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永遠(TOWA)  作者: 三雲
不死ノ鬣(現代編)
27/178

神域

上田三枝の死は交通事故として処理された。

「三枝ちゃん……もういないんだ」

シャワーを浴びながらぽつりと呟く。

父の死よりもっと現実味がなかった。

クラスメイトで元いじめっ子の彼女はもういない。八咫烏で百姫の僕となり、銃をつきつけられても凛として覚悟を彼女はもういない。最後にほんの少し本音を話してくれた彼女はもういない。

鈴凛は鏡を見た。指で上田三枝が化粧してくれた目頭をなでる。

その指は拳銃を上田三枝につきつけたとき」、トリガーにかけられた指でもあった。

「もっと……話をしておけばよかったのかな……」

なんとも言えない不快な感情がずっと渦巻いている。

仲直りできたのにそのタイミングを失ってしまったような……自分をなぜあそこまでいじめたのかの理由を知る機械失ったような−−。

そうすれば……色々なことがわかった気がしたし、鈴凛はなんとなく納得いかないモヤモヤを抱えていた。

「……別に仲良くなれたわけじゃないのに」

そう言って鈴凛はもやもやの正体に気がついた。

自分とは仲よくなれるはずもない。上田三枝は八咫烏といえど、自分をいじめていた最悪な連中の一人だった。悪党でなければいけなかった。

それでもただの友達思いな女の子だった。

あの商店街での事件で、上田三枝の来田野奈への気持ちは本物だったと見せつけられたからだ。

彼女はライヴハウスで自分を犠牲にしても鈴凛を助けようとした未来妃と同じだった。

「野奈は……今頃、泣いているのかな」

毛利亭の洋風の浴室は広くていつも落ち着かない。白いタイルの上を水が流れて行った。

何も変わらず、毎日が同じに戻っていく。学校と訓練の繰り返し。

でも誰かが鈴凛の行動を見ていて、後ろ指をさしている気がした。

あの商店街一体は事件後、老朽化による漏電火事として一体は焼き払われた。大火事としてしばらくニュースは流れたが、芸能人の不倫だの政治家の不祥事ですぐに何も報道されなくなってしまった。

「あの人は、新しい街を作り始めたかも」

鈴凛はふとあの男が街の人々とかたずけをしている姿を想像した。

「いいな」

鈴凛はあの男が羨ましかった。幸せに見えた。

建築士の免許を持っていて、確かな街の想像図が頭にある。次になにをするべきかすぐにわかるし、迷わずすぐに行動できる。父親が死んでもすぐに立ち直れる。

やることがはっきりとわかっている。それが羨ましかった。

もちろんやるべきことは鈴凛にもあった。

戦姫と学校の並行は忙しい。それでもまだ未来が曇って思えたし、何かが間違っている気もした。

「わたしは戦姫になりたくて……なったわけじゃないし……」

自分には戦いに特化した能力はない。死んでも生まれ変わるだけ。弱いことはわかっていた。

それでも、もし訓練を続けていたら、いつかは強くなる?

でもそれはいつ?

もし強くなれたとして、自分が戦姫としてまともに役に立つのはいつだろうと思った。チームのメンバーは佳鹿が指揮して機材は羽犬やBBが用意したり適切に活用したりする。一般人への必要な根回しは毛利家の一族が行ってくれる。

自分の血で誰かを危険に晒し、最後の最後をお膳立てされる。

毛利就一郎が言った言葉が返ってくる。

それまでにたくさんの人が死ぬのだ。上田光枝がそのはじまりのように感じた。

『あなたはそんなに強いんですか?』

「わたしは強く無い」

もし多少の才能があったとしても、努力でなんとかなるとしても、人はそう簡単に成長もできないし、強くはなれない。

「弱いわたしの周りを、どんどん死が過ぎ去っていく」

鈴凛はシャワーを止める。

「三枝ちゃんや、島津さんだけじゃない。霧姫、拘式谷の人々、父、新幹線の人々、ライブハウスの人、たくさんの人がもう死んだんだ……」

「わたしがもし強ければ、何かちがったかもしれない」

鈴凛は下着をつけバスローブを着ると、気だるい気持ちで部屋へ戻った。

「お疲れ様です」

翔嶺が訓練用のボディースーツを持ってきてくれた。

「……」

彼の黒い瞳が瞬いた。いつもしっかりしている。

「……」

鈴凛はふとそのしっかりが歪んだ時があったことを思い出した。

霧姫の葬儀の時、少しだけ気にしていた。葬儀はどうでしたか?そう彼はきいて、鈴凛は確か立派だったというようなことを答えた。あの時は少しだけ寂しそうに見えた。翔嶺はあれから霧姫の話を全く出していない。

「ねえ翔嶺君、霧姫様ってどんな人だったの?」

翔嶺は驚いて目を見開いて顔をこちらに向けた。

「……」

少年の顔が何を言おうか明らかに迷って考えている。

「決まりで、話せない?」

「いえ……」

「霧姫様は−−」

翔嶺は迷って言葉が途切れる。

「強く……美しい方でした」

「あの人のこと悪く言ったけど、忌の討伐を何百年もやって、拘式谷も守っていたって思うとすごいよ。きっとすごく強かったんでしょうね」

「霧姫様は……」

「こうして人を守りながら、拘式谷では八岐大蛇に餌を与える役目だなんて。あの人を恐ろしい魔女のように思っていたけど、助ける一方で、八岐大蛇を封印しておくために、何人も人を送り出すなんて、辛かっただろうなって、今は思うし……」

