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永遠(TOWA)  作者: 三雲
不死ノ鬣(現代編)
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車窓

「鈴凛ちゃん!大丈夫?」

鈴凛が屋上で動けないでいると、しばらくして蟻音がやってきた。

背の高い男が走ってきて、フェンスにしがみついてしゃがみこんでいる鈴凛にあわせて腰を折った。

「あ……あ……」

言葉が出てこない。

蟻音がコートをかけてくれる。

「わたしを見て」

よだれが溢れて、汚いしみをコンクリートに作っていた。

鈴凛は異常に早い呼吸を必死に整えて

「あ……あり……」

「蟻……音さん……わたし……」

「しゃべらくていいよ」

「あ……あ……」

「大丈夫だよ、これを飲んで」

蟻音は小さなボトルを取り出した。

震えながらそれに触れるとガラスが冷たかった。

口元まで持っていったが、酸素が足りなさすぎて飲むことができない。

息をどこで切ってそれを飲んでいいかわからなかった。

蟻音はその様子を見て、蓋を外した小瓶を鼻元まで持ってきた。

「……! まず鼻からこれを嗅ごうか」

不思議な匂いがした。すうっと冷たくて、頭の先から抜けていく透明な氷とレモンとミントみたいな、それでいて芳しく甘い。

「明を含むシロップだ」

すぐに呼吸が落ち着いた気がした。

「飲んで」

ごくりとそれを一口飲む。口当たりも冷たい気がした。ドライアイスの煙が食堂を堕ちていくみたいだった。

「ありがとうございます……」

頭も冴えてくる。

「わたし……また……八岐大蛇に……変わりそうなんですか?」

「僕は八岐大蛇にならないための薬なんて持ち合わせていない」

蟻音は穏やかにわらってみせた。

「……」

鈴凛の手首に美しい細い指が触れた。

「これは裏発(りはつ)だ」

蟻音は真剣な顔で鈴凛を見た。

「裏発って……つまり……」

「つまり……忌になりかけている……」

「心にストレスがかかりすぎているんだ」

「忌に……?わたしが……?」

いつか模様が出て草案に行ったことを思い出す。

「じゃあ……わたしまた……思金様のところに……」

「穢レに強く触れたことが原因ならいいが……胸つまり心臓のあたりということから広がっているところを見ると、これは君自身の心が原因じゃないかな?」

「わたしの心……?」

「自分を責めすぎて、他の人たちと同様自分で穢レを取り込んで、体の主導権をとられそうになっているんだよ」

「わたし……どんどんこれが広がって……」

鱗だらけになって、 何かの化け物になるのだろうか。

以前と違って鈴凛は全く余裕が無かった。

本当にそうなる気がしてくる。

切ってきた忌たちのように、醜く、元の形状を保てない生き物になる。

「や……は……は……」

「落ち着いて」

鈴凛が胸元をもう一度見ると、鱗たちは別の生命体のごとく動いて、管のようなものを肉のなかで首に向かって伸ばしていた。

範囲が広く大きくなっている。

「や……やだ……」

怖い。たまらなく怖い。

止まって。止まって。来ないで。

首を上がり、これが脳にまで達するのだろうか—

「やだ広がらないで」

やがて鱗が体中に広がり乗っ取られていく自分を想像した。

そして鈴凛は気味の悪い肉塊になった自分を想像してしまう。

「やだ……やだ……助けてください」

「落ち着いて」

「助けてください」

「戦姫が忌化すると大変なことになるって」

「まだ大丈夫だよ、それに戦姫であれば、忌化を抑え込む手段はある」

「でも……」

「今は何も考えず、わたしに合わせて深呼吸して」

「でも……」

「!」

あれこれ考えていると、ぱあんと音がした。

「!!」

蟻音が急に手を叩いたのだった。

「!!」

鈴凛はい驚きすぎて思わずひゅっと息を吸い込んだ。

え?

