを隠しているとは思えなかった。
むしろどこかその様子はそのような状況を楽しんでいるように見えた。
鈴凛は目の前の存在が怖かった。悲しんだり喜んだり、何かにこだわったり……毛利就一郎は何もかもあけぴろげに話してくれるのに、まったく存在がみえてこなかった。理解を超えていた。
中身が無いような。ロボットのような、人間らしくした何か。もしくは目の前の彼は幻覚のような気さえしてくる。
「こんな夏の雨の日に死んだんです。僕が7歳の時でしたね……死因は謎のままです」
「ほら、そこに。池が血で真っ赤になっていたとか」
鈴凛は後ろから肩に両手を置かれてびくりとした。
「ひ……」
池に小さな滝が落ちている。鯉が何気ない様子で泳いでいる。
「……!」
「もちろん境内で死んだなんて事実は隠蔽されましたが」
鈴凛は何も言えなくなって、急に雨が冷たく感じた。
毛利就一郎がさらさらと語る事実も、そのようなことを笑って言える毛利就一郎も、恐ろしかった。清浄な神社が急に恐ろしい場所に感じる。
「父は祖父の座を狙い、祖父もそれに気がついている。もちろんその座をわたしが狙っているんですが」
毛利就一郎はあははと笑う。
「なんでそんな……」
「八咫烏は時に思い通りに何でもできる力がある。あなたも知っているでしょう?」
「その力を早く我が物にして、目の上のたんこぶなしに、治外法権の力を使って、楽しい仕事を、はやくやりたいと思いませんか?」
「楽しい仕事?」
何か怒りの言葉を言いかけてでもどこかでそうでもしないとこの仕事が務まらないのだろうとも思う。
悲しんだり、同情していたら被害が拡大してしまうから。
もしそうならば、今の毛利就一郎はこれで正しいのかもしれないとも思う。
「その流れでいうと、閃も僕を殺そうとしているかもしれませんね……あんな体じゃ僕を消すなんて無理ですが」
「……たった一人の弟でしょ」
「それ本気で言ってます?」
両肩に手を置いて、毛利就一郎が真剣な表情で言ってくる。
閃に似たようなことを言われたことを思いした。
思ってもないこと言うの、やめなよ。
「お待ちしておりました」
毛利就一郎がぱっと手を離してにっこりとした。
バスケットボール部のメンバーがやってきた。
「!」
咲と坂本鉄が周馬の両サイドにべったりくっついている。
−−関係ない人はくっついてこないでよ
−−咲関係なくないもん
−−バスケ部じゃないでしょ
−−咲は鈴凛の妹だからいいの
鈴凛はその声にぞっとする。
未来妃がイライラしてそれを後ろから見ていた。
「……おはよ」
鈴凛と周馬はお互いが別の人物と一緒で妙な空気になる。
「毛利神社へようこそ」
かまわず神主姿の毛利就一郎が口を吊り上げて笑った。
「なんか朝、集合場所にいてさ……」
熊野が気まずそうに言った。
「咲もお祓いしたいの!」
「神社へお参りとは、良い心がけじゃないですか。茅の輪くぐりもどうぞ。いまは夏越しの大祓いの時期ですから」
「ひっぱらないで!」
「そっちこそ!」
鉄と咲はいがみあっていた。鈴凛は複雑な心境だったが、坂本鉄の存在が妙なところで役にたったな……と思っていた。
「まったくモテますねえ。彼女がいるのに彼女の妹さんとそんなに密着して」
周馬と毛利就一郎が目を合わせている。
「そっちこそ鈴凛にまとわりつくのやめてもらえます」
周馬が鋭い表情で毛利就一郎を見た。
「わ……」
一同がびっくりしている。
「周馬の機嫌わるいとこはじめてみた!」
「ガチだな」
妙な空気になる。部員たちはぴりぴりした空気にそれぞれが何かを思っているらしく、すぐに次の行動に移せない。
「おや。ムキなって、可愛いところもあるのですね」
毛利就一郎は笑顔を崩さなかった。
「……あ」
熊野が声をあげる。
「あ!先生の車!」
未来妃がかけよっていった。
−−おはようございます先生!!みんなもうきてて……
機嫌の悪そうな拘式は未来妃の話に返事をしていない。
「あいかわらず朝から……機嫌悪そうだな……」