「きっと強くて、志も高くて」

「田んぼの畦道で飲んだくれて、裸になって踊っていたとか。その時から立派な巨乳だったと何度も自慢話をきかされました」

翔嶺が少し笑顔を作って言った。

「え?」

翔嶺がそんなことを言うのも、霧姫のイメージともかけ離れていてびっくりする。

「ついでに幻想霧にお酒を混ぜて、道ゆくひとびとも半狂乱にして自分も混ざってやけくそになっていたらしいですよ。当時はかぶきものとして有名だったとか」

翔嶺はくすりと笑う。その目は家族のことを話すような目だった。

「え?あの人が?……もっと怖い人かと」

鈴凛は自分でそう言って何かがちらついた気がした。そして今言ったことが間違っていることに気が付く、知らなかったのではなく、考えたことも無かったのだ。

「わたし……」

思いつきかけたことを必死に追いかける。

「わたし色々なことが怖くて……自分がいっぱいいっぱいで、死んでしまった人が誰だったか、どんな人だったかさえも気にも留めずに、ここまで来てしまった」

「霧姫もあの拘式谷の人々も」

「商店街の事件で島津さんの色々な記憶を見て……みんなには見えなかったから悪い人だって思えたと思うけど、あの人は街を大きくするためにすごく苦労して」

鈴凛ははっとする。

「異界でわたしだけが死んでしまった人の声を聞いたり、記憶をみたりできるんだ……」

翔嶺は黙ってきいていた。

「わたしは弱いけど……知ることはできるし……忘れないでいることはできるよね」

「はい」

翔嶺が小さくにこりと笑う。

「忘れないでいることだけかもしれない」

「知って忘れない……ことだけかも。それが弔いになるのかわからないけど。わたしがもし死んだ人なら誰にも知られずに死ぬなんて悲しいから」

「それにわたしは死なないかもしれないから、ずっと覚えていてあげることができる」

「それならわたしにもできる」

「……」

「あの新幹線と、ライブハウスでなくなった人も誰だったのか−−」

「誰かも知らずになんて、今思えばひどいよね……」

「自分がいかに非力かを反省しているかと思えば」

がちゃりとして毛利就一郎が入ってくる。

「馬鹿馬鹿しい。覚えていることに意味なんかないですよ。 だいたい彼らはもう死んでます」

毛利就一郎がやってきて言った。

「いちいちわたしのやることなすこと、全部否定しないでください!」

「全部間違っているからしかたないでしょう」

佳鹿が入ってくる。

「さあ、今日もムキムキモリモリ〜! 今日も着替えて訓練をはじめるわよ」

鈴凛と毛利就一郎は睨み合っていた。

佳鹿も入ってきた。ぴりぴりした空気にきょとんとしている。

「あらどうしたの?」

「彼女が忌になった人たちを覚えていたいと」

「誰が忌になったか知りたい。今までの犠牲者も知りたい。教えて佳鹿」

「言ったでしょ。人の心の闇にひきずられるなって。あんたの精神は軟弱なんだから、まず倒せる体力や技術を身につけないと。この仕事は、人がそこらじゅうで死ぬんだから」

佳鹿が立っていた。

「でも」

鈴凛は気持ちが萎んでいた。でも最後に上田三枝が必死に野奈のためにあの冷蔵庫にしがみついていた光景がよぎる。

「でも!嫌!」

自分はただの小娘で何もできないかもしれない。

死んでいった人たちを知りもせずに前に進むのはやはり間違っている気がしていた。

「興味本位で−−」

「興味本位じゃない!」

「わたしは島津さんの記憶を見た! 三枝ちゃんの最後の言葉もきいた!」

「これは大切なことだよ! 忌のことを知りたいし、わたしの蘇りの力は、忌の際で彼らの心に触れることができる」

「日本人の生死がわたしの責任なら。どんな人が死んだかくらい、どんな人が忌になってしまったのか、それを知る権利があるでしょ」

「……」

佳鹿はまっすぐに見つめた。

「臓物を見て吐いていたあんたに、人の闇に触れる、その勇気があるの?」

「もう吐かないって約束する」

「戦姫として強くなれる?」

「もっと頑張る。訓練ももっと頑張る」

「やれやれ……」

毛利就一郎は出て行った。

「……仕方ないわね。少しだけよ。訓練時間も少ないんだから」

佳鹿はにやっとしてカバンから、パソコンを取り出した。

鈴凛は黙って亡くなった人たちの資料をみつめた。

「新幹線での、駆動式機械鬼」

佳鹿が資料と写真を指差す。

第一忌発現者、津五根吾郎。第二感染者、積田誠司及び羽根衣美紀。その他死者38名」

鈴凛はそのひとりひとりの写真を見た時、数字からひとが立ち上がってくるような気がした。38名と聞いた時それくらいは人が死んだだろうと思ったし、鈴凛は自分のことでひどく混乱していた。三十八名が死んだ実感がいまさら重くのしかかる。

「この人はどうして忌になったの?」

「さあね。おそらく……働き過ぎってとこかしら?」

佳鹿はちょっとだけ考えてすぐにそう言った。

「え?働き過ぎ?」

鈴凛は佳鹿の顔をみる。冗談ではないようだった。

「特に睡眠不足でしょうね」

そんなことで忌になるのかと鈴凛は思った。

「睡眠不足で忌になるの?」

「今、羊を数えるとか、ホットミルク飲むとか、アイマスクとか、自律神経調律のアロマとか、ラベンダー入りのクマさんを抱きしめるとか、バカげたこと考えてない?」

「考えてない……それ佳鹿のルーティンなの?」

「羽犬のおやすみルーティンよ」

「……」

鈴凛は思わず目を細めてしまった。

「こほん。話を戻すとね。慢性的な睡眠不足はバカにできないわよ。最低限の欲求が満たされないと、動物は猛烈なストレスに晒される。あんたは知らないかもしれないけど、現代社会ではブラック企業で、まともな判断もつかなくなるくらい、昼夜働かされて、ふっと早朝から電車に飛び込んだりしてるんだから」

「そんなことで」

「人間はよわっちい生き物なのよ。猫に噛まれたって消毒を怠れば死ぬし、いかなる根性論があろうとも、精神だって崩れやすい生き物なのよ」

佳鹿がそんなことを言うのが意外だった。見た目は根性で何もかも乗り切ってきたかのような風体だ。

「最低限の欲求はマズローの欲求階級の最下層、生理的欲求」

鈴凛は何となく授業で聞いたことがるような気がした。

「寝たいとか食べたいとかトイレとか動物でも感じる生きていくための最低限の欲求。そこが満たされないと、ストレスは山のようになり、人間は簡単にぶっ壊れちゃうのよ。精神は結局、体の奴隷なの」

「……もっと策略とか感染とかかと思っていた」

鈴凛は衝撃だった。

「心の穢レへの感染よ。精神の感染。心の闇はダイレクトに伝わる。現実世界と違って、パンチの飛んでこない距離に避難するとか、防弾チョッキを着るとかもない」

「誰もが剥き出しの精神をさらけだし、影響しあっている」

その言葉がすごく怖く感じる。

「第二感染者は忌の心の闇に共鳴した者がなる。心は他者と影響しあっている。物理的な距離を超えてね。信じる、集中するなんて心の動きは安易には危険だし、なんなら知っていることすら、本当は危険よ」

