花牢の来客2
彼らが連れ去られてから随分経った。
鈴凛には彼らがなぜやってきたのかも、なぜ泣き叫んで連れ去られたのかもわからなかった。
「まずこのうっとうしい紐を切り落とせ」
ドサリと音がして、体が地面に叩きつけられる。
「本当にこんなことで目が覚めるのか」
「静かにしてください、間違えたら大変」
「えーとどこまでいったっけ禿げた火鼠の首と、夜明けに飛ぶ狂った蝙蝠の翼……はきちんと入れましたね。それで……天牛の骨と尾の肉から、新緑の油が浮くほど煮込んだら、蓬莱の根……茶色い所のみをすりおろし……」
「ちょっと味見……」
「だめだめ! 分量が変わっちゃうでしょう!」
「こんなもの味見すんな! クソ不味くて死ぬ!」
「渋逸茶蒜飴蕗の甘露煮を加えて……」
女の子声がしている。
「いったいこれどうやって手に入れたんですか
「真誌奈の化粧台から盗んでやったわ」
「なるほど……」
ぐらぐらと何かが煮えたぎる音もしていた。
妙なことは複数人の会話なのに、全てが同じ声だった。
妙な匂いもする。
「灰汁をとる……ものがない」
「袖布をつかっちまえ」
「でもこれここにくるまでに泥だらけに」
「いいからいいから」
ぐつぐつぐつ……
鈴凛を目を覚ますと、額に赤い印のあるインド人の少女が巨大な鍋をかき回していた。
「できた」
「あっつ!」
「だから味見すんなって!」
「く……うおええええええ!」
「こんなもの全部飲んだら死ぬ」
少女は一人芝居のごとくひとりで会話している。
「……それにまだ熱い」
「どうせ死んでいる。火傷くらいなんだというのだ。煮えたぎる汁をそいつの口に流し込め」
「まってまってそれより」
「あ、肝心なもの忘れてます!」
ガラスの瓶から光り輝く黄緑色の何か糸のような透明なものをピンセットで少女は取り出した。
「これが煙々羅の琴線」
「神経細胞みたい」
「玉手匣の原料だろ」
「よくもまあ竜宮城から盗めましたね」
「盗品ばかりでできてますね、このスープ」
「何度も溺れたかいがあったじゃねえか」
「タギは予知でもしてたんですか?」
「……ただ……美味いって……聞いてたから。滑車がお休みの時に……」
「で」
「これが神籬の核を作るんですか?」
「詳しいことは知らんが……」
「神々に一泡吹かせられる可能性のあるものだ。取りに行く価値があった。こんなボンクラのために使うはめになるとは。姉様の命令だから仕方ないが……」
「じゃあいきますか」
腕に大きな匙でスープが入れられる。緑の不思議なドロドロの液体だった。
「そら飲め」
ぐびぐびと流し込まれた。
何も感じない。
ただ視界が真っ暗になった。
時間だけが過ぎていく。
「?」
赤い糸が闇にゆらいでいる。
何も無いのにそれだけは残っていた。
蝋燭の火のようにゆらめて、誘うようにそれは揺れていた。
さあとって
忘れないで
もう一度−−……
願って
何かが聞こえる。
「!」
欲しい。そうだ、欲しい。そんな気がすると、火花が弾けるようにチカチカっと光り、誰かの声が聞こえた。
赤い毛糸のようなそれに手を伸ばす。
とって
視界が広がって、視界が広がっていく。
空が広がっていった。
夜明けの空に泡たちが生まれてくる。
とって
誰の声だろう?
