アイス
昼休み、鈴凛たちは屋上にいた。6月末になり定期試験が始まっていた。
「はあ……もう生物のテスト帰ってくるなんて」
鈴凛のテストは千切られて半分になっていた。
「大丈夫か?」
「あいつらテスト期間中もしつこいわね」
鈴凛と未来妃は周馬たちといつも一緒に行動するようになっていた。
教室では柊木勇吾たちと周馬の取り合いになり、鈴凛は攻撃されるため、なんとなく空き時間はいつもここ屋上か屋上への階段へ集まるようになっていた。
屋上の鍵は生徒会である未来妃が持っている。
「間違えた……酢酸オルセインと酢酸カーミンか」
テストを見ながら熊野が愕然としている。
「カービンって……」
「あんたそんな簡単な問題間違えたの」
問題はテスト用紙が柊勇吾に破られたことではなかった。
「鈴凛……?」
鈴凛はテストに釘付けになっていた。
酢酸のさも出ていない。
鈴凛はいつも通り適当に勉強して、同じくらいの欠点にならない程度の点数をとる予定だったが、世の中そんなに甘くない。
必死で埋めた10問くらいが全て間違っている。そこそこ真面目な進学校の方波見学園ではそこそこみんな勉強をはじめており、鈴凛はそのそこそこも勉強していなかった。
テストは衝撃の5点だった。
「……」
やばい、やばすぎる。
欠点以下を2回とると留年だ。このままでは進級が危なかった。
友達ができた矢先、留年して一人だけ一学年下のクラスに追放なんて笑えない。
「……?」
「テスト終わったら、もう、すぐ夏休みじゃない?」
夏になって入道雲が浮いている。五人は給水タンクの日陰に入っていた。
「早いね」
「そしたらしばらく会えないな」
「バスケ部の合宿がある」
坂本が言った。
「鈴凛はどうだった?」
「えーと前とそんなに……かわらない、かな?」
「みえている」
坂本飛鳥が後ろから言った。
「5点?!」
「俺より悪いやつがいるとは」
熊野がびっくりしている。
「前回何点だった?」
「再考査で落ちたら留年だ」
「ま……まあ!次で取り返せばいいよ」
未来妃がなだめるように言った。
「生物が不要な学部志望なのか?」
坂本が冷たく言った。
「いえ……生物もなにも……」
「さっきの数学のテストはどうだった?」
「ぜんぜん……できなかった……」
「わたしもだよ……先生に蔑みの目で見られた……辛い……しかもこんなんじゃ医学部になんていけない」
未来妃のわたしもだよ、は全く信用ならない。
未来妃は昔から頭が良かった。
「定期テストごときで、来年は受験があるんだぞ」
「そう……ですね……」
「時間は限られている。自分の現在地と目標を把握してから勉強するんだな」
鈴凛は自分の現在地という言葉が怖かった。自分がどれほど馬鹿で無能かなど知りたくも無い。
「自分の現在地か……間に合わないって思ったら怖くてもう何もできないわよ……ゴールもよくわらないし……」
「その恐怖と戦うのが受験戦争だろ」
「はあ……簡単に言わないでよ……みんなあんたとは違うのよ」
「アイス買ってきたぜー」
周馬が全員分のアイスを買ってきた。
「なんだテストの反省会か」
「アイス食って忘れろ」
「鈴凛はいつもあいまんじゅうだよね」
「周馬はホームランバーで、熊野と坂本がガリガリ君で、わたしがブラックモンブランと」
「ああ……もう二年の夏なんて……来年の夏とかまったく余裕ないんだろうな……」
未来妃が悲しそうに言う。
「受験生ってさ」
いつかこの時間も溶けてなくなる。
いや溶けてなくなるまでこの時間を守り切れるだろうか。
「この追い立てられる感じからとにかく解放されたい。はやく受験なんて終わってほしい。あーもうこのあと塾も嫌だ。塾なんて嫌だー! 医学部なんてわたしには無理!」
「おまえ医者になりたいの?」
「え……いきなりしんどい質問しないでよ。それ考えたら余計に勉強できないんだから。みんながみんな自信もってこうなりたいです!みたいな夢があるなんて思わないでほしいわよ」
「そうか」
「あんたはどうやってその夢をみつけたわけ?」
未来妃が聞いた。
「……」
周馬は急に珍しく真面目になって、考えるような顔をした。
「……はじめから自分の中にあった」
未来妃がため息をつく。
「あー……2歳の頃からボールを触ってて〜生活の中に気がつけばバスケットボールがあって、天性もあって〜親に教えてもらってて〜みたいなあれね。なんてズルいやつなの」
