天竺館
「ああああああああ!」
空の旅は優雅に青空を楽しむなんてものではなかった。それはもはやロケットのようなスピードで、鈴凛の顔は風圧でへちゃげっぱなしだった。
「ついた」
田心姫に下ろされると、鈴凛の髪はボサボサになっていた。
くらくらする頭をなんとか正す。
「空が……飛べる……んですね……」
鈴凛はくらくらしながら言った。
「最強の戦姫だ。空くらい飛べるさ」
そこは出島だった。
「さいこっか」
高天原の女たちはいつもはつつましい。伏せていて顔を上げないのだ。
だが今日ばかりは違った。田心姫を見るとぽっと頬を赤らめて、他の人々を呼びに行った。
「田心姫様のお戻りです!!」
どんどん人が集まっていき、祭りのようになっていった。
きゃああああと歓声があがる。それはまるで英雄の凱旋であり、ハリウッド俳優が到着したかのようであった。
検非違使たちが必死に取り押さえている。人数が多すぎて全員を懲罰送りにもできない。
「田心姫様よ」
高天原の扇町の町人たちが、全然似ていない似顔絵らしき顔が描かれたうちわや木彫りの像を持って集まっていた。
「なんと神々しい」
「生きている間に拝見できるとは」
「なんとありがたいのでしょう」
「久しぶりだな〜」
田心姫はハイウッド俳優のごとくさらさらと手を降った。
「さあて、中津宮……じゃなくて、天竺館にいくかあ〜」
「……」
「君も来なよ?」
「汚れ落とした方がいいし」
「え、あの……いえ……」
断るのが失礼なのか、あっさり了承する方が失礼なのか鈴凛にはわからなかった。
すると田心姫が肩を組んで、耳元で囁いた。
「訂正。君もくるんだよ。こなきゃだめ。月読姫の秘密を知ったらしいから」
「!」
「君はどこまで知ってしまったのか……」
「……」
「僕が丁寧に洗ってあげる」
「……?!」
田心姫がくっと口元をつりあげてわらった。
鈴凛はぞくりとする。
田心姫はラフな笑顔に戻って明るい声で次を言った。
「ごめんごめん。そんなにびびらないで」
鈴凛は田心姫の後ろをついて行くしかなかった。
「ただ、これ以上は黙っていてほしいんだ。もちろん君の華子にもそう伝えてほしい」
後ろ姿のまま田心姫が言った。
「はい」
鈴凛はそれ以上何も聞けなかった。
「じゃあ約束したところで、カレーを食べよう」
「え?カレー?」
サリーをして口元を隠した女たちが現れる。まるでインドに来たかのようだった。
「驚いた?古参の戦姫は、けっこう自分流に姫宮を改造しちゃってるんだよ」
廊下も建物も白い艶やかなタイルが貼ってあり、ところどころに装飾タイルがはってある。その美しい建物全体を不思議な蔦が覆っていた。透かし彫りの木戸が嵌め込まれ、噴水と不思議な茶色がかったオレンジ色のランプで飾られている。おおきなツボのような鉢からも溢れんばかりの熱帯植物が顔を覗かせていた。
「見たことない葉っぱ……」
「優曇華だよ」
「うどん、え?」
「ウドンゲ。三千年に一度しか咲かないやる気のない花さ。僕もまだ花は1回しか見てない」
「え」
「タイミングがあわないと見れないからさ。三千年に一夜だけだとね〜」
「その花の蜜も花粉も途方もなく高価さ」
「蜜は暖かく辛い。香りと花粉は心地よい幻をみせて、花弁は七色に光り輝く」
「蜜が辛いのは虫の受粉を想定していない植物だからだとか」
「こっそり蓬莱にこれもくっつけちゃえば、いくらでも取れるけどさ」
田心姫がウインクする。
「すごく大きなお屋敷ですね」
部屋が入り組んでおり、赤や黄色ローズ色の布がところどころではためている。上には五、六階ほどの高さがあって、小さな街か宮殿のようだった。サリーを着た湍津姫の華族がところどころで仕事をしている。彼らは鈴凛たちに会うと手を止めて地面に臥した。
