ダークサイドへようこそ
「おねがい……しずかにして……」
幻覚や幻聴が聞こえる。
助けて、助けてよ
返してよ 返してよ
「おねがい……」
蟻音から6時間は開けるように言われている。まだ4時間しかたっていない。
「もう耐えられない」
頭が痛い。痛すぎる。
ソファの脇に置いてあったかばんの中をがさごそとひっかき回して、それを慌てて掴み出した。
白い包みを開くと。青く鈍い光を放つその玉を口に含む。
手の震えが落ち着いて、肩の緊張が溶ける。体がすうっと楽になる。
「もうゆるして……」
やっと静かになった。
その静寂に鈴凛は身を委ねる。
寝転ぶと豪華なシャンデリアのような電気が鈴凛を見下ろしていた。
あれがぐしゃっと頭の上に落ちても自分は死ねない。
「……」
薬を手に入れてなんとか抑え込んではいるが、幻聴が根本的に治ることはなかった。
「疲れた……」
冬休みになり鈴凛は自宅の納戸と毛利邸を往復する生活になっていた。時間ができたからと言って、源家にはあいかわらず居場所がない。朝起きてすぐにサラコマンダーの朝練習とと言って、ずっと毛利邸のホールにいた。
幻聴がやめば静かな空間だった。ぱちぱちと火の音がしている。
大きな邸宅のホールは、冬はかなり冷えた。
鈴凛はそこでほとんどの時間を暖炉の火をみつめているだけだった。
傍には「メンタルヘルス」「心を整える瞑想法」「マントラの極意」「心と体の健康」たくさんの本が積まれている。
蟻音が貸してくれたが、最初の方を読んでは続かなかった。
「……」
半分がフランスの血が入っているせいか暖炉の横には立派なツリーが飾られている。
アーネストが用意したものだった。
「もうすぐクリスマスなんて」
楽しげな雰囲気が鬱陶しいとさえ感じる。
鈴凛はホールにある皮のソファでアーネストにもらった毛布にくるまった。
アーネストが随分前に淹れてくれたココアが冷えて固まっている。
毛利照親と毛利元閃が何やら話し込みながら歩く気配がした。
鈴凛は引き止めようと思ったが忙しそうな雰囲気で声をかけられない。
「……」
鈴凛を見ると一礼して邸から出て行った。
「……」
「休みの日くらいうちにいないでもらえませんか」
厚手のガウンを羽織った毛利就一郎が降りてきた。
朝のシャワーを浴びたのか髪が濡れている。
「先輩……部屋もたくさんあるんだし、わたしの部屋をもらえません?」
「これ以上いられたら迷惑です。あなたは無職の身なんですよ」
「……」
「ダラダラしてないで、外で筋トレでもしたらどうなんです?」
毛利就一郎は口やかましい母親のごとく小言を言ってきた。
「今は」
毛利就一郎は目を細めて睨んだ。
「そんな気分になれないし……」
「それに……もし……わたしが八岐大蛇なら、ぜんぶ……どうせ……意味なんてない……」
「戦姫じゃなくなるかもだし……」
「そうですね、ここは毛利の代々の土地。ここでまた蛇山になったらこまるんで、ご自宅で待機しておいてもらいたいです」
「……そんなこといったって……」
鈴凛は自分で言ったくせに、精神が不安定になってぐらぐらと言葉が揺らいだ。
毛利就一郎は泣きすぎで赤く腫れた鈴凛の目を見て、迷惑そうな顔をした。
「泣きたいのはこっちですよ」
「……」
「沙汰があるまで、修祓も高天原への入国も禁止なんて、神々はいったいどうするつもりなのか。 このままじゃ毛利家が困ります」
毛利就一郎がイライラして室内をぐるぐる歩いていた。
「これじゃ、戦姫じゃなくてただのニートです。金食い虫のお荷物です」
「仕方ないでしょ……」
鈴凛はぼうっとして言った。
