摩天楼のプール
−−目隠し者の件は全て調べたけど収穫はなし
「そうですか……」
−−年齢、性別で偏っているわけでもないし、やはり神籬が弱った人が、強くなった穢レにやられてるって感じだと思うわ
−−時間切れだな
佳鹿が連絡を入れてきていた。拘式の不機嫌そうな声もする。
「それは無理矢理連れていくってことですか?」
袋詰め作戦が現実味を帯び、鈴凛は説得を完全に諦めていた。
−−拉致して連れて行くしかないわね
−−玉手匣で記憶は捏造したらいいですよ
「え」
−−かしてください
毛利就一郎の声がした。
「きてたんですか」
−−夏休みですから
嫌な予感しかしない。
−−ココさんとユカさんに二度と会いたくも無いような記憶をこちらで捏造します。百姫様は縛り上げて黒井哀さんを連れてきてください
「……二度と会いたく無いような記憶って?」
鈴凛は聞く前からぞっとした。
−−そうですねえ……友情を木端微塵にするようなものが最適でしょう。ユカさんが薬の件で捕まりそうになったところ、代わりにアイさんに薬を打って警察に突き出すってのと……ココさんはお金を持ち逃げして、男と蒸発したことにしましょう
−−そしたらほらすることが無くなって戦姫をするしかないでしょう
毛利就一郎が楽しそうに言った。
「そんな……」
想像の上を行く最悪な提案に鈴凛は絶望する。
−−最初からこうしとけばよかったですね。あはは。
「だめだよ……」
−−どうしてですか?
「三人の大切なつながりを壊すようなことだけはだめ」
鈴凛はそれだけは嫌だった。三人の暮らしは羨ましがられるものでも、自信を持っていいものでもきっとない。でも三人にとってあの広々ブースの思い出はやっと築き上げた何かで、はじめて感じた小さな幸せで、やっと少しだけ誰かを信じられるようになった場所なのだ。
それをそんな最悪な事件で終わりにしたくない。
あの三人の思い出をめちゃくちゃに破壊して、宇多にアイを連れてくるなんて馬鹿げていると思った。
「それにそんなことじゃきっとアイは納得しない……いつかバレたら、手がつけられなくなるほど怒るだろうし」
アイは戦姫にされても仕事をしないんじゃないかとなんとなく思った。
鈴凛は高天原を脱走したが、アイは高天原を破壊するかもしれないとも思った。
「鈴凛、でかけるぞ」
「え?あ呼ばれてるからまた後で」
鈴凛は慌てて連絡を切った。
アイは黒い革のワンピースを着て新しそうな赤いブーツを履いている。ココとユカもドレスのようなものを着ていた。
「今日はどこいくの?」
三人がいつもより綺麗に化粧をして、派手な服を着て夜の街に行く。
「パーティーがあんだよ」
「……?」
六本木で降りる。
「ここ……」
鈴凛はテレビで見たことのある助大なビルを見た。
六本木に一際聳え立つビルだった。一際天に聳え立つ大きな建物。
「え、ここに入れるの?」
鈴凛は意外だった。
「例の協力者の力だよ」
「こんばんは」
ヤクザのような男を想像していたが、男は少しだけ日焼けした優しい目元のさらりとした雰囲気の男だった。ネクタイをしていないがベージュの麻のジャケットとパンツがオシャレだった。
「安島だ」
「この子かぁ。いいんじゃない」
男は優しく笑った。
「?」
「フェルゼゲリアじゃインディーズ出れなかったけど、単独でのデビューが決まったんだ」
「え?」
鈴凛は狐に包まれたような気持ちだった。
広すぎるエレベーターがどんどん上に上がっていく。
「最上階だよ」
「うわ……」
青く怪しい光とともに、未来的な形のソファやテーブルが浮かび上がって、紫に光る大きなカウンターと水槽がみえた。大きな窓の向こうにはプールが浮かび上がって、何人かが夜だというのに水着ではしゃいでいるのが見える。
「すごい……」
シャンパンタワーがいろいろなところに作られて、大人たちがカクテルを持って肌を露出したドレスを身に纏っていた。
重低音の音楽が響き渡っている。
「何ここ……」
「あれ?!」
テレビで見たことある司会者がいた。
「あっちも……」
鈴凛はCMで見たことがある若い女優もみつけた。
そのすぐそばには鈴凛でも知っている有名なお笑い芸人も見えた。
「すげーだろ」
「芸能人もいっぱいいるぜ」
「どうして」
