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永遠(TOWA)  作者: 三雲
不死ノ鬣(現代編)
8/169

8話 すすはらい

橋の下には霧が立ち込めて川が見えない。橋は山形に5段も反り上がっており、走ると転げそうになってしまう。邪魔な羽織を打ち捨てた。明らかに歩きにくい形になっていた。

夜を走る。不思議なことに息がどこまでも切れなかった。

オレンジ色の街の明かりが見えてくる。

「人が住んでる」

安心したのも束の間、大きな橋を渡り、現れたのは妙な街だった。まるで時代劇のような街並みである。今度は江戸時代のような風だ。家や店には、正月の注連飾りがしてあった。

人影が見えて、鈴凛は看板らしき大きな提灯のうしろに隠れる。

「よいお年を」

女たちが声をかけあっている。

よいお年を?

鈴凛はびっくりして、目を凝らす。

小さな石で舗装された通りを下駄を履いて着物女たちが行き交っている。

「今年もお世話になりました。来年もよろしゅう」

「よいお年をな」

鼻息のような音がしてすぐ横をみると真っ赤な牛の顔がある。

「え」

鈴凛はびっくりして尻餅をついた。

目は黄金の銀河を見たように渦巻いており、真っ赤な体から熱が伝わって煙をだしていた。

「なにこの牛」

赤い牛は後ろに立派な黒お漆塗りの牛車を背負っている。店から美しい女人がでてきて、それに乗った。牛は渦巻く煙を足元にひいて、静かに遠くへ行ってしまう。

「ごちそうさまでした」

飲食店の店主らしき女はのれんを直そうとしていた。

別の女が声をかける。

「おたくの煤払いは終わったかね?」

背後から良い出汁の匂いがする。鈴凛は店の中をのぞきみる。

「ちょっとこっち手伝っとくれ」

女たちは髪型も、服装も結い上げて和装しており、なぜか女しかない。ここはいったいどこなのかと思った。

「蕎麦……」

リリのお腹がぐうっとなる。今日は大晦日なのかと思った。

吸い込まれるように暗い店の中に入る。

光を放つように、古びたカウンターに茶色いどんぶりが乗っている。

「!」

中をみると、鴨肉とネギが乗っている。出汁は黄金色に輝いていた。ごくりと生唾を飲む。

鈴凛は我慢ができなかった。

ただ飯など余計にややこしいことになりそうだという理性が警告したが、食欲が優っていた。

箸を鷲掴みにする。

大きな丼の中に、緑色を帯びた麺と黄金のだし、鴨肉とネギがのって美味しそうな湯気を夜風に乗せている。

「!」

思わず箸をとってずるずると蕎麦をかき込んだ。

「美味しい!」

汁が熱いのを無視して喉に流し込む。鴨の肉の旨味と、黄金の出汁がからまって美味しい。強い蕎麦の香りもした。ほとんど噛まずに鈴凛は蕎麦をむさぼり食べた。

「……おいしい」

何杯でも食べたい。厨房のほうを覗き見る。

「ん」

−−新姫様を探せ!

