あやとり
鉛筆の音がかりかりする。焦る気持ちを抑えて問題文を凝視した。
花芽形成と光条件との関係を調べるため以下の実験1・実験2を行った
鈴凛は付箋のように見える図をじっと見た。
夏休みの最終日、学校で留年を懸けた再テストが行われた。
「問題文が長い……長すぎる……」
鈴凛は心の声が漏れながら問題を解いた。
全科目を終えると、どっと疲れた。大学入試もこんな感じなのか……大変だなと人ごとのように思う。
「はあ……大丈夫かな……できたような……できてないような……」
徹夜で少し復習するしかなかったが、夏休みの前半は本気で勉強していたことが幸いした。
「できてるかな……」
鈴凛はとぼとぼと昇降口のところを帰っていた。
「鈴凛!」
「未来妃……」
生徒会室の窓から顔を出している。艶やかな黒髪が風に靡いていた。
「今日は学校に来るかなって思って。わたしも生徒会室でとじものしたり、勉強したりしてたの!ちょっとまって!そっちいく!」
「未来妃だ……」
「久しぶり」
未来妃は夏なのに全く日焼けしていない。
「テスト大丈夫だった?」
「わざわざ来てくれてたんだね……」
懐かしい。1ヶ月がとても長く感じた。
「大丈夫??」
未来妃が顔を歪める。
「わからない……でも……疲れたよ……」
鈴凛は思わず未来妃の手に触れながら、昇降口の階段に座る。
「色々とこの夏は大変だった……」
普通に友達でいてくれるありがたみをひしひしと鈴凛は感じていた。
「え……てゆうか……どうしたの、その足!!」
鈴凛の足首を見て、未来妃がぎょっとする。
「大丈夫なの?!」
「ちょっとサラコマンダーの大会で本気出し過ぎちゃって」
「え、え」
「だって」
「サラコンマダーってそんな激しい競技なの?」
「うん……ありがとう……大丈夫だよ」
「ほんとに?」
「あんまり頑張りすぎちゃだめだよ」
「え」
「だって……全科目の再テストも合格して。武術もそんなになるまで頑張って。そういう一生懸命頑張りすぎるところ尊敬してるけど……」
「心配だよ」
「ありがとう……」
鈴凛は報われた気がした。
「鈴凛ってほんとうにすごいよね、昔から思ってたけど」
「え?」
戦姫になった今、すごいことに違いはなかったが。昔は無能だったと鈴凛は自覚していた。
未来妃のその発言は昔なら嫌味に聞こえたかもしれないと思ったほどだった。
「鈴凛は謎の底力を持ってるっていうか、根性があるっていうか……ギリギリまでいつも自分で頑張って、追い詰められてもなんとかしちゃうっていうか……乗り越えていく力があるところすごいと思う。だからきっとテストも大丈夫」「
「え……?」
鈴凛はいつも、どれも中の下くらいをキープしていたような記憶があった。
すごいなんて思ったことない。どれも平均ギリギリ。油断すると、今回のように留年の危機にも見舞われた。
「鈴凛はさ」
「周馬みたいな天性とか天才じゃないけどさ、」
「鈴凛の謎の底力はすごい」
「謎の……」
ふたりでくすくす笑う。
「とにかくテストは終わったんだし、ぱーっとジャルダン行こうよ! おごる!」
「ありがとう」
二人は街を歩き出す。
「バスケの試合は負けちゃったんだってね」
「うんでもおしかったんだよ……金城先輩ないてた」
「そっか……」
「てゆうかさ、周馬とどうなったの?」
未来妃がうずうずして聞いた。
「え?どう?」
「だってキスしたでしょ?告白されたとか、デートしたとか。何か熱〜い夏があったでしょ?」
鈴凛はそんな重大なことも忙しすぎて忘れかけていた。
「そうだった……」
そう言いながら言葉にひきずられて、哀の豪火で死にかけたことを思い出す。
鈴凛は別の意味で熱〜い夏があったと思った。
もうすぐ宇多に哀がやってくる。学校にも来る。未来妃と哀が友達になってくれるか少しだけ心配だった。
「そういえば……なにもない」
「キスしてなにもないの?! デートに誘われたとか、連絡とったとか」
「……ない」
「ない?」
「……うん」
「……許せない……」
未来妃は急に怒りに満ちた顔をした。
「え」
「鈴凛の気持ちを弄ぶなんて、許せないわよ! あいつはやっぱり、ただの、女タラシだったのね! キスしておいてちゃんと告白もしてないなんて! 新学期始まったらガツンと言ってあげる。鈴凛と付き合うように言ってあげる」
未来妃は真剣な顔でまくしたてた。
「やめて、やめて! 絶対やめて」