「フェルゼゲリアももうすぐデビューする。そしたら金にも困らねえぜ」
「……」
「おまえもきめろ」
「これ……何が入ってるの……」
「飲めばわかる」
アイがにやっとする。
アイが渡してきた怪しくブルーにひかるさくらんぼの乗ったカクテルがゆらめいていた。
薬物はやらないんじゃなかったのか、と鈴凛は思う。
「いい、いらない」
「飲んだらいいのに」
たぶん飲んだところで戦姫の肉体は問題なく分解できそうな気がしたが、鈴凛は絶対に飲みたくなかった。もうみんなに引きずられてどこまでも行くのはよくないと思った。それでは何も解決しないことはよくわかっていた。
「わ、あの人も……」
芸能人がたくさんいる。たくさんの人混みに見た顔があった。
「え……」
鈴凛はそのひとつに衝撃を受ける。
「え……咲?」
淡いブルーのワンピースを着た、一際色の白い美しい少女が男たちに囲まれていた。
−−咲ちゃんは全然ソロでいけると思うんだよね
−−ここはじめてなんだ〜
−−安島さんについていっておけば間違いないよ
「ちょ……え……」
アイが腕をひっぱる。
「花、こっちだ」
アイが珍しく強引に鈴凛をひっぱった。
「わたしちょっと用事が」
「いいから、おまえに特別なプレゼントがあんだよ」
ガラスの透けた階段を登ると、長い廊下があって、扉がいくつかあった。
「なにここ」
「いいからこっちこい」
「VIPルームだから」
「え?」
とんっとアイが背中を押す。
「じゃあ、あとよろしく」
アイがそう言うと、扉をしめた。
「え?!」
目の前に何人かの男の人が見えた。
−−おまえの芸能デビューだ
−−わたしたちと、本当の友達になれるよ……
ココのささやく声がした。
「開けて!!開けてよ!」
鈴凛は振り返ってどんどん扉を叩く。
「な」
「大丈夫だよ」
男の一人が言った。
綺麗な服を着て、それでいて下心を隠して高揚した男たちの顔があった。
「な……に……ここ」
「楽にしてもらっていいよ」
ベッドやら、謎の液体やらが目に入る。
何人かは下のプールに入るための水着なのかと思ったら、そうではなく下着しかつけていなかった。
「なんで……」
裏切られたなんて信じたくなかった。この夏に四人は友達になれたと思っていた。
鈴凛は怒りと悲しみとやるせなさが、心臓の裏のあたりでぐちゃぐちゃになるのを感じる。
友達なんかじゃ無かった−−
「ねえこっちきなよ」
鈴凛はぞっとした。
足がすくむ。
恐ろしかった。
鈴凛は強いはずなのにとてつもなく怖かった。
「……!」
「何飲む?」
五人の男がじわじわ距離をつめて寄ってきた。
「……みんな……!」
「大丈夫だよ」
男の毛が生えた手が鈴凛の腕を掴んでいた。
「やめ」
触れられた部分が汚くなったように思えた。
そしてはっとする。
友達になれるよ
ココが言った言葉が返ってくる。
大丈夫なわけがない。
ねえ わかってよ
わかってよ
わたしたちはもうすごく汚いんだ
帰りたくても帰れないんだ
鈴凛は空耳のようにココの声が聞こえたようなきがした。
「!」
ココがユカがアイが、はじめての時どれだけ怖かっただろう。
どれだけわけがわからなかっただろう……
こんな大人たちにいいようにされて—
そういうこともあるんだと無理矢理飲み込んで、吐き出せず、自分でまたその世界に無理矢理馴染んで忘れようとして。
「君もデビューできるよ」
「……なんで」
「大丈夫だよ」
「ほらこれ気持ちよくなれるから」
青い飴を渡される。それが普通のものじゃないことは鈴凛もわかった。
「新しいやつなんだ」
鈴凛はそれをココのカバンの中で見たことがあった。
「あなたたちは大人じゃないの?」
「ああ、全部、大人にまかせておけばいいよ」
「……まかせる……?」
鈴凛の肩に男の手がぽんと乗る。
「大丈夫、怖くないよ」
汚い口で笑うその知らない男を正面から見た時、鈴凛の中で何かがカチっと音がしたような気がした。
「……」
真っ黒な胸焼けが渦巻いた。その瞬間、この夏のことが全て思い出される。ユカの不機嫌、ココがホストにお金を渡す。アイが死体を燃やす。万引きをして走っていく。売春をしてネットカフェのシャワーに長く入って体を洗う音。
全部が嫌だった。
鈴凛はまっすぐに彼らを見た。
「……どうにもできない……でも」
「大丈夫だよっお?!」