「宮の検非違使の連中やで、あれは」

店主たちが帰ってくるのが見えた。鈴凛は慌てて店を出た。

「まだ御用納めしてないんか」

女たちは立ち止まって、遠くの棒を従えた役人らしき連中を眺めていた。

「さわがしいのう」

「もうすぐ除夜の鐘もはじまるというのに」

「……ん」

「あれ?わたしの蕎麦?!」

リリはただみつからないように、橋から遠くなるように進んだ。

街を抜けると、港らしき場所に出る。

「水だ」

海ではなく運河のようなものなのか、橋が渡され離小島のような館がいくつも飛び出している。

迷ったが鈴凛はそれを渡った。

門を見上げると、木彫りに金治で大きく「西欧館」と書いてあった。

「ここはどこかヨーロッパ風」

と書かれていた。ステンドグラスやらが見える。和洋折衷のような建物だった。

足音が聞こえて、慌てて中庭を進むと、広い石畳の広場が続いている。霧が立ち込めていた。

「なにがあるんだろう」

鈴凛がしばらく進むと、階段らしきものが見えた。

四段目まで降りて驚く。

「え」

階段がない。

「え……?」

空が途切れている。

「わ!」

霧がはるか下にも見えた、

なんと眼下に雲が漂っている、そして足下にも夜空が広がっていた。

「なにここ」

空の上にいるのだ。

「浮いてる!」

「なんで」

リリはあとずさる。やはり異世界に来たのだ。

「ここは空の上……なんで」

ふと自分の手が目に入る。

「え、うそ……」

簪の傷口はほぼ塞がってミミズ腫れのようになっている。

「帰りたい。帰りたいよ」

リリはただ、めそめそと泣いていた。もうそうするよりすることはなかった。頭では何もかも彼らに従うしかないのだろうと予測しつつ、絶対に受け入れたくないという気持ちが戦っていた。

