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永遠(TOWA)  作者: 三雲
不死ノ鬣(現代編)
3/168

3話 医学部附属病院循環器科

「一緒に帰ろう」

見下ろすと、いつも通り男女の生徒が立っていた。

デジャブかのように彼らは銀杏の木を背景に、寸分違わず同じ正しい構図で立っている。

爽やかに笑って降りてくるように促していた。

「……」

鈴凛は仕方なく神社の階段を降りた。

左側のほりの深い外国の血が混じった男子は生徒会長の毛利就一郎。右側の黒髪の日本人形のような女子は、小学校から友達の夏川未来妃である。

「今日も、とても元気そうだね、源さん」

毛利就一郎がにっこりとして言った。

どの辺を見てそうそう思うんですか?と言ってやりたかったが鈴凛はその気力さえも無かった。

「……」

鈴凛を確認すると、生徒会長はじゃあといった風に部下を見て、学校へ戻って行く。

「じゃあ僕はこれで」

「はい」

未来妃は任務を受け取って、誇らしげに階段を登ってくると鈴凛に声をかけた。

「寒いでしょ?生徒会室に来ていいんだよ」

賢そうな眼差し、整えられたまっすぐな長い黒髪、校則に忠実な制服。小学校の時から何も変わらない優等生の規範。

高級そうなブランドのマフラーとコート。

「暇つぶしにここがいいから」

「悪いんだけど、時間があれば、今日も病院つきあってくれない?」

彼女は綺麗な笑顔を向ける。悪いと思ってない。

「うん、いいよ」

未来妃は鈴凛が降りてきて横に並ぶと、にっこりと笑った。

「寒そう」

「これかしてあげる」

未来妃は高そうなマフラーを鈴凛に巻いた。

「ありがとう……」

歩き出して未来妃はすぐに今日学校で自分にあったことについて話をはじめた。

「チャリティのクリスマス企画あまりうまくいかなくて……」

鈴凛の耳にはものの数秒でそれらは入らなくなり、さっきの如月周馬が何度も頭で再生されていた。それでも問題ない。ずっと未来妃だけがしゃべっているから。

「というわけなの」

風が未来妃の髪をなでると高そうなシャンプーのいい匂いがした。どこからどう見てもお金持ちの家の綺麗な子。見るからに賢そうな表情でその通り、特別進学クラス。生徒会のバッジがピカピカに磨かれて胸ポケットで光る。

彼女とは家が同じ団地で小学校の頃から友達である。

小学校の時は、毎日遊ぶくらい仲がよかった。お互いの家にも何度も行った。お菓子についた人形を集めて箱を家にして遊んだ。夕暮れまでゴム跳びをした。ノートにファンタジーのような絵をたくさんかいた。交換日記もした。

でも女の子は、少しづつ、ああなりたい、こうなりたいと、それぞれのペースで大人になっていく。

そのペースはみんな違っている。

中学になって違うグループになり少し離れ、違うクラスになってさらに遠くなった。


それなのに、今また横に、未来妃がいる。


いじめが過激化しはじめた秋頃、誰かの通報により、学校は鈴凛の問題をどうにかせざるをえなくなった。

学校としては、鈴凛がいじめにあって孤立しているという事実は困る。柊木議員の息子である柊木勇吾の問題が表面化するのも困る。

だから生徒会が、かつての友人、夏川未来妃を派遣したのである

「でね」

未来妃に面倒を見てもらっていることが惨めだった。

「それでね−−」

彼女の話題はいつも小難しい本や、勉強や進路か、生徒会。

鈴凛はほとんど話す必要がない。「へえ」「そうなんだ」「すごい」で会話が全て済む。

「−−なのよ」

住む世界が違う人。

野奈たちと楽しく過ごす方が良かった。

「へえ」

それでもこの時間は未来妃のお世話になるしかない。

いくら如月周馬を見たいからと言って、もう真冬なので、ずっと神社で時間は潰せない。カフェやカラオケに避難すれば何かしらのお金がかかる。鈴凛にはそんなお金はもちろん無い。放課後は、快適な空調設備の行き届いた病院にいるのがベストなのだ。