「ご両親がいい人だったんだね」
鈴凛はいつか見た周馬の母親を思い出した。
「やりたいことはあるだろ」
周馬がにやりとした。
「夢なんてわからないわよ。どこに転がってるわけ?どうやってみつけたらいいわけ?誰か探し方を教えてほしいわよ」
「まじ解答すると、それわかってる大人って、たぶん少ないんだなあ……」
熊野がしみじみと言った。
「自分探しの旅にでもでようかしら。世界中を旅したい……ああ……拘式先生と世界中を旅したいなあ……でもそんなこと今できるわけないし」
「目的達成のためには犠牲が必要だ」
飛鳥が言った。
「このバスケットバカを見ろ。いかに犠牲が必要かわかる」
「ひどいな」
周馬がはははと笑う。
「周馬が?どこがよ? ムカつくくらい自分がイケメンなのを理解してて、夢もあって、才能もあって、何でも思い通りだから人生イージーモードでしょ?」
「二人して冴えわたる毒舌」
周馬はくったくのない笑顔で笑っていた。
「スポーツに人生を賭けるのがどれだけリスクであり、軌道修正がきかないかわからないのか」
飛鳥が冷たく言った。その言葉には少し尊敬が入っている。
「まあそれは……怪我とか……運とか……ありそうだよね」
「何かを得るには何かを捨てなければならない」
「何も捨てないやつは何も得られない」
「飛鳥は東大に行って何したいの?」
鈴凛が飛鳥に聞いた。
「遺伝学を研究する」
「するってもう決定してるみたいに……よくそんなに可能性を狭められるわね」
「競争では常に何かを捨てて集中できるかが試される。受験はその縮図みたいなものだ」
「……」
飛鳥は本からちらりと目をあげた。
「何がしたいかわからないと、どの大学に行きたいかどの学部かわからない。すると必要な科目も絞れない、過去問も絞れない。傾向を重点的に勉強することもできない、限られた時間で今、何を勉強するべきかがわからない。今、自分で自分が何をやっているのかわからない。ただ無様に焦るだけだ」
まさに今の自分を言われたみたいで、鈴凛はびくりとする。
「悟り切ってる……」
「自分で自分が何をやっているかわかっているって言い切れるなんて……あんたって人生何周目なわけ……」
「でも……東大生って何でも全部できるのかと思っていた。全部100点を目指すのかと思っていた」
「時間は今この瞬間も恐ろしい速さで無くなっている」
「人間は驚くほど無能だ。ひとつのことしかできない」
天才の飛鳥が、無能でひとつのことしかできないなんて言うのが意外だった。
そして鈴凛は余計に胃が痛くなる。
自分は賢くもないくせに、戦姫と青春を両立しようとしていた。
「追い詰められてるわよ……」
未来妃がぐったりして言った。
「おまえだって、夢があるだろ、こないだ変な紙もってたじゃん」
「え……」
未来妃は急に勢いを失った。
「あれは……り、鈴凛は?」
未来妃はいつになく困った顔になって鈴凛に話をふる。
「将来の夢とかあるの?」
「え……」
戦姫にされたので、そのまま仕事をして……
青春のために、学校に行って、夜は訓練をして、宿題をして、筋トレをして、高天原に行って、忙しく全力で駆けずり回っている。
無能が駆けずり回っている……
そしてその一番の犠牲者が学力だった。
「……」
鈴凛はテストを眺める。
そして、今、その犠牲者は爆弾のごとく怒り狂って、留年の危機だと警告しているのだと思った。
「わたしも……夢はないかな……」
「だよね」
「大人になんかなりたくない。ずーっとこのままだったらいいのに」
未来妃が最後のアイスをぱくりと食べた。
間違いない。この時間が何かに閉じ込められたらどんなにいいだろう。
大人になんかなりたくない。将来なんか考えたくもない。夢なんか知らない。
永遠にこのままでいたい。永遠に青春のままで。永遠にみんなとこの屋上で楽しく友達をしていたい。アイスを食べていたい。
だが、その青春すら危うい。
「でも……このままじゃたぶんまずいよね……」
鈴凛は心の声が漏れた。八咫烏に進級させてもらえないだろうかと思ったが、毛利就一郎が絶対に許可するとは思えない。
「夏休み、一緒に勉強しよう」
未来妃が言った。
「そう……だね……」
どこにそんな時間があるのだろう。鈴凛は急に焦ってきた。
「さしあたっておまえは再試に合格しないと、一人だけ2回目の二年だぞ」
飛鳥が真顔でとどめの一言を鈴凛に言った。




