花獺
桜もすっかり落ちてしまった頃、訓練のために夜中に毛利邸へ行くと、知らない女子生徒が毛利父子に連れられて来ていた。
「雉の後任です」
毛利照親がにこにことして、真面目そうなその女の子を紹介する。以前車に乗った時に挨拶は受けていたが、毛利照親に会ったのも久しぶりだった。少しだけ鈴凛は緊張する。議員の仕事が忙しいのか、疲れているように見えた。
連れられてきた子は、前髪がぴしっとそろって、下の方で長い髪をくくっている。面をとると切長の目がこちらをすっと見た。化粧をしておらず、濃い眉毛が強い意志を表しているような顔立ちだった。
顔はこわばっているが目がキラキラしている。
どこかで見たことがあると思った。
「……」
毛利就一郎を見やると、父親がいるせいか、珍しく真顔のまま横に立っている。
「百姫様、わたくしは、矢田いつきこと、花獺と申します。今回おそばでお支えできること、恐悦至極にございます」
「ではよろしくお願いしますね」
毛利照親は行ってしまった。
「……あのどこかで」
「同じクラスですよ」
鈴凛はぎょっとした。自分が失礼なことにびっくりもする。この頃は忙しかったし、如月周馬のことで頭がいっぱいだった。
「あ、そうそう。そうだよね……」
気まづい。
「矢田さんっていたでしょう?」
鈴凛は記憶を辿って思い出す。学校では柊木勇吾軍団と戦争中であったため他の生徒に気が回らなかったが、美術で柊木勇吾のグループに入れられていた子だと気が付く。
「他にも八咫烏っていたんですね……よろしくね」
「あの、一言よろしいでしょうか?」
矢田いつ子がかっと目を見開いてはっきりと言う。
「え、あ、はい」
「八岐大蛇討伐の武勇については大変感銘を受けました。このようにお目にかかれることは非常にこの上ない幸せです」
「あ、ありがとう」
鈴凛は褒められると思っておらず、びっくりした後、なんだか照れ臭さがやってくる。
考えてみれば、最初は八岐大蛇を倒したとかで、高天原でみんな多少の尊敬の目で見られていた気もするが、最近は、誰にも褒められていない。
「百姫様は、比類なき、今生、最高の戦姫です。この矢田いつこ、いつでも命を賭す覚悟はできております。いついかようにもお使いください」
「あ、あり……ありがとう。でも自分の生命は大切にね」
鈴凛は迫力に圧倒されていたが、上田三枝のことが思い出すと全く素直に喜べない。
「?」
「つきましては、あの失礼極まりない連中は極刑がふさわしいかと。お許しをいただければ毒殺して参ります」
「え?!」
毛利就一郎が眉間に手をあてる。
「だから嫌だったんですよね……父の人選だから仕方ないですが」
「花獺さんは、こうなんです」
毛利就一郎が顔の両側に手を置いて、何も見えなくなるといった風なみぶりをして続きを言った。
「報告書を読みました。黄猿様は少し不敬では?」
「さらにチェ・ゲラハみたいに、猪突猛進で過激だから、関わらせたくはなかったんですが……かといって教室に置く見張りも必要だったためいたしかたなく」
毛利就一郎がげんなりして言う。
「も、もう仕返しはしたから大丈夫だよ!ありがとう!」
鈴凛が慌てて言った。
「そうですか? もしくはこの髪や化粧を彼ら仕様に合わせ、彼らのグループの中に潜入し、情報操作し、不和を誘導して、疑心暗鬼にさせ、互いが互いを殺すように……」
とんでもない子がやってきた、と鈴凛は思った。
「学校にこれ以上のトラブルメーカーはいらないんですがね」
黙っている拘式の前に毛利就一郎が回り込む。
「まだこの前の件で、感謝の一言をもらってませんよ。まったく。 生徒たちの言い分を校長たちにスルーさせるのにどんなに大変だったか、今度は柊木君のご両親が何か言ってくるのをうまいこと工作しないといけなく」
毛利就一郎がぶつぶつと言う。
拘式は銃の手入れをもくもくとしている。
「記憶は消すな。支配には恐怖がいる」
「玉手匣で消さないと余計大変なことになるに決まっているでしょう」
「勝手に色々使って」
毛利就一郎が深いため息をついた。
「大変なんですよ。データを消したり、証拠を隠滅したり。圧力を根回ししたり。蟻音さんに他の仕事が回せないでしょう」
「目立つことはするなって、貴殿が百姫様に言ってましたよね」
毛利就一郎は相変わらずにこにこしていた。
「だいたい生徒に手をあげるなんて暴力教師ですか、あなたは。非常識でしょう」
拘式は少し考えたが、改まって言った。
「……俺は教師じゃない」
「まさかやめようとか思ってます?」
毛利就一郎が驚いて目を丸くした。
「呆れたわね、この人は。拘式谷はもうないし。IUに復帰でもするつもりなの? だいたいあんたは、持病で引退して拘式谷にいたんでしょ?」
