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永遠(TOWA)  作者: 三雲
不死ノ鬣(現代編)
5/168

5話 拘式谷


「あれ?」

気がつくと鈴凛は御座敷の宴会場にいた。空き地の中で風にゆられる雑草のごとく無為に座っていた。

頭がぼやっとしている。

「ささ、八絞酒のおかわりですよ」

女の声が横からしてぷんと日本酒のアルコールの匂いがする。

なんでお酒なんかと思う。

視点を必死に合わせると、赤い舞台で狐たちが踊っていた。

「松葉蟹、県産の和牛、メロン、仁田米、しじみ汁どれもおいしいですよ」

豪華なご馳走が宴会場の長テーブルに永遠と並べられている。鈴凛も赤い浴衣をきて、手にはおちょこを持っていた。

「?」

状況が飲み込めない。

鈴凛は何でここにいるのか解らなかった。

いま何時だろう?とぼんやり思う。

時計がどこにもない。

なんでここに……?いやなんで狐がしゃべって?

現実なのか夢なのかと考えても答えがでない。

「……何も思い出せない」

大きな宴会場だった。

ただ気持ちよかった。

『おめでとうございます!十七番様あがりです!お神輿(みこし)です!』

どっと拍手がおこる。声の方をみると、何がめでたいのか、同じ赤い浴衣の男が照れながら廊下へ出て行った。

狐たちが千鳥足を支えている。

「……誰だっけ」

何度考えてみても、知らない男だった。

霧姫(きりひめ)様のお神輿がお通りです」

そばのきつねが嬉しそうに言う。

狐が鈴凛の後ろのガラス戸をあけると美しい赤い夜の街が見えた。提灯や店の明かりが霧に滲んでいる。ところどころに温泉の湯煙が見えた。


♪霧のやどやはきつねのおやど

のんであそんでたのしみなんし

霧のやどやはおんせんおやど

のんであそんでたのしみなんし


夜の通りを、人の列が進んでいる。先頭の朱色の神輿が二列の人々を従えてゆっくりと動いていた。はっぴを着た人や、華やかな着物を着た男女が楽器や(ほこ)や旗を持っていて楽しげに踊っている。

「あの人たち、どこにいくの?」

神輿行列は建物からひとりづつ拾って乗せていく。「お(へび)様のところですよ」

「お蛇様……」

「そうお蛇様ですよ」

「お蛇様のところへいくってどういうこと……」

「それはもちろん、幸せなことですよ」

幸せ?

それをきいて鈴凛は急に吐き気がした。

「今日は何月何日で、今何時」

「さあさあ水を飲んで。落ち着いて……」

「でも……」

「あああんまり深く考えてはだめですよ」

「ちょっと……トイレ」

「まあまあ……つきあたりですよ。ペースがはやすぎましたかね」

鈴凛は廊下を出て「厠」とかかれた部屋にかけこんだ。

白い便器にががむとすぐにたくさんものが戻ってくる。

いつの間にこんなに食べたのか。

吐瀉物が流れていくと、笑い声がきこえた。

「あれ……うさぎ以下の野菜炒めじゃない」

鈴凛ははっとする。遠くで生徒たちの笑い声がする。

わたしは今日、学校でも吐いた。

そうだ……。

サキが……

死のうとして……橋に−−

「!」

拉致されたのだ。

ここはどこだろう。

冷や汗が出た。自分も客たちも、軟禁されていて、あの酒でひとしくバカになっているのだとわかった。

「あの男にずいぶん飲ませてたね」

小窓から声がする。

先ほどのきつね女たちだ。いや狐の面をかぶった女だった。

「いいじゃないか。最後くらい贅沢させてやんないとね」

鈴凛は息を殺してきいた。

「途中で霧がさめちゃ困ると思って、いい酒を持ち出しておいたのさ」

女のけけけと笑う声が昇ってくる。

「あれだけ酒が回って、肉付きがよけりゃお蛇様も喜んで食うさ」

鈴凛は冷たいものが足元からぞわりと駆け上がっていった。

食う?