「びっくりした?」

きれ長の目がいたずらっぽさを含んでにっこり笑っている。

鈴凛は何も言えずこくこくと頷く。なんでいきなりと考えていると、蟻音が次を言う。

「じゃあそのびっくりして吸い込んだ息を吐いて」

「は……」

「吸って」

「ふう」

「はいて」

「……続けるよ」

「吸って−−……はいて−−……」

蟻音は鈴凛の両手をとって、ひとつづつの指先に力をかけて順番に触れていく。

「深呼吸と僕が手に触れる感覚に集中して」

「はい……」

「はらいたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さらへたまえ、はらいたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さらえたまえ、はらえたまえ……」

ささやく美しい声が祝詞を唱え続けた。ブレる事なく唱える蟻音は神官のようだった。

鈴凛の体から緊張が遠ざかっていく。冬の冷たい風を感じ、蟻音のいい匂いに感覚が研ぎすまされる。

「僕にあわせて唱えて」

「はらいたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さらへたまえ……はらいたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ……さらへたまえ」

何度か詠唱して、しばらくすると蟻音の唱える言葉がやむ。

鈴凛はずっと眠りについていたような感覚から現実に戻る。

「……落ち着いたかな?」

「はい……」

息も整って、胸にあったどくどくという生々しい感覚も、ざらりとした浅い感覚になっていた。

「小さく……なってる……」

「また落ち着かなくなったら唱えるといい」

「祓詞を……」

「なんでもいいんだ」

「え?」

「心を体に無理矢理つれてくる。マントラだよ」

「唱え続けること自体に意味がある。言葉に意味なんかない。唱えること自体に集中して体に意識を戻すんだ」

「色々考えてしまって溢れそうな時、やってみて」

「わかり……ました……」

冷たい風が吹き抜けて、鈴凛のほほを撫でていった。

「……」

蟻音がそっと立たせてくれる。

鈴凛はおそるおそる胸に服の上から触れた。

それは収まって、鈴凛の体に従順になったように、眠ったように静かになった。

そして消えていった。

「わたし……何もわかってなかった……」

「そんなことないよ」

蟻音は優しく頭を撫でてくれた。

「忌になった人たちの心の闇……わかったつもりだったの……わたしも死にたくなったことあったって……死ぬほどの勇気も無かったのに……」

「それは勇気じゃ無い」

鈴凛は首を横に振った。

「忌になるほどの」

「体が変わるほどの憎しみや怒りや……どうしていいかわからない……立っていられないほどの闇をわかってなかった」

「それなのに……」

「わたし最低です……戦姫じゃなくなるかもって打算的に考えて……みんなは死んでしまったのに……責任とれないのに……みんなが死んだ方がいいのにって言ってくるのが聞こえるんです……」

「でもあなた死ねないでしょ」

毛利就一郎が屋上へ入ってきた。

「百姫様! 大丈夫ですか?」

翔嶺も入ってくる。

「まったく、八岐大蛇になるなんて、人騒がせですね。ただの裏発でしたか。こっちは急にまた怪花が頻発して、煌姫様の修祓の雑用で忙しいってのに」

「……毛利先輩」

「天下の天雅家が堂々としゃしゃりでてきて嫌になります。間狸衣さんのように腰の低すぎる花将も困り物ですよ。まあ雪山の件でアメリカの息のかかったものは信用ならないといったこともあるでしょうが。はやく佳鹿さんに復活してもらわないと」

「まあ、忌になるにしろ、八岐大蛇になるにしろ、とにかく学校で大災害を起こされちゃこまります。移動しましょう」

「僕の店に」

「……」

宇多の街が流れていく。

「煌姫様の話じゃ、あなたの首を切り落とした陵王が何者か結構、騒ぎになっているみたいですよ」

「本当に日本に八十神がいたってこともびっくりですが、神器を扱える者となると神しかありえませんからね」

「八十神の神といえば、八雲か、インペリアルトパーズしかないですから、彼らが日本にいるなんてとんでもないことですよ……もしくは高天原の神の……誰かが裏切っているとしか考えられませんから……」