佳鹿が部屋に入ってきた。
「……」
「あらやだ。あんた、まさか、いまさら、普通の社会に溶け込めるとでも思ってるの?」
「……」
「マアマア」
BBだけがにっこりとして、何かの紙を取り出した。
「ミスター、クシキ、はいこれ履歴書だよ」
「八咫烏で働くの嫌なら」
「マック、マック」
「まずスマイル練習ね。接客の基本、学べるYO」
BBが言った。
「拘式さんがスマイル練習」
鈴凛はドライブスルーで笑顔の拘式を想像して吹いてしまう。
「それかあたしと結婚して、あたしのかわいい夫ちゃんよ。専業主夫ね。毎日パンダのエプロンはつけるのよ」
「貴様ら……」
「さあ今日も張り切って訓練をするわよ! あ、あたしたちは届いた物資のチェックよ」
「あの少しだけ見学していいですか?」
矢田いつ子が言った。
「ああ。訓練を開始する」
拘式が立ち上がった。
*
その夜の拘式のしごきはすごいものがあった。海にロープでぐるぐる巻きにされて脱出する訓練とか、ミスすると、罠の実弾が飛んでくるとか、容赦が無かった。
最後の体術訓練では、拘式に顔面にパンチをくらって、鼻が陥没して顔面流血の事態になっていた。
矢田いつ子がああ言ってくれたので、すこしかっこいい所をみせたかったのだが、鈴凛はあっさりボコボコにされていた。
訓練が終わって、鈴凛は鼻にガーゼをあてたまま、ソファにつっぷしていた。
「ぎたい……痛い……辛い……曲がってくっついたらどうしよう」
うねうねと自分の肉が顔先で動いている。
「大丈夫ですか?」
「ありがと、大丈夫だよ……矢田さん、もう眠らないと」
「日中のお勤めに支障がでてはいけませんね、そうさせていただきます」
鈴凛はシャワーを浴びて、部屋に戻る。鼻はもう復活していた。
「ん……なんか再生が早くなったような……」
その治った鼻がいい匂いを感知する。
かつおと昆布の出汁の匂いだ。毎日の一番至福の時間がやってきた。
試行錯誤の上、鈴凛のルーティンはこのスタイルに落ち着いていた。夜2時から4時まで訓練、その後朝食。昼は佳鹿の中華弁当かアーネストが作った普通量の弁当を食べる。
それでもエネルギーは足りないため、朝のこの訓練明けの4時にたらふく食べるのだ。
アーネストと蟻音が作る美味しすぎる朝食が毎日の楽しみだった。
今日子の作る咲の残り物の残飯料理は食べたふりをして毛利家のゴミ箱に行っている。
「今日は鮭と鰆だよ」
朝の時間帯、この天才的に心配りができる職人芸的な料理を出してくれる二人が大好きだった。それでも蟻音が当番の日の方が嬉しい。閃の執事であるアーネストにイロイロ愚痴るわけにはいかないので、鈴凛は美味しいものを食べながら蟻音になんでも話せるこの時間が好きになっていた。
「矢田さんにいいところみせたかったのに、ひどいですよ拘式さん……」
納豆をぐるぐる回しながら鈴凛は言う。赤い糸も疲れたように揺れていた。
「みんながちょっとからかったからって、わたしに八つ当たりなんて大人気ないです」
「誰が大人気ないだと」
拘式が入ってきた。朝食を作るのが面倒なのか、たまに、この男も料理を持って帰ったりしていた。
「……」
「何か文句でもあるのかクソ餌」
「まあまあ」
「……」
「だいたい」
「なんで俺がこんなクソ餌を教えなければ」
「ジン君、いい加減にしなよ」
蟻音が小さくたしなめるように拘式神嶺に言った。年が近いように見えたが、拘式は少しバツの悪そうな顔をした。
「……」
拘式は不満そうな顔をしたが何も言い返さない。
「だいたい君は一度、彼女を銃殺した。きちんとできないなら……本当にやめてもいいんですよ」
つらりとして蟻音が言った。
「!」
拘式はうんざりした様子で、ドアをしめて出ていった。
蟻音がクスクス笑う。
「……拘式さんが、言い返さない……」
鈴凛は驚いて蟻音を見る。
「蟻音さんって、拘式さんの何か弱みでも握っているんですか?」
「ああ……」
蟻音は少し考えてから次を言った。
「僕以外、友達がいないからね」
「拘式さんが、友達の意見をちゃんと聞くような人だったとは…… 蟻音さんは、拘式さんが八咫烏の頭だった時のこと知っているんですか?」
「うん、そうだね彼はああいう性格だし、もともと何でもできちゃうから、人付き合いではとても苦労する。まあこの世界に苦労しない人なんて、いないんだけど……」
「何でもできたら苦労しますかね? 苦労したことが無いからあんなふうだと思ってましたよ」
鈴凛はドアをもう一度睨んでおいた。
「生まれつきの天才はいいですよね。凡人の悩みや苦労なんてわからない。ずるいですよ」
「……ごめんね。きっと彼が先生じゃ、訓練は大変だろう」