「会いたいよ」
心が勝手にそう言った。
その瞬間、びりびりと何かがほとばしる。
赤い剣が現れて、血管のようにそれはぶわりと広がっていく。絡みつき、曲がりくねり、糸のような管が重なり合って何かを作っていく。それはいつか見た七枝に別れた剣を作り上げると、今度は手の形を作っていく、うでをつくり、胴体を作りあげていく。それは鈴凛の体だった。口や鼻が戻ってきた。
感覚が花が咲くように広がっていく。
はっと目が覚めた。
「わたしの……からだ……」
「わたしの手」
「わたしの手にあるべきもの」
そうだ、これがわたし。
「起きたかボンクラ」
体の重みがずしりとくる。
現実せかいの瞼が開いた。
面白がるような声が降ってきている。
「蘇生したか」
「湍津……姫……様……?」
「わしはカーリーじゃ。前も言っただろう、ばかもの」
「おまえが穢レの申し子とは本当のことだな」
「しかし神籬まで再生できるとはな……神々が脅威とみなすのも無理はない」
「……く……ふう……」
鈴凛はまともにまだ話せなかった。肺が痛い。
「た……ぎ……ふうふう」
「姉様の見立て通り、神籬がインカネーションするのには、肉体のインカーネーションが必要なのだな」
「それにしてもあのクソまずいスープを全部飲むとは」
「い……インカー……ネーション……」
「生き返らせるために、殺してやったのだ」
湍津姫がにやりと笑った。
「妙なことだがな」
「わ……」
「本当に……よかった……」
急にいつものぼうっとした湍津姫に戻ると、にぼんやりと言った。
「ご無事でなによりでございます」
こんどはまた別人格が現れる。
「あなたは?」
「サティ」
「さ……てぃさ……」
「でてくるな」
くるくると表情が変わる。
狂った人のように湍津姫は誰かがトランプのカードをくっているように人格を表しては消していく。
「わた……し……なにが……どうして」
「天児屋命に神籬を殺されたのだ」
「みんなが……助けにきてくれた……」
鈴凛は記憶を辿る。
「あやつらは手力男命に締め出された」
「え……だいじょうぶなん……」
「雑魚には何もできはしない」
「白麗衆から情報を得て、こっそり姉様がわたしを遣わした」
「聖……姫様が……」
よかった。
助かった。
あのお方なら助けてくれそうである。助けられる力をもっているような気がした。
「姉様は白麗衆と繋がっている。それをたとえ神々に貸し出していてもな」
鈴凛は安堵感に包まれたと同時に、影姫をはじめとして戦姫がこんなにも妹姫思いだったことに暖かい気持ちになっていた。
「たすけてくれたんですね……」
湍津姫は黙った。
「助けてはいない」
「え?」
「姉様は今は戻れない」
「……」
「精神に干渉してくる神々の連中は、我々でもてこずる」
「でも間接的に助けてくれたんですよね……?」
「助けてはない。わしの頭を戻して、おまえを一時的に機能させて伝言を伝えにきただけだ」
「この会話も聴かれている可能性がある。まあわしの声は何人も混在しているから煩くしているのが功を奏すれば捉えられていないいないかもしれないがな」
「え?」
鈴凛はびくりとした。
「何もできないとわかっているから手出ししてこないのだ」
「……それは……」
「おまえは明日、神々に処分される」
「処……て、え……?」
体が震えた。
「体の再生が追いつかぬ方法で」
体の再生が追いつかない方法?
「だがかならず引き上げる」
「何百年かかっても」
何百年?
鈴凛は体が凍りついた。
「とのことだ」
「何百年かかるって……どういう」
自分の体は何をされるのだろう。
「氷漬けか、溶岩にでも漬け込まれるか……宇宙の果てにでも飛ばされるか……」
心の次は肉体をどうにかひどい目にされるらしかった。
「……そんな……」
何百年?
それは時代が変わるのでは?
鈴凛はその言葉を反芻した。そんなに時間が経ったら周馬も未来妃もいないどころか、どんなふうに死んだのかも、その子孫がどこにいるのかもわからなくなってしまう。
羊杏も佳鹿もきっと死んでしまっている。
鈴凛は突然にさあっと血の気が引いた。
「それは困ります」
「みんなにもう会えないのは困ります」
「わたし照日ノ君と約束したんです!」
自分は忌と戦ったり、鬼族と戦ったりすることはあると思った。
「高校を卒業するまでは青春してもいいって」
「他の神にそんなもの関係ない」
でも自分を戦姫にした神々に処分されるなんて思ってもみなかった。
「でも照日ノ君は神々の王なんですよね?」
「わたしは神々と人間の世界を守るために戦姫をしてきたんですよね?」
「王に逆らってまで王のいぬまにおまえを処分したいのだろう」
「……そんな……」
「それもこれも八岐大蛇だとおまえが疑われているからだ」
「そんな……困ります……それにわたし今まで散々がんばってきて……宇多のみんながいたから頑張れたのに……あれはBBの持ってきたあの機械のせいかもしれないし……わたしが八岐大蛇と決まったわけじゃないのに……突然すぎて……」
「心配するな。姉様がいつかみつける」
「ひどすぎます」
「いつか助けるっていわれても……」
それでは困る。
今じゃ無いと困るのだ。
今生きていないと困る。
それでは何もかも意味が無くなってしまう。
「なんとかしてください、お願いします」
「簡単な裁判をして刑の執行だろうな」
「裁判……?」
「もう半刻からだ」
「半刻って三十分ですか?! 裁判……?しかも今から……?」




