6話 戦うからだ
体が消えた。
暗闇だけになったと思ったのに、すぐに鈴凛の脳は再起動したかのように映像が浮かんだ。
凄まじい勢いで記憶が飛んでいく。それは人生の断片だった。
祖母の笑顔、如月周馬のジャンプ、野奈たちの笑い声、未来妃の横顔。咲の美しい足、疲れた今日子の台所での背中−−、父が遊んでくれた記憶いろいろなものが駆け巡る。
つまらない人生だった。
結局、死ぬ。
ほら足掻いたって、結局ひどい死に方だった。
真っ暗闇に引き摺られていく。重たい電源が落ちた。
「ほらね」
リンっと鈴の音が聞こえると、鈴凛は突然に別の場所にいた。
暗闇の場所で、ひとり体育座りをしている。
「え?」
静寂だ。
「?」
見渡すと鈴凛を何かが取り囲んでいる。鈴凛を中心としてたくさんのものが暗黒の中で渦巻き状に並んでいる。
「?」
なぜか鈴凛はそれが上からも俯瞰できた。
横からも見ることができた。妙なアベコベの世界だった。
視点は取り囲む者たちを眺めて飛ぶ。
うさぎ、魚、大きな桜の木、老婆、特攻服を着た少年、着物の女、年老いた男。そしてみなこちらを見ている。うずくまった鈴凛のまわりに輪になってじっとこちらを見つめている。
「?」
音は何もしない。
真っ暗な暗闇でただ渦を巻いてそこにいる。
鈴凛は彼らの目を見た。
彼らは「わかるよ」といった風でもあるし、軽蔑して見下しているようにも見える。
『意味のない死』
『後悔ばかりの死』
『未来を見捨てた死』
彼らから意思が飛んでくる。
『生と死が巡る。また静謐な輪に戻される』
『やっと生まれたのに』
彼らの意思が届く。
『またここへ帰ってくる』
「え?」
『かごめかごめ』
小さな歌が聞こえる。
『かごのなかのとりはいついつであう』
「どこだろう?」
『うしろの正面だあれ?』
可愛らしい声で誰かがすぐ後ろで歌う。そしてその顔をみた時、はっとする。
悲しげに笑う少女。
雷光のように魂が震えた。
「!」
これは自分だ。
そして全てを理解した。
鈴凛は渦を巻いている彼らすべてが、かつての自分だと判った。
『また死ぬのだ』
『大切なことを忘れて』
『またおまえは何もしなかった』
『最後に何を思ったかも忘れて』
『また死へ還ってしまう』
『足掻くこともせず』
『業の手のひらのうえ』
全員が無念の死を遂げたことをビリビリと感じた。
全部がかつての自分の感情だった。
生まれてくる前、わたしは何を願った?
かつて死んだ時、何を願った?
不思議な音が聞こえた。
ぐるぐると光たちが周りはじめる。
死者たちの歌う歌だ。
かごめ かごめ いついつであう
夜明けの晩に
つると亀がすべった
後ろの正面、だあれ?
愛らしい声が響いてくる。
『神様にお願いしたの。次はもっとただ健やかに強く生まれますようにって』
『誰にも、愛されませんようにって』
鈴凛は何かが自分の中に満ちるのを感じた。
どうして忘れてしまったんだろう
これはわたしの願いだったのに
「りりちゃん」
気がつくと、今度は田舎の畦道の水路に腰掛けていた。阿木の祖母の実家の田舎の畑で、夏によく遊びに行った気がする。
綺麗な着物をぴっちりと着た祖母がいた。グレーのヘアにきっちり化粧をした顔だ。懐かしい。
なぜかげほげほと鈴凛はむせる。
「おばあちゃん……」
ゆらゆらと何故か波打つ地面、祖母は小さな水路の向こう側にいる。
「ほんの少しの水でも溺れてしまうから」
「おばあちゃんがみてないといけなかったねえ」
「……」
昔溺れてしまった記憶だろうか。それでもタイムスリップでもしたのだろうか。
久しぶりの祖母を抱きしめたい。
この頃に帰りたい。
「こっちに来てはいけないよ」
「……」
「また」
また?
何が「また」なのだろうと思った。
まだではなく?
「何度も何度も何度も」
何度も?