「どうして、蟻音さんが謝るんですか」
鈴凛は驚いて蟻音をみる。
「付き合いはそこそこ、長いから。彼は初めからたいてい何でもできるから、他の人がなぜ、色々なことができないかがわからないんだよ。本当にわからないんだ」
「あの人は殺し屋には向いているかもしれないけど、先生には向いてないですよ」
「……そうだね。そういう意味では……教師には、最も向いてないし、ああ見えて彼も困っていると思うよ」
「拘式さんが?困っている?」
「人に教えたことなんて無いのに、昼は学校の先生だし、夜の訓練では君のコーチみたいなもんだし、辞めるわけにはいかないし」
蟻音はクスクス笑う。
「生徒であるわたしがかわいそうです」
豆腐をぐさぐさと壊しながら鈴凛は言った。
「教えること、それは彼が唯一苦手だし、できないことかも。それなのにその役目が二つも回ってくるなんてね。しかも教え子は殺そうとした相手」
「運命だね」
「運命?」
鈴凛はそれを聞いて、違和感を感じる。そんなたいそうなものではないと思う。
「わたしは嫌々戦姫をやってて……拘式さんは嫌々先生をやってて、この世界には嫌なやらなきゃいけないことばかり多くて」
「それは……いや……なんでもないす……これ美味しいです……」
鈴凛は思いついたことを飲み込んだ。
「それは?」
「……やっぱり、運命や世界はどこまでも意地悪なんです。嫌なことを押し付けてくるっていうか……」
「……僕も料理嫌いなんだ」
「え?」
こんなに美味しいのに?と思う。
「僕の料理も同じなんだ。料理をしたこともなかったし、するとは夢にも思っていなかった。忙しいし」
「でもね」
「ある人がとてもワガママで仕方なく料理を作らなくちゃいけなくなったんだ。自分で言うのも何だけど、何度も作ると上手くなるもんだよね」
「それが、今こうして、偶然、役にたってる」
仙道が蟻音をバツイチだと言っていたことを思い出した。それは前の奥さんなのだろうかと鈴凛はぼんやりと思う。
「どうしてこう人生は嫌なことばかりしなきゃいけないようにできてるんでしょうね」
「嫌なことほど、実現化する……来ないで来ないで……うわやっぱり来たとか、こうならないで……こうならないで……うわ! やっぱりこうなった!的な」
「考えてみれば、今だって、自殺して死のうとしたのに、結果死ねない体になってしまったわけだし……」
「戦姫になってもわたしは全然弱いし……かっこう悪いし……たいした能力もないし……」
「全てのことは無駄にはならないよ。ほら、僕の料理も、鈴凛ちゃんに美味しいって言ってもらえたら、僕は料理をしていてよかったって思う」
蟻音はにっこり笑う。
「蟻音さん……どうしてそんなにいい人なんですか……?」
鈴凛は泣きそうになってしまう。
「君もすごく成長したよ。わかっていないだけ」
「銃の扱いを覚え、笠山の一周だって五分を切るようになっている。骨を折る怪我も減った。すごく多忙なはずの戦姫と学校を、両立して順応しつつある」
「……そう……ですけど……」
「成長は急には感じられないものさ」
鈴凛はなるほどと思った。
「わたし……こんなネガティブで暗い自分が嫌いです……いつもうまくいくわけないって思っちゃう。蟻音さんみたいにポジティブで優しい人になりたい……」
「嫌なことや悪ことばかり考えちゃうし……全部が怖いし……」
「死なないのに?」
蟻音が冗談めかして言う。蟻音が言うと嫌な感じがしなかった。
「おかしいですよね、未来が怖いんです……死なないし、戦姫として生きていくだけって決まっているのに。何もかもがこう……生々しくて怖いというか、いつも必死っていうか」
「それが青春、かもね」
「え?」
「……たぶんそれは君だけじゃないよ」
「青春がしたいなんて言ったけど、わたしには青春を楽しめる素質とか勇気がないのかも」
「青春の美しさや楽しさは後で気が付くのさ。その時はいっぱいいっぱいだけどね。それが後で味わい深いのさ」
「そうかなあ?……今の所、幸せなのは……この美味しい朝ごはんだけです」
「そうだ。いいものをあげる」
蟻音が奥の本棚からひとつ手にとった。
「え?」
「僕より、先人が助けてくれるかも」
ガーデンの奥にはたくさんの本が並べられている。仕事もしながらこれだけの本をいつ読むのだろうと鈴凛は思う。蟻音がとても精神的に成長しているように思えた。
鈴凛は嬉しいやら困るやらドキドキした。
本なんてまともに読んだことがない。作文の課題図書以外買ってもらった記憶も無かった。
「あ……でも」」
鈴凛の視線を見て、蟻音がほほえんだ。
「忙しいと思うけど、きっと君を助けてくれる。読んでみるといいよ」
小さくて白い本だった。