哀にたまに話を聞く限りは羊杏は心配はしているが、元気らしい。
「なるほど、確かに」
「……は」
毛利就一郎が急に明るい声をあげたので鈴凛は顔を向けた。
「もうこの際、いいじゃないですか」
毛利就一郎があっけらかんとして言った。
「……は?」
鈴凛は固まってしまった。
「あなたには戦姫の立場は死守してもらわなければ困ります」
「……!」
「あなただってやめたくないでしょ?お金がたんまりあって、上ではお姫様扱いで、奴隷のような家来がいっぱいで。学校では青春して、調子に乗って、めちゃくちゃ楽しんでたじゃないですか?」
「……調子にのってなんか」
「彼氏もできて、有頂天になっていたでしょう」
「う」
「この際いいじゃないですか。あなたの正体が、世界の災厄だろうと、触手のカタマリだろうと、大量殺人大好きのサイコパスだろうと。まー、それなりに仕事はしてきたわけですし? 戦姫になってからは無害だったわけですし、事実、忌を修祓してきたんですから、いろいろ言い訳ができると思うんですよねえ」
「はあ?」
「ちょっと高天原に突撃して、また照日ノ君に直談判してきてくださいよ」
「……」
「わたしは八岐大蛇ですけど、戦姫できます!って……うん、これしかないですね。さっそくプレゼン資料を作ります」
「先輩はなんでそんなに……だいたい羽犬さんだってもういないし……佳鹿と拘式さんだってまだ治ってないし……戦姫の活動なんて……」
チームは壊滅状態にある。
「哀と間狸衣が修祓はこなしてるし……」
「煌姫様にはどうしても天雅家の息がかかる」
「……」
「あなたが八岐大蛇の烙印をおされて、戦姫として活動してもらわないと、こっちが困るんですよ」
毛利就一郎が真顔になった。
「あなただって困るでしょう」
「……!」
毛利就一郎はにっこりとした笑顔に戻る。
「でも……」
「でもじゃない!!」
毛利就一郎が胸ぐらをつかんだ。
「蟻音さんはあなたを甘やかしすぎです」
「!」
「あなたが戦姫をちゃんとしなかったからこうなったんですよ」
冷たい目が見下ろしていた。
「……!」
「今更ウジウジメゾメソしないでもらいたい」
「……!」
「あなたのうかれた青春だの友達だののせいでこうなったんですよ?」
「あなた、青雉が死んだ時、何か偉そうなこと言ってませんでした? 忘れないでいてあげることが、唯一戦姫としてできることだのなんだの」
鈴凛は何かがぎゅっと氷のように結晶化したような気がして、身が固くなる。
「でも実際どうでした?」
「それは……」
「強くなることを忘れて文化祭実行委員だの如月君と付き合っただの、浮かれてませんでした?」
毛利就一郎は囁いたあと、急にまくしたてた。
「戦姫として何かに気がつける努力してたんですか?」
「それは……」
「BBに裏切られたんじゃありませんよ」
「……!」
「あなたがBBを見ていなかったんです。裏切られたのでも、見誤ったのでもない。見てさえもいなかったんですよ」
「!!」
「あなたのために命をかけているチームの人間のことさえ見えていなかった」
真実が貫いた気がした。
「あなたはBBに裏切らせないほど戦姫として美しい背中をみせ、BBの裏切りに気がつくほど彼に向き合っていたんですか?」
「戦姫のお勤めを、適当にしてたでしょう?」
それは……わかってる。
でもわたしは戦姫に向いているわけでも、
わたしが望んでなったわけでもないのに
だから
だから
だからって……人の命がどうでもいいわけじゃないけど
鈴凛は思い浮かんだ反論を飲み込んだ。
「それは……」
鈴凛は指先が震えた。