「この防衛反応として時に乖離がでる」

「乖離。精神が分裂したり、体にいなくなるのよ」

「ひどくなると忘却になる」

「知らなければ……忘れれば守れるってことか……」

「じゃあ、このラブハウスで琵琶の鬼になってた人は?」

鈴凛は男の写真を指差した。

「夢が破れたってとこかしら?それかもしくはここは推測にすぎないけど、社会的欲求か……もっと下の安全の欲求かも」

「安全の欲求?」

「自分が心休まる安全な居場所がないのよ」

鈴凛はいまいちピンとこなかった。それであんな吹き溜まりみたいなところにいたらもっと安全ではない気がした。

「あの会場の連中は、きっとほとんどの連中が、帰る居場所、心のホームみたいなものがなかったんでしょうから」

「どうしてわかるの?」

「家出なんかして、あんただってその一人だったでしょう?」

鈴凛は言われてみてなるほどなと思う。未来妃も自分も家が嫌で家出したからあんな場所に流れ着いたのである。

「家に居場所がないから、安全で心休まる場所がないから、昼に本気出して全力でやることもないから、あんなとこに平日の夜にブラブラいくのよ」

「……なるほどね……」

「家が安全で心やすまる場所なら家に帰ってごはん食べて寝るわよ」

「そうかも……」

「満足した?」

「うーん……」

「ほらね。知ってもどうにもできないわよ。やるせなさが増すだけ」

「人間の心の闇を知ったところで、あんたは事が起こってから出動するんだから」

「未然に日本中の心の闇を察知することはできないし。忌になる人をみつけることはできないのよ」

「全ての事故や犯罪と同じ」

「どれだけ努力しても発生はゼロにはできない」

「それでも……あんたが少しましになることは、十分意味がある。感染の拡大を防ぐ」

「だから体をまず強くムキムキにすることが大事」

「そうだね……ましに……強い心は強い肉体からか……わたしもうちょっと訓練がんばる。家でも筋トレしようかな」

「いい心掛け!ほら誓いの上腕二頭筋もっこり!あなたもしなさい!」

佳鹿がウインクした。

「これがこんもりするくらいまず腕の筋肉つけなきゃね」

「うん」

「え……ちょっとその胸元!」

佳鹿がただでさえ大きな目を見開いた。

「え?」

佳鹿は狐窓で鈴凛のの裏側まで見た。

「これはまずいわ!いつからなの?!」

「いつからって……貧乳は生まれつきで」

「違うわよ」

鈴凛もみると何かが這った後のような線が脈絡もなく浮き出ている。

「うわなにこれ」

「あんた、忌になるわよ!!」

「えーーーーーー!!!」

鈴凛は、急遽、ヘリで高天原に連れて行かれることになった。

稲姫と末兎が飛車付きどころで待っていた。

鈴凛には事態の緊急度がよくわからなかったが、会う人会う人が顔をこばらせていて本当にまずいのかもしれないと思い始めた。

それか鈴凛が貧乳すぎたのかもしれない。

「わたし大丈夫?」

「大丈夫大丈夫」

佳鹿がいつもなら笑ってくれそうだが、その顔は笑っていなかった。

自分の痣はそんなに一大事なのだろうかと思った。

そう思うと、本当になんだか気分が悪いような気がしてくる。

「陵王と接触したというのが本当だったのか、穢レが強く残っちゃったみたいなのよ」

「信じてなかったのね」

「幻覚だと思ってたわよ」

「あらあら本当……これは……ちいさ……いえ……穢レがかなり残っていますね」

稲姫は困ったような顔をした。

「動いている……」

末兎は驚いてよく見た。

「紋を形成しつつありますね」

稲姫は珍しく厳しい表情をした。

「鬼に触れられた時、異界を強く見ましたか?」

「変なものは見た気がするけど」

「佳鹿様の言う通り、思金神命(おもひかねのみこと)に見てもらったほうがよいでしょう」

「オモヒカネ?」

「天照大御神を支える、叡智のひと柱にございます」

「……」

末兎がそうだったと言うふうに鈴凛を見て説明を付け加える。

「天岩戸に天照大御神がお隠れになった際には、岩戸から出す計画と指揮をとったほどの、ご聡明な神でいらっしゃいます」

「へえ……」

「今は」

「神々と戦姫の医師の役割もされています」

「折紙で来訪を依頼するのは時間がかかるでしょう。すぐに開封なされないかもしれないですし」

「このアザは……はやく思金様の草庵にいかれたほうがよいかと」

稲姫がいつもほわほわとした顔をぴしっとしていた。

「そうですよね」

鈴凛はぎょっとする痣を見ると這う虫のように動き回っていた。何だか息も浅くなって苦しい。指輪がきゅっとキツくなった気がした。

「急ぎましょう、わたくしが直接お連れします」

稲姫はすこしだけやっと決意したかのようなふうに息を吸い込んだ。

「お願いいたします」

佳鹿が深々と改まって頭を下げた。

「……?それは遠い所にでもあるの?」

「草庵はオノゴロ島の、天の安河原にあるんです」

「いってらっしゃい」

「稲姫様、よろしくお願いします」

末兎と佳鹿が稲姫に頭を下げた。

「佳鹿と末兎は来ないの?」

「神域のオノゴロ島は、神域です」

「戦姫の方々と神しか入れません」

「……無事に帰って来なさいよ」

佳鹿がさらさらと手を振っていた。

「え?」

天牛の牛車に二人は乗り込んだ。

「おのごろ島まではこれで参ります。ついたら歩きます」

高天原の海は穏やかで、いくつか他の牛車も見た

「あれは何を撒いているの?」

「真珠です。蓬莱は水と真珠で育つのです」

「えあんなにたくさん」

「おのごろ島の浜辺でとれるのです」

女たちが雲に乗って、水を撒いている。

「農婦の方々です」

薄い羽織をゆったりと越し帯で撒いているその姿は、農婦というより、まさしくその姿は天女のようだった。農作業のイメージからはかけ離れている優雅なものだった。

「日焼けもしていない」

次に小さな島が集まったエリアが見えきた。銀色の木々にいろいろな色の粒が見える。

「何か、たくさん果物がなってる」

「……」

緊張感がありませんねといったふうに稲姫が見てくる。

「いえ、お元気そうでなによりです」

「このあたりの諸島は農作物や、家畜を育てています」

「白銀の枝?……え?うわ……あんなに桃がいっぱい。あっちは葡萄だ」

「あれが蓬莱の枝ですわ」

「蓬莱は取り込んだものを理解し、複製する力があるのです」

「え?じゃあ、無限に果物が取れるってこと? うわー、すごい!」

「あれ?じゃあ、金とか銀とか宝石とかも?!」

「蓬莱は生命……つまり御霊が宿るものしか複製できないのです」

「そうなの?……残念。え……待って。じゃあ、ってことは人間も?」

