19話 未来妃の家庭
朝日が気持ちいい。最高の気分だ。
誰よりも強者になれば、毎朝が楽しい。
柊木優吾は毎日こんな気分なのだろうか。
鈴凛はかなづちを見つめた。
「いざ」
目が冴え渡っていた。朝から鈴凛は神棚を納戸に打ちつけた。
ドンドンドンドン。
けたたましい音が家中に響き渡る。
佳鹿が清く赤く生きろなどと言い、帰り際に小さな神棚をくれたのだ。
佳鹿に言わせれば、神棚に日々感謝をするべきだということだった。
「もうちょい下か」
鈴凛はやり直してまたドンドンと容赦なくトンカチで叩く。築20年ほどの家が若干揺れている気がした。
「よし」
榊を置いて、美しく神器を飾ると真ん中に鏡を置いた。
「この納戸が急に神聖に思えてくる」
気持ち的なものだけではなく、神棚の設置は、穢レを抑える。らしい。
「わたしは神の花嫁。もう半分神なんだもの……」
ここは神の花嫁の寝所なのだ。
「はらいたまえ、きよめたまえ、まもりたまえ、さらへたまえ」
目を閉じて祈ると、天空の高天原に通じているような気分になった。
「!」
ばん!と扉をはねあける音がして、だんだんだんだんと荒々しい足音が聞こえた。鈴凛はきたな、とほくそ笑んだ。工事音に溜まらず待ちかねていた者がやってくる。
「んもう! うるさい! こんな朝早くから何やってるのよ、ドブス!」
咲がドアをばんと開けた。お高いネグリジェに身を包んだ妹は起き抜けて少し朦朧としている。
腹立たしいことに寝起きでも少しもブスじゃない。
「ここはブス専用だから出てって!」
鈴凛は叫び返した。
「ブスのくせに……何……言い返してんの!」
咲が呆れてそう言ったあと、掴みかかってくる。
「……」
咲は鈴凛の髪を掴んで固まった。
「あんた……戸棚にあったわたしのサボンの高級シャンプー……使ったわね!」
「え?」
「ああ」
高天原で羊杏に入れてもらった風呂の匂いを咲は勘違いしたらしい。
「使ってないよ」
咲にとっては姉の髪はゴワゴワでなくてはならない。艶やかになってしまった髪を見て愕然としている。
「そんなにわたしが綺麗でいい匂いなのが腹立たしいの?」
鈴凛は優越感に浸っていた。
「はあ?」
「わ!」
鈴凛はいきなり抱きついてやった。
「なによ!」
咲が暴れる。鈴凛は黄泉や明の感染について話をきいたときから浮かんだ時から思いついていた悪戯を実行した。
「わたしエイズなんだって」
「は?」
「触ったらうつるわよ」
「え?」
「エイズ!」
「知ってるでしょ」
顔を近づける。
「ひ!」
咲は尻餅をついて後ずさる。
「なんで……あんた何を」
−−咲、朝ごはんよ
「お母さん!おねえちゃんがエイズだって!」
「そんなわけないでしょ」
「でもお母さん!」
階段をガニ股でドタドタと咲は降りていった。
「ついに……追い払ってやった……」
すうっといい気持ちがする。
鈴凛は咲の背中に手を降った。
「完璧なスタートだ」
それから鈴璃は鼻歌混じりで制服に着替えた。
今日から全てが変わる。
洗面所の前で櫛通りの良い髪に櫛を通して、咲のお高いリップを勝手に使ってやる。
「意外と似合うんじゃない?」
鈴凛はぷるぷるの唇に満足した。
「……」
一階のリビングで今日子と咲は何が起こったのか理解できずに、おどおどとしていた。
幽霊でと見るような目で鈴凛とは距離をとっていた。
「……」
咲や今日子がどう振る舞おうともう気にしない。
本当の豪華な我が家と可愛い家族は空の上にある。ここは一時的に訪れる場所に過ぎない。
自分はもう戦姫なのだ。特別なのだ。
「行ってきまーす」
鈴凛は心底気持ちが良かった。
「あーまだ未来妃が迎えに来るまで、ぜんぜん時間がある……」
まてよ……?鈴凛は時計を見て閃いた。
「今日は、わたしが未来妃の家に迎えにいってあげよう」
*
未来妃の家は同じ住宅街の奥の方にある。