体が硬直する。

「最近はお蛇様の眠りが浅いとかで、大食いが酷くて、20人分も喰らうらしい。八咫烏(やたがらす)(えさ)集めに躍起だし、こっちも大忙しさ。一匹の餌も無駄にできやしない」

「九番、飲ませすぎたかも。あの子また吐いているみたいで、厠から戻ってこない」

「気をつけなよ。吐くと覚めることがある。あんた客が覚めて、逃げたことある?」

「ないけど」

「二年前くらいかあたしの客が覚めてねえ……このあたしが餌の両足をこのナタでぶった斬らなきゃいけなくなった。あたしが引きずってお蛇様のもとまで連れて行ったよ」

「そんな……想像したくもない……」

「あたしたちにはそれくらいの餌の管理責任があるんだ」

「どうせ人生投げ出して死にたかった連中さ。でもまあさすがに泣き叫ぶと可哀想だけどね」

「残酷だわ……」

「お蛇様の餌に同情なんかするんじゃないよ。時にはやらなきゃならないんだよ?この拘式谷を守る……世界を守るのは、あたしたちの仕事なんだから。これは必要なことなんだから。やらなきゃあんたが餌になるんだからね」

「わかっているけど……」

「お蛇様は、ちゃんと嬲り殺して食べるんだ。獲物の悲鳴がききたいのさあれは。だから生き餌じゃないといけないの。同情なんかしないこったね」

「あれはお蛇様なりのお仕置きかもね」

「……戻りましょう。神嶺様がここにいるわたしたちを見たら」

「やれやれあいつがこの拘式谷に戻ってきてから最悪だよ、ほんと」

「ずっと八咫烏やっててくれりゃあよかったのに」

「はやくいこう」

声が遠のいて行く。

腕輪をふと見る。「九番」の木の板が下がっている。

ごくりと生唾を飲む。

ここから逃げなければ。

鈴凛はこっそり厠を出て、一階への階段へ向かった。音をたてないように降りる。一階へ降りると、古びた旅館の暗い廊下には誰もいない。

「よし」

受付の人らしき男の声が、明かりの漏れる部屋からした。

−−今日は配給はないはずだから

鈴凛は草履を持って裸足で玄関前の小庭をでた。



「水流館」

振り返ると大きな年輪の輪切りに金色の文字がかかれている。

鈴凛がいた場所は大きな旅館のようなところだった。背後に黒黒とした大きな山がこちらを見下ろして、中腹あたりに何かが青く光かがやいている。

「鳥居だ……」

みたこともないほど巨大な鳥居だった。

「裸足は逆に不自然か」

街に出るとずらりと商店が並んでおり、食べ物のよい匂いをまきちらす屋台もたくさん並んでいる。たくさんの客たちが楽しそうに通りで食べたり、笑い合ったりしている。

みな妙に張り付いた笑顔だった。

「やっぱりみんなどこかおかしい」

店員たちもみな狐の面を被っているが、客たちは何も疑問に感じていない。

そしてやはりどこにも時計もカレンダーもない。

「出口をさがさないと……」

しばらく歩いて、気がついた。

街からぬける道はどこにも見当たらず、鈴凛は水流館が再び見えてきたのがわかった。通りは四角形になっており、街はぐるぐる客が海遊するような作りになっている。

「どこか店の中を通りぬけるしかない」

鈴凛はしばらく通りをウロウロとしてめぼしい店に狙いを定める。

あげまんじゅう屋がごった返している。

「いらっしゃいませ!」

「これはいくらですか?」

「全部タダですよ!」

「さあさあご賞味ください!」

ぎゅうぎゅうの人たちの向こう側、突き当たりの奥に小さな扉があるのが見えた。

「どうぞご試食ください!」

いまだ!