通路の脇にもタイル張りの水路が引かれており魚が泳いでいた。
「タギたちは寝ているかもね」
鈴凛はその言葉から、田心姫は湍津姫の多重人格を認識しているのだと思った。
開けた中庭のような場所に出た。天井からは光が漏れて、緑に降り注いでいる。ざあざあと噴水の音がしていた。
湍津姫は真ん中のプールのような場所で、女たちに体を洗われていた。
「姉……様……」
自らあがると、女たちがあわてて羽織をかけた。
「相変わらず、かわいい、かわいい」
田心姫は足元にやってきた湍津姫を高い高いしてくるくる回す。
「60年ぶりですね」
ぐるぐると回されながら、淡々とした声で少女は言った。
「え」
鈴凛はぎょっとした。
それにしては最愛の妹はリアクションが薄い。
「もうそんなに経つっけ?」
「……」
湍津姫は相変わらず口数が少ない。
「ジャスミンティーです」
棗椰子や不思議な菓子が金の足つきの皿にこれでもかというほどもられていた。
「何か召し上がられますか?」
控えていた女たちが小さく言った。
「いいね」
「あ、ぼくカレー食べたい。味変わってないといいけど」
鈴凛はふわふわのカラフルなクッションのようなソファに座りながら、それを呆然として聞いていた。
先ほどまでみんなが死んだと思って泣いていたのが、嘘のようだ。
今はプールのそばでカレーを注文しようとしている。
「実象さんがギトギトのムルグマカーニ作ってくれてたんだけど、あれにチーズナンが最高だった。でもたぶん彼女もう死んだよね。あれのレシピ引き継いでる?」
「もちろんでございます」
「じゃ、僕それで〜」
誰かが死んだ話もあっさりスルーされていく。時の流れ方が違うのがわかった。
「あとはこちらでご用意させていただきます」
サラサラとした見た目に似合わないこってりとした注文をする田心姫に鈴凛はびっくりした。
インドなんてカレーしかしらない。もちろん写真付きメニューもない。
「プールでもはいろっかな」
「いいんですか」
ブルーのタイルに暑い国の植物たちがよく育っており、水場を鬱蒼と囲んでいる。天井から漏れた太陽の光にキラキラと不思議な石がプールの底で七色に輝いていた。
「なんだろう……綺麗……」
鈴凛は見惚れていたがはっとする。
「あの……そういえば、水着は」
「そんなものは、いらないよ、ほら女しかいないんだし」
「いやでも……」
「いいからいいから」
「あの自分で」
「いいからいいから」
田心姫は容赦なく鈴凛を脱がしていく。
最後のパンツまでそのへんに放り投げた。
「ひい」
「肌艶いいね」
田心姫が怪しく微笑んで、二の腕に指を滑らせたので、鈴凛はますます恥ずかしくなる。
「高天原がいつもすぐそばっていいね〜」
鈴凛は胸元を隠しながら入る。
田心姫は嬉々として石鹸を泡だてはじめた。
「さ洗おうか」
「え、いや自分で……!?」
「いいからいいから」
羊杏に洗われるのとは違って、どこかくすぐったかった。
「日本は本当にいいところだよ。神に愛されるのもわかる……美しい国さ」
「あの……田心姫様はいつもはどこにいらっしゃるんですか?」
「……どこにでも」
田心姫は冷たい真顔になってぽつりと言った。
「僕の仕事はね」
「どこにでも、どこまでも、汚い穴蔵にドブネズミを探し回って、それを殺すことさ」
急に田心姫が恐ろしく見えてくる。
「反吐がでる仕事だよ」
にっこりと可愛らしい顔で笑った。
「いた」
鈴凛は少し後ずさった表紙に、足で何かをふんでしまっていた。
「なにか落ちてーー」
水底で輝くそれを水の中で探る。大粒の紫色の石が手の上で上がってきた。
鈴凛は水の中からそれを掬い上げると、空気に触れさせる。
赤色に近い紫色の輝きが広がる。
「え……」
「それはスピネルだよ。宝石」
「スピネル……?え……宝石……?」
これが……全部……?