「何もできないまま」
「また何もしないまま」
「こっちにきちゃいけんよ」
祖母らしい強い言い方で鈴凛はびくりとする。
「どうして?やっと会えたんじゃ、おばあちゃ……」
手を伸ばす。
「!」
「だめよ!」
祖母が叫ぶ。
「あ!」
祖母に突き倒された瞬間、祖母の手が触れた瞬間、意識が飛ぶ。
目まぐるしく視界が変わる。
今度は夜空にいた。でも今度は違った。
何もかもはっきりしている。
「え?」
鈴凛の体は空に浮いていた。
「!うそ……浮かんでる」
現実に戻った。
化け物が立ち上った雲。地面の燃える煙り、冷たい空気。焼け焦げた匂い。
ただ、非現実的に視界が浮いている。
「死んだの……?」
それは幽体離脱のようだった。
「わ」
振り返ると、ヘリがすぐうしろにきて、鈴凛のガス体に激突して飛んでいった。
「なに?!」
「佳鹿様!みえました!ヤマタノオロチです!」
航空自衛隊の服に身を包んだ青年がひょっこり顔を出して声をあげた。
「この辺で止めて」
「あらま。なんて濃い異界かしらぁ」
「伝説上の生き物が本当に現世に現れるなんて信じられません」
「あの嵐の中心に八岐大蛇がいるようです!」
「あらまあ……あれは」
羽犬は息を呑んだ。
「どんな様子です?」
「ブクブクに太ったゴカイの宴会みたいだわ」
双眼鏡を筋肉隆々の女が男の親指のような小指をたてて言った。
「ゴ、ゴカイ?!八又の大蛇と聞きましたが」
「伝承によれば美男子だったってきいたけど、ぜ〜んぜん、違うじゃな〜い!」
ぐらりとヘリが揺れる。
「ただのふとったウジャウジャの魚の餌よ、あれは。昔、魚屋で見たゴカイのデッカやつの、白い版よ、あれは」
「そんなこと言っている場合ですか!」
「わ」
「エリート羽犬! しっかり舵をおとりなさい!」
眩い大嵐が天へ居座っている。雷鳴が響いていた。煙と触手と闇のような雲と、凄まじい地獄が姿を表した。
「まさに地獄だわねえ。気持ち悪いわねえ」
「あれがヤマタノオロチ−−」
「ウジャウジャの端は直径五、六十キロには達しているわ」
「あれ地面に接触している部分はどうなってるのかしら……」
「情報によると封印が解けたのは午後0時頃だから、時速二十キロってとこかしら」
「佳鹿様!本当に止める術はないんですか?」
「こうなってはないわね。地球の端まで食い尽くすでしょう。地球の滅亡まであと……あは!あんた計算してちょうだい!」
こほほと笑って大女は似つかわしく無い上品な笑い方をした。
「そんなこと言っている場合ですか!」
「人類は終わりなのですね。我々の戦いがあっけなくこのような形で終わるとは……」
「これが鬼どもの望みなんですか?めちゃくちゃだ」
「すべて食い尽くされてしまう」
「それはどうかわからないけど」
佳鹿は、んーと口元に手をあてて考えるふりをした。
「鬼族の連中も、想定外だったんじゃないかしら」
「もうおしまいですよ」
「なんだっけこういうの?世紀末?ハルマゲドン?ラグナロク?」
「まさに今日がその日よ」
「なんてことだ……まだ僕はやりきってないことが」
「人類どころか地球上のものは、全て喰われるわねえ。あら?そういえば、月はどうなのかしら……あれが宇宙空間まででていくかはわかんないわねえ……にょきっとこう伸びていくのかしらねえ」
「どっちにしろ人類は、もうおしまいです……」
「わ!」
全面の窓ガラスが割られて、運転手が攫われていった。
「うわあああああ!」
「あらら〜かわいそうに」
「エリート羽犬。それ以上顔を出すと、あなたも首をとられるわよ。死ぬ前にまだ、わたしにプロポーズしてないでしょ?まだ時間はあるわ。今よ!」
「え。いえ、それは……遠慮しておきます……じゃなくて! とにかく生きる時間を伸ばすために、退避しましょう!」
羽犬はこんな状況で冗談を言う大女をいったいどういう神経なのかと思った。
「ここで逃げたとして何になるというの?」
「さあ婚姻届よ!朱肉ある?」
「ここで佳鹿様と結婚して二人で死ぬのは嫌です!」
「うふふ。エリート羽犬、そんなツンデレなところも……ん?」
