バスケ部の合宿
「やばいもうこんな時間」
夏休みに入ってすぐ、インターハイに向けた強化合宿が行われることになっていた。
ギリギリまで勉強していたため、気がついたら集合時間まであと少ししかない。
今日子は父の初盆ということもあって、どこかに電話をかけている。
「あんたは暇なんだからお父さんの法事くらいでなさいよね」
「自分だって出ないでしょ」
鈴凛が珍しく合宿用の荷物を詰めていると、咲が不機嫌そうに教科書をみていた。
「あんたが男子バスケットボール部のマネージャーなんて、かわいそうね。どうせ未来妃ちゃんの引き立て役でしょ」
久しぶりに咲を見ると、こんな顔だったかと思った。
可愛らしい顔がさらに色気みたいなものをまとっている。
相変わらず嫌味をさっそくぶつけてくるあたり、機嫌が悪そうだった。
「……」
顔は違えど、備わっている頭脳はそう変わらないらしい。クーラーの効いた部屋で山積みになった教科書が積んであるのをみると、咲も追い詰められているらしいことがわかった。
「テストやばいんだね」
鈴凛はにやりとして言った。
「やばくないわよ。あんたと一緒にしないでよ」
咲の顔にはずばり言い当てられてさらにイライラとしたものが浮かんでいた。
ツインクル……つまり咲のアイドル活動が順調らしく、咲も家を開けることが多くなった。ツインクルはそこそこの人気がでてきて、東京やら大阪でライブが開催されているらしい。そのせいで咲も勉強がやばいのだろう。
「いってきまーす」
鈴凛が楽しそうにしている、いや出かけられることが咲には気に入らないらしかった。
学校の校門に来ると、強い夏の日差しの下で未来妃が拘式につめよっている。
「住田先生がくるってどういうことですか」
「おまえらは女子だ、引率に女の教師がいるだろう」
「いりませんよ!」
「いる」
「いりません!」
「あの……」
「!」
「おはようございます」
鈴凛の後ろにつばの広い帽子をかぶった女性が立っていた。
「うわ……」
それは住田だった。
住田は綺麗な小花柄のワンピースを着ている。
「え……」
拘式となにかを打ち合わせはじめる。
「なんであんなに仲いいの」
未来妃がわなわなとする。
「歳も近いし、住田は好きなんじゃね?」
熊野が言った。
「私欲で我が部にくるなんて許せない」
自分達も誰かが目当てでマネージャーになったようなものなのに未来妃の言い分はひどかった。
「副顧問をすることになったからよろしくね」
住田は別人のごとく大人の余裕をみせてにっこり笑ってバスに乗り込んだ。
「……」
「やばい……あんな嫌な女にとられるなんて……絶対嫌だ」
未来妃は恐ろしい闇を含んで言った。
死神がなぜモテているのか謎でしかなかった。
「やば……そんなどうでもいい……時間がないんだった。単語帳」
「そう!!時間が無いのよ!!」
未来妃は鈴凛に向き直ってぶんぶん肩を揺すった。
「わ……え?」
「わたしたちには時間がない!!」
「というと……?」
未来妃は戦姫の訓練も、高天原にもいかなくていいし、再テストの勉強も無いからじゅうぶんに時間があると鈴凛は思った。
「だって夏が終わったら秋でもう三年生になっちゃう。受験地獄になっちゃうのよ、そしたらもう青春の恋をする時間もない。つまり二年が勝負よ」
「なるほど……」