「こっちにきて」
田心姫に手を引かれて回り込まれると、プールの真ん中に、湍津姫に似た女神像がひとつ置かれており、手に持った箱からは無数の宝石が溢れて光り輝いていた。
「これ全部……ほんもの……?」
「これはエメラルド。こっちはサファイア。宝石は連中を倒した記念に、タギにプレゼントしてるんだ」
田心姫がひょいと飛び上がってひとつ掴んでみせた。
「ほーら」
水底から大量の宝石を抱え上げると、田心姫は思いっきり水面に放り投げた。
ぽちゃぽちゃと音をたてて、それがまた水底に落ちていく。
「わあ……」
凄まじい宝石の数だった。国さえ買えてしまいそうである。
鈴凛は思わずぽうっと水底に見惚れてしまう。少しもらって帰れないだろうかと思いながらそれをしばらく眺めた。
「八十神は、みな自分の名の宝石を所持しているからね」
にこにこして言った。
「え……?」
「自分の名の……それはつまり……」
田心姫が鬼を殺した数。それがこのプール石のように無数にある宝石の数。
「!」
田心姫がどれほど強いのか、十分に物語っていた。これは倒した忌の数ではない。鈴凛たちのような敵の縁血を受けた鬼の数。人間の数だった。
「……!」
真っ白な華奢な肢体に金色の長い髪を水に垂らす十六歳くらいの少女が急に死の女神であるような気がした。
果てしなく美しいこのプールが急に恐ろしい場所に感じる。足元に広がる宝石たちは、長い長い戦争の歴史そのものだった。死者の数そのものだった。
鈴凛は水が冷たくなった気がした。
そして何も考えず喜んでいた自分が愚かに感じる。
「ぼくが何万年とかけた結果だから、今こんなにたくさんいるわけじゃないよ」
「何万年」
それでこの数が多いのか少ないのかピンとこない。
「間者の情報にいれば……今は」
「鬼数は100程度かな」
「そんなに……?」
「はっきりとはわからないけどね」
「男どもは基本複数人で部隊を組んで工作活動を行う」
綺麗な顔で田心姫は笑った。
「……」
「我々がプリンセスなら、連中は賞金稼ぎの小汚い狩人みたいなもんだよ。我々を狩るためにたくさんいて、たいして大切に扱われてもいない」
「弱すぎる群れたゴミだよ」
「……」
「でもね」
「REGARDの頭文字を冠する名を持つ七匹の鬼は違う」
田心姫は箱から一際大きな、大粒の緑の宝玉をつまみあげた。
「リガードリング」
「これはエメラルドだ」
「神々とわたしやタギなど最古の戦姫を殺す役目を負っている」
赤い宝石を持ち上げた。
「ガーネットはまた誕生してしまった」
ビンゴみたいにもうひとつを見せて田心姫は顔をしかめた。
「こいつらは全員しぶといし、わたし以外の戦姫なら正面からやりあったら、すぐ死ぬだろう」
「……」
「出くわしたら、逃げた方がいいよ。まあ日本は穢レが弱いからこないとは思うけど」
「……はい」
「で、その上が、レ・トロワ・ビジュ……三石の首飾り」
「まだ上がいるんですか?!」
「神を殺しうる能力を保有する原初の鬼」
「神を殺す……?」
鈴凛は耳を疑った。
「神って……それっておのごろ島の神々とかとです?」
「そう」
鈴凛はクラクラした。
「三人だけだけど」
「三人も?!」
「え、人間なのに、神と対峙できる能力って……どういうことですか?」
田心姫は少し冷たく笑う。
「……死の力は……穢レは、神々の神威をも超越する可能性を持っているのさ」
「穢レが神威を超越する……?」
田心姫はそれ以上何も言わなかった。
「その頂点が八雲」
「八十神の王」
「あの一番上には、その黒いオニキスを乗せる予定」
女神が箱と反対の手を天にかかげていた。田心姫は敵方の王である神を倒す予定を軽々と言って退けた。
「嵐と夜の邪神。我々が最も殺したい男。ドブネズミたちの縁血もこの男が行う」
