端波市場
「ここよ」
しばらく歩いて、佳鹿が立ち止まる。
「ここだYO」
BBが階段に座っていた。ぽっかりと開いた階段を指差している。
「まさか……ここに入るの」
シアトル地下2番街と書かれている。
湿気とし尿が古くなった匂いがした。ビニールのはげたコンクリが剥き出しになって、明かりもまばらである。途中で折り返しているのが見えた。
「くさい……」
地下街へ降りると、ずらりと並んだシャッターの店々に挟まれて、レンガばりの通路が続いていた。ぼろぼろになったベンチや、壊れた看板。ビール瓶のケースなど雑然と置かれている。ところどころに電気のともった看板が見えた。
「いこう……」
鈴凛は照明のついた店の中をみた。理髪店だが、誰もいない。客も店主も急に消えたみたいにクリームがそのままになっている。
「誰もいない」
古い理髪店や帽子屋、紳士服と書かれた店が暗く押し黙って並んでいる。
警戒しながら進むと、羽犬が声をあげた。
「これは地図と違います」
「音が」
BBが銃を構える
曲がり角を曲がると、なぜかだれもいない通りの、行き止まりに細い路地にぎゅうぎゅうの人がいた。うろうろとして突き当たりでぐるぐる回っている。
「こいつらは呼ばれた連中か」
老人や女性や男性。子どもはいない。
人々は瞳が濁っていてぼうっとしてうろうろしている。意思のないゾンビみたいだった。
「この異界の端っこで、これだけの数を呼ぶとは」
「嫌な予感がするYO」
「連中をどうする」
「忌をやらないとどんどん増えるだけよ。はやく叩きましょう。……一体じゃないのかもしれない。生身じゃ危ないかも。特殊服に着替えた方がいいわ」
「高いのに使うんですか」
「こういう時のためよ」
着替えられるとわかってどこか拘式親子がほっとした顔をしていた。
拘式の紙袋とBBの背中から取り出した黒っぽい軍服に全員が着替える。鈴凛はかつらを取り払った。
「はじめから着替えてればいいのに」
「こんな格好で街は歩けないし、これは、チョー高いんだから」
ブーツをはきながら佳鹿が答えた。
「イエローファミリーファッションもよかったよ」
BBがふざけて言った。
「これ高天原の便利素材イロイロが織り込んであるのよ。戦姫の日緋色金の神衣の100分の一も防御力は働かないけど、まだマシだから」
「それって……」
「そうあんたの経費」
はあと鈴凛はため息をついた。こうして借金は増えていくのだ。
「わたしも準備しとくべき?」
「明は消耗が激しいから温存しておきなさい。いざって時にするのよ」
終わりのない通路を進んでいくと、匂いと店が変わってきた」
「あ、今子どもが」
誰かが走っていく。
「あれ?」
「後ろ……」
「!」
「通りが変わってる−−」
看板にも電工看板に端波市場と書いてあった。地面にゴミが散乱し、テーブルも椅子も好き放題に置かれており、
「地下に市場?」
「これは本来上にあるものでしょう?」
「次元がねじれているのか?」
「ここはもう異界ってことよ」
生魚の匂い。白菜の葉の匂い。ちらつく照明。迷路のように続いていた。足元とには土の地面が剥き出しになったり、溝に無理やり蓋をしたような通りだった。
「汚い……」
そこらじゅうが妙な油で塗れている。うすぐらい裸電球が、時代が違うかのような錯覚をもたらす。
「いまだにこんな場所あるんですね」
「もと闇市だったらしいからね」
果物屋、揚げ物屋、魚屋。市場の通りのようだった。
抜けそうな木の蓋をまたぐ。
「きみが悪い」
「ひいいいいい」
黒い虫がすごいスピードで列をなして駆け抜けていった。
「ただのゴキブリじゃない」
「市場とか飲食店街にはつきものよね」
虫たちは波のようになって、どこかへ消えた。
「それにしては多すぎですが」
「そこらじゅうがひびわれてる」
「耐震やばそうですね」
「!」
「気持ち悪い」
鈴凛は佳鹿の大きな足につかまって、足を浮かせていた。
虫たちは裂け目にどんどん入っていく。
佳鹿は少し考えて、口をすぼめた。
「親玉はゴキブリの鬼なのかしら」
鈴凛は歯を食いしばった。
「笑うところよ」
「笑えないよ! そうだったら嫌すぎる」
「!」
「え」
今度は足元を赤い汁が流れてきて、ぎょっとする。
「ね佳鹿−−」
−−コロッケくださいな
「!」
巨大な包丁がドンっと音をたてた。
「え?」
急に誰もいなくなる。鈴凛は先ほど見た肉屋の中に立っていた。
「あれ」
赤やピンクの肉と包丁が置かれている調理台がある肉屋だった。
少年が肉を切っている。丸坊主にした彼は巨大な肉にかこまれて仕事をしている。隣には大きな油の入った鍋があった。
目の前にいるのに、なぜか鈴凛を無視している。
「あの」
−−すぐみつかる
少年が鈴凛の足元を見る。
「え?」
「わあ」
鈴凛の横にはワンピースを着た可愛らしい少女がいた。
その子も鈴凛を無視する。お金を差し出して、少年からコロッケのパックを受け取った。
−−明日もくるね
−−来るなよ、仕事の邪魔だろ
「ねえ、佳鹿この子たち−−」
「ねえ?」
