婚約者の病院
鈴凛が空港に降りると、すっかり春になってしまっていた。
「おお」
拘式親子、毛利元閃も毛利照親、毛利修一郎がいた。鯆多丸と蛙介はラウンジのソファにいた。
「泣いて喜べ! おまえらの姫様をこの哀様が連れて帰ってきたぞー!」
「よくぞお戻りで……」
毛利照親がひざまづいた。
「ありがとうございます」
「我々が至らぬばかりに……」
「いえいえ……」
鈴凛は何をいったらいいのかわからずそんな中途半端な返ししかできなかった。
元閃にいたっては本当に涙が皺だらけの目のはしに浮いている。
「やはり天照大御神は我らのもとに姫様をお戻しになられた……」
「突然に神々に召された時にはもう我々にはなすすべがなく」
「みなさんにはどうにもできなかったことくらいわかりますよ……」
「いきなり転勤になるかと思ったすよー」
気がつけば後ろのラウンジソファとテーブルに鯆多丸と蛙二がいた。
「正直我輩は……今後が不安だね……」
鯆多丸は目をそらしたままじとっと言った。
「ごめんなさい……もう……大丈夫です」
鈴凛は何故かそう言えた。
その時かちゃりとドアの方で音がした。
「閃!」
「お出迎えの時間には戻るように言っただろう」
「……」
閃は不貞腐れて何も言わない。アーネストに車椅子を押されている。その背中には禍々しい煙が見えた。
「不敬にもほどがある」
閃は幽霊は連れてないものの大量の穢レらしきものをまとっていた。
「いえ、べつに大丈夫ですよ……」
そもそも鯆多丸にいたってはテーブルでゲームをしているし、蛙介は携帯電話をいじっている。
それより閃が歩けなくなるほど病気が悪化しのか、と鈴凛はどきりとした。
しばらくいない間にまた体調が悪くなり、心も弱っているのかもしれないと思った。
「……」
「大変だったわよお〜」
佳鹿がこほほと笑う。
「らしいですね」
「大興奮の大冒険でした! 高天原のおのごと島の地下に侵入するなんて! そしてついに緊縛された囚われの百姫様を発見した時には……もう……それはそれは……」
間狸衣は興奮気味に言って口の横を拭う。
「え、縛られてたんすか」
蛙介があっけらかんとして言った。
「……え……」
翔嶺は赤くなって気まづそうに目をそらした。
拘式はもちろん何も反応していない。
「どのように?クワシク」
鯆多丸はメガネをずいっと持ち上げた。
「間狸衣ちゃん、そこの詳しい描写いいから!」
「おっと時間です」
「さ、修一郎が病院にご案内します」
「病院?」
「そろそろ退院しないとまずいですから」
*
車に乗ると、白い大きな建物が見えてきた。
「毛利記念病院です」
「病院まで持ってたんですか……」
「神々に始末されそうになるとは、あなたの人生も本当に難ありですね。せっかくの最良の手駒を失ったかと思って焦りましたよ」
毛利就一郎が出迎える。
「手駒に手駒って言わないでくれます?」
「あなたが急に如月君宅から消えた理由を捏造するのはもう本当に大変で」
「あなたは突然に如月君と行為に及ぶことが嫌になり、彼の家を飛び出して、わきめもふらず冬の池に飛び込んで、そこで運悪く人喰いバクテリアに感染し、生死を彷徨ったということにしたんですが……あまりに入院期間が伸びすぎてきてあれこれ病気をでっちあげて」
「無茶苦茶すぎませんか……その展開。てゆうか、周馬となら、わたし嫌じゃないですけど!! てゆうかそもそも池になんか飛び込みませんよ!」
毛利就一郎は少し考えてから口を開く。
「そしてあなたは救急で運ばれて毛利の息がかかった病院に、生死を彷徨いながら……そこで難病が発覚して……」
「無視ですか」
毛利修一郎は芝居がかって熱く語り出した。
そしてはっとして一呼吸おく。
「とはいえ集中治療室といえど、ご家族が見にきますから、急遽リアルなダッチワイフをネットで注文して、蟻音さんにあなたそっくりに改造させ、ベッドに寝かせてます」
「たまに花獺をつかって動く演出しましたがね」
我ながら完璧だといった風にうんうんと毛利就一郎は首を縦に降っていた。
「ダ……ダッチワ……それ……」
「男性が女性にみたてて枕のように抱っこして卑猥なことをするやつです、他にも色々な使い方がありますが……非常にリアルで」
「そそそ!そんなもので、わたしを作らないでくださいよ!!」
鈴凛はこの世界に自分にそっくりな卑猥な用途の人形が誕生したことにぞっとした。
「しかたないでしょう!!誰かが3ヶ月もずっとあなたのフリをして寝ているわけにはいかないんですから!!」