「あそこに黒い宝石が飾られた時、この永遠とも思えるほどの長い戦争が終わる」
「むこうの神々の王……」
「……確かに田心姫様はお強そうでしたが……」
鈴凛は思わず言葉が漏れてしまった。敵方には神をも殺しうる能力者が三人もいる。
「ばれた?それはけっこう無理ゲーだったりする。天叢雲剣を持っている、あれは見ただけで死ぬしね」
田心姫は少し苦笑いした。
「見ただけで……」
草案で、思金のピンセットになっていた神器の欠けら。あれをみて稲姫がとっさに震え上がってみないようにしていた。迷信ではなく、見ただけで死ぬのは本当らしい。
「まあでも照日ノ君が最強であることには違いないから、心配しないで。ほとんどの神器はこっち側にあるんだ」
「……なるほど」
数は多くても、見ただけで死ぬというすごい神器がこちらにはたくさんあるということらしい。
「つまり……僕が言いたいのは……しばらくは、日本から出ない方がいいってこと」
田心姫は可愛らしくにっこりと笑った。
「きました」
タンドリーチキン、サモサ、ビリヤニ、ラッシーいろいろなインド料理を紹介してくれた。
脈姫はもくもくと食べて何も話さない。戦姫は全員が大食いなのは間違いなかった。
「とここまでは普通の新米戦姫へのアドバイスだけど」
「君には意味ないかもね」
田心姫はひょいっとプールのふちに座ると、チキンをとってかぶりついた。
「え……わ……」
綺麗な白い肌の華奢な体に、綺麗な胸がついてる。
鈴凛はあまりジロジロ見ては行けない気がして顔を背けながら話をした。
「だって君は死ねないってきいたよ」
田心姫の整った顔が真顔になって、ぞくりとする。
「はい……でも……本当にどこまで甦れるのかわかりませんが」
「君がもし……もし、本当に死なないとすると、それは」
そして笑顔に戻る。
「恐るべきことだよ」
「え?」
「君は怖くないのかい?」
田心姫は意外なことを聞いた。
「どちらかというと、わたしすぐ死ぬけど、最悪、死なないって言う謎の安心感のほうがあります……けど。怖いのかな。まだよくわかってなくて」
「そうか……」
「君はまだとても幼く若いからね」
田心姫は少し考えるようなそぶりをみせた。
「長く生きるって辛いですか? 田心姫様はそれほどに長く生きたとききました」
「ああ。僕は長く生きたよ。この地獄をとても長く生きている」
チーズナンにかぶりついた後、田心姫は小さく付け加える。
「そのたびに悪夢の連続だよ」
鈴凛は驚いた。最強の戦姫なら敵なしのはずではないのか。自信に満ち溢れ毎日が楽しいのかと思っていた。そしてまた意外なことを田心姫は言った。
「君と僕は似ているかもね……ああ、性格がじゃなくて、何回もやり直しがきいてしまうという意味でね」
「そう……なんですかね……そう……かもしれません?」
鈴凛はまったくそう思えないし、否定するのが正解なのか、肯定するのが正解なのかもわからなかった。
「僕も失敗して本当のところは、もう何度も、死んでるに等しい」
「え?」
「再集合できるってだけで、致命傷となる攻撃は何度も受けたさ」
「……」
「何度もぶっ殺されて、その経験値の積み重ねのおかげか、もう誰にも触れられることすら無くなったけど」
田心姫はあっさりと笑ってみせた。
「でもねえ。嫌なことはさ、脳細胞が死なないどころか驚異的な保持力を持って、1000年前のことが1週間前くらいの嫌な感じで、まざまざと思い出せる」
「君がギャラクシアランドで恐れていたようなことさ」
「!」
未来妃や周馬や大切な人が死ぬ事。生きる希望が無くなってしまうこと。
周りの大切な人が死んで自分だけが生き残る。
自分が死ぬべきなのに、自分だけがいつまでも生き残ること。