「もちろん我々八咫烏にもアメリカサイドの動きを読めなかった非はあるでしょう」
「でもこれはあたなのチームですよね?」
「!」
鈴凛はぎゅっと服の裾を握りしめた。
「大人になってくださいよ」
「大人……」
鈴凛にはそれが何なのかも、そうなれる気もしなかった。
「!」
「いつまで遊んでいるんですか? いつまでお子様してるんですか?」
「!」
「あなたには、日本中の人間の命の、責任があるんですよ」
「……!」
鈴凛は息を吸い込んだ音がひゅっとした気がした。
「そんなもの勝手に押し付けないでくださいよ……」
「……」
毛利就一郎が無言で冷たい目を送ってくる。
「「こんな無能なわたしに勝手に押し付けたのは神々でしょ」
「わたし……好きで戦姫になったわけじゃない……」
「やりたいとかやりたくないとかじゃない。やるんですよ」
「……だいたい毛利先輩がわたしを餌にしなければ戦姫になんてならなかったし……不死にだってならなかったかも……毛利先輩の責任もあ……」
「で?」
「でって……」
「あなたはそれで、戦姫をしない決断をしたんですっけ?」
「!」
「青春に高天原での儀式に、訓練に、恋に、友達に、勉強に、修祓に目移りして忙しいですよね?でもやる、やり切るって自分で決めたことでしょう」
毛利就一郎がにっこり笑った。
「それは……」
「で、その青春って人の命より大切でした?」
毛利就一郎の真顔があった。
「それは……」
「あなたって、たくさんのことはうまくできるほど器用でした?」
毛利就一郎が意地悪く笑う。
鈴凛は両手が震えて何も言い返せない。
「戦姫は修羅の道」
「!」
「何かと両立できるほど、この世界は、甘く無いのですよ」
「よそ見運転の代償は、死なないあなたではなく、死ぬ我々が払う」
「そうそう」
「BBさんの家の家宅捜索でこれみつけましたよ」
七夕の時の短冊だった。
百姫様を守る
羽犬
「……!」
「わたしたちを無駄死にさせないでくださいよ」
毛利就一郎が出て行った。
「!!」
鈴凛は毛利就一郎が出て行った扉に思わずグラスを扉に投げつけた。
バリンとガラスが飛び散って床に広がった。
「はあ……はあ……」
こんなことをするなんて−−……
物に当たるなんて……
鈴凛は自分の手を見て信じられなかった。
「……もうやだ……」
「ようこそ、ダークサイドへ」
「!」
明るい閃の声が扉のほうで聞こえた。
「あのこれは……その……」
美しいハーフの少年はいつになく笑みを鈴凛に向けている。
子どもも住んでいるこの家で暴れるなんて、大人気ない自分が恥ずかしくなった。
「どう?何もかも失った気分は?」
閃が満足そうに鈴凛に近寄って笑った。
「これから鈴凛ちゃんはどんどん絶望を味わうことになるのかもね……」
少年は小さく考えてわくわくしているように言った。
「閃くんは……元気そうで……よかった……」
閃が真顔になる。
「やめなよ、思っても無いこと言うの」
「!」
「僕はさ、鈴凛ちゃんが手に入れたものを全て失うのを見るのも、鈴凛ちゃんが戦姫じゃなくなりそうで、慌てふためいているお爺さま、お父様、兄様たちを見ながらこの家が没落していくのを感じるのも、すっごく楽しいんだ」
閃は綺麗な顔で笑った。
「閃くん……毛利家のことは……あなたの生活を支えているんだよ。君は病気かもしれないけど……お金があるってことは」
鈴凛は少し嫌味を込めて言った。完璧な執事も最先端の医療だってお金があるから受けられる。
「死んだらお金は使えないよ」
「!」
「僕、夏まで生きられないんだよ」
閃があっけらかんとして言った。
「!!」
鈴凛は体が硬直した。
「なーにも考えてない顔で」
