18話 花葬
姫宮につくなり、羊杏が腕まくりをして待っていた。
「さ、まずはお風呂です」
「準備をして戻りますので、まずは浴槽で温まられておいてください」
なんだか庭と一体化したような広すぎる露天風呂ははずかしかったが、鈴凛は服を脱いでいい匂いの湯に足をいれた。
「きもちいい……」
体がゆるんでいって、芯からほぐれるようだった。
新しい木で組まれた桶のように丸い浴槽が広すぎて鈴凛は足が落ち着かなかった。
「どうしてこんなことに、なっちゃったんだろう……。」
「はあ……いや……これは……幸せ……すぎる……」
檜のよい香りがする。
月館宮は静かだった。音もなく花びらが湯気に舞っている。
美しい花の庭を眺めながらゆっくりと浸かった。
「しばし温まられましたらお背中をお流しします」
羊杏が何かやわらかい布で背中を洗ってくれた。
「これがお姫様の暮らし……」
鈴凛は心の声が漏れた。
風呂から上がると二人は姫宮の一の間に戻ってきた。
襖を開けて中に入ると、小さな畳の間があって、また襖を開けると、長い廊下が伸びていた。右側の障子を開けると、六畳ほどの間に、桐の箪笥が三つおかれ、鏡台が置かれていた。
「ささこちらへ」
肌着のような着物一枚を着た鈴凛はとりあえずそこに座って鏡をみる。
「綺麗なおぐしです」
羊杏が髪をとかしはじめた。
「……?」
鈴凛は驚いて自分の髪を見た。
「え、髪が乾いていく……」
「これは河童様のお皿でできた櫛です。水気をすぐに吸い取りまする」
「え、すごい……これを下界で売ったらすごく売れると思う」
というより高天原でいくつか見たものは下界に持ち込めばそうなのだろうと思った。
「河童様はそう簡単にはお皿はくれませんよ」
羊杏がふふと笑う。
「というか、河童もいるんだね……ほんとこの場所はいったいどうなっているんだか……」
「後光が美しいので、武具はおとりしましょう」
「大丈夫かな」
「ここは神々の地。高天原は明が強いのです。穢レは抑えられまする」
鏡の中の自分が光り輝きだす。
「お美しいです。少し桃色がかった美しい後光ですね」
赤い糸がゆらゆらまたゆっくりと揺れていたが、羊杏には見えていないようだった。
−−失礼いたします
「あ、稲姫様かもしれません」
障子がゆっくりと開くと、誰かが入ってきた。淡い黄色のような黄緑のような髪をしている。瞳も同じ色に輝いていた。その風貌は淡い光を帯びて、自分の今の体とそっくりだった。以前目覚めた時に案内してくれた稲姫だ。
「お祝いの品を持ってきましたよ」
従者を三人連れて、葬式とは思えないほどみんな極彩色の着物を着て、金色やガラス玉のかんざしが輝いている。
よくみると湍津姫も稲姫の背中に隠れていた。紫のたっぷりとした髪が複雑に編み込まれ、飾りがつけられている。化粧もしっかりとした少女は今日は随分大人びてみえた。
インド風の彼女は少女のようでも、鈴凛よりも年上のようにも見える。
「……」
「この間は飛び出してしまってすみませんでした」
鈴凛はこの人の印象まで悪くしたくなくて、謝っておいた。
ふわりとした優しい微笑が女の顔に漂って安心する。
「いえいえ。驚かれるのも無理ございません」
稲姫は座敷に正座すると、丁寧におじぎをした。
脈姫も横にちょこんと座る。
「あの……」
鈴璃は不安でいっぱいだった。
「わたくしも新しい妹ができて、うれしいです」
「さあお祝いの品をあけましょう……」
黄金のつづらを稲姫が次々と開けていく。
そのたびに、羊杏がまあ素敵と言ったり、感嘆のため息をついたりしながら嬉々として中のものを取り出して並べていった。色とりどりとの着物と、かんざしや、化粧道具と思われるものが大きな鏡の前にたくさん並べられた。
「すごいでございまする!」
羊杏も目を輝かせた。
鮮やかで目の眩む色とりどりの着物たちは、まるで万華鏡の中にいるかのような錯覚を起こさせる。