「煮えくりかえる憎しみや悲しみ……震えるほどの失う恐怖は薄れない。人生とは喪失の連続。まさに、長く生きることは長い地獄なのさ」
鈴凛は自分もいつか田心姫のようになるのだろうかとふと思う。
「そして……いまだに……なぜ生きるのかまだわからないよ」
「長く生きていると、時代には、似たようなことが何度もある。戦争や束の間の平和もそうだが……天災だの、カリスマ的な支配者の誕生だの、革命だの。男女がおなじみの悲劇の別れ方をするとか大なり小なり……何千年の間に似たようなことが何度もある」
「……あ」
猿田彦の絵をを思い出す。猿田彦も美しい者どうしは必ず結ばれないなどと言っていた。
それは真理なのだろうかとぼんやりと思った。
「そして僕は、本当の意味では、何もできないのさ」
鈴凛は最強の戦姫でさえそんなことを言うのが悲しかった。
「僕たちは戦姫。大多数とは違う運命を辿る。死なないわけじゃないが、永遠の時間を手に入れた。ある時は、僕たちは神々の壮大な戦いの、選ばれし戦士みたいな気分になる」
「でもね」
「みんな時代の中で、いつかは死んでいくんだ」
「……」
「どんなに強くても、誰かが誰かを殺す」
「!」
「霧も強い子だった……」
妹を思い出して悲しくなったのか、しばし田心姫は一人で時間を噛み締めていた。
「でも死んでしまった」
「……」
「戦いなんてそんなもんさ。僕もいつかは死ぬだろう」
プールからあがると、田心姫はうんと伸びをした。光に白い肌が眩しい。
「この戦いも本当はくだらない」
逆光でその冷たい表情の横顔が美しかった。
「宇宙のダイナミズムや時間からすれば、こんな太陽系で起こってる戦争も、神々も人の命も一瞬。神々が降り立って長く時が経ったそれから見れば僕たちの戦いなんてくだらないよ。恐竜やバクテリアの時代もあった、もっと太陽系の生まれる前とか、天の川銀河が作られる前とか、宇宙のダイナミズムの前には塵も同然。意味なんてないさ」
「は……はあ……」
鈴凛は予想外な方に話が行って、間抜けな声を出すしかなかった。
「神々が思念で構成される世界……精神世界に実態が存在しているとしても、巨大なブラックホールが誕生して、次元の収束が起こる時、それには抗えまい」
「……ほう」
はあを使い果たして鈴凛は辺な相槌になってしまう。
「ごめんごめん、暇すぎて本たくさん読むんだよ。今はホーキンスにはまってる」
最強なりの冷めた目線なのか、悲しみや怒りが消えないと言いながらそれはまったく無意味なことだと田心姫は言っていた。
「事象の地平面に吸い込まれたら、僕だって、神々だって消えるだろう」
鈴凛は思考が追いつかなかった。
「でも君は真実の永遠の……祝福か呪いを授かったのかもしれない」
「天照大御神が君の話を僕にはじめてしてくれた時、それは、祝福か呪いか……どちらだろうって考えたんだ」
「祝福か呪い……?」
「君は八岐大蛇の破滅の力から逃れただけでなく、何度も肉体が再生する」
「神は不老だが、不死でも不滅でもない。たとえば惑星や銀河系が滅ぶ時一緒に消えるだろう。神だって次元の消滅には飲み込まれるだろう」
一番強い戦姫は、戦いのことだけを考えているのかと思っていた。
彼女はもう卓越したところを通り越しており宇宙の最後に思いを馳せている。
鈴凛はあの番付で一番上のこの人と、一番下の自分に、天と地以上の差があることを思い知らされた。
「黄泉……隠世は恐ろしい力を持っているんだ」
「……?」
「隠世は解明されていない自然の摂理や道理……つまり物理学の限界を完全に超えた力を持っている」
「?」
「火がないところから火がでる」
「物理原則を超える」
「つまり、その力で蘇るということは」