鈴凛は肩に手をかけた男を背負い投げる。
「わ!」
男は勢いよくガラステーブルにつっこんで派手に割れた。
「な」
「な……んだ……このガキ……?」
「押さえつけろ!」
鈴凛の中にチラリと何かが燃えあげる。あの柊木勇吾たちをぶちのめした時みたいな暴力性が暴風のように膨れ上がった。何をしてもいいと本能が囁いていた。
びりびりと拳に血が巡って、赤い糸が踊っている。
「後悔させてやる」
男が言った。
「ぶっとばす!!」
アイが乗りうつったみたいな声が出て、5分もたたないうちに全員をぶっ飛ばしていた。
五人の男が高価そうなカーペットの上で倒れていた。
鈴凛は一人にまたがってまだ殴ろうとしてうふなつ自分に気がついて、飛び退いた。
「また……わたし……」
「はあ……はあ……」
息を整える。
「このままじゃ殺しかねない……」
「!」
「こんなことしてる場合じゃない。咲を探さないと」
ドアを蹴破る。
「はあ……はあ……」
廊下に誰もいない。
−−あーあ。派手にやっちゃったのね
ピアスから佳鹿の声がした。
「この人たちはやられて当然だよ」
腹の底から低い声が漏れた。
自分が誰かも知らない相手にこんなに強く怒りを感じることがあるなんて驚きだった。
−−まあそうかもね
−−玉手匣の必要がありそうですね
「他にもしてもらわなきゃいけないことがある」
鈴凛は咲を探す。片っ端から扉をひとつづつ開けていくと、みなが驚いた。
「どこなの」
もとのパーティー会場にもいなかった。
「あの馬鹿……こんなところに……」
鈴凛はブツブツ文句を言いながら、ひたすらに扉を開けていく。
「いない」
しかし、会場からひとつ階段を降りた階の、一部屋でついにみつけた。
「!」
普通の撮影スタジオで水着を着て咲は写真を撮っていた。
白い背景ポスターのまえでライトを浴びて綺麗な顔を微笑ませている。
「……鈴凛?」
咲の顔が驚いている。いや驚きすぎて固まっていた。
「なんでここに」
「帰るよ」
鈴凛はずんずん歩いて咲の手を取った。
「は?!」
「帰るの!!」
「夢なんてくだらない。何つけこまれてんのよ」
「はあ?!帰らないわよ!」
咲は手を振り解いた。
「汚い手で触らないでよ!」
「……」
鈴凛は咲を睨んで、その言葉は無視して咲に腕を回した。
「わ、なにすんのよ!」
鈴凛は構わず抱えあげて肩にしょった。
「離せ離せ!なにすんだ!」
暴れ回る咲を押さえつける。
「なんなの!離せブス!」
「なんでここに!!」
−−妹さんですか
−−放っておけばいいのに
「どんな極悪最低な子も、ここには、置いていけない」
−−なるほど
「どうにかして宇多に送り返してください」
−−翔嶺が近くに待機させてますので、むかわせます
しばらくすると、廊下に懐かしい日焼けした顔が現れた。
なぜかほっとする。
「翔嶺くん」
「はなせー!!」
「ちょっと!」
「翔嶺君、咲をおねがい」
「だれ……こ……」
翔嶺が、玉手匣をスプレーをする。
咲はぐったりした。
「アイをみつけないと」
−−さっさと袋詰めにして黒井哀さんを連れてくるしかありませんね
−−何度も騙されやがって
鈴凛はもとの水槽のバーとプールのフロアに戻って探す。人がさらに増えていて、アイをみつけることができない。
もう一度上のフロアに行ってみようかと思った時、ユカが怒鳴り散らす声が聞こえた。
「ハア?!ハナを売った?!」
「アイあんた汚い大人になりたくなかったんじゃないの?!ココはどこいったの?あんたたち何やってんのよ!!」
「金が必要なんだよ」
「なにそれ……あんたの歌はそんなもんじゃないでしょ!!……あんたの歌はお金なんてなくてもみんなの心を動かせるんだよ……なんでそんなこと……」
「ユカちゃん……」
「え……?」
大きな見晴らしの良い、プールのさらにその先を何かが落ちていく。
悲鳴がして人が落ちていった。
「え」
−−神器の破損を確認
−−屋上部に忌を確認
「まさか」
−−現状対象点より、線引きを2ブロック先まで展開
−−異界展開予測、2400。総員展開
−−屋上部に双頭の忌を確認
「上ですね」
「僕は彼女を連れて退避します」
ビルの屋上にふたつあたまの何かが見えた。
「なんだあれ」
アイとユカが見える。
きゃああああああああ!!
