美鈴の家
思金神の治療は意外にもきちんとしたものだったらしく、痣は徐々に消えて行った。鈴凛はもとの生活に戻っていた。
明日から春休みである。訓練を無事に3ヶ月乗り切ったのかと思うと感慨深かった。
約束通り、鈴凛は納戸で暇な時間をみつけては、筋トレをするようになっていた。
気持ち悪い過去のデータを見て、慣れるように特訓していた。
最初は辛かったものの、習慣づいてくると、何も気にならなくなり、自分にも何かすることがあって忙しいと、咲や今日子の振る舞いも気にならなくなった。
訓練と通学と勉強と恋愛と高天原への訪問と多忙を極めていた。
「……」
その日も鈴凛は終業式から帰ると、忍者のごとく存在を消して二階にあがる。
ただいまを言う必要はないし、咲に出会うと最悪な気分にしかならないので、鈴凛は接触を極力避けていた。
「鈴凛」
ぎょっとして振り返ると、いつものエプロンをつけた母がいた。
久しぶりにその顔をみると元美人はかなり老けていた。
「ちょっといい?」
咲がリビングでふりつけの練習をしているのが、ちらっとこっちを見て無視した。
「……」
鈴凛は嫌な予感がする。いつもの嫌味や罵詈雑言がない。
それは普通ではなかった。
「……」
おままごとのようなダンスを一瞥して鈴凛はダイニングの席についた。
神域でみた天鈿女命がすれば本当に、つまらないものだった。
ちゃらちゃらしていないで、本当に音楽が好きなら、あんなふうに魂の音楽でも作ればいいのに、とぼんやりと思う。
「鈴凛、おばあちゃんちの家の鍵かしなさい」
「え?」
「おばあちゃんの家は売ったの」
「え……あれは、お父さんの家でしょ?」
鈴凛は驚いてそんなことしか言えなかった。
「相続したのよ。もう手入れをする暇もないし」
父親が死んで、今日子はすぐに祖母の家を売ったらしかった。
「え! だめだよ! おばあちゃんの家は売らないで、なんでもするから!」
「あなたには、何もできないでしょ。それにもう売ってしまったわ」
もう売ってしまった?
鈴凛は思い出がガラガラと崩れていく音がしたような気がした。
冷たい今日子の目が鈴凛は一生懸命睨んだ。それしかできなかった。
「ひどいよ。お母さんがおばあちゃんと仲がよくなかったからって−−」
「変な言い方しないで、あのババアがお母さんに冷たかっただけでしょう」
咲がイヤホンを放り投げて、話にはいってくる。
「咲はいいから。練習に集中しないさい」
「……」
「しかたないでしょう。お父さんが死んでお金がないんだから」
今日子はじっと机を見た。
「お金はあったでしょ」
鈴凛は小さく反抗する。
咲がうっとうしそうにみてくる。
保険金も事故の慰謝料もたくさんあるはずだ。それなのに。
それは全て憎たらしくて馬鹿らしい妹のアイドル活動費用に消えるのだとわかった。
「もういい」
鈴凛は自分の納戸にかけこんだ。
「わたしにはお金はあるんだから」
毛利就一郎に電話をかける。
ワンコールで出た。
−−どうされましたか?
「!」
鈴凛は一早すぎる応対に一瞬ぎょっとする。
「あの……ですね。おばあちゃんの家が売られそうなの。何とかして欲しいんです。わたしのお金をつかって家を買い戻すとか」
−−ふむ……
鈴凛は事情を説明した。
「できますよね」
−−それは忌対策で何か必要な処置ですか?
鈴凛は予想外の答えにむっとして、強く言った。
「そうじゃないけど、戦姫の言うことは絶対なんでしょ?」
−−なるほど、なるほど。でもすごく手間なんですよね……そういうことは。ほらむりやり不動産取引を無くすとなると
「はい?」
−−でも愛する恋人からのお願いならすぐにやるかもしれません。先日の恋人役を僕にする件を引き受けてくれたら、僕はとてもやる気が出て、テキパキ仕事にとりかかるかもしれません
鈴凛は携帯電話を握り潰しそうになった。
「それは関係ないでしょ!」
−−残念ですね
電話が切れた。
「もーーーーーーうっ!」
誰でも殺せる権利があると言ったのは毛利就一郎だった。
だが全てのオーダーの前に、毛利就一郎のねちっこい打算が立ちはだかってくるのだった。
「いつか……わたしがもっと偉くなったら……クビにしてやる……」
鈴凛はいてもたってもいられず祖母の家に向かった。
あの家には思い出がいっぱいなのだ。鈴凛が唯一愛された家だった。
「思い出のカンカン……あれだけでも」
思い出の缶だけは取りに行きたい。キッチンの床下にいつもおばあちゃんと秘密にしていた物入れがある。あれにはどんぐりやら石やらがらくたやら昔の宝物が詰まっている。
鈴凛はそれがどうしても大切に思えた。
見慣れた小道を過ぎて、家が見えてきた。
息が切れる。
引越しトラックが止まっている。中身を出し終えた後のようだった。
今日子の言う通りだ。未成年の自分には何もできない。
「……悔しい。結局……何もできない」
桜が散っていた。
「もうだれか住んでいるんだ−−」
知らない車が止まっている。引っ越しトラックが帰って行っていた。
もうここには入れない。
桜と黒石の門。中は少し開けている。よく日があたるからと祖母が何も植えなかった。
「おばあちゃん……」
「ごめん……」
思い出の場所は失われてしまう。もう中には入れない。
「ねえ」
涼しい声がした。
「!」
声がしてびくりとする。
「なにしてんの」