店員が別の客にくっついている間に、そっと番台の後ろの小さな戸口を開けて入る。

うなぎの寝床のような暗い通路が続いていた。ザルや鍋、桶、調理道具や農機具などが雑多に置かれている。

「あ」

遠くに光が見える。鈴凛はそれを目指して身をかがめて走った。

「!」

外に抜けてみると、そこは小さな庭のような畑だった。大根など葉やたまねぎの葉が小さな畝に点在して植わっている。

急に通りの賑やかさが消えて、川の水の音が聞こえる。

「川があるんだ」

木々と畑をかき分けて、鈴凛はそれを見つけた。

渡れそうもない幅の川が横たわっている。向こう岸が見えない。川には深い霧が立ち込めていた。湿度がすごく、なぜか酒の匂いがした。

「なにこれ……」

霧はうっすら青みを帯びている。山の上流から川にそって流れてきているようだ。

「誰ですか」

「!」

鈴凛は振り返る。

「あ!」

狐面をつけた甚平を着た少年にみつかってしまった。

とっさに川へ足を入れる。

「え……」

逃げようと川に足をつけると、頭がクラクラした。バランスを崩してその場にへたりこむ。ばしゃりとして尻が濡れた。

斐川(ひいがわ)は渡れないんです」

よろめく鈴凛を狐の少年が支えた。

「川水は霧姫様の力が強いから」

「君は……?」

「霧がさめたのですね……」

狐の少年が言った。

「ここはどこなの。あなたたちはわたしをバケモノの餌にしようとして」

狐の少年は黙る。

「ここは異世界なの?それとも死後の世界?」

「……」

「助けて!わたし死にたくない!」

鈴凛ははっとした。

「いや、死にたかったけど、でも、バケモノの餌なんて嫌だ!」

「……」

少年は迷ったのか、少し考えてから、面をはずす。

日に焼けた顔に細い目。坊主頭の野球少年のような子だった。

精悍な凛とした眉が印象的だ。

「……これを。面には霧を吸い込まぬよう細工がしてあります。薄い霧なら防げます」

少年は狐面を渡し、自分の白い上着を鈴凛に被せた。

「あなたは小柄だ。わたしのふりをして。斐川に沿って小道を登り、あの山へ向かいなさい。あの鳥居の先は外の世界に繋がっている」

「あの山に?」

大きな鳥居がある山だった。

「急いでください」

「ずっと小道を登っていくと、神社があり、その先に湯気の立ち登る池にかかった赤い橋があります」

「驚くほど赤い湯気と煮立った水面が見えるでしょう」

「だけど……その下をじっと見てはいけません。下を見ずに急いでまっすぐに橋を走り抜けて−−」

「橋?」

「し」

草むらにおしつけられる。

「隠れて!息を浅く!」

翔嶺(しょうれい)様」

年老いた老人の声がした。

安嶺(あんれい)様、神嶺(じんれい)様、」

「!」

鈴凛は絶句する。その姿は天狗だった。

少年は礼をした。

「……」

鈴凛がちらりともう一眼見るととそれが面と衣装だと判る。

一人はどっしりとした大柄で赤い鼻の天狗面に黒い毛が腰まである。もう一人は青黒い艶のある面に金色の目、鴉天狗のように口元が尖っており、真っ白な毛が首まである。