「もちろん禁じられていますが、できるでしょう」

鈴凛は驚いた。あの場所に簡単に不死になる樹があるではないか。

人間の体が無限にコピーできる。

その途方もない価値と意味に鈴凛は考えがまとまらない。自分をあの樹にくっつけたら、不死の自分が量産されるのだろうか……?と鈴凛は思った。

「誰かがやってしまいそうな気がするけど」

御霊写(みたまうつし)は禁忌のこと……」

「?」

「かつてたいそう優秀で聡明な琵琶弾きがいたといいます。その師は、弟子の優美な琵琶をつま弾く技術が失われることを憂い、弟子を蓬莱の枝で複製しようとした」

「え?」

「禁忌を犯したのです」

「コピーできたの?」

「夜が明けると、楽舎は血で染まり、複製される前の弟子も師も含め、楽団の全員が死んでいたとか」

「え……」

鈴凛はぞっとして体が固まった。

「血溜まりに、ただ複製された弟子が凶器の琵琶を持って立ち尽くしており、わけのわからない言葉で検非違使たちを罵り……その女はいつまでも気が触れていて琵琶を弾くことは、教えても最後の最後までできなかったと」

「怖い……怖すぎる……でもそれって……つまり……」

鈴凛は考えを巡らせる。

「つまり……」

「つまり…………、とんでもないことになるってこと?」

鈴凛は選ぶべき言葉も、整理できる冴えた頭も持っていなかったことを思い出す。

「御霊をうつすことはできない、そういうことです」

「蓬莱はただ取り込んだ肉を肉のままに複製する。蓬莱が産み落とすのは、まったく同じ肉体を持った、全く別の何かなのです」

稲姫が蓬莱を悲しげに見ながら言った。

「そうか。なるほど、そういうことね。中身までは複製できないってことね」

「だから誰もしないのです」

「さ、もう着きます」

大きな陸地が見えてきた。

「ここからは歩きましょう」

「これを着てください」

それは白麗衆のような真っ白な衣だった。

「被るの?」

「はい」

「神々がもっとも気になさらない色にございます」

「あと素早く通りすぎましょう。色々と危険なのです」

「?」

「ご忠告することがあります」

「?」

「おのごろ島はもちろん、思金神様のもとにはあらゆる神々が出入りしております」

「……」

稲姫はいつになく神妙な顔だった。

「道中おみかけすることもあると思います」

「はい」

「脇によけてお顔をあげないように願います」

「いつも華族たちがわたしたちにそうしてるみたいにするってこと?」

「少し違います」

「神々の眩さが目に悪いというのもありますが、もっと違う意味で、空気のように振る舞っていただきたいのです」

「え?空気……?」

「ないとは思いますが」

「思金神以外の神から、話しかけられたり視線を向けられた場合も、見ないようにしてください。そして何も答えないでください」

「それって」

「端的に言えば、お互い干渉せず、こちらは特に見えていないふりをしてください」

「え? でもそれ失礼じゃないですか?」

「対等に見ま交わうことも、禁止されているのです」

「なるほど。目をあわせることが、存在を知られることが、おなじ世界に存在してることが、そもそも無礼ということですね」

鈴凛は持ち前のネガティブさですぐに理解した。

「それもですが……」

「天照大御神、月読命以外は……大変に恐れ多く、ご自由でご容赦のない方々ですので、神々に特別に認識されることは……戦姫にとっても危険なのです」

「え?」

「本来、神々に見られたり、記憶されることは危険なのです」

「危険……?」

鈴凛は神々はみな照日ノ君や白月のように卓越した優しい心を持ったイメージだった。認識されることが危険というのはどういうことなのだろうか。

鈴凛たちは森を進む。

森には石畳のようなものが造られていたが、苔むしていた。見たこともない大きなすぎや檜が無数に生えている。至る所にちょろちょろと小さな小川が流れていた。

「何かきこえる」

「アメノウズメノミコト……ウズメ様が歌っておられるのです」

「芸術と美しさの化身のようなお方」

「見たい衝動に駆られると思いますが、なるべく早く通りすぎますよ」

太鼓の音が近づいてくる。

「ウズメ様……」

−−ララライ、アアアアイエエイイオ

マイクでもつかっているかと思うほどの声が響いている。和楽器がクラブミュージックのように流れていた。不思議な音楽、不思議な音程とリズム。歌詞も何を言っているのかもわからないのに引き寄せられてしまう。体がリズムをとってしまう。

「ちょっとだけ近づきたい……ちょっとだけ」

「見てはだめです……」

稲姫も困りながら悩んでいる様子だった。

「ちょっとだけだから」

鈴凛は食い下がった。音の匂いがするように近づきたい衝動に抗えない。

見たい。聴き続けていたい。

これ以上体調が悪くなる前に、痣のとりかえしがつかなくなる前に早く草案につかなければいけないのに、もはやどうでもいいことのように思えてくる。

「少し……だけですよ」

稲姫も誘惑に抗えないようだった。

「……」

音の生まれてくる場所からは、意外にもとても離れた場所だった。

大きな岩山二つ分くらいの隙間から、遠目にそれが見える。

「!」

鈴凛は息を呑んだ。見たこともない美しい女神がうねった長い髪を振り乱してほぼ裸で踊っている。それを見た瞬間頭がくらっとした。

叫ぶように歌い、足を打ち鳴らし、胸は揺れ、服ははだけてしまっている。

本人も恍惚として、何かを考えて歌っているようにはみえない。

それは美しく力強く、目を離すことができない。

「……」

鈴凛は恍惚とした魔力のようなものに捕まって、固まってみはじめた。瞬きももったいないくらいだった。

「いけません……」

「はやくいかなければ……」

じりじりともっと近づきたい欲望に負けて、二人とも女神にどんどん近づいていく。

「これ以上は危険です」

「でももっとよく見たい」

「あれは?」

もう一人茂みの近くに男がいた。何やら道具屋楽器に囲まれて、筆を動かしている。

「そばにおられるのはコヤネ様です」

稲姫もぽうっとなったまま説明した。

ひょろりとした鯉のような顔をした男神が全ての楽器たちを操っていた。

樽の上で足踏みを打ち鳴らし、踊っている女神の横ですまし顔をしている。

それを見ると、少しだけ正気を取り戻せた。

「ああ……」

それでもすぐに女神を見ずにはいられなかった。

大きな胸や尻がときどき溢れて揺れている。鈴凛は男でもないのに、ぞくぞくとして妙な気分になってきた。あの白く美しい陶器の足で踏みつけられる映像が浮かぶ。果実のような胸にかぶりつく映像が浮かぶ。