巨大な人形のようなつぎなぎのものが、空にバルーンのように立ち上がる。
「なんだ……あれ……」
その顔は見たことがあるものだった。
「コ……ココ?」
「わ」
−−わあああああ!
ぼたぼたと音がして何かが降ってくる。
鈴凛はパラソルでそれを受け止めた。硬化と紙幣が舞っていた。
「お金……?」
「あ!」
悲鳴と共にあたりが大混乱になる。
次の瞬間、注射器やカミソリが土砂降りのように降ってきた。
「ああああああああ!」
人々の肌が切られ、注射器がそこら中に刺さっている。降り続けているので顔が上げられない。
「く!」
鈴凛はパラソルを持ったまま、走る。
アイたちを安全な場所まで助けたいが、忌になったココを止める必要があった。
「く!」
鈴凛は指輪をすって、神刀を出す。
「首を!」
ヘリから佳鹿が飛び降りた。
「う!」
長い爪をよける。
「神衣服きといてよかったYO」
BBが容赦なく銃をココへ乱射する。
「あ、やめて!!」
「!!」
「え」
何かがが鳩尾にはいった。
衝撃がくる。
まずい—
背後から伸びていたバルーンのような手に驚く。
手は複数あったのだ−−
高いビルから体が離れて行く。足元に米粒ほどのおもちゃのような木や車が見えた。
足場がない—
まずい−−
「!!」
地上60階の上空に投げ出される。
あああああああ−−!!
ものすごい重力が体にかかる。
体の力が抜けて頭から落ちていくというよりは加速してった。体勢が立て直せない。
もう地面が−−
次の瞬間、頭から背骨にかけて破裂する衝撃があって、全て消えた。
*
「……?」
サイレンの音が聞こえる。ヘリの音も聞こえる。
煙の匂いがした。
目の前が水色だった。ビニール臭い。
「ぐあ!」
目の前のブルーシートを跳ね除ける。
−−ええ、ええ。ぐしゃぐしゃです
毛利就一郎が誰に話す声がした。
−−ひいいいいいい!!
自衛隊員が鈴凛を見て、顔面蒼白になっている。
視界が真っ赤だった。
鈴凛は額からまだ血が滴っていた。
「八咫烏とあろうものがこんなことでびびってどうするんですか」
最後の指が鈴凛に向かって引き寄せられているのがみえた」
「やっと起きましたか、上は大変なことになってますよ」
「う……」
転落してバラバラになった体が寄せ集まったらしかった。
「うう……」
必死に上を見上げる。穢レが立ち込めて、煙が立ち上っている。
焦げ臭い。視界がまだ真っ赤だった。
「……どうなって」
悲鳴とともに、次々人が落ちてきた。
「く……!」
ビルの屋上が燃えている。
ピアスをみつけて拾い上げる。
「あれからどれくらい……」
この事態をどう隠蔽するのだろうか……
−−はやく登ってきてYO!死んじゃうYO!
「わかってます……! でも、まだくっついたばかりで……」
鈴凛は足が動かなかった。
「動け……動け……」
鈴凛はやっとふらりと立ち上がる。
エレベーターが停まっており、階段で登るしかない。
「くそ……」
非常階段を全力でダッシュする。
「ろ……六十はやばい……」
やっと上に戻ってきた。
忌がいない。その代わりに光の柱のようなものが立ち上っている。
それはキャンプファイヤーみたいな炎の柱だった。
「え……?」
熱をもって近づけない。
「なにこ……」
「ああ!」
眩い光と共に燃え上がる。
「忌は」
「こいつが焼き殺した」
「え?!」
「友達が殺されて切れちゃったのよ!!」
炎はアイの体から発せられていた。
「もう一人の友達も落ちた」
「うそ……ユカが……」
「近づけない……!」
「哀!」
「止まらない」
「放水じゃとてもとめられない」
「燃え尽きるのを待つしかない」
−−あああああああああああ!