「でもこれいったい……」
「これは照日ノ(の)君からの贈り物ですよ。とても慎重にお品を選ばれたとお伺いしましたよ」
「照日ノ君が……わたしにどうしてそこまでしてくれるのか……」
鈴凛は一人でニヤニヤしながらそんなことを言ってしまう。もしかしたら自分は好意を寄せられているのかもしれない。だとしたらこの世界で自分は特別で……
「わたしたちは、みな花嫁ですから」
鈴凛は固まった。
「わたしたち、みんな?」
鈴璃は一瞬理解ができなかった。
稲姫はにこにことしている。
脈姫は真顔のままうんうんと2回うなずいた。
「みんな?」
「はい」
「ここは男子禁制。高天原の女子はみな天照大御神の花嫁にございます」
「!」
「もしかして……つまり……あのひとのハーレムだから、男子禁制ってこと?」
「あらあら破廉恥な言い方ですわね」
稲姫はそう言って顔を赤らめた。
「え……いやその!……どうなってるの?」
「白月の上は照日ノ君の正妻にございます。わたくしも、そして他の戦姫の姉君たちも、みな照日ノ君の花嫁です」
「……」
リリは急に贈り物を見てぞわりとした。先ほどまで喜んでいた自分をぶん殴ってやりたかった。つまり全員が側室ということなのだろう。
「わたしも、あの人と結婚しなきゃいけないの?」
異常なことは、あの化け物との戦いだけではなく、この街の風習もらしかった。
照日ノ君は確かに美しい。
おおぜいの女に1人の男。
それを鈴凛の何かが拒否している。
それは全然美しい恋愛じゃない。
「いまからするのではなく、もう百姫様も花嫁なのです」
にこにことして稲姫は答えた。
なんとも言えない気分になる。急に人気アイドルのファンクラブに無理やり入れられたような腑に落ちない感じが体に充満する。
「現実世界は一夫一妻制だよ? どうして一人の男性に多くの女性が。そんなに多くの女性を一人の男性が満足させられるわけないし……悲しくなるし……」
「男性ではなく神です」
「……それはそうだけど」
「いずれわかりますよ」
鈴凛は女の争いが容易に想像ついてげんなりした。それは後宮物語やハーレムで繰り広げられる殺伐としたドラマを予感させる。
「人間の結婚とは、少し違います。それに……」
稲姫は顔を曇らせた。
「戦姫は少し特別なのです」
「……?」
「街の娘たちはともかく、わたくしたち戦姫の血と躰は穢レているのです。下界の人間と交わることは許されません」
「!」
鈴璃はびくりとした。
「それ……は……」
「摩訶不思議な力の源、それは穢レ。穢レは神々の明の耐性となる。しかし我々の神籬と現し身はもう既に穢レに開かれている」
「穢レは人を」
「忌に?」
稲姫は苦しそうにうなずいた。
「!」
「交われば、穢レをうつしてしまいます」
鈴璃は指先が震えた。この躰はもう—
人と交わることはできない
如月周馬の顔が浮かんだ。わたしはもう誰とも……。
青春がガラガラと崩れ去った音がした。
こんな場所で、このタイミングで、それを告げられるとも思ってもみなかった。
先ほど大見えを切って青春したいと駄々をこねた自分が悲しくなる。
「もちろんそれだけじゃないけど……」
キスも、体を触れ合わせることも。
「できないなんて」
「はい?」
「なんでもないです」
鈴凛は慌てて言った。
こんな時に『経験しといて損はないよ』という山原泰花の声が脳内で響く。
自分が急に汚いものになったような気がした。
「まって……! わたし……未来妃とくっつきすぎたかも」
急に羽をもがれた鳥のように力が抜けていった。
顔の煤をぬぐった−−。食べ物も共有してしまった。
「大丈夫ですよ……」
「ていうか……それなら学校生活、無理じゃん……」
「普通の生活では感染しません」
「え?」
「食べ物の共有、口づけなどでは、明が移ることはありません」