「なんかここ最近ずっと機嫌悪いよな」
鈴凛は拘式も雪山での怪我以来、体調が悪いのだろうかと思った。
「おはようございます」
翔嶺も車から降りてきた。
「はやく済ませて帰るぞ」
顧問は第一声からネガティブだった。
一同は本殿の前で祈願する。
終始、鉄と咲ががっちり周馬にくっついて鈴凛は話をすることができなかった。
−−大会で一位がとれますように
−−合格できますように
「鈴……」
鈴凛に周馬が何か言いかけた時、すばやく咲がひっぱる。
「先輩、咲おみくじしたあい!」
「いこいこ!」
咲のとりまきらしきメンバーができあがっていて、周馬を一緒に連れて行った。
「お、おい……」
周馬たちが咲に連れられて奥のほうに行ってしまった。
「おまえの妹の執念がすごいな……」
熊野が呆れて言った。
「……」
仏頂面の拘式を未来妃が連れてきた。
「ねーみんな! 先生が全員分の絵馬買ってくれたよー!!」
未来妃が嬉しそうに走って戻ってくる。
「あれ?周馬たちは?」
「連れてかれた」
「えー」
「鈴凛ちゃんの妹、ほんとーに、超うざいんだけど」
坂本鉄が未来妃から絵馬を受け取るとさっととるとさっそくペンをとった。
「……ごめんねえ……」
「ほんと誰よ、今日集まる事教えたの」
未来妃もげんなりして言った。
「部員の誰かだろ、半分くらいはもう党員になってそうだからな」
「できた。一番みえることにかけとこうっと」
鉄が急にご機嫌になって言った。
源姉妹が地獄に堕ちますように
「ちょっと!!わたしも?!」
「鉄ちゃん……絵馬にそういうこと書くのは……」
「なるほど、新しい発想ですね」
毛利就一郎がほがらかに笑った。
「鈴凛ちゃんも邪魔だから、まとめといた」
「まとめないで……」
「先生は、何かくの?」
未来妃がにこにこして拘式に絵馬を渡している。
「俺はいい」
「先生、マネージャって三人ももういらなくないですか?三年の先輩たちはほら受験も近いですし。もう来なくていいと思うんですけど。僕ひとりでできますよ」
「鉄っちゃん、さらっとまとめてわたしまで追い出そうとしているわね」
未来妃が呆れて言った。
「だって周ちゃんは完璧なんです。宇宙の宝なんです。うっとうしい女は消さないと。そのためには未来妃ちゃん先輩にだって消えてもらいます」
「鉄ちゃんの圧こわい……」
鉄はきっと鈴凛を睨んだ。
「おやおや本当に如月君はファンが多いですね。如月君と源さんをくっつけないという意味ではあなたはわたしと同じ穴のムジナかもしれません」
毛利就一郎は隙アラバ自分の見方を探していた。
「ふっ……」
未来妃が妙に余裕ぶって笑う。
「なんです?」
「二人とも全然わかってない」
「なんで?」
「邪魔をすればするほど、真実の恋は燃え上がるんですよ?恋の障害は余計に燃え上がらせるんです。二人は邪魔してるつもりで、本当は応援しちゃってるんですよ」
未来妃が大人ぶって言った。
「なるほど」
「恋のハードルは余計に恋を燃え上がらせるんです!」
鈴凛は未来妃と周馬をくっつける案を思い出して、なんとも言えない気持ちになる。
「ねえ先生?」
「なぜ俺に同意を求める」
「そうだわたし、恋愛守を買おうと思ってたの」
未来妃がちょうど社務所を指差した時、なにかがガタンと音がして、バリンと割れるとと、倒れる音がどこかからする。
「なに?」
「本殿の方から……」
「……!」
毛利就一郎がきびすをかえして向かっていく。
「!」
鈴凛が本殿の方を振り返ると、足元を煙がさあっと流れてくる。
他のみんなには見えていないが、地面のふちを塗りつぶすようにぶわりと広がっていった。
「穢レ−−」
「え?」
未来妃が鈴凛の独り言に反応する。
「!!」
拘式がぴくりとした。
「まさか……ご神体が」
「え?」
「わ!!なんだ水が−−」
熊野が声をあげる。
手水舎の水がドバドバと溢れている。
「なんだ……」
浮かべてあった紫陽花の花が流れてきた。
「なにこれ」
「おい!」