佳鹿が上から見下ろしている。
「え……」
鈴凛はもとの佳鹿の足に捕まっており、目の前の肉屋には誰もいなかった。
「幻?」
「?」
他のメンバーが不思議そうな顔をする。
「いま確かに店の中に」
「……先に進むぞ」
「でも確かに……」
「幻覚でも見えたのですか?」
翔嶺が優しくきいてくれた。
「まあここは異界だからYO 普通じゃないことばかり起こるYO」
「……」
鈴凛は納得がいかないまま歩き出す。
どこまでも市場が続いていた。
「!」
拘式が鈴凛と佳鹿を突き飛ばす。
ばたばたと音がして何か落ちてくる。
「え、天井低いのに」
「ひ……」
赤い液体と肉片に布がくっついている。
「なにこ……」
人が潰されている。
「う……」
鈴凛はその場で吐いた。
「あら完全にミンチになってるわ」
「もう被害者が。上の方にも異界が展開されているんでしょうか。この遺体は一瞬でバラバラにされている。それか次元のねじれにでも巻き込まれたのか……」
翔嶺が言った。
「三人分くらいでしょうか」
「写真のと……、殺し方が違うYO」
BBが考えるように言った。
「!」
先ほどの隙間から音がする。
「ひいいいいい!」
ゴキブリがざあっと群がって、落ちてきたものの上に覆いかぶさって山をつくる。
「うわあああああ」
そしてさあっとまた隙間に戻って行った。
「……!」
遺体の破片は跡形もなく消えた。
「あら綺麗になった」
「小さな食物連鎖の自然界みたいになっちゃってる」
「もうやだ……帰りたい……」
「肉片になんかなりたくない。ゴキブリも見たく無い」
「泣きたいのはこっちよ〜」
「あんたはミンチになっても、かたまり肉に戻れるけど、こっちはミンチのままなんだからね」
佳鹿は冗談なのか本気なのか笑って言った。
「余計、気持ち悪くなってきた……」
鈴凛以外はまったく平気なようだった。
「軟弱め」
「みんなが異常なだけですよ」
「何か光があるYO」
BBが先の光を指差した。
「出口か?」
ビルとビルの間に、蜘蛛の巣のようなものが屋根の骨組みのように張り巡らされている。人々と傘がアートのように散りばめられていた。地面には通りを歩いている間に固まってしまったようなポーズの人々もいる。
「これなに?」
「まさか……後で食べるつもりなのか」
−−知能が?
「まだわからないけど……」
「知能があったらやばいの?」
「人間レベルの知能が残っているならグレード3。倒すのは非常に厄介だわ。ただのリスのどんぐりみたいな収集癖だと願うわ……」
カランとドアの開く音がして、ひとつの店が開け放される。
「あ!」
また幻覚だった。佳鹿や拘式は消えて、店の中で勉強する男の子が見える。建築士と書かれていた。鈴凛がはじめに登ったあの祠があったビルだった。
「!」
本が脇に積み上げられ、ノートには鉛筆でたくさんの走り書きや、建物のスケッチが見える。そして妹なのかまたあの女の子がいる。
−−たくさんの人が来るんだ
−−これは何?
−−ショッピングモールデパートだよ
−−大きいねえ この街にこんなのができたらいいねえ
−−おうちゃん、この町を日本一にしてね
「あの子たちは……」
よく見ると、男の子はみすぼらしい茶色のランニングで、少女は綺麗な仕立てた服を着ている。
「ねえ?」
佳鹿の声が帰ってくる。
「あ……」
「また白昼夢……」
「今ですか?」
翔嶺が不思議そうに聞いた。
何なのだろうか。それは一瞬で、メンバーたちは鈴凛がどこかに飛んでいることにも気がついていなかった。
「進むぞ」
餌がマネキンのようになって固められて、さまざまなポーズで貼り付けにされている。
肉の糸のようなロープなようなものは、ネチネチとしていて気持ち悪い。
「忌の仕業なのだろう」
「おやまあ上の方まで」
「……!」
鈴凛は息を呑んだ。
「え……」
美しい青年がイエスキリストのような体勢で十字に磔にされている。ぐったりと首を落とし、目を閉じたまぶたは安らかに時を止めていた。
「うそ……」
如月周馬だった。よく見ると少し脇に野奈も捕まっていた。
「なんで……」
「知っている奴なのか」
「さっき幸せそうにデートしているところを見た……」
「市場に用がある年齢には見えないわね」
「幸せじゃないようだな」
「忌に呼ばれ、ここにいるということは、神籬の柱が壊れかけているのです」
「異界の香りを感知したり、干渉したりするためにはある程度の穢レが必要です」
如月周馬は野奈とデートして幸せなわけじゃない。なぞの嬉しさが込み上げる。
来田野奈では彼を理解して救ってあげることはできなかったのだ。
「どちらかだけという可能性もあります。例えば手を繋いだり腕を組んで、穢レが強い人間とともに異界に入ってしまうことも。異界は入ってしまえば簡単にそこに存在できるんです」
野奈は幸せに決まっている。鈴凛はどれだけ彼女も如月周馬に恋焦がれていたかは知っているし、その価値も知っている。
野奈は憧れの如月周馬とデートできて、心を病むはずがない。
ということは、見えない悩みに苛まれているのはあの美しい貼り付けの王子の方ということになる。