疑問の抑揚をほとんど含んでいない声がした。
振り返る。
鈴凛は息が止まるかと思った。
知っている美しい顔がこちらを見ている。
「ご」
全身の細胞が硬直してしまう。必死にぱくぱくさせる口から音をだす。頬に絆創膏がはってある。
「ごめんなさい! こ、ここ……もと……おばあちゃんの家で!」
妙に裏返った気持ち悪い声を出してしまって焦る。
「へえ」
如月周馬がダンボール箱を抱えて立っている。
鈴凛をじっと見た。
美しく柔らかい髪が光を浴びていた。
「!」
如月周馬がダンボール箱を足下に置くと、中の本がわずかに飛び跳ねる。そして何の前触れもなく、つかつか歩み寄って鈴凛との間合いを詰めた。
「へ」
すぐ触れられるほどの場所で立ち止まると、すっと顔が鈴凛の顔に近づいてきた。
美しい顔がこちらに向けられている。
鈴凛はその一瞬に縫いとめられたかと思うほど、緊張する。心臓の音も、嗅覚も聴覚も研ぎ澄まされる。全てが如月周馬に吸い寄せられた。
戦姫の戦いや高天原の雅と不思議も鈴凛の思考の中で一瞬にして吹き飛んで、どうでもよくなった。
「へへへ!!?」
ものすごく近い。艶やかな雫のような瞳、触れられたことのない陶器のようにサラサラの肌。爽やかで遠くにいってしまいそうな香りがすぐ間合いに入る。
鈴凛の心臓が勝手に飛び跳ねはじめた。
「髪に、桜ついてる」
「え」
心臓が止まりそうになる。大きな手が鈴凛の髪に触れて、花びらをつまみあげてとった。
美しい瞳孔を間近で見てしまった。
誘惑の魔力が迸るようで怖くなる。鈴凛は耐えられず慌てて目を逸らした。
「こ、ここ、もしかして、あなたの家?」
−−周馬?
車庫の方から声がする。
「そう、今日から」
「!」
鈴凛は驚いた。
この家を買ったのは如月周馬の家族だったのだ。
こんなことがあるだろうか。鈴凛はしばらく呆然と思考停止していた。
何が起こったのだろうか……。
母親らしき人がダンボールを抱えている。
「かして。それ重いから」
周馬は母親の荷物を代わりに持った。
「ゴール置きたくて、マンションから引っ越した」
庭に設置された置き型のゴールを指差した。おばあちゃんが日当たりを気にして何も飢えてないひろいスペースだった。
「あらお友達?」
「ああ」
「へ?」
鈴凛は友達と紹介されたことに衝撃を受けた。
「え」
あまり似ていないが、くりくりした目の大きな可愛らしい人だった。
「おおおおおお母様! よろしくお願いします!」
鈴凛は頭を下げた。
この人が、世界の奇跡を産み落とした人か、とまじまじと見てしまう。
「……こんにちは」
美人だがあまり似ていない。父親似なのかもしれないと思った。
「……お茶でも飲んでいかれる?」
母親が感じよくにっこりとした。
「え、いや」
「いけば」
如月周馬がニヤリと笑う。
「……」
鈴凛は縁側にかしこまった。冬なのに妙な汗をかいてしまい
混乱しながらも説明したら、如月周馬は古びた缶を持ってきてくれた。
なんでこんなことになったんだろう。鈴凛はカチコチに固まっていた。
二人きりで祖母の家でお茶をしている。信じられない。何を話そうと緊張する。
「あー……」
その傷大丈夫?と言いかけて、まてよ?と思う。如月周馬は何も知らないはずだ。
あの商店街で助けたことはばれてはいけない。
まてよ?と鈴凛は思う。
そもそも実は同じ学校です、というところから説明しないと……
鈴凛は頭を必死で回転させた。
気持ち悪くない程度に、無難な話題を……
「おまえのばあちゃん、最近死んだのか」
周馬がさらっと言った。
「おばあちゃんは、もうずっと前に……。最近は父が死んで相続したお母さんが家を売ってしまって。ショックで……その……勢いで来てしまって」
「なんか悪い」
周馬が鈴凛をみた。
「いや全然悪くない。悪くないよ如月くんは」
むしろ良い。すごく良い。こんな機会がもらえたと鈴凛は思った。
おばあちゃんの日当たり信仰に感謝する。
「ん」
しまったと思う。名前で呼んでしまった。説明をしなくては。
「あの実はわたしたち同じ学校で」
「知ってる。 シュウマ。名前で呼んで。みんなにそうしてもらってるから」
「へ?……あ、うん」
嬉しすぎて飛び上がりそうだった。色々なことが頭を巡る。あの洋梨微炭酸事件を覚えていたのか?それとも神社から観察していることがばれていたのだろうか。
もしかして自分のことを見ていてくれた?
嬉しすぎて混乱する。
「……」
何を話せばいいだろう。会話が続かず気まずい。でも気持ち悪いことは言いたくない。
だんだんと鈴凛は無言にいたたまれなくなってきた。
もう帰ってほしいのか?と鈴凛は思い始めて焦る。
「ごめん……わたし……もう帰るね!引っ越してきたんだから忙しいよね!」
鈴凛は立ち上がってくつをはいて、カンカンを抱きしめた。
「ああ」
後ろから声がする。
「思い出とかあるなら、たまに来れば?」
「え……」
鈴凛が振り返ると、周馬は少し微笑んでいた。目があうことが耐えられない。
「母さんも嫌がらないと思う」
「う……うん!じゃあまた」
「学校で」
鈴凛は門を出てから、頬を抑えた。
一人で道路で地団駄を踏む。
「うそ!うそうそ!うそでしょ……!! こんなことってある?」
「やったー!」
鈴凛は思い切り天にむかってジャンプした。