未来妃は席がなく、前の方にぴたぴたにくっついて座った拘式と住田を見る。
「ダブルデートするためには、まずわたしたちがそれぞれ付き合わないと」
「鈴凛はもう周馬といい感じだからいいわよね」
「そ、そうかなあ……」
全然そうは思えないと思いながら鈴凛はぼんやりと返事をする。
「この合宿で熊野には協力するように言ってある」
「え、何を?」
「決まってるでしょ、告白するのよ!」
「ええ!!!?」
「この夏に告白する。まさにこの合宿はそのチャンスでしょ? わたしは先生に、鈴凛は周馬に」
確かに、ダブルデートすることが目標だった。
でも忙しいからなのか、鈴凛は全く自分が周馬に告白するところがイメージできなかった。
「夏川は恋愛で、源は勉強か。部の命運をかけた合宿だというのに……」
熊野が言った。
「インターハイなんてどっちでもいいわよ」
人のことは言えないが、ひどいマネージャーもいたものである。
「周馬がうまいってだけで、人生かけてる選手をわんさか抱えている強豪校に勝てるわけないでしょ」
「夢を壊すな〜」
「ちゃんと洗濯されて、飲み物が作られて、スコアつけてもらって文句あるわけ?」
「でもごめん。わたしも……絶対再テストに……わたし合格しなきゃやばい」
「そりゃそうだろうけどよ……」
のほほんとした熊野が悲壮感を込めて言うと本当にやばい気がしてきた。
「合宿終わったら、勉強一緒にしよう」
「サラコマンダーの大会と合宿も控えてるんだ……」
「それ……大丈夫なの?」
「武術は逃げないでしょ、
バスから眺める風景は本当に田舎の村のように寂しげな場所だった。
鬱蒼とした山道をぐんぐん進んで行く。
「なんとか……なると思う」
「どうも、こんにちは。こんにちは。」
バスが着いたのはもう夕暮れ時だった。
つなぎ姿の老人がでてきた。麦わら帽子の下から日焼けしてしわくちゃになった顔が覗いている。
「遥々遠いとこから、ようこそ」
「よろしくお願いします。」
建て替えられたばかりなのか、合宿所は大きくは無いが新しかった。
「うわー何もねえ」
「でも施設はピカピカ!」
「まじかよ」
「なんでこんな所にバスで2時間もかけてくるわけ?」
部員たちはぶつぶつと不平を言った。
「荷物を置いて広場へ集合しろ」
合宿所の施設案内が管理の人から一通り説明があった。
「ではまずはじめに、安全祈願を行いましょう」
「裏の神社にお参りにいくのよ」
住田は急にしおらしくなっている。確かに拘式が好きなのかもしれないなとも思う。バツイチだが年齢的にはちょうどよさそうである。
未来妃は住田を後ろから睨んでいた。
「さあ、無事を祈って手をあわせましょう。」
「インターハイで優勝できますように」
「初戦をまず突破できますようにだろ」
「俺たちは強豪校でもないんだから」
「スタメンになれますように!」
「晩御飯が大盛りでありますように」
周馬が何も言わずに手をあわせていた。
「……」
鈴凛はふときいてみたくなる。
「周馬の夢って……バスケットボール選手になること?」
「NBAにいくんだろ」
他の部員がちゃかす。
「うん」
周馬はあたりまえのように答えてみせた。
「えぬ……」
それ何とも聞けない。
未来妃が耳打ちしてくる。
「アメリカのプロリーグよ、バスケットの聖地みたいなとこ」
「へ、へえ……」
え?