「わたしが、助ける」
鈴凛は戦姫になってよかったと思った。
「!」
「放っておけ」
「嫌だ」
「時間がない」
「だめ」
「あのひとは、わたしが絶対に助ける」
鈴凛は登り始めた。
「なんだと? おい」
拘式が眉間にシワを寄せる。
「忌を倒さなければ同じことだ。先に忌を殺せ」
「それでもここにいたら食べられてしまうかも。どこかに隠す」
「全員は」
「彼らだけでも隠す」
ネチネチするに肉糸のようなものを外しながら、鈴凛はふと気になったことを聞いた。
「そういえばみんなは普通に異界に見えてたり入っているよね」
「みんな本当は病んでいるの?」
「そうそう、この仕事は、心の闇が深くてね……じゃなくて」
「八咫烏は知っているからだ」
拘式がこんがらがった糸にイライラしながら言った。
「異界に取り込まれる際、そこに異界があるということを知っている、または強い憎しみや悲しみ、死を想起すると異界にアクセスできます。戦姫のみなさんはもともと穢レが強いため必要ありませんが」
翔嶺が追加で説明してくれた。
「つまりこいつらはひどく精神がまいっているというわけだ」
「こいつも外すのか? この男にひどく手間取ってしまった」
野奈に手をかけて、手がとまる。
全員は助けている時間がない。もういいと言うことができる。
「どうしました?」
もし彼女がいなくなったら、自分にだってチャンスはあるかもしれない。
彼女より自分が如月周馬に選ばれる理由なんてどこにも見当たらない。
「時間がない」
自分は来田野奈に生きていて欲しいのだろうか。
「彼女は−−」
助けるのは如月周馬だけでいい。友達だった自分をいじめたこの子を、今、意図せず消すことができる。
彼女を助けなくてもいい。
「……」
鈴凛は全身の産毛がぶわっと逆立った。
柊木勇吾に鈴凛をいじめさせているのは、目の前のこの可愛らしい眠ったお姫様なのだ。
野奈なんか助けたくない。
時間もたっぷりあるわけじゃない。
上田三枝の顔が浮かんだ。あの顔は来田野奈を案じていたのだ。
「……」
可愛らしい顔に小さなニキビをファンデーションで隠した跡があった。
はじめて同じクラスになった時、話しかけてくれた野奈を思い出した。
薄汚れた服装の鈴凛に話しかけた彼女を上田三枝と山原泰花が驚いていたのを思い出す。
「……」
鈴凛は肩の力を抜いた。
「やっぱり助ける。友達じゃ無いけど。この子も助けるから」
「わかりました」
翔嶺がうなづいた。
「なにをばかな。時間が無いんだぞ」
「これは大切なことなんです。わたしが後でおもっきり笑うための」
「はあ?」
「翔嶺やめろ」
「神嶺様、戦姫様のご命令ですよ」
翔嶺が父親をたしなめるように言った。
「二人なんてすぐよ」
全員で彼らをほどくとあっという間だった。ずるずるとひきずって、隠せそうな場所を探してみつけだ。
二人を折り重なるようにして隠す。
「イッツア……」
BBが言いかけてやめる。
鈴凛は壊れた冷凍庫の中に押し込められた二人を見た。二人は折り重なって無理やりつっこまれた人形のようだった。
「しかたないでしょここが一番みつからなさそうなんだから」
「僕たちが殺したみたいですね」
二人を隠して先に進む。
しばらくいったところで拘式が制した。
「し」
−−だるまさんがころんだ
放送のような拡声器のような声が静まり返った商店街に響いている。
少女のような声だった。
「何か聞こえる」
景色が商店街の開けたアーケードのようなところにでた。登っていないのに、曇り空が見える。
店のシャッターは全て降りていた。歌詞のない買い物用の明るいような暗いような妙な音楽が流れはじめる。
「なんだ……」
−−おはようございます 今日も楽しいショッピング!
人々がゆっくり歩いたり止まったりしている。
−−だるまさんがころんだ
その声にあわせて動いているのだった。
「これ」
人々がマネキンのように、通路にばらばらと点在している。
−−だるまさんがころんだ
鈴凛の体も体が止まる。拘式たちもみな同じだった。
「忌の能力か」
「厄介だな」
「え」
人々は前に進みながらも、鬼が呼び終えると、ぴたりと止まる。
糸のようあものがキラッと見えて鈴凛は立ち止まる。
−−だるまさんがころんだ
−−動いた!
鈴凛はびくりとする。
「ひ」
少し前の少女が鷲掴みにされて、角の向こうまで連れ去られた。
「ひいいいいい!」
「連れていかれた」
「こわすぎる……」
だるまさんがころんだ、の間は動ける。その間に反対向きに走れば鬼とはちあわせることはない。鈴凛は動ける間に反対に全力疾走したかった。
「もうやだやめたい」
「どちらにしても異界からは倒すまで出られない」
「捕まって忌のところにいったほうが早い」
拘式が前を見据えた。
「えいくの?」
「いくしかない」
鈴凛は迷っていると、すぐ耳元で声がした。
−−動いた
「わ!」
拘式と佳鹿がわしづかみにされて、すごい速さで商店街を駆け抜けていった。
「ちょっと……」
−−動いた!