「ん……」

「なにこれ」

霧が晴れると、奇妙な立札が現れた。少女と花の美しい木彫り透かしと、漢数字が並べられていた。

「修羅番付」

上から順に十段くらいの名前が連ねてあった。


田心姫 金 三十兆五千億三千八百万円 也

湍津姫 金 百億五千万円 也

猫姫 金 一兆八千億円 也

囁姫 金 五億五千万円 也

刺姫 金 四億五千五百万円 也

魚姫 金 五千五百万円 也

影姫 金 三千五百万円 也



「お姫様の値段……?」

鈴凛がじっとみていると、また声がきこえてくる。

「年越し、年越し♪そば、そば、そば♪ざるそば、鴨そば、割子そば〜」

林の方から音頭のような子どもの歌が近づいてくる。

「……」

異世界に年越し蕎麦があるのはおかしい。

やはり現実だとそんなくだらないことで確認する。

リリは身をさらに低くした。やはりここは現実なのだろうかと思った。

「!」

鈴凛は近くの立札の後ろに身をみそめた。

小唄を歌っていたのは、煤にまみれた少女だった。

体よりずいぶん長いほうきで、リリが通り抜けた大きな門の屋根裏をつつきまわしている。

ホウキが大きすぎて、ぐらんぐらんとその小さな体は振られていた。

「ふんぬ!」

妙な掛け声で必死に掃除をしている。

「ふふんぬ!」

「ひゃあ!」

「あ」

少女がバランスを崩してこけそうになり、思わず声がでた。

「む!」

リリに気がついて少女は身を上げる。

「なにやつ! 修羅番付の後ろにおるやつは!」

箒をかまえてこっちにくる。

「鬼どもか!でてこい!」

「あ」

階段をじりじりと降りてきた。

「!」

少女がホウキをこちらに向けたまま、青い目をまん丸くしていた。

お団子にした金髪の後毛が風にふわふわと揺れている。

「新姫様……?」

幼い声でこぼれるようにそう言った。

「あの、わたし」

「もももうしわけありません!鬼などと!」

少女は慌ててホウキを放り投げて、その場に土下座する。

「へ?」

リリは唖然とする。

「おゆるしください、どうかどうか……ああ、このように目線が高いところから、どうかお許しください……」

階段の上で地面に頬をこすりつけていた。

「許すも何も……わたし……」

少女はびくびくして顔を上げない。

「顔をあげて……それよりお願い。わたしがここにいることを誰にも言わないで」

少女は地面に頭をさらにこすりつけて、大きな声をあげる。

「ももも!ちろんでございます!めっそうもございません。戦姫様の意に反して、人畜生目の、この羊杏が告げ口をするなど、とんでもござりません!」

「しー!!」

びくっとして、「申し訳ござりませぬ」とささやき声で少女が言った。

「はあ……」

リリは緊張が解けて、深いため息をついた。

この子はなんだか大丈夫そうである。

「顔をあげて。わたしの方が逃げてるの。ねえ、ここはどこなのか教えてくれるかな?」

少女はちょこんと顔をあげて、目をぱちくりさせた。

「ここは出島の……西欧館の飛車門にございまするよ。羊杏は年の瀬の飛車門の煤払いをしに来ておりました。……どうかお許しくださいませ」

青い美しい目がリリと視線があうとびくっとしてまた俯く。

「高天原は風でよく埃灰がつくのでございまして……!別に油を売っていたわけではなく、ももも申し訳ありません」

「大丈夫怒ったりしないよ」

「あの?」

白人美少女はめり込むほど、びっちりとまた地面に頭をくっつけて土下座をしなおしている。

「もうしわけございませぬ」

「ねえほら?……顔をあげて」

小学校三年生くらいだろうか、流暢な日本語だが、丸顔の可愛らしい西洋人形のような美少女だった。

まじまじとリリはその整った顔に釘付けになってしまう。

「おめにかかれて光栄にございます。わたくしは宮大工衆のところの奴婢、羊杏と申します」

「わたしはリリだよ、よろしくね」

「りり姫様、人畜生目のこの羊杏、どのようにお役にたちましょうか」

鈴凛はどこから訂正していいやら困る。

少女は自分をあまりにも卑下して、へりくだっていた。

「人畜生めだなんて……なんでそんな……いやいや……いまはそれどころじゃない。羊杏ちゃん、わたし、もとの世界に帰りたいの。ここから出たいの。どうやったらここをでられる?この悪夢から覚めたいの」

そんなことかといった風に羊杏は安心したようにきょとんとした。

「下界に−−芦原中国(あしはらなかつこく)に、降りられたいのですね。それなら八咫烏どもの飛車(ひしゃ)におのりになるか、金鵄城(きんしじょう)滑車(かっしゃ)にのれば降りられますが……もしくは猿田彦(さるたひこ)様の浮舟(うきふね)にお乗せ頂くか……」

あまりの選択肢の多さに今度は鈴凛の口がぽかんと開いた。

「帰れるの??」

リリは、ぱあっと気持ちが明るくなった。もとの世界に戻る方法が、いくつもあるようだった。

「戦姫様方はしょっちゅうおりられまする」

「浮舟は猿田彦様が、下界と高天原とを繋いでいるのでございますが……しかしあれはおもに、神々をおのせになるので」

少女は考え込んだ。

「八咫烏たちが下界からやってくるのに乗っている飛車はこっそり乗れるかもしれませんが……今宵は大晦日です。今時はもう飛車も、でておらぬでしょう」

「こっそりだよ」

「こっそりでございまするか」

「……やはり滑車がよろしゅうございますね。今は高天原の高度が高いため、微妙なところでございますが……五橋(ごきょう)のたもと、金鵄城の大門の所にございます」

やはりここは空に浮いた場所らしい。ということは元の世界はただ地上にあるのだ。

ただ滑車という言葉が危なかしそうな乗り物な予感がした。

「湍津姫様もそろそろお戻りの時間ですし。湍津姫様は戦姫様のお願いをけっして断らないとききおよびまする」

その名をきいてあのツヅラの少女のことだとわかった。

「え、あの子が動かしているの?」

地上と天界をつなぐエレベーターをあの少女が動かしていると言っているのだ。

「はい。湍津姫様はすごすぎるのでございまする。この高天原を守り、滑車をびゅんびゅん動かしているのでございます」

「え、どうやって?」

「手で、でございまする」

「手……?」

鈴凛は全く想像がつかなかった。

「ま……いいや」

「?」

「五橋ってあの段々の大きな橋?」

「宮からこられたのですね。そうでございます」

「戻らなきゃいけないのね……」

「滑車は金鵄城(きんしじょう)にございます。今の扇町(おうぎまち)の長である金鵄の真誌奈(マシナ)様は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の寵愛を鼻にかけた、飲んだくれの、強欲の、年増(としま)でございます。戦姫様方を妬んでおりますゆえ、お気をつけくださいませ」

「え?う、うん」

リリは羊杏が急に毒舌になったので驚いた。

「しかし、りり姫様」

羊杏は思い出したように言った。

「佳鹿様が検非違使(けびいし)たちと探しておられました」

「!」

真誌奈(ましな)様はともかく佳鹿(かじか)様はよいお方です。りり姫様を傷つけるようなことはござりません。このような寒々しい所で歳を越されては、高貴な御身がおかわいそうでございまする。一度お戻りになって−−」