「面はどうした」

赤天狗の大男が聞く。

「修理にだしております」

「おまえは少し耐性があるようだが、あまり外しておくのはよくないといつも言っているだろう」

鈴凛は息を殺した。鴉天狗の面は夜の闇に不気味な影を落としてる。

赤天狗は長銃を、そしてなんともう一人は、黒天狗は死神のような大鎌をしょっていた。

「水流館の十七番が発作を起こして運ぶ途中で死んだ。繰り上げで水流館の九番が神輿だが、館にいない」

鴉天狗の神嶺が淡々と冷たく言った。

鈴凛は身を小さくして息を細切れにした。心臓の音が聞こえる。

「戻りましょう神嶺様。畑にはいませんよ」

長銃の安嶺がしゃがれた声で言う。

「店の番台には霧香が炊いてあったはず。餌は口街の外には出れるわけありません」

「……」

考えているように大鎌の烏天狗は黙ったままだ。

「安嶺さまの言う通り、ここは川も霧も深いです。たとえ庭にでたとしても、山へは向かわないでしょう。南大門を知っているわけではないのですから」

少年は大きな青い鳥居のほうを見上げた。鈴凛にはそれが出口のサインだと分かった。

「おまえも手伝え」

「翔嶺様、非番のところ申し訳ありません」

「かまいません」

長銃の男は小さく頭を下げた。

三人は行ってしまった。

「ぷは」

鈴凛は我慢していた息をたっぷりとした。

「どうしよう……」

答えはわかりきっていた。ここに隠れていてもいつかはみつかってしまう。

鈴凛は山を見上げる。

「いくしかない」

身を屈めて、木立を抜ける。古い茅葺屋根の家や水車が小道の脇にはあった。農具とともに乱雑に槍や剣が置かれている。

「なんなのここ……」

山を覆う森は鬱蒼としており、木々は苔むして驚くほど大きい。

鈴凛は小さな滝の前にかけられた橋をわたり、苔むして崩れかけた石階段を上る。霧が多いせいかいたるところがずるずると滑る。

「!」

誰かがが提灯を持って前からやってきた。鈴凛は慌てたが、背筋を伸ばす。

「翔嶺様」

鴉天狗面をつけた男たちだった。山伏のような格好をしている。

「餌が逃げたのとのこと」

心臓の音が聞こえる。

鈴凛はこっくりとうなずいた。

「我らも向かいます」

鈴凛はそれらしく、またうなずいてみせた。

天狗たちは山を降っていった。

「危なかった……」

鈴凛は小走りで階段を登る。

息が上がった。

「きつい」

膝に手をついて息を整えた。運動不足の賜物だった。

「はあはあ……」

はっとする。

視界に見たことのない黄金の足袋が見える。

「え」

「ひ」

黄金の顔がこちらを見ていた。ぎょろりとした目玉に、羽の頬、顎はなく不気味な歯がのぞいている。

「!」

目の覚めるような夕陽色の袴に立派な金の刺繍の前掛けのようなものをしていた。二、三段上からこちらを振り返っていた。腰に立派な太刀と瓢箪がぶら下がっており、手には扇子のような短い鉢を持っていた。