そんなことしたら余計に気まずいと思った。
「でも……こういうのはちゃんとしたほうが、それが鈴凛と周馬のために−−」
未来妃はもちまえの正義感と真面目さで処理したがっていた。
「周馬は自由だから……ああいう人なんだよ」
鈴凛は肩の力が抜けていた。なぜかそう言うことができた。そして言いながら、なんだか自分が大人の女性になったような、心が広いような、周馬のことがわかっているような、まさに謎の優越感に浸っていた。
「ちょっと鈴凛……、何にやけてるの?」
未来妃がさらに怒る。
「遊びでファーストキスを奪われたのよ?」
鈴凛はそれでも思い出してにやけていた。
「……遊びでも……嬉しかった……」
なぜだろうと考えてすぐにわかる。
源鈴凛の正体が百姫だとしても、やっぱり源鈴凛が如月周馬にキスされることは奇跡だと今でも思えた。
「心配してくれてありがとう……でも嬉しかったの」
そう言いながら、未来妃に少しだけ申し訳なくも思う。
「わたしはドブネズミで窓の手垢で妹に全然似ていないブスで……、こんなこと起きるなんて思ってもなかったの」
「何言っているの……鈴凛の顔は、学校で一番可愛いわよ……」
未来妃は震えながら言った後、切なそうな顔をした。
「でも……そういえば、そんなに嬉しかったなら」
「鈴凛は……なんで、あんなことしたの?」
「ん?あんなこと?」
「合宿でのキスの後のことよ」
「え……?」
哀の登場が衝撃的すぎて鈴凛はうっかり忘れかけていた。
「なんでホースなんか口につっこんだの?」
ジャルダンがもうすぐ見えてくる道に差し掛かったところで未来妃が言った。
「えーと……なんだか、てんぱっちゃって……」
「てんぱって、好きな人の口に、いきなりホースをつっこむことってあるの?」
「すごく混乱してた」
「……混乱?」
「ははは……周馬もドン引きしてたね。だから冷めちゃって、連絡こなかったのかも」
鈴凛は自虐的にそう言った。
考えてみれば、いい感じにキスをしたと思ったのに、口にホースをいきなりつっこまれていい気がするわけがない。
それでも周馬なら気まずくならず、へらりと笑って流してくれはする気がした。
ジャルダンの庭はまだ夏が残っており、蝉も盛大に鳴いていた。
「ん……変な匂いする」
扉について未来妃が顔をしかめる。
「へい、いらっしゃーい!!」
「?!」
なまりのある聞いたことのある威勢のよい声がして鈴凛はぎょっとする。ソースの濃い匂いがもわもわと出てくる。
「え……B……」
なんでここにと思う。
「新しいバイトの人なんだ」
蟻音が奥から苦笑いして声をかける。
BBがおしゃれな鉄板をつかって、焼きそば麺をヘラでガシガシ回し焼いている。
「やあ」
「オーイエ、オーイエ」
BBはノリノリで横で焼いていた薄皮とキャベツに加える。
「これ、ボクのまかないだYO」
「……そ、そうなんですか」
BBは真っ黒い太い腕をぴかぴか光らせながら、キャベツを高速でたたいていた。
「鈴凛ちゃんと同じサラコマンダー武術もやってるんだってね」
「へ?!」
「そうなの?」
「ああそう……そうなんだよねー……」
鈴凛は話を合わせた。
「ブラッドさんだよ、よろしくね……」
蟻音が未来妃に紹介した。
「ブラッド・ビッドでーす! 英語教師しながら、ここでもバイトしてるよー お金ないよー」
「え……ブラピ……」
「ビッドよ、ビッド、Dね」
「ああ……D……同姓同名かと思った」
未来妃が引きながら挨拶した。
「毛利家の専属、英会話教師なんだって」
「ん……閃君も毛利先輩も……英語もフランス語も話せますよね?」
未来妃が違和感にきがついて、妙な顔になった。
一同がぎょっとする。
「なんだか、フランス人ハーフだから、なまっちゃうんだって。あと……やっぱり日本にいると忘れがちなんじゃないかな?」
かなり苦しい言い訳な気がした。
「なるほど……」
「やっほー!蟻音さああん!」
佳鹿がばーんと扉を開けて入ってくる。佳鹿と羽犬と拘式親子が入ってきた。
「え……あ……拘式先生……」
未来妃があまりに大きなその巨体にびっくりしている。
「あら来てたのお〜?」
「か……」
「鈴凛、知り合いなの?」
未来妃がびっくりする。
「鈴凛ちゃんのサラコマンダー師匠なんだよね。佳純さんだよ……」
一文字変えるだけで妙に可憐な、かけ離れたイメージになる。
「この人が……」