昔はよく遊びにいったことがあり、道は覚えていた。
「確かこの辺だった……」
「え……ここよね?」
未来妃がお嬢様であることは知っていた。だが久々に来た家は要塞のようになっており、
高級外車が三台も停まっている。
家は建て替えられていた。
「すご」
未来妃の家は予想よりはるかに大きくなっていた。
震える指でチャイムをおそうとした時、声がきこえた。
「?」
未来妃の声が聞こえてくる。
−−だから勉強しないっていってるわけじゃないでしょ、自分の時間が欲しいって言ってるの
−−そんなこと言って成績がますます落ちたらどうするの?無断で福岡なんか行って
−−勉強ばっかりして、わたしの青春はどうなるわけ? 年取ってからなんて楽しいことないわよ。お父さんとお母さんみたいになるんでしょ
−−お父さんはわたしに挫折したことを押し付けてるんでしょ
−−お母さんを困らせないで
−−お父さんに支配されるのはお母さんだけにしてよね
「はあ……」
玄関が開いて未来妃がでてきた。
「鈴凛?」
「来てくれたの?」
未来妃の顔がぱっと明るくなる。
「よかった友達になれたのは夢じゃなかったのね」
未来妃はにっこり笑った。
「あの」
「まちなさい、今日は帰ってきたら話の続きを……」
未来妃の母が出てくる。綺麗な人だった。
「あら鈴凛ちゃん、久しぶりね……」
「じゃあ行ってきます!」
未来妃の母親がまだ寂しそうに見ていた。
「いいの?未来妃のお母さん」
咲のためにすり減っている今日子とはずいぶん違ってみえた。
「父親の機嫌ばっかとって情けない女よ」
未来妃は容赦無くそう言った。
「……」
「わたしが未来予想図から逸脱するのを恐れてる」
「勉強して、医者になって、医者とお見合い結婚して、子供産んで、あの人みたいにな抑圧された主婦にでもなるんだわ。そして孫を医者にするように義両親がきっとまたプレッシャーかけてくるのよ」
「そんなことに何の意味があるのかしら」
未来妃の将来予想には舌を巻いた。
「……」
「でも……わたしもいけないの。勉強を全くやめるほど強くない」
「……」
「何かしたいことも、もしかしてそれがあっても、この体で……いやたぶんこの体じゃなくても……それ一本でやっていく勇気も、自分の可能性も予測もできないから」
未来妃は急に元気を失った。未来妃も将来について自信があるわけではないことに鈴凛は驚いた。
「どうしたらいいかわからない」
未来妃も悩んでいる。鈴凛にもわからないので何と言っていいかわからない。
ただ
「わかるよ」
としか言えない。
「だからあの人たちのおとぎばなしに半分のっかてるしかないんだわ」
「ごめんね、朝から、ぐちぐち言って」
「……」
未来妃は一息置いて先を言った。
「なんだかあの家出の後、色々考えて……」
「え?」
「……」
未来妃はまた何かを言うのをやめた。
「わたしは未来妃とちゃんと友達に戻れて嬉しかったよ」
「わたしも家出を後悔してるわけじゃないの。鈴凛が心をちょっとだけ開いてくれた気がしたし、鈴凛との家出は楽しかったし、運命の出会いもできたし」
「あ……うん……」
鈴凛は未来妃が拘式に惚れてしまったことを思い出した。その点だけはどうにか軌道修正したい。
「わたし補導された警察の車で寝ちゃったらしいけど……警察官が拘式さんだったような夢までみちゃって」
未来妃はちょっと恥ずかしそうにして何かをごまかした。
「夢って……?」
「き、聞いちゃう?やだ……ちょっと恥ずかしい!!」
未来妃は明らかに聞いて欲しそうだった。
未来妃はもじもじしている。
「そのキ……キスされる夢を」
「キス?!」
「声が大きい!夢よ夢」
そう言って未来妃は体をくねくねとさせていた。
重症である。
「……気のせいだよ。煙のせいじゃない……かな……?」