彼女はいじめられっ子の面倒を見た実績が残るし、鈴凛は少しだけ快適に過ごせる。この関係は、大人に近づいた少女たちにとって、どちらにとっても好都合だった。

「−−というわけなのよ」

彼女がずっとなにか話をしていたが鈴凛の頭はまだぼうっとしていた。

無神経に浮かれた未来妃の笑顔が目の前にあった。

「いつも通院に付き合わせてごめんね」

「ううんいいよ」

鈴凛が時間を持て余していることを知っていて、未来妃がたびたびこのセリフを言ってくることが鬱陶しかった。

「帰り道だから、大丈夫だよ」

「あ、年内までだったのに。進路の紙出すの忘れちゃったわ。鈴凛は文系か理系かもう決めた?もう受験のこと考えないといけないなんて嫌だよね」

駅前の地下道を通る時、彼女が言った。

「どっちでもいいかな」

呆れながら鈴凛はそう言った。

誰もが大学に行けるわけじゃない。文系か理系かなんてどうでもいい。興味もない。

「……」

だいたい何になりたいかなんて夢もないし、何なら今すぐにでも−−

こっちはそれどころじゃない。

まいにちが精一杯の戦い。

毎日学校に通うのがやっとだし、家には−−

「また汚くなってる」

駅前にさしかかった頃、未来妃が顔をしかめる。

いつも通る半地下のトンネルは何度清掃されても、すぐ落書きのジャングルに戻ってしまう。『緑と海の芸術の街』という宇多市のスローガンが台無しになる市内でもかなり汚い場所だった。

「相変わらず気味が悪い地下道よね……」

二人は歩きながら色鮮やかなスプレーの落書きを見て回った。まともなものはひとつもない。恐ろしいからか余計に見てしまう不気味なアートだった。

カタツムリのような妙にリアルで巨大な渦を背景に、ぎょろりとした金色の目玉、羽と赤ん坊の頭だけの怪物、いくつもの絡み合った蛇、恐怖に顔を歪め血を流す裸の女神、帆が千切れた船、デフォルメされすぎて読めない英語の数々。さまざまな落書きがトンネルを埋め尽くしている。キレかけた電灯の点滅がいっそう治安の悪さを増長していた。

その後ろで海辺のコンビナートからたくさんの煙突が煙を吐いている。本当はこの街に緑などほとんどない。

鈴凛はこのトンネルが嫌いだったが、街の、いやこの世界の本当の姿そのものだと感じる時があった。

「病院へつながる道なんだから、もっと綺麗にするべきよね。クリスマスのイルミネーションとかすればいいのに」

汚いものを全部閉じ込めたような暗いトンネルに、未来妃だけが本当に不釣り合いだった。

そこを抜けると、大きな白い大学病院がどんと現れる。

病人と怪我人がうじゃうじゃいる会計と受付を抜けて、二人は2階の循環器科に向かう。

「夏川です。仙道先生をお願いしたいんですが。研究室のほうですか」

病院では、いつも彼女の採血につきあう。それは治療というより治験に近い。未来妃は何万人に一人という特別な持病を持っており、小さい時から定期的に大学病院に通っている。

未来妃はいつも診察室兼研究室のようなところに行く。金持ちは病院の受付も違う場所だ。

研究室に既に車椅子に座った少年が来ていた。

西洋人形のように整った顔がこちらを見て睨む。

「遅刻だよ」

色素の薄い髪に金色に近い薄い瞳。ハーフの美しさが色濃くでている。

「ごめんごめん」

「こないだ借りてた本、ありがとう」

「まだよかったのに」

「あ、あとこれお兄さんから預かってきたよ『好きっちゃクッキー』」

彼はあの無神経な生徒会長の年が離れた弟だった。

「……」

閃は美しい顔を歪める。

「また、ほうれん草レバー味噌クッキーよこしたの」

「まあまあ……ほらクリスマス仕様だよ! サンタの型抜きとかトナカイとかツリーもあるよ」

「型抜きを変えただけでしょ。まずいことには変わりないよ」

「ほら可愛いよ。クリスマス気分を楽しもうよ」

「僕これ嫌い。見た目も緑ではっぱ臭いし。不恰好で味も形も包装のデザインも最悪。失敗作だよこれ。好きっちゃクッキーって……ネーミングがそもそも終わってるし」

「……そんなこと言わないで一緒に食べようよ」

「だいたい、みどりのサンタって病気みたいで、この顔、気持ち悪いよ」

未来妃が返事に困っていった。

正直なところ、閃が未来妃のおめでたいクリスマス気分を木端微塵にしてくれてすっとした。

「ひとつだけね」

お金持ちの子が少しわがままで病弱というのはハイジの頃から相場が決まっている。そしてその親の愛情が異常なのも決まっている。

未来妃が持っているのは、兄である毛利就一郎が企画発案し、レシピ開発したものだ。県下にいくつか店舗を持つ洋菓子店に、政治家である毛利就一郎・閃兄弟の父親が作らせたものだ。