「こっちはサラコマンダー道場の事務所で働いてる羽田さん」
「どうも……はじめまして……」
「鈴凛の友達の夏川未来妃です。……でも……なんで……拘式先生と?」
未来妃が疑わしそうに一同と鈴凛を見る。
「えーと……その……」
「わたしの体に惚れたのよね?」
佳鹿はとんでもないことをいきなり言って、むきっと上腕二頭筋を見せつけるポーズをとった。
「?!!」
未来妃は固まっている。
「ほ、ほら……先生、不健康そうだし、先生もこんなふうにマッチョになりたんじゃない?」
鈴凛が慌てて言った。
拘式が殺すと言ったふうにこちらをみたが、鈴凛は目をそらす。
「そうなの先生……?」
「……」
拘式は未来妃を無視した。
「それ……わたしも、わたしもやりたいです……サラコマンダー」
「ええ?!」
「だって先生も鈴凛もやってるなんて……!わたしも体強くしたいし……あ、でも親が許してくれないかもしれないけど……」
「未来妃ちゃんは貧血なんだから、安静にしとかないとだめでしょ」
蟻音が諭すように言った。
「それは……そうですけど……先生のタイプが筋肉質な女性ならわたしが今までふられたのも納得っていうか……わたしもっと頑張るっていうか……」
「入会するには体力テストに合格しないといけないわよお」
「……そうなんですか?」
未来妃は自信なさげに言った。
「……」
急にしょんぼりしている。
「わけのわからない勘違いをするな」
拘式が珍しく未来妃を見て言った。
「じゃ違うんですか? どうなんですか?」
「こ、これは何かな〜?」
鈴凛はふと目についた、もので話を変えようとした。カウンターの目の前に赤いぐしゃっとしたあやとりの糸と折りかけの鶴があった。
「閃くんが置いて言ったやつ」
「わ、なつかしい」
「……」
鈴凛はほっとする。
未来妃があやとりをとった。
「昔よく鈴凛ともやったよね」
そうだっけと思う。
「はい、とって」
未来妃が懐かしそうに何かを作って差し出す。
毛糸がぴんと張られていた。赤色い毛糸の糸に、赤い糸がからまっていく。
「!」
未来妃には見えていないが、それは楽しそうに波打っていた。
同じ糸どうし、毛糸が好きなのかまとわりついている。
「……え」
鈴凛はとっさに戸惑った。
どうやるんだったっけ?
もう十年以上はきっとやっていない。
「こ」
鈴凛の手が自然と小指ではしをとり、下から未来妃の手を抜けてでた。
「こう?」
半信半疑で腕を動かす。
「こう……か」
「そうそう」
「ほんとだ、覚えてる」
いえーいできた!みたいに赤い糸が踊っている。
小学校一年生の頃の記憶はもはや曖昧だ。泥団子をつくったり、確かにあやとりもしていたような気がする。体が覚えていたことに驚く。
「そうだ、未来妃ちゃんまたミントとってきてくれない?」
「翔嶺君いっしょにいこうよー」
未来妃と翔嶺が外の畑に出て行った。
「……危なかった……」
「未来妃にばれそうだった。なんでジャルダンに」
「ここはわたしたちの憩いの場所でもあるのよ、いちゃ悪い?」
佳鹿がいやあねといったふうな顔をする。
「何が不健康そうだ」
拘式が低い声で鈴凛にイライラと言った。
「あら〜いい言いフォローだったわよ、それっぽいじゃなあい?」
「はあ……未来妃にバレたらどうするんですか。感が鋭いから気をつけてくださいよ」
「あらあそれは心配ね、わたしよりあの子が」
「哀ちゃん、明日からだっっけ」
「明日からお二人とも学校ですね。煌姫様が無事になじめるといいですが……」
羽犬が心配そうに言った。
「大丈夫でショ!どうぞ!」
大きなお好み焼きが置かれる。
「広島風YO」
マヨネーズがドバドバとかけられている。
「……」
「おやおやこちらの二人は、完全にブルーな顔になってますが」
拘式と鈴凛を見て蟻音が笑う。
「もう夏休みが終わるなんて……」
「学校に行きたくないの顔ね」
「面倒をみるやつが二人になるんだ無理もないだろう」
「……学校のことを考えると少々不安で……哀と未来妃仲良くできるかなあとか……あと色々……」
「あいつに問題を起こさせるなよ」
拘式が鈴凛を冷たく一瞥してまた前に向き直る。
「そんなこと言ったってわたしの言うこときかないし……」
「明日から学校」
「むかむかしてきた」
「ところで夏休みの宿題はやったの?」
佳鹿がにっこりして鈴凛に聞いた。
「す……しゅくだい……?!」
「っつああああああ!」