「ちゃんと処分してくださいよ!!」
「嫌です。だってまた使用する時がくるかもしれないでしょう? うちで保管しておきます」
「やめてください!!いますぐ電話して処分しないと」
「ふっこのわたしが予備を持っていないとお思いですか」
「何体作ったんですか!!」
鈴凛は毛利就一郎の腕をぶんぶん揺すった。
「じゃれている場合か」
「!」
「で、おまえは今後どうするんだ」
拘式がつらりとして言った。
「神々に殺されかけて自分の身分を思い知ったのか」
拘式が急にひやりとする一言を落とした。
「おまえは急に消されれることがある」
「それは……ちょっとだけ……」
「素戔嗚様のことも知って……」
「特別なことが……」
「……」
「戦姫になったことじゃなくて」
「みんなといられることの方ががどれだけ特別かわかった……」
「……楽しんでばかりで、みんなに何も伝えられてなかったって思って」
「あと一年……ちゃんとみんなに想いを伝えようって」
「それで?」
「それで」
鈴凛は考えてみる。
「ちゃんと……お別れする」
「ほーう」
「すばらしい!」
「わかっていただけて一安心です。あたなの人生は難だらけなんですよ。一般人と遊んでいる場合ではないことがわかりましたか」
毛利就一郎がにっこりして言った。
「だけど、全部嫌いなわけじゃないから。戦姫になってわかったことだし……まだしたいことあるから、みんなのこと好きだから。ここにいられるのは嬉しいから、今は特別な時間を味わえてたんだなって」
「やっとちょっとだけ大人になっていただけてよかったです」
毛利就一郎はガムを口に放り込むと呆れて手帳なに何かを描き始めた。
あの時は……だから……助けてくれてありがとう
鈴凛は素直にそう言えなかったけど背中に小さく思ってみる。
あの時毛利就一郎が美東橋で手を掴まなければ戦姫になっていなかった。
自分は何も変わることができなかった。
そのことがとても不思議に思えた。
「なに……書いてるんですか?」
「花牢で湍津姫様にも殺されたのでしょう? 今回のことでもうあなたの体は4回死んで……いや5回か……?神籬も1回死んだらしいですね……日時と状況……っと。こっちも一覧表つくっとくか……」
毛利就一郎は考えるように言った。
「それ……なんですか?」
「あなたの管理帳です。僕もいずれ歳とって……いや歳とらずに急に死ぬこともあるかもなので、死んだ時には、引き継ぎ書が必要でしょう?」
毛利就一郎は至って明るく言った。
「……そうですか」
「百姫様の生死の管理と日々の行動記録と出来事とか……ポップに言うと修羅日記ですね!」
「いけない、そろそろ面会の時間です。あなたが目を覚ましたと連絡はいってますから」
*
「鈴凛!!」
未来妃が鈴凛を一眼みるなり走ってくる。
よろけて、もつれそうになる足を必死に動かしながら、廊下の向こうから走ってきた。
「よか……」
未来妃はふわっと肩を優しく抱きしめてくれた。
「うん」
「本当に……?」
未来妃はぼろぼろないていた。
「未来妃……」
抱いてくる腕が細くなっている。未来妃の方が体調が悪そうだった。
子供みたいに未来妃は泣きじゃくっていた。
「未来妃なんか痩せた?」
「……鈴凛が……死んじゃったらどうしようって……」
未来妃の声がわなわな震えた。委員長気質のどこかいつも自信があるような眼差しが崩れて、ぐしゃぐしゃになっていた。
「おやおや夏川さんがこんなに泣くなんて珍しいですね」
毛利就一郎が静かに言った。
「……未来妃……ごめんね」
鈴凛はいたたまれない気持ちだった。何もかも本当は嘘。死にかけたことは本当だけど……これからもこんなに真剣に向き合っている未来妃に嘘をつき続けるのかと鈴凛は思うとやるせない。
「……」
艶やかな黒髪から、いつもの高そうなシャンプーのいい匂いがした。
その匂いが鈴凛を穏やかな気持ちにさせる。
帰ってきたんだな。
その実感が湧く。
「鈴凛……よかった……」
心の準備が必要なのは自分だけじゃ無いと思った。
突然、いつもそばにいた人がいなくなってしまうと、残された心へのダメージは計り知れない。
「……大丈夫だよ……」
鈴凛はやっとそう言った。でも心の中では違うと思う。
このままでは、大丈夫じゃない。
未来妃の顔を見ると泣きそうになってしまう。
一年後には本当に源鈴凛は死ぬ。哀も死ぬ。
その時、未来妃はどうなってしまうんだろう?