ばんっと社務所の横に設けられていた蛇口が弾け飛び、水がマンホールからも溢れでてきた。
「うわなに」
「え?」
ごごごごといって空に暗い雲がたちこめると、地面が揺れ始める。
「うわ地震か?」
「え?」
空が暗くなってくる。
どどどどととと音がして猛烈な雨がふってくる。
「うわあああああ」
痛いほどの土砂降りが降ってきた。
「なに?!土砂降り」
「なんで急に雨」
「駐車場のほうへ行け!!」
拘式が生徒たちを誘導した。
「早く帰ろう」
土砂降りのような雨が降ってきて、玉砂利の地面が水びたしになっていく。
流れができて参拝の石畳の上を流れていた。
「おいなんだよこれ……」
「出られないぞ!」
部員の一人が叫んだ。
のっぺりと透明の壁が神社の脇道にできあがっていた。
「出られない!!」
「なにこのガラスみたいなの」
ばんばんと未来妃が叩く。
「え……あっちにも……」
「?!」
神社を取り囲むように四方にガラスのような透明の壁ができている。
そこに土砂降りの雨がどんどん降っていた。
「……靴に水が」
「水がどんどん溜まってる……」
「この神社は山の上だろ?」
雨が濁流となり、足元をとらえる。
どんどん水かさが増してすぐに腰の下まで水がくる。
「まずい!溜まってる」
さながら水槽に水を入れるごとく、神社を取り囲んだ空間は水でいっぱいになっていく。
「なにこれ……!出られない!!」
未来妃が空気をどんどんたたいている。
「!出られない!」
「でられないよ!このままじゃ」
神社にいた人間たちは透明の水槽に閉じ込められたみたいだった。
「なんだよこれ!!」
「忌の異界展開だ」
拘式が苦々しく言った。
「どこに忌が?」
鈴凛はあたりを見回したが、それらしい騒ぎは見当たらない。
「とにかくこのままではまずい」
がんっと音がして車が浮き始める。
「……!」
「ここだけ……雨ふってる……外は降ってない」
「とりあえず、手水舎の屋根へ!」
「水がきたら本殿の屋根に移るしかない!」
「水……増えてる。わたしあまり泳げない」
未来妃が不安げに言った。
「ねえ周馬たちは?」
半分くらいのメンバーははぐれてしまっていた。
あっという間に水が来て、本殿の屋根に飛び移る。
−−大丈夫ですか?こちらは避難させました!
向こうから翔嶺の声がした。
「翔嶺君だ」
「翔嶺がついている大丈夫だ」
周馬を探しに行きたい衝動にかられる。
「翔嶺がついている、大丈夫だ」
拘式が言った。
「わたしたちどうなっちゃうの……こわい……」
目の前にいる未来妃たちをどうにかしておかないと溺れてしまう。
「……!!」
「このままではすぐに水がくる」
「忌がどこかわからない今」
「何か浮くものにでもつかまらせるか」
「御神木と境内の杉の木なら」
「わかりました」
鈴凛は未来妃とバスケットボール部員たちをみたが、正体がばれないようにしている場合ではなかった。
「鈴凛?」
「ちょっといってくる」
「え?源がなんで?」
「おい」
また未来妃を玉手匣することになる。
鈴凛はそれでも苦渋の決断を下すしかなかった。
「わたしならみんなを助けられる」
「鈴凛……?」
鈴凛は鞘指輪をすって刀をだした。屋根を足場にして飛び上がり、真横に刀をふった。
神刀はすぱんと巨大な杉の木を切り倒す。
「え……?」
「いまのやばくない?」
「源……おまえ」
「今の撮影しとけばよかった」
一同が驚いた顔で鈴凛をみる。
「つかまって」
水が屋根のてっぺんまできそうになった時、みんなは別れて巨大な杉の丸太に捕まった。
「たすかった……」
「いやこれ助かってるのか?」
「……鈴凛……やっぱり何か隠してたのね……」
未来妃の顔がこわばっている。
「ごめん……」
「鈴凛どうして−−」
「流れが発生している」
拘式が水面をみて唸るように言った。
「!!」
力が漲っていた。赤い糸が神刀にまとわりついている。
「糸ちゃんが強い……穢レがつよい」
「どうして……」
「あ!」