「アメリカ……」
鈴凛はその響きが遠すぎて重すぎて言葉につまる。
「今より」
「もっと」
「遥か上にいきたい」
「……」
「あの雲より高く!」
シュウマは冗談めかして言った。
夏の空はどこまでも高い。はっきりとした入道雲が浮いている。
鈴凛はまたあの眩しいと言う感覚と、自分に影ができる気分になる。この眩しい太陽のもとで鈴凛は目があまりよく開けられない気がした。
美しい横顔が鈴凛に悲しみを運んでくる。
きっと周馬が言うのならそれは本当になってしまう気がした。再来年には周馬はもうアメリカに行ってしまうのだ。
周馬が見ているものはどこまでもはっきりしていて、輝かしい未来に真っ直ぐに向かっていく気がした。
「……」
戦姫になって、いじめられなくなっても、綺麗になっても、全然近づけない。
見た目だけじゃない。未来妃はああは言ったが、この合宿で周馬に告白なんて、鈴凛にはまったく想像できなかった。ただそばでこうして未来をみている周馬のそばにいられたら、それだけでよかった。
*
体育ホールにボールが跳ねる音がする。部員たちはミドルシュート100本を練習していた。
鈴凛は日本史の教科書を開いていた。
「よし、このへんは覚えた。次は……」
「鈴凛また勉強してるの?」
「うん」
一日中練習するため、合宿三日目に突入すると、部員たちはヘトヘトになってきていた。ボール拾いにマネージャーも多いそがしだった。
「先生厳しい……部員たち大丈夫かしら」
未来妃が心配そうな声をあげる・
「……ねえ鈴凛」
「え? ああ……うん……」
鈴凛は数学の青チャートから目をあげる。
未来妃にはそう答えたが、鈴凛は全然生ぬるいと思っていた。
拘式のメニューは確かにいつもよりはハードだった。だが夜中の鈴凛に与えている訓練に比べたら、優しすぎると鈴凛は思っていた。
部員たちをみていると、いくら周馬がうまくてもインターハイに出られるとも思えない。
「ん……」
未来妃は身を乗り出した。
「鈴凛、なんでここやってるの?」
「え?」
「ここテストの範囲と違うよ」
「ええ?!」
「うそでしょ……」
テスト範囲を間違えるなどあるだとうか……しかも再テストなので一度見て、受けた範囲である。
そこまで馬鹿な話があるだろうか……
「ほんとだ……」
鈴凛は全力で勉強していた。
鈴凛は合宿中は訓練が無くなって、筋トレもさぼり、夜中も日中も心置きなく勉強していた。
心置きなく全然違うところを勉強していたのだ。
「鈴凛ちゃん先輩、来年は僕の学年に降りてくるんだね」
坂本鉄がにっこりとしてそばに座る。
「楽しみだねえ」
邪悪な笑顔を浮かべている。
「……」
鈴凛は呆然とした。
夜中テスト範囲を確認する。なぜだか前回のプリントを鈴凛はみていた。
「なんでこんなアホなこと……!!一回テスト受けといて間違えるってある?!」
いかに自分がやばすぎるかがわかる。
鈴凛は枕に頭を何度も打ち付けた。
「やばい……やばい……やばすぎる……」
一からやり直すしかなかった。
「まだとりかえせる……大丈夫……」
みんなが寝静まってから、ふとんの中に携帯のライトで付箋を貼り直した。
*
浜辺が傘だらけになる。
未来妃がアイアイ傘に自分と拘式の名前を書いていた。
合宿の最終日の前日、ついに待ちに待ったBBQの日がやってくる。
「多すぎてこえーよ」
熊野が浜辺を見渡した。
「祈りというより呪いだなこりゃ」
「いっこだけ鈴凛のにしとくね」
「え?……えーと……点Pから」
特に数学には苦戦していた。
鈴凛は水着にパーカーを羽織って問題集を持ち歩いていた。
「鈴凛、水着脱ぎなよ〜可愛いのに。あ、髪、くくってあげる」
地元のサザンパークで買った、淡い桜色のビキニ。腰のところには、フリルのスカートがついていて、腰のところに赤いハートの刺繍がある。
未来妃が選んだものだった。
ピンク色に嫌気が差している鈴璃は、避けたかった色だったが、未来妃は絶対にこれを買うべきだと言って、聞かなかった。
「まだいいや」
「鈴凛、癖が減ったね」
未来妃が髪を櫛でとかしていく。鼻歌まじりで触れてくる指がきもちいい。
小学校の頃、二人で髪を結んだりして遊んだことを思い出す。シロツメクサやたんぽぽをさしたりもした。
「そうかな……」
未来妃の手が鈴凛の髪を真ん中でふたつに分けて結び、編みはじめる。
「!」
少し頭をひっぱられながら、鈴凛は教科書に集中した時、ふとはっとする。
上田三枝が迷いなくヘアピンで前髪をとめてくれたことを思い出した。
「もう……あれから随分……」
「え?」
「なんでもない……」
夏の海の輝きを見つめる。
『死んだ人を覚えていることはできるよね』あの発言が愚かしく今になって感じる。どれだけたくさんの人が死んでも、いつもその人たちを考えておくことはできない。
忘れていく。忘れてしまう。
頭から消えている時がある。
勉強に恋に戦姫の活動に押しやられて−−
快晴のおかげで、海はまばゆい光をはなっていた。蝉が鳴くのがよりいっそう田舎の海を感じさせる。季節が変わり切ってしまったのを感じる。太陽からの熱がギラギラと降ってきた。
「よしできた!」
「海いこ!」
「きもちいい〜」
「みんなまだかな〜」
「パーカー張り付くから置いてくる」
未来妃が海に浸かって首だけだして浜辺をみている。
「なにしてるのー?」
−−車きたみたい! ねえ鈴凛、先生にわたしが溺れてるって嘘ついて!