それはそこはかとなく幸せな気がした。それだけが世界で唯一の価値のように感じた。

「ああ……もっと近づきたい」

「この世界でもっとも美しく輝かしいお方です……照日ノ君さえも見たいと岩戸をお出ましになるほどの……」

この世で一番美しいものは如月周馬だと思っていた。恐ろしく力強く惹きつけられて体も動かない。それは間違いだった。

見てはいけないのに、見てしまう。あれ以上のものは無い。

「……!」

鼻血が出ていた。

骨抜きにされて、虜にされている。のこままではまずい。鈴凛の理性がわずかにそう言ったが、すぐに別の声がきこえる。

ずっと見ていようよ。

死のうが、忌になろうがもはやどうでもいい—

「そうだね……」

鈴凛はもう死んでもいいと思えるほどの謎の満足感に浸っていた。

「!」

それなのに急に歌も踊りも音楽もぴたりと止まってしまう。

「え……」

「!」

女神が急にふっと倒れる。

「あ……」と声を出しそうになると、口元をおさえられた。

「!」

「あまり近づくと危険ですよ」

ぬっと真っ赤な鼻がそばにあった。

「んん」

近づいた気配がなかった。

「サルタヒコ様」

小声で言った。

「コヤネ様にも、見られておる」

コヤネ様がこちらを見たので、猿田彦は出て行った。

「申し訳ありません……」

猿田彦は二人のもとに行ってしまう。

「目薬……目薬……目薬はどこだ」

「大丈夫ですか」

「ああ、もう3日踊り続けておられたから」

「ああ……疲れた……眼精疲労がひどい。やめたい。でもやらないと……もっと良い祝詞をみつけないと」

コヤネ様が目頭を抑えてでてくる。

「ん……サルタヒコ殿、もうそんな時間だったか」

「姫を迎えに参った」

「む」

突然ひゅーんと音がすると、今度は二人の間に何か凄まじい速さで落ちてくる。

「え!」

隕石のようなものが飛んできた。

どーんと凄まじい音がする。

「あぶないです」

猿田彦が扇でいなすとそれはそばに軌道をずれて落ちた。

ドーンと爆発でも起きたかのような音がして、衝撃はがびりびりと伝わり地面は揺れた。

「ひ……な……」

「なにあれ……」

人よりもはるかに大きな岩だった。

コヤネ様は眉間に青筋をたてる。

「あの筋肉……馬鹿……! 祝詞の最中は、やめろと申したのに!」

コヤネ様がきーきー声で怒っていた。

「あたりかけたではないか……!」

「わたくしとしたことが……一緒になってききいってしまうとは……猿田彦様と、ウズメ様の体力のなさに救われましたね……そろそろ行きましょう。とばっちりをくらってしまうかもしれません」

稲姫も誘惑から覚めたのか、小さな声で言った。

鈴凛たちはそそくさと離れる。

「なにあれこわかった……あの岩が飛んできたのは何?」

「タヂカラオ様です」

「一番力がお強いです。よく体を鍛えられたり、力を持て余しておられまして、大岩を投げたり、山を踏み潰したり、地面を打ち鳴らして地震になったり……あのように他の神々が迷惑することがございます。神々で一番肉体がお強いのです」

「え、じゃあ一番強いのはタヂカラオ様なの?」

「いいえ……それは違います。……しかし、もし神々が互いが一対一で殺し合ったら、どちらが死ぬかという質問なら」

「あの中ではコヤネ様か思金様が強いでしょう」

「え?あの歌詞を考えて、ひょろひょろで、過労ぎみだった人?」

「どういうこと?」

「神々は肉体的に闘うことはほとんどありません」

「その必要がないからです。神々の間では現実的に武力行使することは不作法なのです」

「え、じゃあどうするの?」

「精神世界で闘われるのです」

「え?」

鈴凛は思わずこけそうになった。

「ど、どういうこと?」

「わたしも長く生きておりますが、人間に理解できることではありません……でも……わたくしの想像では」

「神々はこの世のことわりにすら支配されないのです」

「我々がみている神々の姿さえ、仮初のもの。本当の姿ではないとか」

鈴凛は驚いた。あのしっかりとした腕や、美しい姿は本物ではないのか。

「どういうこと?じゃあわたしたちがみている神々は何なの?」

鈴凛はどきどきする魅力を持った照日ノ君を思い出した、あれは幻想か何かなのだろうか。

「インカーネイション」

稲姫がつぶやくように言った。鈴凛はその言葉を前もどこかで聞いた気がした。

「神の力……」

「受肉、化肉とも呼ばれます」

「神は日緋色金を何も無いところから創世し、この世界に神の体をつくり顕現するのです」

「インカネーション……」

「それは我々に理解を与えるために、顕現化した姿。神はたとえその化肉した姿を失っても不滅とか……」

鈴凛はますます混乱した。

「ことわりに支配されないって」

「拳を相手に届かせるには自分の筋力と物理法則とがかかります。この見えている世界です。でも神々はそれを超越した場所にもあると。つまり仮初の体に影響を与えても、神々のご存在には何の影響も与えません」

「現実の……世界……に存在していないってことなの?」

「とにかく我々の考えを超越した存在なのです」

「しかし精神世界の対峙には大概の想像力のスピードが全て……つまり考える方が早いということ」

「……ということらしいです」

稲姫もはっきりとはよくわからないといったふうな顔をした。

「わかるようなわからないような」

「人間には理解しがたい世界です」

「だからタヂカラオ様は、人間にはとても恐ろしく映りますが、神々の間ではお強くはありません」

草の小道を抜け、森に分入る。小川に沿った獣道のようなところを歩いた。

口を大きな洞窟が見えてくる。その中かから流れてくる川に沿って橋が続いていた。

そこら中でなぜかたくさんの石が積まれている。

「?」

「天の安河原です」

洞窟の奥に入り口、鍾乳洞のようなところをどんどん奥に進む。湿っぽい空気が続いており、そこら中水浸しだった。

「こちらに思金神様がおられます」

松明の灯りが灯されている。

しばらく行くと階段になり上に登っているようだった。意外と広い空間だ。

「ここに?」

「地下は温度がより一定らしく、研究に都合がよいとか」

しばらく行くとぽっかりとひらけた空洞にでた。天井が見えないほど広い。

柔らかな緑の光に包まれて、水舎のついた草案が真ん中に浮かび上がっている。

「あそこです」

鈴凛たちは光る草を踏みながら入った。

「……?」

玄関といった風ではなく、入り口から雑然とイロイロなものが置かれている。

どこか気味が悪い。籠やガラス瓶のようなものが雑然と並んでいる。糸のようなもの、植物のようなもの、動物のようにも見える肉。不思議なものがたくさん閉じ込められている。