「君だけは、一人きりで永遠に何らかの形で生き残る可能性がある。存在が永遠に残る可能性がある」
「……!」
「時代が変わっても、地球が無くなっても、銀河が失われても、宇宙が無くなっても、君だけが残っている可能性」
「!」
鈴凛は宇宙でひとりぼっちの自分を想像してみると、たまらなく恐ろしかった。
「照日ノ君も君ならずっとそばにいてくれると思っただろう」
鈴凛ははっとした。自分が特別に愛される理由を知った気がした。
戦姫も戦いの中で死んでいく、でも自分は神より長く生きるかもしれない。
神々に寄り添えるかもしれない。
「死は誰も超越したことがない。神々もおそらくそうだ」
「神々を消す方法が無いわけじゃない」
田心姫はにこりと笑った。それはその方法を知っている顔だった。
「君は、この永遠とも思える戦いの終わりを見届けるのかもしれない」
鈴凛はぞっとした。その時自分は何を感じるのだろう。想像もつかない。普通に考えれば戦争が終わって喜んでいるはずである。高天原でのんびりと暮らしているのだろうか……
未来妃や周馬の子孫たちの平和を願いながら……?いや見守りながら?
「僕は強い。だからなかなか死ねない」
そうはっきりと言える田心姫が鈴凛は羨ましくもあり、かっこいいと思った。
「簡単に死んではいけないんだ。でもいつかは死ぬ。君はもしかしたら、僕を見送ることになるかも。なんだかそんな気がする」
「え……」
「そうしたら僕の花葬で、今日のカレープールパーティーを思い出して」
田心姫はウインクしてみせた。
鈴凛は想像もできなかった。
「……」
何と言っていいかわからなかった。でもその未来はすごく遠くて、悲しいのだろうと予感した。
「来客です」
湍津姫が久しぶりに口を開く。
「田心姫様」
鯨山がやってきた。鈴凛はこの間の儀式のことを思い出して少し気まづい。
「あの……月読姫姫は」
「あれ?! ……鯨山? だよね? 久しぶり鯨山!」
田心姫は水からあがると、素っ裸のまま、老婆にかけより、顔を覗き込んだ。
「いい感じのババアになったね」
田心姫がほがらかに言う。
「おめしものです。まず神宮へ来られてください」
「ごめんごめん。もう帰ったことばれちゃったかー」
「さあて……」
「月館宮に顔出して、その後、霧姫の姫宮にも墓参りしてこようかな」
「あの……」
田心姫は用意された白い着物をきはじめる。鯨山が手伝っていた。
「君はまだいるといいよ」
「わたしも、自分の宮に戻ります」
「そう」
姫宮の廊下まで出ると、田心姫たちは神宮の方にいってしまった。
「じゃあね!」
「ありがとうございました、湍津姫様……」
「まったね〜! いこっか〜、鯨山。いい感じに年取ったねえ〜 よしよし可愛い可愛い」
「大丈夫でございます」
「よろよろしてるじゃん。手支えてあげるよ。ほらここ持ちな」
二人は廊下の反対側に消えていった。
「意外だったなあ……」
鈴凛は桜の宮に戻った。
「え……」
鳴き声ともう一人別の声がする。
「羊杏ちゃん?影姫……様?」
「ど、どうしたの?」
「あんたどこ行ってたのよ!」
「百姫様〜申し訳ありません〜羊杏をどうかお許しくださりませ〜!!」
「え?え?」
ぐすぐす言っている羊杏をなだめる。
「桜の宮に来られないので。羊杏の顔が見たくないのだと思っておりました」
「どこいってたのよ。まず宮で着替えるのが鉄則でしょ」
影姫がつめよる。
「それが田心姫様につれられて……インド……じゃなくて、天竺館でカレー食べてプールに入っておりまして……」
「?!」
羊杏と影姫が衝撃に満ちた顔をする。
「ごごごめん!連絡しておけばよかったのね……そのなりゆきで」
「……」
影姫が押し黙る。
「入られたのですか?」
「え?」