「え」
−−そしたら先生さすがに助けにきてくれるかも!
「ええ……」
−−だって先生わたしにちょっと触れられるのも嫌がるのよ!
だからこそやめたほうがいい気がした。
「あの優等生がそんな嘘とは……本気だな」
熊野もため息をついた。
「はあ……熊野君、わたし忙しいから未来妃が溺れてないか見張ってて。確かあんまり泳げなかったと思うから……」
「OK」
潮の匂いが浜辺に漂っている。
遠くのほうに漁船が僅かに見えるだけで、人がいない。
岩場を持った海岸に寄り添う水面は、青く深い。
「ラムネ!」
「水着!!ビキニ!!」
「こんな時でも勉強してんだ……ね」
「え……」
どかどかと集まって、男子たちがぎょっとする。
「?!」
「鈴凛ちゃん……」
「けっこう鍛えてるんだね……」
一人が唖然として言った。
「へ?!」
腕には筋がうき、腹には腹筋が浮いている。鈴凛は毎日の訓練で自分が肉体改造されていることに気がついていなかった。
日焼けもしていないのでますます気味が悪い。
「俺より……ムキムキじゃん」
周馬が言った。
しまったと思ったが遅かった。
「源はなんか武術やってんだろ」
熊野が説明する。
「あー……と、そうなんだ」
「え……なんか古傷みたいなのあるけど」
「あー……これは、えーと……小さい頃、転けちゃって」
「へえ……」
全員が何箇所かのミミズのような再生跡を見て少し引いた様子があった。
「あはは……」
気まずい空気が流れる。
「俺たち……荷物持ってくるか……」
「あぶなかった……」
「気が緩みすぎだぞ、筋肉でまともじゃないことがバレるだろうが。服を着ておけ」
拘式がイライラした様子で言う。拘式は相変わらずの黒い長袖長ズボンだった。
なるほど、と思う。いつも手足を出さないのは、元暗殺者の知恵だったのかと思いながら、その格好はさすがに海ではどうなのかとも思う。
鈴凛は言っても言い合いになるだけなので、教科書に目を落としてた。
勉強……
「あ……」
未来妃のことをすっかり忘れていた。
−−せんせーい!!
病弱な白い手が浅瀬でぶんぶん振られていた。
未来妃が待ちきれなかったらしく、自ら海から叫んでいた。
−−わたしー! 溺れてます! 夏川、溺れてます!