鈴凛も捕まって、体ががくんと衝撃で折れ曲がる。巨大な手が鈴凛を鷲掴みする。
「痛い」
ジェットコースターのような速さでどこかに連れていかれる。
「ひいいいいい!」
そして鈴凛は信じられないものを見た。
巨大なピラミッドを細くしたような肉の塔のようなものが見えた。その周りを何か細長いものが無数に旋回して、蠢いている。
「聞いてないんですけど……」
鈴凛の想像よりはるかに大きかった。というよりサイズ感がおかしい。
それはもはや街の真ん中のタワーのようだった。
真ん中には巨大な口が開いており、不気味な無数の歯が生えている。
「うそでしょ」
ドンっと包丁が振り下ろされる。
無数の腕が包丁を掴んでうねうねとしていた。次々と何かを捌き、粉砕する調理場になっており、肉の塔の周りにはまな板のようなものが、畳のように無数に敷かれていた。そこには建物やら、壊れた椅子やら、何もかもが乗せられて粉砕されていた。
「ひい!」
それは街のシンボルタワーのように幻覚のビル群の中に君臨している。
「まさか……」
捕らえた人がまな板の上に置かれている。別の手が包丁を勢いよく振り下ろしているようだった。
「ひい!」
鈴凛は思わず目を閉じる。
「いやだああああ」
鈴凛がじたじたと暴れるのも虚しく肉の塔はもう目の前だった。
このままでは自分も調理されてしまう。
先に捕まった二人は……鈴凛は行き交う包丁の手と獲物を掴んだ手の群れの中に目を凝らす。
「爪を剥がしなさい!」
「佳鹿!」
佳鹿が腕を交わしながら、下の方から肉の塔を登っている。
「なんであの子は」
二本の巨大な腕が何か箱のようなものを、もう片方は拘式を掴んで締め上げていた。
「え?」
ひとつは銀色の先ほど同じ巨大な冷蔵だ。それに見たことのある誰かがしがみついている。
「三枝ちゃん?!」
「野奈!!」
上田三枝が必死に冷蔵庫を開けようとしながら捕まっているが、振り落とされそうになっている。
「うそでしょ……」
佳鹿が暴れる腕に飛び移った。
このままではまずいと思い、鞘指輪をすろうと思うが手が思うように動かない。爪を剥がそうにも両手もまとめて掴まれている。
「てゆーか佳鹿! なんでこんなに大きいの!聞いてない!」
鈴凛は声を張り上げる。
「わたしだって知らないわよ! このサイズは普通じゃない!」
佳鹿が猛烈なスピードで走り、類人猿のように腕を登っていた。あんなにがたいがいいのに恐ろしく身軽だった。
「とにかく青雉を助けなきゃ」
「人だけじゃ無い、何もかも喰って」
拘式がうめく。
−−異界が街の新市街までいってるようです!
羽犬の声がした。
「穢レが強すぎるYO!」
BBが腕をかわしながら、必死にもちもち弾で忌の巨大な手を貼り付けているが、数が多すぎるのと、すぐに手は皮を引きちぎって動き出した。
「大きすぎます!」
「羽犬!別の戦姫に応援要請!!」
−−もう出してます!
この町は偉大な街なのだ
鈴凛は地響きのような声が頭にガンガン響く。
「うわ」
「百姫様!」
鈴凛に近づこうとして何度も翔嶺が腕に邪魔されていた。
「あそこに何か」
巨大な肉塊の真ん中に顔らしきものが見える。
「あれは……え?」
それは、目を閉じた島津氏だった。
−−日本で一番栄えている
「まさか……」
「あれは……さっきの島津さんだ!」
「え」
「これがあの島津さん」
「だったもののようね」
「あれからそんなに時間は経ってない!」
「まさか……」
「こいつが……穢レを解放したのか」
拘式がうめくように言った。
「より強い憎しみの精神が別の精神を乗っ取る時、共振が生じる−−」
翔嶺が言った。
「これが共振の形態……」
「つまり……」
−−だとすれば自体は、もうレベル2です!!
羽犬が叫ぶ。
「こいつ自分で神器を壊したのか」
「忌を発生させた際に、神籬感染したのね!」
「でも……なんのために?こんな……」
「聞いても答えられないくらいに、調理が忙しそうよ!」
無心で忌は腕を動かしているようだった。
「え?」
肉の塔は拘式が血色が悪くて不味そうに見えたのか、暴れていて厄介に思えたのか、先に鈴凛を地面に持っていってまな板におしつける。
「なんでーーーーー!」
鈴凛は泣き叫ぶ。
奥いたと同時に、持ち替えようとした瞬間、鈴凛は爪に噛み付いた。
手が緩んだ瞬間、身を捩って逃げる。
「うえまずい!」
口の中に苦味と生臭さが広がる。
鈴凛は抑えつけられると同時に逃げ出した。
「こっちです!」
翔嶺が近くの建物に隠れていて読んでいた。
「!」
鈴凛はとりあえず全速力で肉の塔と反対側に走り出す。
商店街の別の入り口がみえた。
鈴凛は必死に足を動かした。
「百姫様!!」
あと少しというところで、別の手が鈴凛をすぐに足を掬い上げる。
「あ!」
鈴凛はまた宙吊りになっていた。
しかし逆さになった次の瞬間、自分よりまずい光景が目に入る。
「まずい!」
佳鹿が叫ぶ。
「青雉が」
上田三枝がビルに叩きつけられて、落ちていくのが見えた。
「三枝ちゃん!!」
別の腕がそれをつまみ上げて口へ運ぶ。
「だめ!!」
上田三枝はぐったりと目を閉じてぴくりとも動いてなかった。
どれほどの力だったのかはわからない。生身の人間にはひとたまりもないように見えた。
「そんな……」
そのままぱくりと飲み込まれる。ごくりと喉仏が動いた。
「ひ……三枝ちゃ」
そうかと思えば、今度は自分を掴んでいる腕が動く。
誰かの心配をしている場合ではなかった。鈴凛を担当していた腕は調理を諦めたらしく、口に近づいていく。
次は自分が食われる番だった。
「いやあああああ!!」
「まずいクソ餌が喰われる!」