下から色がぶわりと浮き上がってくる。
「なに?」
それは大量の鯉と紫陽花だった。
「綺麗……」
未来妃がつぶやいた。
雲が晴れて、空から光が差す。
晴れの中雨が降っていた。
「でも鯉も……紫陽花もこんなにどこからきたの?」
水の中に大量の鯉が泳いでいた。極彩色の水槽は天にどんどん伸びていく。
「見入っている場合じゃ無いぞ」
「もうこんなに水が……」
「神社の本殿の屋根がもうあんなに下だよ」
「!!」
「なにか……下で光ってる……」
未来妃が下を見て言った。
水の中に黄金色に光るものが見える。
鈴凛は底の石畳の中にありえないものを見る。
水の底を誰かが歩いていた。
「?!」
「あれは……」
鈴凛は水に顔をつける。
見知った化け物の仮面が見えた。
陵王
「ぷは!!陵王が本殿のほうへ……!」
「なに」
「忌は本殿の中かも」
「ここは穢レが強いのだろう。神体は汚れの中枢に安置しなければならない」
「場所がわかるのはおまえだけだ」
「え僕がですか」
「ここ先輩の神社でしょ」
「しかたありませんね」
「しかし息が続くとは思えませんが」
「みろ」
拘式は水を掬ってつかみ上げた。それがキラキラと消えた。
「水ではない」
「でも……浮いてる」
「しょせんは水のような幻覚だ。これほどの水をどこかから捻出し、現実を改変できるほど怪花してから時間はたっていない」
「じゃあ潜っても大丈夫なんですか」
「どちらにせよ水位が上がれば余計に潜るのは困難になる」
「三人は……何の話をしているの?」
未来妃の顔がこわばっていた。
「こっちの話です。安心してください。あとで忘れますから」
毛利就一郎がやれやれと未来妃に言った。
「忘れる……?前もこんなことが……」
「話している場合じゃ無い」
「水だと思うな」
「ええ?!」
「無理ですよ」
「これは水じゃ無い」
これは水じゃない。水じゃない。水じゃない。鈴凛は必死に目を開いた。
「いや、水でしょ」
「潜るなんてばかなまねはやめてください」
未来妃が言った。
「鈴凛も先生も下になんかいかないで、危ないよ。わからないけど」
「おまえはここにつかまっていろ」
「……でも」
時間がない−−。
「待って!ねえ!!」
鈴凛たちは未来妃を無視して水に潜った。
毛利就一郎がすいすいと潜水していく。
−−!
賽銭箱を超えて、重たい扉を開ける。
毛利就一郎が息継ぎに戻っていった。
拘式はまだ息が続くらしく、中に入る。
「ひ……」
祭壇の前で、毛利照親が死んで浮いていた。
知らない年老いた男も二人死んでいる。
「……」
二人で傷口を調べる。
刃物による殺傷
拘式は身振りで忌ではないといった風な表情をした。
「!!」
突然に水の底が明るくなる。
茅の輪が水の中で燃え上がった。
「?!」
「!!」
茅の輪の中に、毛利元閃がたっている。人魚のように極彩色の鱗をしたがえた半魚人のような姿だった。奇妙なことにひまわりのワンピースを着ている。
毛利就一郎と毛利閃が捕まっている。
くるな
それはなぜか女の声だった。
これはわたしの子だ
鈴凛ははっと思い出す。
あれは……毛利邸の地下室にいた霊だ−−。
一人だけ静かにしていて、鈴凛に何かを気づかせてくれた霊。
穢レをそのまま受け入れていいんだと思わせてくれた霊。
それが元閃と一体化している。
「……!!」
息が苦しくなってきた。
拘式も鈴凛も水面に戻る。
「ぷは!!」
「く……」
「水だとすると急がないとやつらの酸素がもたない」
「水じゃ無いって言ったじゃ無いですか!!」
「うるさい!」
「忌の注意をひけ」
「俺は神器を戻す」
二人はもう一度もぐる。
「んー!!」
鈴凛は必死に足をばたつかせて泳ぐが、半魚人になった元閃が水流のようなものを起こして、近づけない。拘式も灯籠に捕まっているが、うまく本堂に近づけていない。
「ぷは!だめ!」
「くそ!!」
「もう酸素がもたない−−」
鈴凛の脳裏に二人が死んだということが浮かんだ。
酸素がもつはずがない。