「佳鹿?あの大きな女の人?」

「はい。佳鹿様は一番の花将(はなまさ)にございます」

その大女に簪で手の甲を刺されたのだった。

「……やめとくよ。で、その滑車で降りられるのね?どこにあるの?」

リリは遮って行き先をきいた。

羊杏は一瞬面食らったような顔をして、また地面に頭をつけた。

「もももも申し訳ござりませぬ!申し訳ござりませぬ!ご意見をするなど、人畜生目がですぎたまねを!」

「ごめんごめん!わたしそんなつもりじゃ」

「申し訳ございませぬ!申し訳ございませぬ!」

「あの人たちのところには戻りたくないの。わたしヤマタノオロチとかいう化け物の餌にしようとしていた人たちなんだよ……」

「りり姫様はそれを封じられたと、扇町でもお噂がもちきりでございまするよ」

「素戔嗚様と同じ偉大な大修祓にございまするね」

羊杏はうっとりと目を輝かして鈴凛をみつめた。

「だ、だいしゅうばつ?ま、まあ……とにかく……その滑車というところに案内してもらえない?」

この高い空にあって、飛車などという危なすぎる響きが恐ろしかったがそうも言っていられない。

「は!また羊杏は余計なことを……かしこまりました」

「ごめんね」

「西陣の入った花着物は街では、姫様と一眼でわかります。こちらを着てくださいませ」

煤けた無地の衣を羊杏がくれた。

「こちらへ」

草原と森を抜けると、水路に併走する小道に出た。

裏道のようなところを選んでくれたらしい。

「あの重なった塔が滑車塔にございます」

羊杏が指さしたのでそちらを見ると、たしかに大橋のたもとに一際大きな五重塔が立っていた。

「羊杏!そこでなにをしている!」

ふと後ろから声が掛かる。通りの向こうに腕をたくしあげた大柄な女たちがいた。

「しまった!大工頭領の熊谷(くまがい)様でござりまする」

「年越し蕎麦食わんのか!どこいっとんのじゃわれ!」

女は図太い声で遠くから怒鳴った。

こちらに来ようとしているのか体がこちらに向けられた。

「いいい今いきますゆえ!羊杏は必ず蕎麦を食べまする!」

「なんにを、チンタラチンタラと、飛車門の煤払いごときに手間取って!」

一団が肩で風を切ってこちらに向かってきた。

「こっちにくる!」

「も、申し訳ござりませぬ……りり姫様。これより先にはおともできませぬ!」

「何をこそこそとしとるんじゃ!」

目配せで羊杏は申し訳なさそうにした。

「あちらの小道から!」

「ありがとう」

リリはこっそりと脇道に後ずさると羊杏と別れた。可愛らしい背中が一団に向かって走っていく。

「さよなら」

街の小道を隠れながら進む。通りの植え込みや行燈の影に隠れては進む。夜の街にあかりが灯っていたがもう暗いのでちょうどいい。

見れば見るほど時代劇のセットのような街だった。

「あれが滑車?」

先ほど渡った大きな五つの橋の終わりに確かに大きな建物が見えた。

大きな五重塔のように屋根が連なっている。木の額縁に『滑車塔』の文字が見えた。人の気配は無い。

「この中に?」

扉が閉められて檻の中に何があるのかはわからない。滑車がどのようなものか想像つかなかったが、運行は止められているのだろうと思った。

リリは木製の大きなかんぬきに手をかけた。

「どこのどいつじゃ。この真誌奈の街で勝手に滑車を動かそうなどと」

背後から声がする十人ほどの従者を従えた真紅の着物を着た女がそこに立っていた。キセルから煙をくゆらせる。

「!」

リリは思わずその顔に釘付けになった。この世界で出会った女たちはみな美人だったが、その女は飛び抜けていた。

濃いまゆの下に収まった美しい形の目鼻立ちは、驚くほど力強い。真っ直ぐに見られると、リリは動けなかった。それと同時に中東のエキゾチックさを思い出させるような、むわりとした妖艶さを纏っている。漆黒の黒髪に鮮烈な真紅の着物がぴたりと決まっており、黄金の糸で縁取られた立派な尾の鶏が描かれていた。花魁のようにゆいあげられた髪と派手な化粧が一層美しさを引き立てている。肩までわざと着物をずらし、形の良い大きな胸が半分あらわになっていた。