口のあたりに持ってこられたとき、巨大な舌と醜い無数の黄色い歯。臭い匂いがした。口元が笑う。
「抜刀しろ!」
ぶんぶん振り回されてそれどころではない。
「ひ!」
嫌な予感がした、次の瞬間、巨大な指が鈴凛を握りしめたのだった。
「い」
ごきごきと妙な音がした。体中の骨が砕けた音だった。
「ああああああ!」
吐き気とめまいと血の味と。
口から大量の血が噴き出る。
凄まじい痛み。ジェット機に何もかも轢き潰されたかのような痛みだった。
「百姫!」
聞こえていることもまだ生きていることも謎だった。
生きることは簡単ではない。
戦姫は修羅の道。
鈴凛は自分の鎖骨がはみ出しているのを見た。
「ひ……ひ……」
蘇るからと言って、痛みが無くなるわけではない。
見たくも体験したくもないことが増えるだけ。
それは、死に至るほどの痛みが何度もやってくるようになるだけなのだ。
鈴凛は涙を堪えた。余計に痛くならないように何もしないことだけができる唯一のことだった。
鈴凛はそのまま、口に持って行かれる。もう何もできることはなかった。
「まずいわよ!」
佳鹿が今度は鈴凛のほうに飛び移ってきた。
拘式の方の腕はすこし弱まったらしく、拘式も体をよじっている。
佳鹿が飛び出して、すんでのところで口が閉まるのを食い止める。
「力を入れなさい!」
「無理だよ……」
「ぬおりゃああああああ!」
必死に佳鹿が鈴凛を解放しようとする。
「ぐあ!!」
怪力の力も虚しく、がくんと容赦なく顎が降りてきた。
「あああああああ」
佳鹿は叫んでいたが、鈴凛には叫ぶ気力もない。
佳鹿と鈴凛は転がって口の奥まで行く。
先ほどの部屋の広さほどもある舌が見えた。
佳鹿も鈴凛も舌で巻き取られて押し込められる。
「や……」
体が反転して転がり落ちていく。
「わあああああ」
ごぼごぼと音が鈍くなり、先に下でばしゃりと何かが水溜りに落ちたような音がした。
「……?」
*
「?」
気がつくと。大きな壺型のプールのようなところの真上にいる。骨が折れたままで力が出ない。
黄色い液体が下でゆらゆらと揺れていた。
「目が覚めた?動かないでよお」
佳鹿が鈴凛を掴んでいた。
「くさい……」
煙が立ち上り異臭がする。まわりのものが溶けていた。
「胃酸よ」
佳鹿は小さな小刀を突き立てている。
「く」
「うそ……」
下を見ると、溶けた上田光枝の無惨な姿があった。骨と肉が露わになり皮がとけて所どろこに穴が開いている。片方の目玉は飛び出していた。
「ひ……ひ……」
鈴凛は動悸がして呼吸が乱れる。佳鹿にしっかりと捕まり直す。
「そんな……」
「絶体絶命かもね」
「痛いよ……痛いよ……」
鈴凛は体中が悲鳴をあげていたが、泣き言を言えるほどに回復したらしかった。
−−く!
音がしてくる上を見上げると、ぼたぼたと何かが落ちてくる。
「わあ」
佳鹿が身をよじる。
神嶺が飲み込まれて落ちてきた。冷蔵庫も落ちてくる。
拘式は佳鹿と同じくすんでのところで胃壁に何かを突き立てた。
「くそ」
ばしゃん!と音がして冷蔵庫が下に落ちる。
「だめ!」
ぶくぶくと音がしたが沈まなかった。
「じっとしてて!」
「……!」
「あら〜、わたしを助けるために飛び込んだのね。素敵」
「バカを言ってないでこの絶望的な状況をなんとか」
コンクリートやゴミなども浮いている。じゅうじゅうと音がして煙があがっていた。
「う……う……痛い……でもはやく冷蔵庫をなんとかしないと」
「友達どころじゃないわよ。あたしたちも死ぬんだから」
「体に力はいる?あんたの骨動き回って抱いとくのが大変。あのあたりの足場ににとびうつって」
鈴凛は反動をつけて、ブロックの上に飛び移る。
着地のしょうげきでまた激痛が走る。
「いたあああああああああ!」
悶絶してうずくまる。
「よし。足は再生しているな」
「痛いよ……痛いよ……」
「クソ餌!はやく抜刀して、胃を切り裂け!」
「でも、身体中の骨が砕けて痛いし」
とても力を入れて、刀が触れるとは重ない。
「はやくしろ!!」
「もう……嫌だ……」
鈴凛は痛みで朦朧としながらも、無理矢理掴んでいる手を固定しながら指輪をすった。
「神威抜刀!」
両手を動かせたことに安堵しながら、一息ついた。
「ん」
違和感を感じて。鈴凛が自分の手をみると小さなナイフサイズの光刀ができあがっていた。
「え……」
佳鹿も拘式も上でぎょっとしている。
「これ……」
あのライブハウスでみた刀の十分の一ほどの長さしかない。
「嘘だろ」
「え、どうして……」
「気合を入れろ!」
拘式が怒鳴る。
「神威抜刀! 神威抜刀! 神威抜刀!」
鈴凛はやけくそになって、何度もやり直した。
しかし、何度やっても同じだった。
「これ!!壊れてるんですけど!!」
鈴凛は泣き言を叫んだ。
「どういうことなの……明が弱っているのかしら……異界が強すぎるのかしら」
「まあ明るくはなったわ」
「クソ餌!まじめにやれ! このまえ一撃で薙ぎ払ったほどの力はどうした!」
上から拘式がまた怒鳴った。
「まじめにやってますよ!!やってます!!」
鈴凛は泣き叫んだ。
「まずいぞ……」
「本当に、絶対絶命ねい……」
「誰かが落ちてくるだろう」
拘式が言った。佳鹿が首を横に振る。
「さっきから誰もきてない。たぶん胃が複数あるのよ。期待薄」
もわりとした胃酸の匂いに、確かな絶望が漂っていた。
一同が黙る。ここから出ることもができない。
佳鹿が下を見る。
「探すのよ……」
「あいつが何でもかんでも食べる雑食」
「信じるの」
「まさか……避雷針をか?」
拘式が半信半疑できいた。
「あるわけ」
「手分けして」
「それしかない」
とりあえず、冷蔵庫をより高い場所にひきあげた。
「あけて中を確認する時間はないぞ」