「しかも、失われた草薙剣は日本にあったなんて……そりゃもうびっくり仰天さわぎですよ」

鈴凛はもはやどうでもよくなって聞き流していた。

街は何も変わっていない。去年と同じ冬だった。

「……あ」

美東橋にまた通りかかった。

「……」

自殺しようとして腰掛けた欄干を見て、強く風が吹いていたことも、周馬や未来妃たちと雨上がりに虹を見たことも遠い昔のように感じる。

あんなに青春が眩しいと思ったのに。

生きててよかったって思えたのに。

わたしは本当に生きていてよかったんだろうか。

あの時そのまま落ちていれば、学校の子たちは死ななかったはずだ。


          *


ジャルダンに来ると、いつもの古めかしいドアが安心させてくれた。

蟻音が手入れした庭も冬になったからか少しだけ閑散としている。

「何か食べた方がいいよ。今用意するね」

蟻音が少しだけ手を止めた。

「来てるみたいだね……」

「……!」

「拘式さん−−」

包帯だらけの男がカウンターにいた。

注射器と何かが紙袋の中に見える。部屋に入った瞬間、空気が重くなっているような気がした。拘式がとてつもなく怒っている……鈴凛はすぐさまそれを感じた。

「まだ病院じゃないとだめでしょ?」

蟻音が小さく目を細めた。

拘式は小さく蟻音を睨む。

「−−俺は降りる」

「!」

蟻音の手が止まる。

「……」

蟻音の切長の目が考えるようにまたたいたが、何も言わなかった。

鈴凛はいたたまれなくて、口を開く。謝らなければ。何か言わなくては。

「あの……拘式さん……ほんとうに……すみませんでした……」

「……」

「……大丈夫ですか」

「……これが大丈夫に見えるか」

鋭い視線が鈴凛を貫く。

「す、すみません……」

「……」

拘式はいつも以上に厳しい顔をして出て行った。

「どうしよう……」

「大丈夫だよ」

蟻音は拘式の気を変える方法を思いついているのかそう言った。

拘式は戦えなくなってしまった。

どのみちコーチや同じように戦闘要因としてはもう働けない。

「拘式さんは……もう」

「大丈夫だよ」

「でも……」

「はいできたよ。ハニーパンケーキキャラメルアイス添え」

おいしいはずなのに、舌がバカになっているのかあまり甘さを感じない。

「……」

「紅茶も飲んでね。明が含まれているから」

いい匂いだった。どこかで嗅いだことがあるような複雑な香りだ。

「……わたしを殺す方法って……本当に無いんでしょうか……」

「……」

「翔嶺くん、何か鈴凛ちゃんと話してあげて。静かだと一人で何でも悪い方に考えちゃうから」

「はい……」

翔嶺は少し考えて顔をあげる。

「ねえ翔嶺君、わたしが八岐大蛇を倒した所を見た?」

「……それは」

「彼もあの拘式谷の泉で死にかけていたから覚えてないだろう。でもヘリの映像は残っていた」

確実にそれを見たのは、羽犬と佳鹿ということになる。

「百姫様思い詰めないでください。八岐大蛇と決まったわけではありません」

「でも……なんだかそう思うと色々と辻褄が合う気がして……今だって忌になりかけるなんて……」

「精神的に不安定になっているだけです。戦姫がたまに忌に傾きかけることはたまにあることです」

「明も穢レも強いままバランスをとっていますから、維持は簡単なことではないのです」

「霧姫様も明を摂取されることはよくありました」

自ら死ぬなんてと罵った霧姫も本当は壊れそうで崩れそうな危うさを無理矢理に閉じ込めて、毎日を過ごしていたんだろうか。

「戦姫は修羅の道」

神に選ばれた運命を必死に生きて。

「……」

鈴凛は頭をふるふると振った。

だとしても、霧姫様は八岐大蛇だったわけじゃない。

これからも突然に無差別に誰かを殺すかもしれない爆弾を抱えていたわけじゃない。

「そうだね……霧姫様もつらかっただろうね」

鈴凛は本心はそう思っていなかったが、これ以上話したくなくて、そう言った。

翔嶺には大役を担って何かを言わなければという焦りが顔に滲んでいた。

「あのお方は……お強くはなかった」

鈴凛は余裕がなくなった翔嶺の横顔をみる。以前翔嶺が霧姫のことを話した時、たしかおもしろおかしく家族のことを話すみたいだった。

でも今はどこか険しい顔をしている。思い出すのが辛いというよりは、怒っているように見える。

「天気、悪くなってきたね」

ジャルダンの小さな小窓をみる。蔦の葉っぱはすっかり枯れ落ちて醜い茶色い音だけが窓にへばりついてた。

「……」

空が曇って、辺りが暗くなる。見える先のどこまでも濃い色の雲が立ち込めていた。遠くの方はさらに暗かった。



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