ところどころに発光するキノコのようなものが生えており、室内の明るさが保たれていた。

「ここが……?」

「わ……これは可愛い」

可愛い黄緑色の苗木が足下に無造作に並んでいた。

「あ、気をつけてください。それはモチモチの木の苗木です」

「え、これが?」

鈴凛はあやうく指がくっつく所だった。

「思金様は叡智の神」

「高天原の摩訶不思議な動植物も研究もされておられます」

見たことのない生き物たちの死骸がホルマリンのようなものに漬けられている。

そこが神々の実験室のようで、鈴凛は神が恐ろしいことの意味をなんとなく理解する。

彼らからすれば、やはり人間もただの実験動物のひとつなのかもしれない。

稲姫が天照大御神、月読姫、素戔嗚命が特別であるといった意味がなんとなくわかった。

一際大きな檻が室内の中心のような場所にあった。天井に穴が開いて、光が舞い降りている。

「……?」

開け放された籠に『四重』と記され羽が散らばっている。まるで取り出す時に鳥が命を賭けて暴れたようだった。もしかしたら天井を突き破ったのかもしれないという感じもする。

「まだかたずけてもおらんとは呆れるな……」

ささやくような声がすぐ後ろからして、びくりとする。

草案の闇からふっと美しい女が出てくる。

「真誌奈……さん」

「ふふふ。気配に気が付かぬとは。相変わらず間抜けな娘じゃ」

稲姫が目を細めた。

「こちらで何をしておられるのですか?」

真誌奈は扇子を口元にあてて笑う。

目元にハリがある。

そんなはずはないのに女はさらに美しく若くなったように見えた。

「そなたも知っておろう。わたしは思金神様と共同研究をしておるのだ」

赤い紅をひいた口でにやりと笑う。

「美を追求するためのな」

深緑の液体が入った小瓶と蓬莱の枝を持っている。

稲姫は目を細める。

「ぬしも知っておろう」

「……!」

邪悪に恐ろしく微笑んで、真誌奈がささやく。

「真誌奈様が御魂(みたま)うつしの儀に関わる恐ろしい研究をしている−−と」

稲姫は目を見開いた。

「!」

息を飲み込んで殺したような音が稲姫の喉で消えた。

「御霊うつし?」

「冗談だ」

はははと真誌奈はその様子をみて高らかに笑った。

第一印象から最悪だったが、目の前の女は印象以上の曲者のようだった。

「人間は立入禁止なんじゃないんですか?」

鈴凛は真誌奈を睨んで、稲姫にきいた。

「はい……そうですが……」

稲姫がこまったように言う。

「真誌奈様は特別なのです……」

「!」

戦姫が人間に様をつけるなんておかしいと鈴凛は思った。末兎の顔が浮かぶ。

だいたい稲姫だって、戦姫なのだから、真誌奈よりははるか年上のはずだ。

「わたしは特別なのだ」

真誌奈はさらにずいっと鈴凛へ歩み寄って顔を近づけた。

「おまえもそうらしいがな」

女は余裕を持って微笑んだ。戦姫への尊敬など微塵もない様子で真誌奈はどうどうと立ち振る舞っている。

「特別に、照日ノ君のお気に入りなのだ……」

こっそりと耳打ちする。

「!」

ぴりりと怒りが昇ってきた。

「……!」

そんな様子も無視して、ぐっと真誌奈がさらに鈴凛を引き寄せる。

「今日は気分がいいのだ、小娘」

「!」

「いいことを教えてやろう」

「この草案をよくみよ……」

すぐ耳元に艶やかな唇が寄せられ、色っぽい声が響いた。

白い指がすぐそこのガラス瓶を指差した。

「美しいものたちが籠や瓶へとらえられている」

「……!」

瓶に入れられた、食虫植物が蝶をとらえて食べた。

「美しいものには、嘘や毒があるのだ」

「この美しい高天原もそれは同じ」

「……!」

「そこらじゅうに」

一息ついて、真誌奈の息が耳元にかかる。

「美しい嘘が蠢いておる」

鈴凛は鳥肌がたった。

「……!」

心臓を鷲掴みにされたような、恐ろしさを含んでいた。

「……!」

なぜそんな助言をするのか鈴凛は真誌奈を見返した。混乱させるため?ただの戯れ?