さきほどガチガチに締めてしまっていた。祈るしかなかった。
「とにかく溶けるまえに避雷針を探すわよ。あたしはこっち。あんたたちは、あっち」
三人で手分けして探す。焦りだけがすぎていく。胃の構造は横にも縦にも洞窟のように続いていた。闇雲に探してみつかるとは思えなかった。でも仕方ない。
「うわっと」
鈴凛は足場を探して飛び移りながら探す。
「くそ、ないぞ」
拘式が悪態をついている。
別の袋小路を探そうと思って、もとの場所まで戻ると、
時間がどんどん経って、凄まじい速さで足場が溶けていった。一度もとの場所まで戻ると、上田三枝の遺体は、もう跡形もなかった。
「光枝ちゃん……」
次に奥まで探しに行ったら、もとの食道につながる場所に戻る足場も溶けて無くなってしまいそうである。
これでいいのだろうか。食道でもよじ登った方がまだ可能性が—
鈴凛はぶんぶん頭を振り払う。時間がない。集中して探すんだーー
「神様……神様……お願い……」
骨の痛みを抑えながら必死にさがす。
「もう探す場所がない……」
そう思って最後の小部屋を除く。
小さな部屋だった。ブロックの塊が見える。
そして、細く天を刺す何か。
「うそ……うそ……」
鈴凛は目を見開いた。
「あった……!」
アンテナが鈴凛の光に聳え立っていた。
「避雷針、あった!!」
鈴凛は叫ぶ。
「でかした!」
二人が急いでやってくる。
「でもこれ……下が浸かってる」
「探している時間はない。引き抜くぞ」
「でもこれ、足つけたら溶けちゃうよ」
「ちょっとは頑丈だからこの服。それにあんたの神衣はもっと丈夫だし」
「無理無理」
「佳鹿」
「待って、あ」
佳鹿が浸かるとじゅうじゅうと音がする。
ひっぱりはじめた。
「クソ、時間がない」
拘式も飛び込んだ。
じゅうじゅうと二人の足から煙があがっている。
「あ!」
胃液の水位があがってくる。太もものあたりまできていた。
「んんんんん!底で何かに、ひっかかってる!」
佳鹿がうめきながら何かをひっぱる。
「どうしよう……どうしよう……」
二人が必死に引っ張っているが、動いていない。
「もう!!」
鈴凛も飛び降りた。ばしゃりと音がして、激痛が走る。
「ああああああ!」
二人が痛がってないので、それほどではないと思ったのが甘かった。
焼かれる痛みがする。
「めちゃ痛いじゃんこれ!」
避雷針に触れると、静電気のような力を感じた。
「痛いよー! もう、全部、痛い!」
「うるさい!とにかく抜け!!」
「頑張るのよ!うんとこしょ!どっこいしょ!」
佳鹿が妙な掛け声をかける。
「なにそれえええええええ!」
「ええええええやああああ!」
「火事場の馬鹿力ああああああああ!!」
ふっと重力が抜ける。
「抜けた!」
「裂け!」
鈴凛は思い切り地面の底をその場で、切り裂いた。
胃酸が抜けていく。
「揺れるぞ!つかまれ!」
肉の塔は痛みに気がついたのか。グラグラとする。
「は……は……助かった」
色々なものが落ちていく。
ぼたぼたと下に落下していった。
「はあはあ……」
「おれはそのゴリラ女を抱えてあの足場まで降りる」
佳鹿はもう立てないようだった。
「心臓に……」
佳鹿はやっと言った。服が溶けている。
「はやく」
鈴凛は必死に掴んだ。避雷針が一段と電気をもっていたかのように、何かが流れていくのを感じる。
今度は思い切り、天井に突き立てて、引き裂く。
「く……」
−−!!
何とも言えない叫び声が響く。痛みに気がついたのか体内が揺れ始める。
「いそげ!」
拘式はがたいの大きな佳鹿をささえるのがやっとだった。
肉の塔は痛みに気がついたのか、大暴れしはじめた。
それはすぐにわかった。どくどくとなる黒い心臓が上の方に見えた。光っている。
「遠い」
あそこまでは登れない、間に合わないと思った。
「……」
鈴凛は避雷針を持ち変えて、重さを掌で確認する。
投げるしかない。
「大丈夫。訓練と同じ」
大丈夫?
鈴凛はそれを振り上げる。足に力を入れて、毛利邸での槍投げの訓練を思い出した。
体の動かし方と同時に別のことが頭によぎる。
これは、体にものすごく負担がかかる。
これを思い切り全身の力で投げたら、つながりかけた骨がバラバラになり、筋がちぎれる。猛烈な痛みだろうと思った。
もしかしたらもう一回死ぬかもしれない。投げ切った後、足元にまだ残っている胃酸の海に落ちてしまうかもしれない。
でもそれしか選択肢は無いことは一瞬で理解できた。
「神様、神様、勇気をください」
あらゆることを考えると、この一投は、絶対に外すこともできない。
呼吸を整えて。
「やああああああああ!!!」
鈴凛は大きく振りかぶって心臓に避雷針を思い切り投げた。
「!」
真っ直ぐの軌道でそれは光めがけて飛んでいく。
「や」
すぶりとそれが心臓に刺さる。
異界が歪み、声にならない悲鳴が響く。
−−シニタイ シニタクナイ シニタイ シニタクナイ
「やった!」
世界がぐらぐらとなって、ほろほろと崩れていく。
黒く燃えるような魂が光を失っていく。
「やった……!」
雪崩に体が滑っていくようだった。空の光が見えた。
鈴凛は安堵と嬉しさが込み上げた。
「やったー!! 倒した……」
「はらいたまえ きよめたまえ まもりたまえ さらへたまえ」
「なんじのくびきをたちきら……」
「……!」
鈴凛は気配を感じて、言葉を止めて、身を翻す。
「!」
解きほぐれていく黒い雪崩の中で何かが見えた。穢レの嵐の中心に闇のように輝く何か。
「え」
もうひとつ眩い金色の光も見えた。
沈んで大地に帰っていく穢レの中から、金色の姿が見える。
「!」
何かを持って振り上げて突き立てようとしていた。
陵王−−?!