「天竺館に」
「……」
二人が固まっているので続きを言った。
「今までどの戦姫様方も、中津宮……天竺館のお宮にお入りになったことはありません」
羊杏がつぶやいた。
「え……?」
鈴凛は固まった。
「あの伝説のお二方と直にお話しされるとは……しかもあの伝説の天竺宮へとは……羊杏は感激で……感激で……」
羊杏はまたおいおい泣き出した。
「泣かないで〜」
「……アホらし」
「すみませんご迷惑おかえして」
「ちゃんとしつけときなさいよね!うちの宮に駆け込んできて大変だったんだから。迷惑もいいところよ」
「あ、あの」
「何よ」
「市杵島姫のことは多言しないようにって田心姫様から言われてしまって。そのお伝えしておこうかと」
「……わかってるわよ、そんなこと。だいたいあんたが顕証の儀のことを話すからこうなるわけでしょまったく」
影姫はでていった。
「グズで無礼で本当さいあく」
鈴凛は、はっとする。
「あ、すみません、ギャラクシアランドに応援にきてもらっていたとかでー……」
影姫は振り返らなかった。
自分だけが先輩に呼ばれカレーパーティーとは影姫がいい気がしないことは間違いないと思った。
まずい。ますます悪い印象になったと鈴凛は思った。
「グズに無礼が追加されちゃった……」
「やはり! 百姫様は! 選ばれし戦姫なのです!」
「羊杏にはわかりまする! 羊杏は幸せにございまする」
「田心姫様は想像と全然違って、気さくな人だった」
「なんか鯨山様にあんなにベタベタされてるのも意外で」
「……鯨山様はむかし田心姫様の華子だったのです」
「そうだったんだ……」
「あ!」
「佳鹿」
「仮の定表がきたのよ。今の所の数字だけどね。あんた天竺館に田心姫と行ってたんだって。噂でもちきりよ、いい気なもんね」
佳鹿は後処理が大変だったのか、疲れたようにして言った。
「ギャラクシアランドの?もう?」
「てゆーか今回の修祓……そんなすごい人の手をあんなに借りて……あんなに忌が発生して、被害も……請求額がすごいことになるんじゃ」
「しかたないことはあるのでございまする……」
羊杏も重苦しい顔をした。
「もしかして千年くらいかかって返済しないといけないとか?」
鈴凛は急に体が固まって冷え切った。
「それか破産?」
急いで封書を開ける。
墨で描かれた数字とのたうつような文字で鈴凛には読めない。
「なんて書いてあるの?」
「こ……これは……」
羊杏が衝撃に満ちた顔をしている。
「41億です」
「41億?!」
鈴凛は目眩がした。
「でも」
「成績を逆つけしてくれています!!」
「え?」
「この文言を見るかぎり……」
「天皇を守ることは自分の役目だからって」
「こっちが助けたことにしてくれたってこと?」
「そうです」
「え、じゃあ」
「影姫様への返済もお茶の子さいさいです! 大富豪なのでございまする!」
羊杏は飛び上がって喜んだ。
「ほ……本当に?」
「本当でございまする!」
「やったー!!」
鈴凛は羊杏と手を繋いでくるくると回った。
「やった!やった!」
「やりましたでございまする〜!」
「何か買う?あ、とりあえず、もう一人雇う?羊杏ちゃん大変なんだよね?」
「あんたったら脳天気ねえ」
佳鹿が目を細めた。
「誰よ死者のことを覚えているとか、それだけはできるとか、綺麗事を言ってたのは」
「え……」
「死者は一千人近くいるわ」
「そんなに……?」
鈴凛は急にしゅんとした。多くの人が犠牲になったのだと思った。
「自分のお友達が助かったらそれでいいわけ?」
「ごめんなさい……」
「だいたいあんたのお友達だって」
「武仁様がいなかったら、田心姫様がいなかったら、それでもって、神嶺が人でなしじゃなかったら、全員死んでたのよ」