「ヤマタノオロチを討伐したときいておったが、なんと貧相な小娘じゃ」

おつきのものたちがくすくすと意地悪く笑う。

「お願いです……わたし元の世界に帰りたいんです」

「元の世界だと?」

その女は艶かしい赤い唇に咥えていたキセルをはずして笑った。

「おまけにたわけ者ときた」

「あなたは……誰ですか?」

おつきのものたちの顔がきっとなる。

「こちらにおられるのは現在の金鵄にしてこの扇町の支配者であられ真誌奈様だ!」

おつきのものたちがどけ座でもしろと言わんばかりに叫ぶ。

「……どうでもいいですけど、わたしはあなたには要はないです。わたし帰りたいだけです!」

「わたしはあるな」

「!」

リリは大きな橋の方にじわりと逃げた。にゅっと白い腕が伸びてきて、首を掴まれた。

「な」

その手は青い血管がいくつも浮いて皺が見えていた。

尖った爪が少し食い込む。

「なにを」

女は背筋が凍るような恐ろしい笑みを浮かべていた。

「蘇った永遠の体に」

「!」

女たちの反対から笛の音がしてまた別の一段が現れた。

「佳鹿」

あの巨大な女がこちらを見つけると、肘を直角にして凄まじい勢いで走ってくる。

「うわ」

キューブレーキをかけて止まると、土埃が舞った。

(いのしし)め」

「こほほほ。佳鹿です」

「おまえに、鹿の名は分がすぎる」

「こほほ。真誌奈様、あいかわらず意地悪ですねぇ」

そう言いながら声のぬしがリリの目の前に大きな影を作った。

リリにかんざしを突き立てたあの軍服を着た大女だった。

「我が姫を迎えにきました。ご保護ありがとうございますねえ」

「新姫の花将に返り咲くとは、そなたもしぶといのう」

くすくすと真誌奈が笑う。

「では」

「待て。誰がその死に姫を渡すと言った?ここは扇町。わたしの縄張りじゃ」

「おたわむれを」

ふたりが向き合って意識が逸れた。

「あ」

リリは五段になった橋を戻るように逃げた。

「ああ!」

「お止めしろ!」

リリは走った。どちらに捕まっても困る。

「五橋のほうに!」

橋の反対側からまた衛兵のような格好をした女の一団が現れた。

リリは欄干に追い詰められ、登った。

「危のうございます」

「来ないで!」

「あそこは呪詛欄干(じゅそらんかん)ではないか」

「不吉だ」

「そこはいけません!」

リリは欄干にさらによじ登る。

「どうかこちらへ!」

「バカはよしなさい!そこは落ちたら助からないわよ!高度五千メートルくらいあるんだから。落ちたら……」

佳鹿の額に汗が滲んでいた。

「こないで!来たら飛び降ります!」

鈴凛はそんな気は毛頭なかったが叫んだ。

「ふん」

真誌奈が進み出る。

「!」

その目が見開かれると、赤い爪を従えた腕が、かっと伸びてくる。

「なあに! この小娘、飛び降りる勇気など持ち合わせておらん!」

リリと真誌奈が取っ組み合いになる。

「やめ」

「あ!」

「わ」

バキッと音がして欄干が割れた。

「なんで」

バランスを崩して片足が宙を踏む。

背中がぞわりとした。

しまった!落ちてしまう!

「ああ!お止めしろ!」

「しまった!」

背中から足に重力を失う感覚があった。

落ちる。

まただ。また情けなく落ちる。

「ああ!」

最後に真誌奈の驚いた顔が見えた。

やっぱり自分は死ぬ運命なのだ−−

「−−わ!」

海面に叩きつけられるのはどれくらい痛いのか—

「ああああああ」

ほんの何秒か後、あっけなくそれは終わった。

どさっと音がして、力強い何かが鈴凛を受け止めた。

「!」

いい匂いがする真っ白な絹の衣だった。

たくましい白い手に抱かれている。

固く閉じていた目を開けると、状況が見えた。

「え?」

眼下に先ほどの橋と、女たちが見える。

随分落ちたはずなのに、彼らの上にいた。

「へ」

鈴凛は誰かに抱かれ舞い上がっている。

「?」

女たちは地面に頭をぴったりとつけて、誰も頭をあげなかった。

天照大神(あまてらすおおみかみ)