「燃え尽きるのを……待つ?」
鈴凛はその意味が受け入れられなかった。
−−規制線を後退させて、簡易結界作成
アイの体は火の精のごとく燃え上がって、中心部にうっすらと人型が見えるのみだった。
「何度くらいあるの? まずいわ、足場が。わたしたちも退避しないと」
佳鹿は鈴凛をじっと見た。
−−どんどん温度あがってます。炎の色から1000度くらいかと
羽犬の通信が入った。
「佳鹿?」
鈴凛は佳鹿に向き直る。
「……彼女は消滅するわ」
佳鹿が重苦しく静かに言った。
「なん……」
「穢レが強すぎる」
「え……?」
「誰も近づけない。残念だけど救えない。肉体がおそらく黄泉能力に焼き殺される」
「そんな……」
ココもユカも死んだ。アイも死ぬ。
誰も返ってこなくなったあの広々ブースが浮かんだ。
「じゃあ」
「自分は何をしにこの夏ここにいたの?」
夏の空に馬鹿みたいに入道雲が浮いていた。
「……しかたないこともあるのよ」
佳鹿は首を横に振った。
鈴凛は怒りが湧いてくる。
「だめ……」
「……?」
「絶対にだめ……」
「百姫様……?」
鈴凛は炎に近づいてみた。近づくだけで熱で指先が溶けた。
「……!」
「無茶です」
鈴凛はもう一度試そうと、足を踏み出した。
−−あなたの名前も知らない人でしょう!
毛利就一郎が通信機から叫んで、鈴凛は足が止まった。
「……」
「やめなさいておきなさい。あんただって無事に戻れるかどうか。全細胞が燃えたら復活できないかもしれないでしょう」
佳鹿が言った。
「赤の他人のために死ぬなんてやめましょうよ。青春をするんでしょう? 夏川さんが宇多で待っているんでしょう」
「!!」
鈴凛は心臓がどくんとした。
「他人」
わたしは友達でもないのかな?
鈴凛はその時、手首の糸がゆらめいて、何故か映像がフラッシュバックした。
素戔嗚が八岐大蛇の尾から神器を取り出した時の映像だった。
「……」
赤い糸を手に纏ったその姿が浮かぶ。
「そうだよ……わたしたちは……」
鈴凛はなぜかそう呟いた。
「……?」
「できるきがする」
「この糸をまとえば……きっとこの体は守られる。穢レの力はこの世界の理を越えるって田心姫様も言っていた。これが湯津爪櫛なら、見るだけで殺す力からも守られる……」
「そんなことわからないでしょ! 気がするって、あんたバカなの?!」
佳鹿が本気で怒って叫んだ。
「……でも」
赤い糸が大丈夫だよと囁いた気がした。
「わからないけど、信じられる」
「糸ちゃん……がそういっている気がする」
「そういっている気がするって……そんな穢レの糸。あんたを死の国にでも連れて行ってしまう気かもしれないわよ」
「……」
鈴凛は首を横に振った。
「佳鹿、アイが死んじゃう」
「……!」
佳鹿の目が震えた。
「この子はもう友達だよ、佳鹿のせいで」
鈴凛はにっこりと笑う。
「大丈夫だよ、わたしを信じて。拘式谷の時みたいに」
「……!」
「糸ちゃん……お願い……わたしを守って……」
その瞬間、赤い糸が勢いよく体に巻き付いた。
鈴凛の体が赤井羽衣のような服に包まれる。
「熱くない……」
「大丈夫……怖くない!」
鈴凛は哀に手を伸ばす。
赤い糸は鬣のように鈴凛の体か溢れ出す。髪にまとわりついてそれは静電気を浴びたみたいに鈴凛の髪を逆立ちさせる。
「呼応して湯津爪櫛が……」
「拘式谷のときみたいだよ」
「ライオンの鬣みたいに……」
「でも燃えてるYO!」
徐々に熱くなってくる。
「!!」
アイの肩に触れた。
「あ!」
繋がった—。
鈴凛は哀に触れた時思った。
小さな女の子が叩かれて、蹴られている。
いた痛いと叫んでいる。
はじめてのココやユカとの出会い。
去っていく男の背中。
燃えている家。
断片的な記憶が流れてくる。
「走馬灯……」
哀の走馬灯がすぎていく。ココとナツミの毎日、施設らしい場所、ヤクザみたいな人に殴られたり、バットを振り上げて人を殴っている所—
「……アイが死んでいく」
鈴凛はそれを感じ取った。
そして、次の瞬間、おおきな天と地が見えた。
鈴凛はビルから落ちたのと同じように猛スピードで底なしの地に向かって落ちている。猛烈な力で下に引き寄せられていた。
すぐそばでアイの体も落ちているのが見える。
「これは……!」
下に真っ暗な闇が見える。
落ちたら……あっち側だ……
鈴凛は悟。
「アイ!起きて!」
「まずい死んじゃう!!」
アイを呼ぶココの声が下からする、
−−アイー!!
「ココ……?」
アイが目を覚ます。
「アイ!!」
「ココ?」
アイは下の闇を見つめて笑った。
上田三枝を止められなかったことが思い出された。
動け、体、動け、動け!