地元産の新鮮なホウレン草、鳥肝、味噌を使って作られているらしい。

この衝撃的にまずい無添加クッキーは、県内のスーパーや駅前でどこでも気軽に買える。

「これ本当にまずいや」

閃が笑顔で言った。

クッキーは確かにまずい。が、

閃は長い病院生活のせいかかなりひねくれていた。

神様は意地悪で、お金と肉体的健康の両方は与えないのだろうか?

神様はどこか人間を苦しめる条件をつけて試練を与えるのだろうか? そしてみんな心を病んでいる。

「これ体にいいよ。みんなで食べよう」

「トラウマになってて、これ見たら自分が不健康を思い出して嫌だよ」

「……」

鈴凛はなんとなくその気持ちがわかった。

未来妃のそばにいると貧乏を思い出すのと似ている。

「それより僕が取り寄せたお菓子食べよう!」

閃は空気のようにしている鈴凛に触れない。この可愛げのない少年が鈴凛は少し苦手だったが、実害は無かった。

「ベルナシオンのチョコレートと、ガルニエのクイニーアマン」

「え……ベルナシオンって……フランスから取り寄せたの?」

「うん!」

「このクイニーアマンはパリに店出している新進気鋭の人が作ったらしいけど美味しいよ」

「閃くん……やることが……」

「アーネスト持ってきて!」

「ねえねえどこまでいった?」

「ああ、あのゲームね。ジャングルのところ……マップがループしてて難しい。ああいうの苦手……」

「あんなの簡単だよ!未来妃あんなこともできないの」

閃が嬉しそうんい笑う。

「ああいうの苦手なの。でもハリードが疾風剣、閃いたんだよ」

「ええ?!そんな序盤で?ずるくない?」

使用人らしき初老の外国人が銀色の盆の上に箱を載せて持ってきた。

未来妃も両親が銀行員と教師で十分金持ちだったが、毛利閃の親は何者なのか、金持ち具合が、常軌を逸している。

「失礼します」

老人はテーブルクロスをかけると、食器類を手際よく用意する。

この完璧な執事は、いつもポットにお湯を入れて、紅茶まで用意している。

「いただきます」

さながらテーブルの上だけカフェのようになった。

「美味しそう」

「これだけが幸せね」

未来妃が冗談めかして言う。

「美味しいに決まってる」

閃がフォークを小さな手にとって、勢いよくチョコレートにつきたてて持ち上げた。

「……」

いつまでたっても名前が覚えられない菓子たちが、いつも用意されているこの時間は、未来妃たちにとって辛く、鈴凛にとって栄養接種の空間だった。

「ほんとだね、まわりサクサクで砂糖とバターの匂いがやみつきになる」

熱帯魚のいるぬくぬくとした部屋でバカ高い輸送費のかかったお菓子とともに、長時間採血と熱帯魚を眺めるだけ。

「やっほー。じゃあ今日もはじめるよー。あれ? 閃くんまたきてるの? だめだよー病室いないと」

三十代くらいのロン毛のにこにこした男が、採血セットを銀色のトレーに入れて現れた。

未来妃の担当医である。

ここが病院でなく、白衣を来ていなければ医者とわからないようなだらしない男だった。

「はい未来妃ちゃんはこっちきて」

鈴凛はいつも通り近くの椅子に座り、漫画本を手に取った。閃のなのか、仙道がサボっているからなのか、いつも少女漫画も少年漫画も最新の漫画や週刊誌が揃っていた。

『ワールドスリップ』

まず気になっていた少女漫画の続きを開く。主人公が時代も世界も不思議な世界へタイムスリップしてしまう話である。そこで王子様に出会うのだ。ライバルの少女に、主人公が剣を突きつけられてピンチのところである。