「あの馬鹿は……何をやっている」
海に目を向けて目を細めた。
「先生に助けてほしいんですって」
「なんだと」
「迎えにいけば気が済むと思います」
「……」
拘式は少し考えた後、くるりと背を向けて荷物を整理しはじめる。
「……」
鈴凛は胸がちくりと痛かった。未来妃と拘式にはくっついてほしくは無い。年も離れているし、この男は残酷だし、容赦ないし、夏でも厚着で血色が悪い。
でも未来妃の気持ちは痛いほどわかった。友達だからこそ、まるでつながっているみたいに。
いたたまれないほどに。好きな人にこんなふうにされたら辛い。
さすがに冷たすぎた。
「未来妃は真面目だから、拘式さんがあからさまに拒否すると、余計に躍起になるから……ほらもう少しやさしくして、頃合いをみてやんわりとお断りするとか……」
くっついてはほしくないが、思わずそう言ってしまった。
「たいそうな優しさだな」
拘式が嫌悪の声でそう言った。
「くだらない馴れ合いの記憶を量産して」
「……?」
未来妃は告白すると意気込んでいたが、もう何度も告白して、何度も木端微塵に拘式に振られているのも同然だった。
悲しいやら、たくましさを尊敬するやら鈴凛は複雑な気持ちになっていた。
「最後にそれを奪う」
「……?」
「それが優しさか」
「……!」
「偽装死しておまえはここを去る」
拘式は目をたまに海に向けているものの、未来妃のもとに行く気配はない。
「それを忘れるな」
鈴凛はそれが普通の社会の人間と一線を引くという八咫烏の、プロの意識のつもりなのかもしれないと思った。
たのしい記憶を作って、突き放す。
未来妃を危険に晒すかもれないと考えたことはあった。自分がいなくなることで最後に未来妃を傷つける……そんなふうに考えたことはなかった。
「わたしがいなくなったら……未来妃は……立ち直れないほど傷つくのかな……」
恋人との死別でそういう話は聞いたことがある。友達でそういうことがあるのだろうか。鈴凛はピンとこなかった。
確かに自分も離れたくない。もう二度と未来妃に会えない。
それがどういうことなのか想像もできなかった。
未来妃は拘式が大好きすぎてまだ手を振っている。無邪気な笑顔で夏の海で笑っていた。
*
最後の日の午前中、鈴凛はゴミ出しに行っていた。
「野山に混じりて竹をとりつつよろずのことにつかいけり……」
古典の教科書を読みながら歩く。
−−なあなあ
廊下で鈴凛は耳が冴え渡ってしまう。
−−ぶっちゃけ、どっちがいい?
鈴凛は固まってしまった。男子たちが話をしている。
−−夏川って硬いよな、拘式のストーカーみたいだし
−−源って最近ちょっと可愛いかなって持って思ってたけど、あの腹筋はないわ〜
−−あいつは不潔だったからナシ
−−てかなんであいつはあんなに勉強してんだ?
−−馬鹿すぎて留年の危機らしいよ
−−うける
−−あえてあのマネージャーから選ばなくていいだろ
どっと笑いが起こる。
−−やっぱ来田さんだな
鈴凛はずーんと空気が重くなった。自分ではけっこういけてるのではないかと調子にのっていたことを思い知らせる。
お昼のカレー調理実習のあとの洗い場に戻ると、未来妃が熊野に何かをこんこんと話している。
「という作戦よわかった?」
未来妃が熊野に何かを話し込んでいる。坂本はもくもくと作業をしていた。
「……」
鈴凛は打ちのめされたまま戻ってきた。
自分がいかに調子に乗っていたバカか今思い知らされた所だった。
「あ、鈴凛どこ行ってたの?」
洗い場で熊野と未来妃がお皿を洗っている。
「うん……なんでもない……」
鈴凛のメンタルはボコボコになっていた。
「もしかしてもう告白しに行ってた?」
未来妃がすかさず聞く。
「はあ……違うよ……告白告白って……今でも十分楽しいし、このままでもわたしはいいかなって」
鈴凛はイライラしてそう言った。
坂本が珍しく口をはさむ。
「怖いだけだろう」
「え……」
鈴凛はぎょっとした。
「今の関係を壊わして取りに行く勇気もない」