「な……」

恐怖で声が止まる。

その手が伸びてくる。

「!」

きゅっと目を閉じると、何も起こらなかった。

「あれ?」

人間の手だった気がした。

そして姿は見えなくなっていた。幻だったのだろうか。

静かな森が広がっているばかりだった。

「気のせい……?」

連中の仲間なら鈴凛を見逃すはずがない。

「とにかく急ごう……」

しばらくまた登ると、神社の入り口らしき門と社が見えた。古くなり社は黒ずんでいた。松明が焚かれている。深い霧が入り口から溢れていた。

人影が見えた。門番だ。

「え……?」

門番の烏天狗たちはぐったりとしている。

「……どうして?」

はっとする。

あれは幻ではなかったのだろうか。

やったのはもしかして、先ほどの金色夜叉かもしれないと思う。

何かが起こりはじめている。そんなことを感じさせた。

「逃げらるかもしれない」

とにかく鈴凛には好都合だった。

「ここか……」

鳥居のそばに古びた石造りの樽のような大きな石物に、真新しいしめ縄がしてある。

「……なにこれ」

鳥居をくぐり、社に入るとすぐに地獄のように真っ赤な池あった。煮立っているのに、氷のように冷たい湯気が顔を撫でる。

「鳥居がいっぱい」

八つの鳥居が橋とともに池の中心を向いている。

その中心に穴の空いた舞台があった。

鈴凛はそのうちのひとつから池に足を踏み入れたのだ。

ぼこぼこと気味の悪い音をたてる体育館ほどの巨大な池で、対岸までは20メートルくらいはありそうだった。

橋には呪われそうなほどそこらじゅうにお札やら紙垂が赤い舞台に貼られている。

「え」

下をみると、煮立った地獄のような池がが大きく波打っている。何かが水面から出入りしていた。

「ひ……」

橋の下で、煙をまとう何かが泳いでる。

大きな鱗をまとう長い背中。巨大な生物が泳いでいる。

「……」

ここを渡る。

「……」

あの少年に立ち止まるなと言われたが。

「いくしかない……」

一歩を踏み出して鈴凛は目を疑った。出入りしているものはドラム缶3本分もあるような巨大な背中だった。それが何本も出入りしている。

「こんな蛇、存在してるの……?」

じっと見ると、それは繋がれた鱗の生えた手だった。無数の繋がれた手がより合わさって太い蛇のような状態になっている。

「なにこれ」

煙を立てる水面を龍かと思うほどの太さになり出たり入ったりのたうちまわっていた。しかもいくつもその背が見える。

「なにこれ……何匹もいる」

鈴凛は悟る。これがお蛇様—

「餌って」

自分がこれの餌だったことも判る。

「これが……」

恐ろしさに足がすくむ。

「わたしは……」

この橋を渡って大丈夫だろうか。幅が二メートルほどもありそうなその鱗の背中はすぐ一メートル足元あたりで登ったり潜ったりしている。

走って渡れと少年は言っていた。

餌になるよりはましだ。

逃げなければ−−。

意を決して一歩踏み出した時、誰かが肩を掴む。

「きゃあ!」

急に鈴凛は首元から吊り上げられた。

「ん……」

「みつけたぞ。最後の門でお縄になるとは、いかにも餌らしい」

男の低い声がする。

「や!」

「ひ」

先程、少年を諌めた大鎌の烏天狗だった。

「貴様、山門のやつらをいったいどうやって」

「何者だ」

男は鈴凛を担いだ。

「嫌だ!離して!離して!」

「あ……」

その後ろにあの少年が狐面をつけて立ち尽くしていた。

翔嶺と呼ばれていた少年は黙っている。

「助けて!」

天狗が足を止める。

「ほう。おまえのことを見ているようだが翔嶺」

少年は目を伏せたまま答えなかった。

「後で話をきかねばならんな」

鈴凛は男に抱えられたまま社の中まで担がれて運ばれた。

「来い!そのまま池にぶち込んでやる!」

「!」

右の端からしずしずと歩いてくる女がいる。

霧姫(きりひめ)様」

少年がつぶやく。