「鈴凛ちゃんの楽しそうな学校の話、毎回反吐がでそうだった」
無邪気な少年はにこにこと毒を吐いた。
「……」
鈴凛が何も言えなくなって満足そうだった。
「誰かが苦しむの僕大好き」
敬語はいらないいままで通りでいいよと言ってしまった自分をぶん殴ってやりたい。
完璧に美しい少年は我儘な悪魔は急に水を得た魚のように元気になっていた。
「だいたい薄汚かった鈴凛ちゃんに、キラキラしてる戦姫ライフなんんて、似合わないよ」
少年が邪悪に笑っている。
小さな手でそっと撫でられて、鈴凛は鳥肌がたった。
「……!」
怖い。鈴凛は説明もつかない恐怖を感じた。
「やめて……」
「あ、アーネスト、おはよう」
「!」
老人は気まずそうに部屋に入ってくると、おはようございますと挨拶を小さく返した。
「僕、フルーツだけちょうだい」
いつも体調が悪いこの少年は他人の不幸が嬉しいようだった。不幸は人間の成長を随分早めてしまうのかもしれない。少年は子どもらしさなど微塵も感じさせない大人びた悪意を向けていた。
「……」
「あ、そうそう。未来妃に最近、毛利先輩と鈴凛ちゃんが仲良すぎないかってきかれたから」
「え」
未来妃は鋭い。たしかに自分もそんなこと聞かれたような気もしたが聞き流していた。
「もう付き合いそうなくらい仲よくて、家に何度も泊まりにきたりしてるよって言っといた」
「仲なんてよくない! さっきの見てたよね?」
「戦姫だから八咫烏の領主の家にいるんですなんて言えないでしょ?」
「それは……」
未来妃が周馬に何か言うとも思えなかったが鈴凛は複雑な心境だった。
「ちょうどいいじゃん」
「……それは」
「まあ、彼氏がいるのに他の男の家に泊まり込む、最低な女って、その大好きな彼氏には思われるかもしれないけど」
可愛らしい口がいちごを食べて邪悪に笑う。
未来妃は周馬には言わないだろうと鈴凛は思った。だが未来妃は顔に出る。いつか周馬に伝わってしまうかもしれない。
「こんにちは、りりちゃん調子はどう?」
「蟻音さん」
「あの薬……もう少しもらえますか」
「回瀬さん、来週クリスマスパーティーの件で話し合いするのってどうなりました?」
閃が話に割って入る。
「あーっと……未来妃がちゃんちょっとこれなくなっちゃってね……」
蟻音が遠慮がちに言った。
「え?なんで?」
閃が不機嫌になる。
「……病院に……いくんだって……」
蟻音と鈴凛は目を見合わせる。
「そうなんだ……なんか未来妃、最近、病院にいりびたってるんだよね。元気そうにみえたけど、そんなに検査が必要なのかな……鈴凛ちゃんが血を吸いすぎたせいでどっか悪くなんたんじゃいの?」
閃は深刻そうな顔をして心配していた。
大人たちは妙な空気でつながった。
未来妃は確かに貧血ぎみだ。だがそうではない。
未来妃が足繁く通う理由くらいわかる。拘式が入院しているからだ。
「……」
この少年はそれには気がついてしまったらどうなるのだろう。
幼い横顔を見ていると、妙に大人っぽいようでも、まだほんとうに子ども、だと思うこともある。
「ちょっと、僕、未来妃に電話してくる!」
「……」
「……申し訳ありません」
アーネストが鈴凛に言った。
「いえいえ……」
「強がっておられますが……あまり病状がよくないのです……」
「そうだ」
「鈴凛ちゃんもこない?未来妃ちゃんたちの生徒会と大学病院の小児科病棟とででチャリティーのクリスマスパーティーするらしいから」
蟻音が遠慮がちに言った。
「……でもまだ人がいっぱいな場所は不安定というか……」
「……気分転換が必要じゃないかな?」