先輩をまだ連れていかないで
閃くんをまだ連れていかないで
鈴凛は必死で心に願った。
「……」
−−おまえに何がわかる!!」
−−……生きることは辛い。だからつれていく
−−……生きることが罪。だからつれていく
水の中の花がちぎれていった。
苦しい、水がーー
息ができない。
鈴凛ははっとして陵王を思い出した。
陵王は歩いていた。
「!!」
これは水じゃ無い。
鈴凛は地面に足をつけた。目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。
口を開いて、空気を吸って−−
歩け−−。
届け
あの人まで
「!」
「わたしが今度は助ける」
鈴凛が半魚人になった元閃の胸を神刀で貫いたと思った瞬間、憑き物が落ちたみたいな表情をした美しい白人女性が立ち尽くしていた。
「あなたは誰」
「……!」
悲鳴が止んだ気がした
「わたしはこの子たちの母」
「!!」
鈴凛はきっさきが忌の心臓に到達する—そう思ったその時、突然止められたのがわかった。
「?!」
黄金の仮面が目の前にあった。
「ぐ……」
陵王が深く突き刺そうとしている鈴凛の腕を握って止めている。
「陵――」
恐怖が支配する。
陵王のけりが入り、鈴凛は濁流の中に吹き飛ばされる。
「く……!」
陵王が濁流の中、彼女の手をとって離れていく。
「だめ!」
「まって!」
「え……」
陵王はひまわりのワンピースの女の額に何かをそっと置くようにつけた。
「!!」
真っ白い光が包んだ。
水に衝撃が走る。水流に負けなように目を開けると、。女の額で花枝のようなものが咲き、伸びていく。
もっと見ようとしてもどんどん水の中で遠ざかっていった。
「!」
鈴凛は必死に目を開ける。
化け物の仮面から、濁流の中でちらりと光が見えた。
「!!?」
七色を含んだ黄金色の目がその中で宝石のように輝いていた。
「−−え?」
あれは—
「あれ?」
気がつくと、ざああああという大雨の音がする。鈴凛は石畳の上に座り込んでいた。
あたりをみると、水はすっかり消えて、雨の中みんなが倒れている。
陵王もひまわりの女性もいない。
−−クソめんどうな……
拘式の悪態をつく声が本殿のほうでした。
なんとなく、拘式によって神体が元の場所に安置されたのだろうと思った。
「あ……」
雨に混じって、穢レの雨も降っていた。
女性の声でクスクスと血の雨が笑っていた。
穢レの雨が地面に染み渡って行く。
「穢レが笑っている……」
あははと小さく笑っていた。いつもなら叫び声が遠ざかるのに、たくさんの笑い声が蝶のように飛び立っていった気がした。
「陵王は何をしたんだろう……」
毛利就一郎と閃はげほげほと咳をした。
「よかった……ふたりとも息している。やっぱり水じゃなかったのか」
ハーフの整った顔が安らかに無防備に目を閉じている。
「こちらも全員無事です。気絶はしてますが」
翔嶺がやってきた。
「よかった……」
「う……どうして……助けたんですか?」
毛利就一郎がしゃがれた声でやっと言った。
「どうしてって……」
「目の上のたんこぶだったんでしょう」
「まあそうですけど、いなくなったら……」
寂しくないわけじゃないから。
鈴凛は素直に言うのがはばかられて最後の言葉を飲み込んだ。腐れ縁みたいになっている。
「いつか……後悔するかもしれませんよ……?」
毛利就一郎がいつもの調子になって言った。
「それだけ憎まれ口が聞けたら大丈夫そうですね」
翔嶺が笑う。
「忌は」
「母ですよね」
「あなたが言っていた……走馬灯のようなものを見ました」
毛利就一郎が急にまた真顔に戻ってぽつりと呟いた。
「……!」
「あちら側に行くと感じた時、人生が巻き戻されるように映像や音が響いて、忘れ去っていたことまでも」
「……」
「母との思い出が」
「あの人は……」
「陵王がなにかして……連れて行ってしまった……」
「あの黄金の色の美しい瞳……七色の光を含んだ眼……」
「あれは……」
*