あの神輿行列を率いていた女が、池の真ん中に張り出した舞台で待ち構えると、こちらを見て微笑んだ。

「みつけたかえ」

「!」

女は橋の真ん中で落ち合うと、鯉でも眺めるように穏やかに池の中を見つめた。

微笑んでいる。

「ほれ、最後の餌だそうじゃ……」

「やめて!」

鈴凛は乱暴に降ろされると、無理矢理肩を押さえて、その女の前にひざまづかされる。

「近頃は妾の力が弱まっている……」

「助けて!」

霧姫は鈴凛に向き直った。白塗りに美しく紅がひかれた女の大きな目がこちらを見た。

「覚めた魚はまこと見苦しいでありんすなあ」

真っ赤な紅がくっと釣り上がる。

白い手が添えられる。

「すまぬなあ。痛うせず死なせるつもりが」

「お客さんたちを、この化け物の餌にするなんて」

「死ぬのが怖くなったかえ」

「……どうしてこんなことするの?」

「どうして?ぬしが望んだ死でありんすよ」

霧姫は扇子を口元にあてて妖艶に笑った。白い手が伸びて顎をくいと持ち上げられる。

「ちょうどよい。この世では、誰かが死なねばならぬ」

鈴凛は目を見開いた。

「誰かがお蛇様に食われねばならぬのじゃ」

「わたし」

霧姫は鈴凛の発言をたびたび遮って口を開く。

「喜びなんし。おまえの死は無駄にならず、この葦原の、この国の、人々のため、死ねるのじゃ」

「!」

「お蛇様は、夜ごと十人ほどを食わねばお蛇様は暴れてしまうからなあ」

「人々のため……? わたしが?どうして……どうして……あんな人達のために!」

柊優吾や咲が浮かんだ。

鈴凛はじたばたと暴れた。

「……」

「どうしてわたしが!あんな人達のために、怖い思いをして、痛い思いをして、死ななきゃいけないの!悪い人を餌にしたらいいじゃない!なんでわたしばっかり」

「そなたは死にたがっておったではないか。どうせ死ぬのだ。どうでもよかろう?」

「……あなたに何がわかるっていうん」

霧姫はきっと眉間に皺をよせると、女の白い手が頬にとんできた。

「!」

バチンと心地よい音がして、鈴凛の頬がひりひりとした。女の長い爪が引っ掻いたのか目の端から生ぬるい血が伝うのがわかった。

「いた……」

「おまえこそ何がわかる!命を投げ出した大馬鹿者に、死に方など選べぬ!」

「……」

「死ね。自死は人殺しよりタチが悪い」

人殺しより悪い?

こんなにも追い詰められているのに。

誰かがわたしを醜く無能に作ったのに。

誰かがわたしの周りにひどい人ばかり置いたのに。

望んだわけじゃないのに。

「なんで……こんなの……生きているときだって辛かったのに…………もっと悪い人はいっぱいいるのに……辛くて苦しい時間が永遠ほどに長くて……くるしくて、ただそれだけから逃げたかっただけなのに」

「見苦しいのう」

「だいたい、あなたたちに何の権利があってわたしの死に方を決めるの……わたしがどんなに辛かったかも知らないくせに! 死に方くらい……わたしはあんな人達のために死ぬんじゃ無い! 自分のために死ぬんだ! だから橋から飛び降りようとしてたのに!」

鈴凛は鼻水を垂らして泣き喚いていた。

「うるさい!黙りなんし!」

霧姫の平手打ちがもう一発飛んでくる。頬がひりひりとした。

「生きているだけで、どれほどありがたいかも、わからぬやつは、お蛇様に食われて死になんし」

「あなたにわたしの辛さがわかるわけない。この世界のお姫様で、客を餌にして高みの見物で」

「貴様、何も知らぬくせに」

神嶺と呼ばれた鴉天狗から押し殺した声が響いた。

「……!」

霧姫の美しい顔が歪んでいた。そして驚いたことに彼女は泣いていた。

「霧姫様−−」

少年が声をかける。

「大丈夫だ」

美しい目が鬼のように青く輝いてくやし涙を流していた。

「おまえが、今宵……最後の餌などと−−」

その時、けたたましい鐘楼の音がする。

「!」

一同の動きが止まる。

「なんだ……」

−−敵襲だ!