「おやめください」

稲姫が言った。

「……」

女はただ赤い唇をくっと吊り上げて笑う。

「あれ?」

入り口に人影が現れる。

三人はそちらに顔を向ける。

「あ、きてたの?」

割烹着のようなものを着た、新緑色のおかっぱ髪の男にも女にも見えるような光輝く神が立っていた。

頭に巻雲が絡みついて、台風のように荒れ狂っている。

「しつこいなあこいつめ!」

必死に頭の上の雲を追い払おうとしているが、雲はしつこく渦巻いていた。

緊張が解ける。

「やあやあ、なんだか楽しそうな雰囲気だね!」

思金神は笑った顔が女にも男にも思える優しい顔立ちをしている。

「ごめんちょっと遅れたかな。ミスって巻雲がついちゃってさ」

神々はみな中性的であるが、特にどちらともわからない風貌だった。

呆気にとられている鈴凛を尻目に真誌奈が身を翻した。白い布をかぶって外に出る。

「ここに長いはすすめないぞ!」

そして後ろ姿のままケタケタ笑ってでていってしまった。

「!」

思金神がぎゅっと鈴凛の腕をつかむ。

「ようこそ、ようこそ!」

握手をぶんぶんとした。鈴凛は色々な恐怖でカチコチになっていた。

色々な情報が頭を飛び交っている。

神々を見てはいけない

この人があのたくさんの瓶詰めを作った。

高天原には恐ろしい嘘がひしめいている。

御霊写の儀にかかわる恐ろしい共同研究−−

そして今にも寄生の巻雲がこちらにも付きそうである。

「およ……?」

思金神は驚いて鈴凛を見る。

「百姫様、もう見えてないふりはいいですよ!」

「あ……いえ……あの」

「君が噂の不死身の子かぁ〜 ほうほう。 穢レがこんなに出ても、正気でいられるとは本当に興味深いね。うんうん」

鈴凛の胸元を覗き込んで調べ始める。

男か女かもわからないのに恥ずかしかったが、医者に照れてもしかたないと思いながら鈴凛は深呼吸をした。

ゴーグルのようなものをかけて思金はじっくりと調べている。

「鬼のツノでもつかんじゃった?」

「いえ……陵王のバチで……なんだか、ぐっと、やられまして」

「なるほど〜。ま、彼らが持っているものは、穢レの塊みたいなもんが多いからねー」

「ここに座ってー」

思金神はグリーンの革張りの診療台椅子のようなものを指差した。

「はい……」

まわりの妙な機械や、ベルト、器具などが目に入って恐ろしい気分になってくる。

「穢レの痣が、ぐるぐるなってきてるねえ〜 こんなに細かい紋ははじめてみたよ」

「でもここまで広がっても大丈夫だなんて……かなり穢レに耐性があるんだね〜」

念金神は鈴凛の痣をじっくりと見ている。

「ふむふむ」

「……」

「ねえねえ」

にっこりと思金神は笑って顔をあげた。

「もう一回、死んでみてくれない?」

「え……」

鈴凛はぎょっとする。ちょっとだけ引いていた恐怖心が津波のようになって帰ってきた。

思金神はぎゅっと両手を握手して、上目遣いに見つめてくる。

「だからもう一回死んでみてくれない?」

「そ……」

「ここにさ〜、穢レがぎゅーっと濃縮されたものがあるんだけど」

思金神は何かの通販サプリの販売文句のような言い方で、明るくポケットから何かを取り出す。

「!」

なめらかなツノのようなものだった。瑪瑙のようなその筋は禍々しい黄土色の光を放ちながら、生きているかのように不気味にうねっている。

「これでぐさっと刺したら、穢レが急上昇して、神衣武具が発動して、ぼぼっと明で焼かれてさ、普通の戦姫なら死ぬんだけども、君はもしかしたら」

「いやそれか、穢レの耐性があるから忌になりきっちゃうかもな」

「ね、どうなるかやってみたいでしょ?」

鈴凛は首を恐る恐る横に振る。

「忌になったらやばいって? そしたら僕が殺すよ。安心して。とにかく大丈夫だからやってみない?」

「そ……れは……」

鈴凛は呼吸ができなかった。

もし、生き返れなかったら、どうするつもりなのだろうか。

「!」

思金神はにこにこわくわくしている。

明らかにその後のことなど何も考えていない。好奇心の塊だった。

「でも生き返れないかもしれなですし……照日ノ君や月読姫様にそうなったら何て」

鈴凛は恐怖で心臓がバクバクした。殺されるかもしれない。目の前の笑顔が急にサイコパスの殺人鬼かマッドサイエンティストに見えてきた。

瓶詰めにされるかもしれない。神々は人間を何とも思っていない−−

「あー……まあ、大丈夫でしょ? 僕から適当に説明しとく!」

朗らかに笑ってさらにニコニコとした。

稲姫に視線で助けを求める。稲姫も青ざめて息を呑んでいた。

「ね?」

「……嫌……です」

鈴凛はおそるおそる声をだした。それしか言えない。

なんで嫌なのか理由を考えても焦って何も言葉がでてこなかった。

緊張がぴりりと走る。

「……」

時間が異常にゆっくり進む。

思金神は目を見開いて、にいっと笑った。

「えー」

考えているようだった。

「!」

「やっぱ嫌か。あはは」

思金神はあっけらかんと笑った。

全身の力が抜けた。

「じゃあじゃあ、ふつーのつまんない治療しちゃうか〜?」

「は……い……お願いします」

仙道といい、まともな医者はどこにいるのだろうと鈴凛は思った。

「この強めの明を管理しながら徐々に入れればいけるよ〜」

「ねえねえ」

「!」

鈴凛はそのお顔にふたたびぎょっとする。嫌な予感しかしない。

「じゃあさ、このさ、もっとはやく治す方法も、今思いついたけど、やってみない?」

「今?!……え……はやく……治す方法?」

鈴凛は何度も断ると、怒らせてしまったらどうしようと考える。2回目は断り辛い。

「そうそう!即効性あると思う!」

それならいいかもしれない。

「!?」

稲姫を見てぎょっとする。

『いけません』稲姫がそう目でうったえて首を細かく横にぶんぶん振っている。

「いや……やっぱり……普通の方法で。至極一般的な方法でお願いします」

「えー……つまらない。ほんとに?」

「はい……」

「そっか。じゃあじゃあ、ここに寝て」

思金はあっさり諦めると、注射器を持ち出した。

「あの……それは?」

未来妃が仙藤に注射されるのはこんな気分なのかと思った。不安すぎる。

「これ?」

「あー。神様っぽい力の凝縮版だよ」

鈴凛はそのざっくりとした怪しすぎる点滴を見つめたが、これ以上争う術もなかった。

「痛!」

血管を探すわけでもなく、思金はいきなり、ぶすりとさした。

「これで穢レを中和する、みたいな〜あはは〜」

生きては帰れないか……元通りでは帰れないかもしれない。

鈴凛は不安と涙を堪えた。

「消えていく」

「病は気から〜穢レは気が枯れることなのさ〜」

赤い糸も緩んでほっとしているようだ。鈴凛もそれを見るとなぜか安心した。

「何みてるの?」

「あ……わたしの指というかたまに色々なところから赤い糸がみえておりまして−−」

「ほう?」

思金は急に真剣な顔になって乗り出して鈴凛を見た。