誰かが後ろで名を言った。

「おなり」

鈴が鳴り響く。人々はぴくりとも動かなくなった。

「わたしの初衣を脱ぎ捨てて、このようなものを着て」

美しい女とも男ともとれるような声が小さく笑いを含んで響く。

金色の不思議な眼がこちらを見ていた。

「!」

芳しい匂いにくらくらとする。

リリはそのあまりの美しさに口がきけなかった。波打った黄金の髪に、透き通る白い肌。女性のように長いまつ毛と綺麗にカーブしたくっきりと大きな目。女性と見紛う美しさだったが、顎の雰囲気から男性なのだろうということがわかった。

「え……」

心臓がばくばくとする。

月読命と同じように、背中には美しい羽衣がキラキラと漂っている

彼女が月ならば、この人は太陽の神のようだと鈴凛は思った。

「佳鹿、顔をあげよ、申せ」

「百姫様は明を受けられて目覚められ、はじめての穢レに少々混乱しておられるのです」

「なるほど」

男がそういうと、一同がしんとなった。

「真誌奈、追い回したのではあるまいな」

「はいもちろんでございます」

女は急にしおらしくなって頭を下げていた。

「驚かせてすまなかったな百姫」

「いえ……」

「浮舟がこなければ落ちていたぞ」

「新しい戦姫が事故死などとは笑えぬ」

「五橋が壊れるとは」

「申し訳ありません……」

「これが浮舟」

「そうだわたし帰りたくて」

「下に……」

「ん?百姫、下界へ帰りたいのか」

「は……い」

リリは少し上ずった妙な声が出た。

神々しい男は太陽のように優しく微笑む。

「……よい、今宵は許してあげよう」

全員が驚いた顔をした。

「!」

「は、しかし−−」

「佳鹿、百姫の鞘指輪(さやゆびわ)刀指輪(かたなゆびわ)を持っているな」

船は橋のふちまで降りた。

「は」

黄金の男は佳鹿うやうやしく箱をあけている。

菱形を引き伸ばしたベルトのようなデザインに十字架のような花が描かれている。粒のような金細工が縁に並んでいた。同じ指輪がふたつ並んでいる。

よく見ると、地金の部分に桜のような花が散った模様が掘られていた。

「さあ手をだして」

「……」

やわらかく美しい手が鈴凛の黒ずんだ手をとった。

「百、わたしの浮舟で、芦原へ帰るがいい」

美しい指がそれを木箱の赤布に収まった指輪をつまみあげ、鈴凛の薬指にゆっくりとはめた。

「……!」

ぞくぞくと身がざわめいた。

如月周馬を見ている感覚に似ている。永遠にこの時間が終わらなければと思うほどの魔力が時間に満ちたようだった。

反対の薬指にもはめる。

「……!」

手を触られただけで、恍惚としてしまう。

ぽーっと見惚れていると、照日ノ君が改めて美しい笑みを浮かべた。

「おや、帰りたくなくなったかな?」

「わ」

鈴凛は慌てて顔を逸らす。

「猿田彦、おくっておあげなさい。西国ときいておる。そうだな京あたりがよかろう」

船の奥から天狗があらわれた。本当に顔の赤く鼻が突き出した天狗だった。

「わ……!」

鈴凛は驚いて声が出た。

「彼は猿田彦だよ」

「浮舟を動かしている。猿田彦にございます。以後お見知り置きを」

天狗は深々とリリに頭を下げた。

「佳鹿、荷ものせておあげ」

「御意」

少しだけあたりがざわついている。

「さて、百、ふたつだけ約束してほしい」

白い顔が近づくと、その不思議な眼をまた魅入ってしまう。

羅針盤のように複雑な模様が瞳孔の周りを巡っている。

耳まで熱くなる。ドキドキした。

「これは特別なはからい」

「……?」

リリはまだ何も言えない。

「だからふたつ約束してほしい」

「ひとつ、この指輪をこのままに」

そう言って両手の薬指と指輪へ触れた。

「ふたつ、あったことは、下界には全て秘すること」

「!」

リリはやっとのことで小さくうなずいた。

「いい子だね」

照日ノ君はリリの頭を撫でると、足音もたてずに、橋に降り立つ。

そして抱き上げて、かわりに浮舟に鈴凛を乗せた。

−−天牛を!