鈴凛は体をよじってアイに飛びついた。
「お花畑……?」
「死んじゃだめ!」
「離せ。おまえまで戻れなくなる」
上に引き上げるんだ。
死に、戻れなくてもーー
アイの手を掴む。
「離さない」
でもどうやって上に戻る?鈴凛は焦っていた。
赤い糸がライオンのように筋をひいてゆらめている。
「離せ、ドアホ!」
「離さない!」
鈴凛は必死に腕を伸ばすと、掴んでいた。
天と地でちゅうぶらりんになっている。
未来妃がいつかそうしてくれたみたいに。
「糸ちゃん、翼になって!!」
鈴凛の背中に赤い翼が生えた。
「うそできたすごい」
「離せ!」
「死んじゃだめ!」
「もう死にたいんだよ!」
一層体が重くなる。
アイの痛みが伝わってくる 見えない痛みがつながってくる
アイのいままでの人生や環境はとても、いいものじゃない。
でも今からだって取り戻せる。
死んでいいわけがない。
未来妃の顔が浮かんだ。
「一緒にかえろう」
「!」
アイが目を見開く。
「一緒に帰ろう……」
ぎゅっと繋いだ手に力を込める。
「重い−−」
「!!」
無数の腕が哀の足を掴んでいる。
「く……」
「だめだ……」
無数の霊のようなものが、まとわりついて登ってくる。その数はどんどん増えていく。
もうだめだ。
手が持たない。
わたしだって、こんなところで死ぬわけにはいかない
「……いけよ」
哀が笑った。
「騙して悪かった」
「今−−」
アイを見ると、哀の体は消えかかっており、透明になってきていた。
「アイ……?」
透けた体の心臓のあたりに光り輝く勾玉のような形をした渦がみえる。
「あ……」
その美しさに魅入ると、光る勾玉型の螺旋の構造の中に小さな動物や人が並んでいるのが見えた。
「あれは……」
鈴凛はそれを拘式谷で自分が死にかけた時に見たものと同じだと思った。
「魂−−」
鈴凛はそれが直感的に何なのか悟る。
「え……」
アイのそれは、尾のほうから、巻きが弱くなり、キラキラと燃焼して燃え尽きて小さくなるように、ほぐれていきはじめていた。
「だめ!!」
「あたしの分まで生きろ」
「おまえの友達が待ってんだろ」
「……だめ!!」
手が離れる。
「未来妃にアイの歌きかせてよ!!」
「!」
「アイの歌」
哀の体が消えて、手の中から掴んだ感覚が消えた。
「また……今度な……」
「だめ!!」
−−そう……だ…… アイの歌……またききたい
ココの声がした。
下の闇から猛烈な風がふき上げる。
「!!」
鈴凛は天へ突き抜けて行った。
*
「……?」
アイのすすけた顔が目の前にある。
「あれ……?」
二人して素っはだかで手を繋いで向かい合っていた。
ヘリコプターのバラバラいう音と、煙の匂いと、人々の声がした。
「なんだこれ……」
「助かった……」
「服は燃えるんだ……そりゃそうか……」
燃えてすっぱだかの裸体が夜の光の中にあった。
「生きてら……おまえ……思った通りひでえ貧乳だな……」
鈴凛の頭は朦朧としていた。
「……おまえ……彼氏いんのか」
アイは何を言うかと思えばそんなことを言った。
「金髪とキスしてた」
「わたしの記憶がみえたの……?わたしも死にかけて走馬灯がつながったのか……」
鈴凛の体は無事だった。
「あの炎に耐えたのね」
佳鹿が涙ぐんでいた。バスタオルで二人をくるんでくれる。
「全く無理して!!」
「友達のために炎の中に命懸けで飛び込むなんて!」
「この子たちったら!推せるじゃないの!もう!」
「だれだこのオカマ……」
「湯津爪櫛は不可能を可能に変える。本当だったんですね」
羽犬が言った。
「無着衣で復活とは、エロいですね」
毛利就一郎がにっこりとして笑った。
「ココが噴き上げてくれた……」
鈴凛も呆然と言った。
「あれは……なんだったんだ」
「−−!」
「助かった……」
「あたしあんなに燃えて……おまえ……なんで生きてんの……おまえ何なの……」
「……ココ……ユカ……」
アイは灰を握りしめた。
「痛……いたああああ」
今更痛みがやってくる。鈴凛は崩れ落ちた。足が真っ黒になって崩れ落ちた。
「あああああああ!!」
「大丈夫?!」
黒くなった細胞のカスが必死にくっついている。
「集まろうとはしているようですが」
「箒もってきてー!!」
毛利就一郎が掛け声のように自衛隊員に叫んだ。