鈴凛は目を見開く。
あの拘式谷で見た仮面だった。
「あ」
尖ったバチを胸に突き立てられる。心臓がびくんとした。
意識が反転するかのように飛んでいった。
「く……あ……」
*
すると、全然違う場所にいた。ガラスがバラバラと壊れるような音がする。
耳が破れそうなほどうるさい。
「なに?どうなったの」
静かになっていて、気がつくと鈴凛はどこかでうずくまっていた。
「異界?」
「いや……え、陵王は?忌は?」
鈴凛は静かな川辺にいた。
「もしかして、また死んだの」
暗い川のほとりに人がたくさんいる。人々が川に入っていく。
みんな疲れた笑みを浮かべて遠ざかっていく。
「あ」
「島津さん!!」
島津氏は振りかえらずに進んでいく。
「あの!」
「いつこ……」
川の向こうであの市場で見たワンピースの女の子が島津氏を手招いていた。
「……あの子は……」
「手を離してくれた」
すぐ後ろで知っている声がした。
ふと気がつくと、上田三枝がななめ後ろにいる。
「わたしも、いかなきゃ……」
目はぼうっとうつろに対岸を見つめている。
「待って」
「!」
初めてみるくったくのない笑顔だった。
「ありがとう、野奈を助けてくれて」
鈴凛は体が動かない。
「ま」
「待って」
上田三枝が川を渡りはじめる。
「だめ待って!」
上田三枝が振り返ってこちらを見た。
「ほめてくれて嬉しかったです」
「昔野奈と約束したんです。わたしがスタイリストになって、女優になった野奈のメイクをしてあげるって。ふたりでテレビの世界に行こうって」
「……!」
「あの子は特別だから」
「だめだよ!行っちゃダメ!」
「わたしはスポーツしかできなくて、がさつでどうしようもないけど。あの子は本当に可愛い子だから。野奈は本当はいい子なんです……ただ如月周馬のこととなるとちょっとおかしくて……それに柊木勇吾は……あ……もう行かなきゃ」
「だめだよ……行ったら死んじゃう。いかないで。まだ許してない! そばにいてよ!!」
「ありがとうございます」
上田三枝は疲れた表情を浮かべた。
「だめ!!」
「野奈をお願いしますね」
「嫌だよ!行かないで!!」
*
「三枝ちゃん!!」
鈴凛は天井に手を伸ばして、泣いていた。
「お目覚めですか?」
「三枝ちゃん」
「雉は死にました」
毛利就一郎の笑顔があった。
「なんで……なんで……」
そう言ってはっとする。
「わたし……また……死んだの?佳鹿は?拘式さんは?他のみんなは?」
「無事ですよ」
鈴凛はストレッチャーの上に寝かされていた。腹に包帯がまかれている。溶けた皮膚がかぴかぴになっていた。
「わたしなんで死んだの」
「わかりません」
「いたたた……」
鈴凛ははっとする。
「陵王が……いやそれどころじゃ」
「佳鹿は?拘式さんは?如月周馬は?……来田野奈は?」
「大丈夫です」
鈴凛は案内された部屋の中を見る。
「佳鹿」
「無事だ」
拘式がぶっきらぼうに言った。翔嶺も佳鹿も無事だった。
「玉手匣で寝かされている」
「……」
来田野奈と如月周馬が寝かされていた。
「うちの生徒でしたか。まあ電車で1時間ですから。そういうこともあるでしょうね」
「……」
手を伸ばして、ひっこめる。
自分は友達ですらない。
助けたとしても、鈴凛には如月周馬に触れられる権利が無かった。
「来田野奈は雉の友人でいじめていた連中のひとりだとか、雉もおろかです。修祓中に八咫烏の任を投げ出すとは。死んで当然です」
「異界に呼ばれた連中を助けるなど」
「どうしてそんなひどいこと言えるの」
「あなたもなぜ助けたんですか。あの女子はあなたをいじめていたんでしょう? 黙って置き去りにすればよかったのに。お人よしですね」
毛利就一郎が明るい笑顔で言った。
「あなたって人は」
「雉を殺したのは、あなたですよ」
「!」
「あなたが私情で彼らをみつけて名前を出さなければ、通信機で雉は何も知ることはなく、死ななかった」
「……!」
鈴凛は目を見開いた。
「異界内の人間はたいてい死にたい方々なんです。そんな連中のために飛び込むなど愚の骨頂です。ましてやお役目を放棄して異界に飛び込むなど」
「三枝ちゃんにとって、きっと野奈はとても大切で」
「島津氏もそうですが。八咫烏は改革が必要です」
毛利就一郎はお馴染みのガムを噛み始めた。
「なんでそんな」
「わたしだって……ああなっていたかも。みんな色々なことを抱えてて、必死で、でも思いが間違った方にいってしまって……」
「社会は必ず不幸を生み出す」
「!」
「これは不幸の再配分なんですよ」
毛利就一郎が真面目な顔ではっきりと言った。
「一定数は心を病み、死ぬのです。それはしかたないこと」
「そんなこと許されていいはずが……」
「思想はあいいれませんが、やらねばならないことは認識していただけましたよね?」
「!」
「できるだけはやく忌を修祓すれば犠牲者は減るのです」
「できるだけはやく処理せねば、手におえなくなるのです」
「でもできるだけはやくやっても犠牲はつきものなのです」
如月周馬と来田野奈を毛利就一郎が見下ろした。
「死にたいなどという精神が弱い方は、危険分子ですから。忌を最優先ではやく処理するにこしたことはありません」
「この案は、公には採用されていませんが、きっと他の領主もいくつかはやっているでしょうね。精神にかなり問題のある方は、死ぬのを促進されているか、うまく消されているでしょう」
「そんなの間違ってる!!」
鈴凛は思わず叫んだ。