「くわしく」

「神々にも見えないらしいんですが……」

「ほほーう、それは面白い」

思金はレンズのたくさんついたヘルメットのようなものをもってきた。

「ふむ確かに。何も見えない」

「これか?」

「こうか?」

「おお!見えた!」

赤い糸はひっしに鈴凛の中に戻ろうとしている。会話の内容がわかっているようだった。

「ヒヒイロカネ〜っと」

思金は棚にあったトレイから、ピンセットを取り出した。

「どうなるかやってみたい!」

赤い糸を摘もうとする。すると、赤い糸はイヤイヤをして見事にかわしている。

「こいつめ」

「こんにゃろ」

「あ、とれた」

ぱっと消えてまた赤い光が糸になった。

「ああ……だめか。掴めない」

「うーん……なるほど」

「じゃあ……秘密兵器だしちゃおうかな〜」

奥に戻ると、鍵をがちゃがちゃ開ける音がして、何やら重そうな扉がぎいいいと開く音がして、鍵をまたかける音がした。

「……」

鈴凛は嫌な予感がして息を飲んだ。

思金が戻ってくる。その手には禍々しい光を放つ、石がピンセットのようなものの先にとめられているものを持っていた。

「それ……は……」

稲姫が顔面蒼白になっている。

「じゃじゃーん! 三種の神器、天野叢雲の欠けちゃった剣の破片〜」

「ひ……」

稲姫はガタガタと顔を背けてうずくまった。目を必死に手で覆っている。

「恐れ多い」

「これは大丈夫だよ〜。みたって死なないって」

「え?え?」

「何なんですかそれ、怖い……痛た!!」

思金が鈴凛の発言を無視して、いきなり赤い糸をぐいぐいひっぱりだした。

それはしっかりと赤い糸をつかめている。

「やめて!」

それが抜けてしまうのが鈴凛はとても恐ろしかった。

「やっぱりやめてください」

「こわいです!」

「お!」

思金は無視して楽しそうに糸を追いかけ回している。

「あ!」

ぽんという感覚があってそれがでてきた。

「わ」

三本のほつれた糸。

「……」

ゆらゆらした赤い物体。

「これは……」

それはトーテムポールのようでもあり、揺れる蝋燭のようでもあり、

顔のような二つの丸穴に、口のような長いくぼみもみえる。

「こいつは……」

「なんだこれ……」

「こんなの……みたことあるな」

「ダンシング……エアーマンみたいですね」

稲姫が思わず言った。

「え?」

「ああそれだ」

「ほんとそっくり」

「風船のぴろぴろするやつね」

「さ、とにかくひっこぬこう」

赤い糸の生命体は出てきた穴に戻ろうとしている。

「やっぱりやめてください!」

かわいそうになって鈴凛は言った。

「え〜」

「でも寄生虫みたいじゃないこれ?」

「それは……」

「でもこの子がたぶん刀になったような」

「この子が櫛名田様の湯津爪櫛ゆつつまぐしかもしれないって話もありますし」

「え?じゃこれが湯津爪櫛ゆつつまぐしなの?」

思金神ははじめてとても驚いた。

「え、これが伝説の?!」

稲姫も驚いて二度見する。

「……」

赤い糸はゆらゆらとダンスを踊っている。

「まあ……とにかく取り出してみようよ」

「だめです」

「よっと」

「痛い痛い!ひっぱらないで」

油断した隙に思金が引っ張る。

「怖い。やめて嫌です」

体のどの部分よりも、内臓よりも眼球よりも大切なものに思えてくる。

言うんじゃなかった。焦りが鼓動を早くする。

「え?」

思金はワクワクしてきたようで邪悪に笑っていた。

「やだ」

「いやって言われるとなんだか余計楽しくなってきて」

「よし!」

「……いやああああああ!」

ぐいっと最後の力がかかる。

「抜けたあああああああ!」

静寂に包まれる。

「あれ……?」

ピンセットには何もついていない。

それは引き抜くと同時に消えていた。

「あ……」

なんてことはなかった。でも悲しいような気がする。

「とれたのですか?」

稲姫が不安そうにきいた。

「……ふーむ」

「!」

赤い糸が鈴凛の手首からゆらゆらとほつれた糸みたいにまたでてきて、怒ったように思金の手をぺしぺしとパンチしていた。

鈴凛はほっとする。

「驚いた……意志まであるようだ……」

その後あれこれしても何にも赤い糸に触れることはできなかった。

「そろそろ……」

時間内に鈴凛は地上へ戻る必要があったため助かった。

帰り際に、思金は「また来てね〜」と手をふって見送ってくれた。

「殺されるところだった」

「ほう……」

稲姫がほっと胸を撫で下ろす。

「オノゴロ島は……恐ろしいところなんですね……」

鈴凛はどっと疲れて横になっていた。

「思金様は、知識と研究を司っておいでです……ですので、常に新しい治療法を試したくてうずうずしておられるのです」

「噂によれば影姫様の巨乳化が止まらないのも、刺姫様のイボも劇薬の副作用のせいだとか……」

「……こわ……」

「あの島にあんな神様ってたくさんいるの?」

「あんなとは失礼ですが……個性的な神々が、はい、いらっしゃいます」

「あんな力が強い神とか、言葉で精神を破壊する神とか、神器をピンセットにしている神がいるのなら、彼らが戦えばすぐに鬼族に勝てるんじゃないですか?」

「めっそうもございません」

「神々は本来……人間になど興味などありません」

「は……え……?」

「慈悲深い心をお持ちなのは天照様、月読姫、素戔嗚……。人を造り……人の世界……芦原を統べることを司る神だけです。人の世を司る神々だけなのです……猿田彦様は特別ですが……」

「え? じゃあここにいて、戦いには我関せずなの?!」

「そうです」

「え?」

「神々の王様って天照大御神なんでしょう?」

「はい」

「神々って強いんでしょう?」

「はい」

「じゃあ照日ノ君が命令してくれたら、戦ってくれるのでは?」

「それはそうかもしれません……でも……なんといいますか……」

「もし命令されれば、いやいや御命令されたことを、あのお方たちは……非常にゆっくりとなさるふりをなさるでしょう」

「……」

「神々には各々が司っていることが最も本能的に大切なのです」

「人間がどうしたこうしたということは、天照様の司る範疇ということです」

「それでも神様なの」

「我々の神ではないのです」

「神々あっての我々。我々はたあいのない儚い存在なのです」

「まってよじゃあ、敵の神……八十神て」

「人間の滅び、穢レを司っています」

「じゃあ二人の喧嘩みたいな感じで、他の神は外野なの?」

「いえ神々の頂点にいらっしゃるのは天照大御神に間違いはないので」

「みなさんなんとなくは協力されると思いますよ」

「……」

「照日ノ君は……優しいから、きっとみんなに無理強いしないのね」

そこはぼんやりと強くいってほしい、働かせてほしいと思った。





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