下々のものたちは太陽の君を受け入れるために急に慌ただしく準備しはじめた。

「下界に別れを告げてくるがよい」

「あなたは……」

リリはやっと口が聞けた。

「わたしは照日」

「また会おう、わたしの花嫁」

白い手が離れ、空の島が遠くなっていく。

橋から人々が見送っていた。

「……え」

花嫁?

幻の世界が霧に包まれて遠くなっていく。

夜空を木の船で飛んでいた。

「うそみたい……」

空の島が雲に隠れみえなくなった。

「あ……」

かわりに下に街の明かりが見えてきた。飛行機からいつかみた風景と変わらない。

「百姫様」

「わ」

声をかけられて振り向くと、先ほどの天狗の顔が想像以上に近いところにあってぎょっとする。

鼻先が鈴凛にぶつかりそうだった。

「!」

赤い肌、長く突き出た鼻、金の白目に黒い瞳孔、黒く太い眉。

新い鼻息がかかる。唐辛子のような匂いがした。

「あの……近すぎるんですけど」

「申し訳ございませぬ。近すぎました」

山伏のような格好をした天狗は菱形の帽子を被っており、大きな下駄をはいて、羽根団扇を持っている。背中には(みの)をしょっていた。

イメージ通りの天狗がへの字の口を開く。

「下界の(きん)はお荷物に入れてございます。滑車へお入りください」

天狗は船に積まれた大きな木箱を指差していた。

「ありがとうございます」

「あの……」

色々聞こうと思ったが、すぐに遮られた。

「もう一時も刻ありませぬぞ」

また顔がぬっと至近距離まで近づけられる。

「わ」

赤い鼻が頬にまたあたった。

「はははい」

あまりの威圧感に鈴凛は膝をおった。天狗は会話する時、鼻が邪魔なのに、妙に顔を近づけてくる。

「お早く」

「はい」

有無をいわさず背丈よりも随分高い巨大な箱の中に、大きな赤い手で押しやられた。

「え」

中はよく見る現代的なエレベーターのような作りだった。

「どういうこと?」

船の中に箱形のエレベーター部屋が乗せられているのだ。

「ん……お金って」

鈴凛はカバンを開く。財布にでも入れてくれたのだろうかとひらくと、札束が五つほど入っていた。

「え札束?!」

猿田彦が入れたのは、帯が巻かれた五百万円の札束だった。

「え……本物……??」

鈴凛は何度も触ったり光にかざして確かめる。

「本物だよね?」

指で一枚とって厚さを確かめる。他の札束もめくる。

「ほほほほ……本物だ!!」

興奮して思わず笑顔が溢れた。鈴凛は一夜にして大金持ちになったらしかった。

しばらくするとガタンと音がして扉が開かれた。

「わ……」

視界を見て驚く。

「え」

−−京都、京都

アナウンスが告げていた。聞いたことがある。

おそるおそる外へでると、行き交う働き人たちが鈴凛を物珍しそうに見た。発車のプルルルルという音がする。

「ここ……」

新幹線の駅だ。

「現実……そうだ携帯」

リリはやっとのことで、スマートフォンを開く。

日付は十二月三十一日。午後七時だった。

「夢……」

鞄を開いて、先ほどの札束を確認する。

「じゃない」

「……そうだ」

父親に連絡する。

−−リリか!?

聞いたこともないほどたかぶった声が聞こえた。

「お父さん」

声を聞くと帰ってきた実感が湧いてきて声が震える。

−−よかった!いまどこだ?大丈夫なのか?

「お父さん!わたし、わたし三東大橋のとこで拉致されて、ヤマタノオロチがいるところに連れて行かれて、それでいまわたし駅にいて、お腹に穴があいて、高天原とかいうわけのわからない空の島に」

リリは焦って呂律が回らない。何から説明していいのかもよくわからなかった。

−−リリ……

そしてしまったと思った。誰にも話してはいけなかった。

それにこんな話信じてもらえるわけもない。

−−今どこなんだ?」

「今京都駅の……新幹線ホームだと思う」

−−京都駅?すぐ迎えに行くから、そこを動かないでいなさい

話をすると、父親はリリを探すため仕事を休んで、宇多市に帰っていたようだった。

「自分で帰れるから大丈夫だよ。お金はあるから」

−−いや迎えにいくから待っていなさい 絶対にそこからどこにもいかないでくれ


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