「はいとるよー」

写真でもとるかのように男はにっこりとした。

鈴凛は思わず顔をあげる。

夏川未来妃の黒っぽい血が注射器へ吸い取られる。どこまでもみずみずしく、ゆっくりと流れる血を見ながら、口の中にクイニーアマンの濃い砂糖の甘味がパッと広がる。温かい小麦とバターの匂いがとろけた。本当に美味しい。漫画のザラザラとした紙の肌触り。水槽の空気だけの音。未来妃の血の落ち着いた赤銅色。そこはかとなく鈴凛はリラックスできた。

「……」

鈴凛は未来妃の採血をもっと見たい。永遠に終わらなければいいのにとさえ思うことさえあった。

「っつ!」

未来妃はいつも強がっているのか、慣れているのか平然と刺し口を見ている。でも針をさされる時、一瞬少しだけ痛そうに顔を歪める。

仙道が下手なのか痛いらしかった。

「力抜いて」

自分と、ずっと病気の彼女と、どっちが不幸だろうかと、鈴凛は何度か比べた。長く苦痛をともなう治療と、ひどい精神的仕打ちと。

「たっぷり、とれた、とれた」

仙道はニヤニヤとしてそれを眺める。

よく診察に遅れたり、採血する場所を間違えたり、量を間違えたりする、生粋のダメ医者だった。

未来妃に言わせれば、血液系の難病の研究者であり専門医であった。

綺麗な女顔に肩まであるうねったロン毛のこの医者は、あまり医者には見えない。鈴凛はヒモという男性をみたことが無かったが仙道はまさにそんなイメージだった。優しくゆるそうな微笑みに、だらしない衣服、華奢な体。

この医者が未来妃を健康に戻すことはまず無いだろうと鈴凛は思っていた。

「先生、こないだの結果です」

「ああ大野君」

日焼けした体格の良い青年が入ってきた。

彼は仙道の手伝いをしている医学部生だった。

「そういえば安藤教授がまた怒ってましたよ、塩酸の棚の鍵開いてたって」

鈴凛は白い棚を見上げる。

「……」

美しくボトルが並んでいる。

あのいくつかは、ものすごい威力の劇薬かもしれない。仙道なら鍵を締め忘れるかもしれない。ひとつくらい盗めるかもしれない。

「……」

そうしたら、楽に死ねるかもしれない。仙道はどこかからお叱りを食らうだろうが……

「はい終わったよ」

「ありがとうございます。会計いつもの通りに……」

未来妃がそう言うと閃がぱっと顔をあげる。

「え、今日はもう帰っちゃうの?」

恨めしそうに鈴凛を見る。

「年始にピアノの発表会があるから」

「そうなの」

「またきてね〜」

アトラクションの係員かのように生ぬるく仙道がそう言って、いつも終わる。

二人は病院から出ると、ゆっくり歩いた。

未来妃も鈴凛も急がない。未来妃はピアノの練習が嫌で、鈴凛は家そのものが嫌だった。

それでも着いてしまう。

「今日もありがとう」

「じゃあ……また明日朝、七時半に迎えにいくからね」

「マフラー返す」

「いいの……あげる。使って」

「……」

鈴凛は高級でふかふかのカシミアの青いマフラーをにぎりしめた。

「あ、ほらクリスマスプレゼントだと思って。今日イヴだし」

鈴凛は自分の家を見上げた。古く小さな家。そんな家の前で未来妃にそれを言われると、むずむずとイライラが込み上げてくる。

確かにマフラーは買ってもらえない。

でも施しを受けるのはごめんだ。

使用済みのマフラーをプレゼントだなんて偽善にラッピングして渡してくる未来妃に余計腹が立つ。

「親に怒られるから……困るからいらない」

鈴凛はマフラーを外すと、未来妃に突き返す。

「そっか……」

未来妃が少し傷ついた顔をした。

「……」

玄関の門に手をかける。

「ねえ鈴凛」

鈴凛は手を止めた。後ろから未来妃が声をかける。

「明日も」

未来妃が立ち尽くしている。

「一緒に帰ろうね」

「うん」

鈴凛は振り返らずに家に入った。




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