毛利就一郎が邪悪に笑う。
「何か意見できるほどあなたは、強いんですか?」
その言葉に鈴凛は体が硬直した。
「拘式さんと佳鹿さんがいなければ収束もしていない」
ぽんぽんと肩を叩かれた。
「あなたは言われた通りにしていればいいんです。あ、そこはもう少し丁寧に処理してもらえますー?」
大人の男たちに毛利就一郎が指示を出しながらどこかにいってしまった。
鈴凛は何か湧き上がってくる感情を必死に殺した。
「……なんで……こんな……」
どうしようもない怒りと悲しみとわけのわからない、やりきれなさが沸いてくる。
容量の悪い自分には何もできない。何も言うことができない。
「ごめんね……」
窓の外を見ると、一体から黒煙が上がっていた。八咫烏が証拠隠滅のために火を放ったのだろうと思った。
「ごめん……」
「あ……」
誰かが入ってくる。島津さんの息子だった。だるっとした帽子を手にとって頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
そしてもう一度、深々と頭を下げた。
「忌の発生は……父の仕業だったんですね……父のこだわりが……ここまで暴走するなんて」
男は少し呆然としていた。涙が頬をつたった。
「駅ばかりを中心とした開発に反対していましたが」
「父は死んだんですね……」
しばらく黙って男は眉根をよせる。
「どうして……いや」
男はいいかえた言葉を飲んで、顔をぱんぱんと両手で叩いた。
「!」
そして電話をかける。
「鎮火したら、東側から工事車両入れる準備しといて! あと組合のメンバーに招集かけておいて」
「なにをするんですか?」
「隠蔽作業と、実況見分が終わったら、すぐにかたずける準備をしておくんです」
「もう?」
鈴凛は心の声が漏れた。父親が死んだのに?
「1分1秒おしいですから」
「それしかできないし……それなら、ちっぽけな僕にも、できることだから」
「……」
「では下の瓦礫かたずけないといけないので、ぼくもういきますね。入れる人員は八咫烏の一族の者だけですから」
「あの……お父さんが死んだのに」
鈴凛の呼び止めた声には少し非難が入っていた。
「父もそうするようにいうでしょう。この街が大好きでしたから」
孔矢が額縁に入れられ、部屋の高い場所にかがげられている、集合写真のようなものを見上げた。
「あ……」
いつこと呼ばれていた少女の写真があの少年と並んだ写真が飾られていた。
愕然とする。鈴凛は見たものは、本当の過去だったのだろうかと思った。
「異界でわたし彼らを見た。あの建物も、あの建物の設計図も」
「あれが母。こっちが父です」
焼け野原に建築中の鉄骨ののようなものが立ち、その前で何人かが写真をとっていた。
真ん中は暗がりで勉強をしていたあの少年だ。
「あの少年は市場で勉強していた」
「父は戦後、このあたりで肉屋の下働きだったんですけど、一年発起して母と結婚するために建築士の免許をとったそうです。それで島津家の婿養子になった」
「大火事の後、この辺のビルを自分で設計して建てたんですよ。高度経済成長期にたくさんビルを建てたんです。よくも悪くもそのビルたちに固執していましたが……誰よりもこの街の繁栄を願っていました」
「それがそこらじゅうに建っている丸島ビルね」
佳鹿が松葉杖をついて入ってきた。
「言い訳するわけじゃないんですが……その思いや焦りが間違った方向へ行ってしまったのかもしれません」
「そうねえ」
佳鹿が目をぱっと開いた。
「もう大きな街は今の人口じゃ作れないのに」
島津孔矢は小さく言った。
「なるほどね。あの捉えられた人間は餌じゃなくて、キャストだったわけね」
「え?」
「賑やかな街を演出するためのキャスト。積み上げられて複層になっていた街は大都会ってことね」
「……にぎやかな街」
「父はかつてこの街を日本一の街にすると母に約束したそうです。でもそれで……本来の街の人々に目を向けることを忘れてしまったんじゃないかと思うんです。人あっての、建物。建物あっての人じゃないのに」
「……!」
「だから早くなんとかしないと」
男は子供っぽい笑顔を浮かべた。
「大変だけど、大変だからこそ早くしないと」
鈴凛は自分の肩の力まで抜けた気がした。
「それ当たり前のこと言っているだけでしょ」
佳鹿がくすくす笑う。
「僕たちはただの人間です」
「……」
「異事じゃないくても、空襲だの火事だの地震だの、何度もこの街は壊れたんです」
「そのたびに、名もなき街の誰かが立ち上がってきたんです」
「ぼくも同じようにするだけ」
「まずかたずけないと」
「ちっぽけだけど、ちっぽけな僕にできることです」
「どうしてそこまで、ただの街にできるんです?他の街に行けば……街なんてただの」
鈴凛は言いかけて島津少年が必死に設計図を書いていたことを思い出した。
「僕らはそういう輩なんです」
後ろ姿の男は背筋がぴんと伸びていた。
「まったく……」
「あの男、全責任は僕がとります!とか下で言ってたわよ。とれるわけもないのに」
佳鹿がクスクス笑う。
「親と子は、似てるんだか。似ていないんだか」
下を見下ろすと、男は一人で後片付けをはじめていた。
「二人とも、この街が大好きだったんだね」
「ここを小さな公園と店が並ぶ通りにするらしいわよ」
「……ちっぽけな自分にできること」
鈴凛には気のせいか、美しい公園とカフェや建物、人々が行き交う新しい街が見えた気がした。