「……」
空気がピンと張り詰める。あまり恋愛話に口をつっこまない飛鳥が言うと未来妃と熊野もぽかんとしていた。
「そうやって何でもかんでも後回しにするのを見ているのは不快だ」
「飛鳥……」
「相変わらず手厳しい」
熊野がぎょっとして言う。
「あんたももしかして鈴凛のこと好きなの?」
未来妃が目を細めて急に驚くべきことを言った。
「え!!」
「こんなやつとはつきあえない」
「……なんか振られた……」
未来妃の思い込みと直接すぎる質問で鈴凛は精神に被弾していた。
鈴凛は間接的に告白もしていないのに飛鳥にふられたのだった。
ますます気持ちが重くなる。
「何かを得るには、何かを捨てなければならない」
「出た。座右の銘」
「トレードオフだ」
「……!」
「おまえは選ばないっていう最悪な道を選んでる」
「そうです……わたしは……周馬にはもっとも……ふさわしくありません……」
「ちょっと……休憩しようか……」
熊野が手をとめて、紙袋をあさりはじめる。
「鈴凛、食うか?」
熊野がお菓子を差し出している。
「と、とにかく、二人とも、ちゃんと作戦通り周馬と鈴凛を」
未来妃がスポンジを握りつぶして熊野を睨む。
「何の作戦?」
周馬がヒョコリと現れる。
「わ」
「お」
「えーと」
未来妃が苦笑いした。
「テントは?」
「あっち終わった」
「そ」
「手伝う」
周馬が鈴凛の横に並んだ。白い腕が皿とって洗っている。
「ありがと」
三人は危なかったと目を合わせる。
黙々と洗うと、周馬が口を開く。
「で何の作戦?」
三人がびくりとする。
「えーと……」
鈴凛は必死に皿を洗いながら考える。
「作戦通り俺と鈴凛を?」
三人がぎょっとして固まる。
未来妃も熊野も言い訳が思いつかないでいるらしい。
「周馬と鈴凛をー」
「あー……」
「あ、如月と源をだな−−」
二人は必死に時間を稼いでいる。
周馬がじっと鈴凛を見た。
もうだめだ。
ばれる。ばれてしまう!
「ああ」
ぎゅっと目を閉じる。
「こうか」
周馬がさらりと言う。
「へ」
唇へやわらかいものが触れる。
着陸するように何か降りてきた。
「ええええええええ!」
「おおおおおおおお!」
一瞬何が起きたが飲み込めない。
未来妃と熊野が絶叫する。
周馬が小さくキスをしたのだ。
身体中がぼんと熱くなる、何が起きたのだろう。
天まで昇る快感ってこういうことだ……
鈴凛はしばらく放心状態だった。
「周馬……あなた……いきなりなにして」
未来妃もびっくりしている。
「あれ? まだ固まってる」
周馬は気にせず鈴凛を観察していた。
「おまえ呼び出して良い雰囲気の時に……とかあるだろ」
熊野が言った。
「いきなり」
「いきなりだから、いんだろ」
いきなり……
稲姫との最初の会話がフラッシュバックした。
我々の体は汚れているのです 下界の者と交われば
さあっと血が引いていく。
まずい。わたしの口にはーー
「だめ!」
鈴凛はホースを掴んで、周馬の口につっこむ。
「んむ!」
勢いよく周馬の口につっこんだ。
「はやく洗って!!」
「んんんんんん!」
「おえ」
「よく洗って!」
「ええええええええ!」
「ごほっ!げほ」
周馬が前のめりになってむせている。
「おおおおおおおお!」
「なにすん……」
一同が唖然として鈴凛を見ている。
「鈴凛……!いったいなにして……」
「わたし穢レてるの!!」
四人は時間が止まったようになった。
「大丈夫みたいだね、よかった」
「よかったのかこれ」
「なにこれどういう状況?」
熊野があっけにとられ言った。
「こんなファーストキスの展開ある?」
「いや……衝撃的なことが一気におこりすぎて」
どうしていいかわからない。頭が混乱する。
こんな時鈴凛はひとつしか対処法を知らなかった。
「ご……ごごごご……!ごめんさいいいいいいい〜!」
鈴凛は走って逃げ出した。
*
鈴凛は慌てて心の友である蟻音さんに電話をかける。佳鹿にはとても男とキスをしたなんて言えない。
−−え、キスしたの?