「みなさん!この人の足を集めてください!できる限り!」
毛利就一郎が叫んだ。
「いたいよおおおおお!はやくしてええええええ!!」
「だから無理だって言ったYO」
足が焼け焦げていた。
「集まりが悪いわね……」
「本当に、焼死んだらもう戻れないのかもしれませんよ」
「無茶するからもう……」
*
「ご無事でなによりです」
天雅真澄が笑っていた。
アイと鈴凛は天雅家所有のホテルの最上階にいた。
鈴凛は車椅子に乗っていた。アイはホテルのモーニングをがっついている。
久しぶりのまともな食事に鈴凛はほっとした。
「まったく……」
毛利就一郎がため息をついて部屋に入ってきた。
「まあいいじゃない?」
「どうしたんですか?」
「誰かいないことに気が付きませんか?」
「あ、拘式さん……」
「あの人すぐに宇多に帰っちゃったんですよ」
「え?」
「体調が悪いとかで」
「そうなの……」
そういえば拘式のことをすっかり忘れていた。
「ココの声がした」
「死者たちは向こうの世界で生きているのかも」
「あああたしもココをみたぜ」
「アイの死後の世界を見た。あの歪んだ坂の世界と、螺旋の世界も。アイの中にもたくさんの人が並んでいる場所があった」
「あたしもみたぜ、後ろのげじ眉のやつが、ほらいけよ!って言ったんだ」
「あれは何なんだろう……二人ともみたんだ。きっと存在してる」
一度死にかけねば触れられない世界。
「あれが……死後の世界……穢レがやってくる世界……死者の世界……」
隠世とはいったい何なのだろうか。
「ねえ糸ちゃん」
「記憶が駆け巡る走馬灯現象や、第三者が戻してくれたり声をかけてくれるサードマン現象は脳の錯覚と言われています」
天雅真澄が言った。
「脳細胞は活動を停止する前、活性化し、バグをみえる。これが浮いている体験や死んでいる人が押し戻したとかいう体験に繋がるそうですよ」
「はじめて島津さんの記憶を見たとき、知ってほしいんだと思った。でもそうじゃなくてこれは共通する現象なのかも、いや本当にあるのかも。だってアイも見るなんて」
「どうして死ぬと記憶を見るんだろう」
「それも走馬灯というやつで、それも脳の錯覚現象でしょう」
「まるでフィルムが巻き取られるみたいに……どこに……」
そう言ったとき、あの螺旋の回廊に巻き取られている、と直感的に鈴凛思った。
でもあの螺旋の場所は何なんだろう?
「幽体離脱もそうです」
「人間の脳はいつも器に入っているという錯覚を構築している。死ぬ時はそれにバグが起こり、ありえない体験をするんですよ」
−−ちょっといいですか
「はい」
天雅真澄が出て行った。
「そうそう。新姫様、百姫様のキスのことは黙っていてくださいね」
「……!」
「佳鹿様が発狂してしまいます」
「……」
「戦姫は照日ノ君の花嫁なのです。これはおいおい説明しますが……お願いしますね」
「わたしの記憶までみえちゃうなんて、これは私特有の力だと思っていた。隠世って何なんだろう……」
毛利就一郎も出て行った。
「……それが禁忌の隠世の真の姿なのかもしれませんね」
翔嶺が遠慮がちににこりとして笑う。
「誰も見たことがない……心を見ることができるという神さえも。だから誰も確かなことは言えないです」
「ひどい雨だな」
外はどしゃぶり雨が降っていた。
「考えてみれば、死者の世界に……穢レた力に……どうして八岐大蛇を封印する力や、特殊能力を発現する力……誰かを救える力があるんだろう……」
「ゾンビみたいなものなのかな……」
「違います」
翔嶺が珍しく遮った。
「あの夜……湯津爪櫛……いえ、天羽々斬は、本当に赤く力強く輝き、生命そのものの美しさのように感じました」
翔嶺が言った。
「穢レという言葉がそぐわないほどに」
「……翔嶺くん?」
「霧姫様の幻想霧の力も同じです」
「隠世、それは禁忌ですが、美しいのです」
「これは僕なりの考え方ですが……この雨も地下に染み込み、水脈になる」
「川になり、雲になってまた雨を降らせる。命の可能性の源になる」
「死者たちの世界、大地に帰った力。それはつまり命が解れて還った世界。死者の世界は生命の力が満ち溢れている、可能性に満ち溢れているというふうにも考えられませんか?」
翔嶺が小さく言った。
「こいつは坊さんか何かなのか」
アイがしらけて言った。