鈴凛はこんな浮ついた未来妃を見たことがなかった。
「なんだか記憶が曖昧なの……わたしたちあの火事の前に、あの店で補導されたんでしょ?でも……炎の中で拘式さんに抱かれていたような……記憶が……わたしってやっぱり妄想がすのいのかな……」
玉手匣の影響なのかもしれない、と鈴凛は思い直して鈴凛は慌てた。
「ほら家出して、2人とも舞い上がってから」
「そうよね……」
「疲れていたんだよ、煙も吸ったし」
「……そうね」
「警察に補導されて残念だったね。でもわたしたち火事に巻き込まれなくてほんとよかったよ」
鈴凛は平然と嘘を言った。
鈴凛は自分でも驚く。今の言い方は、まるで毛利就一郎みたいだと思った。
「警察に補導されて、家まで帰ったのよね?」
「うん。ほんと偶然外の空気吸いに出てよかったよ」
「でも全部が夢じゃない。おかげで目が覚めた」
「え?」
未来妃との約束は消したくなかった。
「わたし学校で未来妃と青春を謳歌することに決めた」
「……え?あ、そうなの?」
色々な記憶が抜け落ちてしまっているせいか、少しだけ混乱していた。
「うん。人間いつ死ぬかわからないもんね。後悔しないように生きなきゃ」
「ひとかけらじゃなくて、チョコレートの全部を食べる」
「ええ……そう……ね」
「ほら火事で二人とも死んでたかもって話したでしょ」
鈴凛は毛利就一郎が完璧に細部まで決め込んでいるストーリーを暗唱した。
「……鈴凛?」
「ん?」
未来妃の真剣な目がまっすぐに見ている。
「それにしても……なんだか、すごく楽しそう」
鈴凛は未来妃に最大限の笑顔を向けた。
「今日から学校でも楽しく過ごすことにしたの。未来妃のおかげだよ」
未来妃は不安げな顔をしている。学校ではまたいじめがあるはずなのに、妙に明るい鈴凛を見てついに頭でもおかしくなったのかと思ったのかもしれない。
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
「未来妃と友達に戻れたし、元気百倍」
これも半分真実で半分嘘だった。
「今日から二人で楽しく過ごそうね」
「でも学校はあいつらが……」
「もう大丈夫なの」
「……?」
ワクワクが止まらない。
今日こそあの連中を返り討ちにする。
今までの人生で一番の山場が来たと鈴凛は想った。
学生が連なって学校へ向かっている。いつもと風景が違って見えた。
もう昨日までの自分と違う。空気が美味しい。
指輪を太陽にかざす。
彼らをどう料理してやろう?
「指輪?」
未来妃が気がついて指摘する。
「あーっと……」
「どうしたの?」
「てか校則だと禁止でしょ」
未来妃が慌てて口をつぐむ。
「これがいけないのよね……わたしったら……ごめん」
「そうだったね。わたしたち悪い子だった」
未来妃も鈴凛もクスクス笑った。
二人で話していると学校についた。校門に背の高い男がこちらを見ながら待っている。
嫌でも目に付くすまし笑いが鈴凛をびくりとさせた。
「!」
「おはようございます」
「毛利先輩」
未来妃がきょとんとしている。
「おはよう……ございます」
鈴凛は毛利就一郎から目を逸らす。
「え? 生徒会の挨拶運動、今日からでしたっけ?」
未来妃が焦ったように言った。
「いいえ、生徒たちの顔を、ひとりひとりじっくりみようと、僕が個人的にすることにしたんです」
「ええ……?」
未来妃はその発言に少し引いていた。
「あ、源さん」
「!」
大きな風呂敷に包まれた何かを差し出している。
「これ、先ほど保護者の方から預かったんです」
毛利就一郎はにこりと微笑んだ。
「え」
「お弁当忘れたって」
鈴凛は今日子がそんなことするはずがないと想った。
「とても大きな方ですね、お母さん」
それが佳鹿だとわかる。
「え、でかい……」
重箱のようなものが風呂敷に包まれていた。