「唾液って大丈夫ですか?」
−−大丈夫だよ
「本当に?でもわたしの穢レって強いってきいたし」
−−彼の心は弱っているの?
「弱って……ないです……たぶん」
−−じゃあ大丈夫だよ。よかったね好きな人とキスできて
まさに青春
僕も嬉しいな
蟻音が言うと、兄か父に言われたみたいで幸せが満ちた。
「そっか……」
わたしは好きな人とキスをしたんだ。
嬉しい。わけがわからない。
それにキスしたってことは、周馬もわたしのこと好きってこと?
「やったあああああああ!」
鈴凛は山のなかをひとりでぐるぐる回って喜んでいた。
「いやいや、まてよ?」
鈴凛はぴたりと止まって、ふやけた頬に手を当てる。
あの自由すぎる周馬のことだ。
誰にでもそうしている可能性がある。
鈴凛は疑心暗鬼になった。
ありうる。全然ありうる。
足がゆっくりになった。
期待しちゃだめ……だ。
静かな空が見ている。
……だから何?
「だから何?」
遊びだったら……何?
自分の声が聞こえてくる。
「それでもいいじゃん」
鈴凛は独り言をつぶやいた。
「わたしドブネズだったんだし」
小さな記憶の一ページになったとしても。
たとえ周馬が大人になって忘れたとしても。
「キスしちゃった!」
あの如月周馬とキスした。野奈たちの顔が浮かぶとさらに気分がよかった。
「やった!……わたしすごくない?」
夜空を見上げる。
「神様からの……勉強を頑張っているご褒美かな……」
「なにが神様ですか。佳鹿様が知ったら発狂してしまいます」
空から首を戻すと毛利就一郎の気分を害したいつもの顔がそこにあった。
「うあ?!毛利先輩?!なんで」
「真面目に勉強しているのかと思えば」
「勉強はしてます。なんでここに」
「東京で遊盲者が多数確認されたんです。出発します」
「え……今から?」
「今からです」
拘式が荷物を持って現れた。
「行くぞ」
「あとのことは僕のほうでまるくおさめておくんで」
「いや、でもあのちょっと今取り込み中というか、いい感じの展開というか……」
「え」
「安心してください。僕がまるくおさめます、まあるくね」
毛利就一郎が邪悪に笑う。
「え……」
「ああ……どこから記憶を消すか悩みますね」
毛利就一郎が歌うように言って悩むポーズをする。
「消さないでください!!!」
「え?」
「わたしのキスを!!」
「なにキス……」
拘式が顔をしかめる。
「どうしましょうかねえ。こんなこと高天原が知ったら」
「言わないでください! でも玉手匣で消さないでください!」
「……」
「毛利就一郎様、お願いしますは?」
「お、お願いします!!毛利就一郎様!!」
「よろしい。では今すぐ出発してください」
「はい……」
「まったく、二人して夏を本格的にエンジョイしてもらっちゃ困りますよ」
毛利就一郎が苦々しく言った。
「あなたは殺戮兵器、あなたはその製造者なんですから」
「楽しくなどなってない」
「……」
翔嶺は父親の気持ちを慮るような顔をしている。
鈴凛は驚いた。拘式も東京に行きたくないようだった。
「……?」
「ちょっと生徒と同僚の教師に三角関係になったからってまったく大人気ない」
「三角関係」
「三角関係を知らないとは、あなたの恋愛経験値の少なさにも驚きますね」
「な、貴様……言わせておけば」
「俺は……」
拘式は毛利就一郎の胸ぐらを掴んで怒っていた。
「もういい」
この男も人間らしくなってきたのかもしれないと思った。
「佳鹿さーん、準備できました」
「さ、こののぼせ上がった連中を連れて東京へ行ちゃってください」