翔嶺は少し恥ずかしそうになってそれ以上部何も言わなかった。
*
それから数日後、毛利就一郎が嬉しい知らせを持ってやってきた。
「お知らせがあります」
「ユカさんは助かりました。BBがひっかかっていたところを助けてましたよ」
「ほんと……?!」
「……よかった……」
アイは涙していた。
「今都内の病院にいます」
「どこの病院?」
「会いに行かない方がいいわよ」
佳鹿が真顔で言った。
「え……!」
「今こそチャンスよ何かを変えるべき」
「あの子はわたしたちがいいように計らってあげる。だからあなたはわたしとくるの」
哀はじっと布団をみつめた。
「佳鹿、それは……」
「あなたはわたしたちと来るの」
佳鹿が言った。
「……アイ」
「……そうだな……あたし行くよ」
「!」
「あたしはいないほうがいいんだ」
「ユカもココもあたしがいたから、売春できたんだ」
「金を払わないやつをブン殴ってやったから。でも逆を言えばあたしがいたらかいけなかったんだ。いないほうがいいんだ」
「アイ……それは……」
「この力はよくないものをあいつに近づけるだろうし」
「ココが死んだのだって……」
「……」
「あいつがどこかで元気にやってくれてるなら、それでいんだ」
哀は急に大人びてそう言った。
「仲良くなる前に、お別れしたほうがいんだ」
「アイ……」
「あんたってば……もう十分すぎるくらい仲がいいくせに、優しいわね」
佳鹿がうるうるなってくる。
「う、うるせえ!ちがう!」
アイはぷいっと顔を背けた。
「……」
「……たまに、ユカを遠くから見るのは、いいだろ?」
後ろ姿のまま、アイはやや遅れてそう言った。
「ええもちろん。もちろんよ!」
佳鹿が笑った。
「こっちでもう一度、よさそうな施設に戻しておくわ」
「見守ってあげなさい、戦姫のその長い時をかけて」
「彼女がまっとうになれるまで」
「……け、なにがまっとうだよ」
「そう……だね……」
鈴凛は呆然と相槌をうちながら、指先が震えた。
自分はいないほうがいい−−。
鈴凛は胸が痛かった。誰かの言葉がまたブーメランのように軌道を急に変えて鈴凛に突き刺さる。未来妃が浮かんだ。
拘式があの合宿で言ったことが思い出される。
未来妃と一緒に青春をすること。
でもそれは同時に、鈴凛の存在自体が未来妃を危険に晒す。
未来妃と一緒に青春すること。
それは死んだことにしてここを去る時、未来妃をとてつもなく傷つける。
「それに……いくしか……ないんだろ……」
アイはぽつりとつぶやいた。
「うん」
「よかった」
「勘違いすんなよ、お花畑!お、おまえに説得されたわけでも、おまえの親友になったわけでもねえからな!」
「はいはい」
「おまえの、一緒にかえろうの奴を、みてやってもいい、歌ってやってもいいって気になっただけで」
アイはごにょごにょと言った。
「……未来妃のことね」
「てかおまえは、名前は何なんだ」
「ああ、名前か」
「鈴凛だよ」
「……りりか、やっぱりお花畑みたいな、ばかっぽい名前だな」
「なにそれ」
「できましたよー!」
毛利就一郎がくるりと回って、何かをぽんとテーブルに置く。
「なにこれ」
柔道着をきて肩を組んだ哀と鈴凛が写っていた。
「なんだこりゃ」
「全日本サラコマンダー大会の捏造された柔道大会の写真よ」
「彼女はあなたの華麗なサラコマンダー武術に魅了されて」
「自分もこの佳鹿師範に弟子入りしたいと思った」
「あなたは本気でやりすぎて、足を骨折した」
「ナイスな筋書きでしょ」
「ナイスなのかなあ」
*
東京を去る夜、アイが肩車して飛行機の座席に座らせてくれた。
「まったく手がかかるやつだなあ」
「誰のせいよ」
−−まもなく離陸します
「あばよ……」
夜の東京の灯りをずっと哀はみつめていた。
しがらみも、友達も家族も、家も全て無くなった。
アイは持っていくものがほとんどなかった。
哀がもっていたものはきっと少ない。でもその全てに、今までの全てに別れを告げたのだった。
「ユカ……頑張れよ」
鈴凛はふとユカを見守り続けるアイを想像した。結婚して、子供ができて、孫ができて、歳をとっていき、最後に病院で命を引き取る時をそっと窓の外から見守る哀を想像した。
哀はその時どんな顔をしているだろう。わたしは哀に何て言うんだろう。
「……」
飛行機は宇多に向けて飛び立った。