遠くで男が怒鳴る声がする。

「なにが」

天狗たちは動揺をみせて身構えた。

「!」

天狗と姫は何かを捉える。

青い鳥居の上に、月光を浴びた金色の夜叉がいた。

「あれは……まさか」

「さっきの」

「陵王」

霧姫が厳しい表情で小さく口を開く。

「まさか。霧をどうやって超えた」

年老いた天狗は身を乗り出した。

腰を落とすと、陵王は鉢を挑戦的にこちらに差し出し、反対側のては人差し指と中指をこちららに向け、ピストルのような形を作って、示して見せた。

それは何らかの挑発だった。

「あやつめ……」

「あの人……」

幻想ではなかったのだ。

「まさかおまえが引き入れたのか?」

大鎌の烏天狗が鈴凛の胸ぐらを掴んで乱暴にゆする。

「ちが」

「ああ!」

「え」

金色の陵王が手をあげると、その背に六枚の翼が広がる。無数の金色の針のようなものが夜空に輝いた。

「まずい!」

「ああ!」

一斉に矢が降り注いた。黄金の無数の羽だった。

「痛い」

誰もが羽の餌食になった。

「な!」

「!」

花魁の女が鈴凛を庇っていた。

女の体に三本の羽が刺さっていた。

「霧姫様!」

少年が駆け寄る。

「これは黄金です」

「どう……して?」

黄金の羽が鈴凛の目の前で血を滴らせていた。

「無様だから……かつての……妾のように……」

「……?」

「ああ!」

金色夜叉は舞い降りると、ものすごいスピードで橋を走ってくる。

「!」

「神嶺様!」

一瞬で天狗たちは構え、攻撃をしかける。

「あ」

夜叉は舞い上がった。

「飛んだ」

金色夜叉は身を捩りながら落下してくると、天狗たちを、ばちで軽々といなした。

「!」

急所でも疲れたかのように、天狗たちはばたばたと倒れていく。

「あ」

鈴凛たちの前で夜叉の六枚の翼が大きく開いた。

「霧姫様」

「え」

ぐっさりと大きな翼が霧姫の胸を貫いていた。

「きゃあああああ!」

引き抜かれと、紫の血があたりに飛び散った。

「……」

「気が済んだか」

夜叉は身を翻えして欄干に立つと、胸から瓢箪を取り出した。

「翔嶺……」

少年が霧姫を抱き支えた。

「終わりが来たのだ」

霧姫の体は輝き出した。

「……!蛍火が」

「あなた様という人は……」

「何も言うな」

「この娘を連れて外へ出よ……」

「勇めよ、おとめ」

眩い青い光になって燃え上がる。

「え……」

霧姫の体は爛々と夜に燃え上がっていた。

「うそ……」

霧姫の体はみるみるほどけるように灰のように朽ちて風に散っていった。

立ち込めていた青い霧が、溶けるように力を失って薄くなって消えていく。

「霧姫様!!」

「まずい幻想霧が……」

「霧姫様が逝かれたのだ」

「こうなってはしかたない」

「やつを殺せ!!」

天狗たちはどこからともなくやってきて群がったが、夜叉はそれをいとも簡単に翼で薙ぎ払った。

「な……まさか……あれは」

「櫛名田様の血なのか?」

「霧姫様の命ではなく」

「まさか八岐大蛇を蘇らせる気か−−」

「止めろ!」

「それだけは!」

夜叉が瓢箪を泉へ放り投げる。

中からもれた液体が中を舞っている。

「しまった!」

「ヤマタノオロチの封印が」

鴉天狗の頭がそう言ったが最後、何かが起こった。

何もかもが止まって見えた。

鈴凛は一瞬全てが無音で、真っ白になったと思った。

「あっ!」

時間が動き出したようにドーンと音がして、空気も音も吸い込んだあと、猛烈な風がおこる。

「きゃ!!」

鈴凛は吹き飛ばされて社の壁に打ち付けられた。

必死に目を開けると、何かが天まで勢いよく立ち上っている。

「!」

それは視界を全て覆うほど大きい。

無数の鱗の生えた柱が幾重にも重なって次々と立ち上っている。先ほどの腕たちが、山ほどの太さになって、雲にまで届くほどの高さだった。

鈴凛は天を見上げる。

「なにこれ」

見たこともない太さのものが天に昇っている。

「ああ……この世の終わりだ……」

「貴様! よくも!」