一人残されて−−
未来妃はあのライブハウスで命をかけてわたしを守った。
なぜなのかわからないが、未来妃のなかで自分がどれくらい大きい存在くらいかは判る。
未来妃だって家に居場所がなさそうだった。
自分が突然いなくなってしまったらどうなるのだろう。
「……」
この暖かなぬくもりが、穏やかさをたもったまま失われないようにするにはどうしたらいいのだろう。
鈴凛はぎゅっと抱きしめる。
「……鈴凛……?」
どうやってここを去ったら未来妃は傷つかないだろう。
どうやったら未来妃の心を守れるだろう。
一年後、わたしが消えた時に−−
「おや……」
毛利就一郎が声をあげる。
「!」
部屋に入ってきた別の人物にも気がつかないでいた。
「お……お母さん」
「すみません」
「毛利さん」
母は鈴凛ではなく毛利就一郎の方につかつかと歩みよって手を握りしめた。
「大変、お世話になりました……入院費用まですみません……本当にどうお礼をしていいやら」
今日子が荷物を持っている。
「こんなにお世話になって」
「将来を誓い合った仲なので、問題ありません」
毛利就一郎はにこにことして平然と言った。
「……え?」
未来妃が急にぎょっとしている。
「先輩……将来を誓い合った仲って……」
毛利就一郎は未来妃を無視して母と話している。
「大学を卒業したらすぐ入籍したいので、いずれご自宅にもご挨拶におうかがいします」
「まあそれは……」
とんでもない話が横で進行していた。
「ちょ……」
今日子はこれで厄介払いできると思ったのかめずらしく上機嫌になった。
「すみませんね、ふつつかな娘ですけどよろしくおねがいします」
「……」
「ええ大切にします、これからも」
毛利就一郎を捕まえて小声で抗議する。
未来妃がその様子を不安げに見ていた。
「わたしは少し受付で手続きをしてきますね……」
今日子はあいかわらず鈴凛に大丈夫かと聞く様子もなく出て行った。
「……」
鈴凛は何もできないまま立ち尽くしていた。
否定したい。
でも否定する意味がないような気がしてきたのだ。
「ちょっと……どうなってるんですか!」
未来妃だけが怒っている。
「鈴凛はずっと意識を失っていたんですよ!何勝手に話を進めているんですか」
「ああ……そうでしたね……夏川さんは毎日ここに来てたからまあよくご存知で」
毛利就一郎が苦笑いしてしまったという顔をしている。
「鈴凛を好きだからってそんな無茶苦茶していいと思っているんですか」
未来妃が毛利就一郎に詰めよる。
「権力を使って寝ている鈴凛に何もしてませんよね?」
「だいたい婚約なんて−−」
入り口に気配がまたする。
「!!」
「よ……」
周馬はやっとそれだけ言った。どこか気まづそうである。
毛利就一郎の設定した、周馬と行為に及びたくなくなり、池に飛び込んだというくだりを思い出した。
「周馬」
「鈴凛」
二人はお互いの名前を呼び合った。
熊野は困惑ぎみで立っている。飛鳥は賢そうな目でじっと鈴凛を観察しているようだった。
「!!」
「目が覚めたって聞いて」
「治っているようだな」
「よかったなあ〜あの日、急にいなくなっちまうし〜びっくりしたぞ」
「何故急に真冬の池になど飛び込んだんだ。おまえは馬鹿なのか」
周馬が飛鳥の前に手を出して制した。
「いーじゃん」
「元気になったんだから」
周馬がにやっとあの妖艶な顔で笑っている。
それを見ると泣きそうになる。
抱きつきたくなる。
甘えたくなる。
「……?」
この人には、敵わない。




