神籬分解
「え?」
そう思った瞬間、鈴凛はまったく別の世界にいた。
祖母の家も哀も外の景色も何もかもが消えていた。
「あれ?」
ふわふわと無重力の中に浮いている。
「どうなったの?」
鈴凛は真っ白な別世界に切り取られていた。
「哀??」
誰もいない。最後の衣服のまま、仮想空間のように何も無い場所にいた。
上も下も右も左もただ白が続いている。
「なにここ?」
「哀――――!!」
鈴凛の声がどこまでも響く。
「みんな?」
虚しく声がどこまでも続く空間に響き渡った。
「え……」
「ここ……どこ……」
「さっきの声……神々の」
−−分解を開始する
声が聞こえて振り返るが誰もいない。
「なん……」
「!」
べりべりという騒々しい音がすると、世界に色がついていった。
「あ……!」
そこは青空と雲の世界だった。どこまでも水色の空が広がっている。
そこに妙なものが浮いている。
バナナ、見覚えのある子供の頃の自転車、祖母の愛染の鈴、昔着ていたパジャマ、家の階段、初めて会った時の哀の靴。悠仁が持っていた首飾り……周馬がくれたグラスポニー……すべて巨大化して無秩序に空に浮いている。
「え……なにここ……」
飛行機から見たような青い空の世界に色々なものが浮いていた。そしてたくさんの泡のようなものがところどころ浮いている。かすみがかった光がちらちらとしていた。
「……?」
鈴凛は泳ぐように体を動かしてそれを見ると、中に何かが写されていた。
「これ……」
大きな泡の玉はひとつひとつ白い霧の糸のようなもので繋がっている。
覗き込むと少女が公園にいる。幼い綺麗なグレーの幼稚園の制服を着た少女があやとりをこちらに向けている。
とって
「……!」
「これ……」
こうやってとるんだよ
こう、ここを……そう!できた!
まんまるの幼い瞳に誰か写っている。
ぼろぼろのワンピースを着て冬なのに日焼けした5歳くらいの少女。
「わたし……」
小さな自分だった。
鈴凛は仲良く遊ぶ少女たちを見ると、それをなんとなく思い出してくる。
「もしかして……記憶……?」
「ここは……」
鈴凛はあたりを見回した。
この泡の全てがわたしの記憶—
ここは、わたしの……
鈴凛は二人で遊ぶその記憶をずっと見ていた。
いつまでもみていたい。
無垢な幼い未来妃と自分が何も知らずただ公園で遊んでいる。
「ああ……」
これからのことをまだ何も知らない笑顔を鈴凛はとても愛しく感じる。
急にバリンという音がして、視界が弾けて壊れた。
「え……」
煙と飛沫があがり、鈴凛はただびしょ濡れになって呆然としていた。
「?!」
「なんで……」
確かな悲しみをもって、今……今……
何を見ていたのだろう?
鈴凛は思い出せないことに困惑した。
「いい気味」
「……?」
後ろに気配を振り返ると、驚くものが浮かんでいた。
「咲……?!」
愛らしい顔を真顔に保ったままこちらを見ている。
どうしてここに咲が?
その背には包丁や鋏、鎌、チェーンソー、ありとあらゆる物騒な刃物がぐるぐると回っていた。
咲は大きなはさみを手に取ると、ぺろりとそれを舐める。
「うふふ……」
咲は気味悪く笑うと、また別の泡を細く美しいヒールで踏み潰した。泡がキラキラとした霧になってそれは消えた。
「!!」
痛みと悲しみとともに確かな喪失感が花火のように胸に広がって、一瞬で消えた。
「なんなの……これ……」
鈴凛は何かが軽くなった気がした。
「やめて」
わけもわからずそう言った。
「全部刈り取ってあげる」
「やめ」
咲の背にあった武器たちは飛び立つと、あらゆる気泡と大切な物を殺しに飛び立った。
「やめて……!!」
「あはははは!」
泡はどんどん飛沫になって消えていく。
「もうやめて!!」
「お願いもうやめて!!」
鈴凛は泣き叫んでいた。
「こんなこと咲ができるわけない……なにここ……」
「なんでこんなところに咲が……」
鈴凛ははっとする。
「咲にこんなことできるわけない」
「なんなの……ここは……これは夢だ。出口を探さなきゃ」
−−ほうまだその冷静さを持ち合わせていたか
「!!」
キーンと何かが光り輝いた。
−−こんなものが一番怖いものとは
「あなた……誰?」
咲らしい姿のそれは疲れたような表情で見下ろしていた。
それは咲の顔をしていたが、咲の表情では無かった。
−−このように軟弱な神籬を写し取るとは
口調を変えてそれは話す。
「わたし」
−−おまえには散々な目にあわされた
−−岩戸の時には世界は暗黒に包まれ、大洪水の時には、育ててきたあまたの崇敬を失った
「……」
何のことを言っているのだろう。
−−あのお方は地篭りされている
「……!」
−−八岐大蛇があのお方をたぶらかすとは
「なにを……!!」
−−あのお方をたぶらかすおまえを今この手で始末してくれる
喋り方で鈴凛はひとつの記憶にたどり着いた。
「あ……」
うずめの命が踊るかたわらで祝詞を見ていた神。草案で稲姫が照日ノ君に強いと言った神。
鈴凛はそれが誰かわかった。
「アマノコヤネノミコト……?」
−−ほう賢いではないか
そのせせら笑う響きにぞっとする。
−−だがもう遅い
−−わたしはもうそなたの神籬に入った
−−おまえの心は体と切断された
−−守ってくれる肉体はない
「!!」
おまえの全ての記憶を刈り取っていく
「こわい……」
怖い。苦しい。怖い。息ができない。助けて 助けて 助けて
このままじゃ……
どうなるの?
鈴凛に焦りだけが満ちて行った。
−−骨のように、芯のようにおまえを支える
−−おまえを砕くのだ
「やめて!」
がしゃん、ばりんと何かが破れる音が響き渡る。
その間中、ずっと鈴凛は意味もわからず泣き叫んでいた。
口も目ももう無いのにそう思った。
どこか鈴凛の中で、何かが勝手に暴れ回っていた。鈴凛は無力にただやめてと願い、と混乱していくうちに、何もかもを忘れていった。
助けてという言葉も忘れた。
何かが破壊されて、片づけられて、空っぽの空間になっていくのを感じる。
ただ真っ白になっていく。
だんだんと楽になっていった。
そして忘れたことも忘れていく。
*