すぐそばで大鎌の鴉天狗が陵王に飛びかかっていった。

「ああ!」

しかしそれどころではない。

「なにか……」

何かが今度は天から一斉に降りてくるのが見えた。

「手?」

天まで登った蛇の雲から、幾千の手がぶわりと土砂降りのようにおりてくる。

「きゃああああ!」

鱗と翼の生えた気味の悪い手が地面に降ってくる。

「あああああ!」

白い手がそばの天狗を攫宇宙へ舞上げて攫っていった。

「きゃあああああ!!」

鈴凛は必死に走った。

腕たちは次々に天狗や地面の者たちをとらえて、泉に運んでいく。

鈴凛は飛び交う腕や衝突音の中、必死に走る。

「こっちへ!」

気がつくと少年がすぐ横に来ていて鈴凛の腕をつかんでいた。

「今のうちに南大門へ!」

翔嶺が鈴凛の手を引いて走り出す。斜面を駆け上がり、小川を飛び越える。痛いほどに手をぐいぐいとひっぱってくる。

「他の者が食われている間、時間が稼げるかもしれません」

悲鳴と罵声がそこらじゅうで響いていた。

地面のものがむしり取られていく。まるで地獄だった。

「あそこです!」

ついに二人は大きな青い門をくぐり抜けた。

白い大きな車が見える。鈴凛が拉致されたようなバンだった。

「あれで逃げましょう!」

「ぐ!」

「あ」

少年が化け物に足を囚われた。


みるみる四肢を絡め取られていく。

「!」

「いってください!」

「でも……」

「あなただけでも助かって」

鈴凛は胸が苦しかったが身を翻した。

「ごめん」

車のドアに手をかける。これで逃げられる。

でも運転は?そんな考えが浮かびながらも安堵する。

「あれ……?」

鈴凛がドアを引いた瞬間、まさにその時、鈴凛の体から全部の力が抜けた。

「え?」

ぐしゃりとすぐ下から音がして、

背中で爆弾が爆発したかのような凄まじい痛みがする。

ちょうど胸の真下の真ん中から蛇のようにうねる白く不気味な手が飛び出していた、その先に花のように爪の長い白い鱗の手が真っ赤に開いたり閉じたりしている。

「あ、あっ……」

息がつまり、足の力が抜けている。鈴凛はその場にめまいがして、顔面からばったりと倒れる。

「あああああああ!」

視界が霞む。腹から血がぼたぼたと溢れ出た。

頬に勢いよくじゃりが食い込む。

「く……、う……」

息ができない。

そんなことにかまうはずもなく、触手は今逃げてきた方向へ、鈴凛の体をひきずりはじめた。

ごつごつとあらゆるものが顔に体にあたる。

痛いはずなのに、だんだんと感覚が麻痺してただ石を入れられたボロ布袋のように引き摺られるままだった。

「ふっ……う……」

妙な息切れの声しかもう漏らすことができなかった。

「ああ」

朦朧とした視界にあの池が見えた。

ついに池まで鈴凛は帰ってきた。どぼんと音がして自分の体が落ちたのがわかった。

ごぼごぼと沈む音がする。

血の海が広がっていた。まさしくそこは地獄だった。烏天狗たちも狐の女たちも串刺しにされて、どんどん泉の暗い底に引きずられていく。植物や動物までもいる。それと一緒に巻き込まれた土や岩も巻き込まれながら落ちていく。

化け物はあらゆる生命を刈り取っているのだと思った。

「……!」

あの里を襲った陵王の体も赤い水の中を漂いながら、目の前をすぎゆく。

右手に瓢箪を力なく掴んで流れていた。

その瓢箪から赤い光が筋となって流れている。


鬼灯のようなオレンジ色の眩い光が爛々としている。それがふたつ見えた。

「あ……」

みんなあの化け物に食われるのだと判った。悲しい死が水に満ちている。大鎌の烏天狗も、女たちも、少年も、襲撃した陵王も水の中で漂っているのが見えた。水底に無数の蛇がうじゃうじゃと絡み合っていた。いったい何事だったのだろう。

わけもわからぬまま、鈴凛は死んでいくのがわかった。

まさしく眠っていたのは死神で、誰も逃げられなかったのだと悟った。



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