二人ははるか上空から別の機体が近づいているのがみえた。
「あれは……」
「米軍のステルス戦闘機?いや爆撃機です!」
「こほほ。アメリカ支部が動いたようねえ。ちょい離れたほうがいいわよ。こんなに早く来るとは。日本の米軍基地にとんでもないもの持ちこんでたみたいねえ」
何か点滅するものが地上に落ちていく。
「あれはまさか」
「ああ!」
すさまじい光と爆風が舞い上がった。
「なんですか?!」
「しっかり舵をとりなさい!エリート羽犬!」
「わああああ!」
ヘリは爆風で上下左右に揺れる。
「アメリカ支部が開発した小型の核爆弾か量子爆弾ね」
「なんて凄まじい威力」
「しかし」
「な……無傷だ」
「日本神話を、なめてるわねえ。アメ公どもは」
佳鹿はこんな状況でも笑っていた。
「佳鹿様!これ以上は近づけません。我々もあの腕に捕らえられます!」
「まあまあそう慌てなさんな」
「すすすす!スサノオ様はまだなんですか?スサノオ様ならもしかしたらあれを!」
「今スサノオ様はアメリカ。世界の反対側よ。間に合わないわねえ」
「だいたいスサノオ様がかけつけたとしても、化け物殺しの伝家の宝刀、湯津爪櫛は今、この世にはないのよ。あれが無ければ、ヤマタノオロチの首をどうやって落とすのよ」
「であれば高天原に……天照大御神に」
「神々にもどうにもできないわよ、あれは」
「それ以上のものらしいから」
「佳鹿様!もう持ちませんよ!」
「ん!!」
きらりと何かが光った。
「なにかしら」
ヘリコプターで信じられない光景に佳鹿は目を止めた。
鈴凛もそちらを見る。
「なんですかあれは」
「門……」
八つの小さな鳥居が燃え上がるように光っている。
「まさかあれが八つの門」
佳鹿は身を乗り出した。
「石樽にも赤い水が満ちてるわ!誰が酒を……いやあれは伝説で本当は酒じゃなかったのか」
「エリート羽犬!あれに近づきなさい!」
「!」
かけつけた佳鹿はヤマタノオロチを切り裂いて真っ赤な眩い光とともに、何かが飛び出したのを見た。
「ええ!正気ですか!僕はいやです!」
「あれは」
それは真っ赤な人形だった。右手に大きな真紅にゆらめく剣を従えている。
八岐大蛇は一瞬動きを止めると、一斉にそちらに無数の首を向けた。
「核が落ちたのに……なんだあれは」
「もっと寄りなさい!」
その剣は七支に別れ、すさまじく柄が長い。
人形の左腕は無かったが、それはまさに人である何かのようだった。
「なんですかあの燃えるような真っ赤な剣は」
「ひ、人です!」
赤い立髪かインディアンのような光の鬣を頭と首に纏った人型の魔物が飛び跳ねている。
「あれは……まさに伝承にある通りの」
「湯津爪櫛なの?!」
「湯津爪櫛……いや刀身が七つに別れているわ」
「櫛名田姫の血は、現世には存在しないのにどうして……ん……さらに大きくなって」
佳鹿は息を飲んだ。
赤い剣は一部が糸のように解け、人影の無かったはずの左手を埋めて再生した。
「インカネーションーー」
佳鹿がそう言って息を呑む。
「インカ?え?戦っている」
誰かがヤマタノオロチと戦っている。そして信じられないことが起こった。
「ああ!」
剣が雷鳴のように赤い光を天に迸らせる。
大蛇の攻撃をかわしながら、自分を追わせ、雷の門をくぐらせる。
「!」
蛇が門に首を突っ込むと、人影は真上からそれを切り落とした。
「殺し方を知っている」
「あれはいったい誰なんですか?!」
佳鹿は伝説の天羽々斬を従えた何者かが、大蛇の首を落としていったのを見た。
「スサノオ様の力……?!」
「あれはスサノオ様ではない」
「小娘だわ」
「見たこともない」
「……」
「やせっぽっちの小娘よ」
化け物が顔をあげる。
真っ赤な血走った目。怒りに満ちた形相。
「あれは誰です……?」
鈴凛も目を凝らした。
鈴凛は息を呑む。
「え」
それは驚いたことに自分だった。
正確には自分の体だった。自分はここにいる。
自分の体が、下で飛び跳ねている—
それを見ると、ついに鈴凛の意識は消えた。