「穢レうつしは心の通じ合った者が、阿世つまり血の交わりをもつことで生じます」
「性交渉、傷口粘膜からの感染など、血液感染に気をつければ大丈夫です」
そう言って稲姫は櫛をとりだすと、鈴璃の長い髪を結い始めた。
「HIVウイルスみたい」
「でもやっぱり……じゃあ」
鈴凛は如月周馬が浮かんだ。
どんなに頑張っても、あっさりしたキスまで……
「って!わたしったらどこまで行けるつもりだったのよ!ばかじゃないの!」
鈴凛は急に恥ずかしくなって自分でつっこんでしまった。
「はい?」
「あ、いやなんでもないです!」
「一番気をつけなければならないことは、自分が傷つくことです」
「え?」
「戦わなくてはいけませんが、それは同時にその場にいる方々を危険に晒します」
「花将は長くいると、心の結びつきが強くなります。そして一緒に戦うと血を浴びることも」
「じゃあ佳鹿は……あんなふざけてるけど、佳鹿はわたしのせいで死ぬかもしれないとわかって花将になっているってこと?」
「そうですね」
「……」
「だから……他の戦姫様の姉姫方は……みな慎重に戦っておられます」
稲姫は目を伏せて、着物を取り出している指がわずかにぴくりとなった。
「他……?」
鈴凛は稲姫の態度に違和感を覚える。
「わたくしは、違うのです」
「?」
「わたくしは縁血を受けて異能……穢レの発現能力を失ったのです。戦いでは役に立ちません。それでこうして月館宮にて、給仕や雑務など、できることをしています」
「足手まといは逆に八咫烏たちを危険に晒します」
鈴凛は触れてはいけないことに触れたのだと悟った。
「ごめんなさい。その……嫌なこと聞いて」
「大丈夫ですよ。……これにいたしましょうか」
稲姫は桜吹雪の描かれた、立派な縮緬の着物をていねいにひろげる。そして漆塗りの箱から、金色に輝く簪をとりだした。
「わたし無神経で……」
「百姫様は何も悪くありません、この世には、仕方のないことが、あるのです」
これ以上この会話を続けること自体がひどいことのように思えた。
「さあできましたよ、御美しいです」
鏡に映った別人を見てリリは驚いた。これが自分。
美しい極彩色の着物を纏った華やかな少女が座っている。
金のかんざしに桃花を模した宝石が散りばめられている。顔はおしろいをして、いつものくすみやそばかすやにきびもない。唇はぷるぷるに潤っていた。
ふと如月周馬が浮かんで、これを見せたい、見たらどうなるだろうかと思った。
「花葬会場までともに参りましょう」
鈴凛たちは桜の宮を出て、水上廊下を歩いた。
「みんなお葬式なのに、着飾っている……」
「花葬は、普通の葬儀とは少し違います。お役目を立派に果たされ、長い常世でのお役目を終えて、長い眠りに旅立たれるお祝いでもあります」
「そうなの……」
鈴凛たちが歩いていると、大きな体育館ほどの瓦葺きの建物が見えた。
「あそこ、わたしがいたとこ?」
「はい大殿にございます。百姫様が縁血をうけたまわってお眠りになっていた場所です。訓練場に使われたり、縁血の初期の血の騒ぎが収まるまで新姫様を安置することに使っています」
稲姫が遠くの大きな屋根を指さした。
「この月館宮では一番大きい建物です。その右に見えるのが、倉宮。武具や、歴史書を収めており、宝物庫としても使われております。」
「宝物……。」
鈴璃はいったい何がしまわれているのか気になった。
「月館宮は北東に倉宮、大殿があり、姫宮があります。」
「中心が天照大御神、月読姫のおはする神宮、その奥に白月ノ上と照日ノ君の住居である神殿がございます。」
「あの人たち」
白い紙を顔につけた人たちが音もなく入っていく。
「白麗衆です」
「神々の日々のお世話を直接される方々です」
「神域に使える特別に神聖な方々です。我々と口をきくのは禁じられています」
白い装束の女たちは一列になって、島に続く橋をもくもくと歩いていた。
「……」
「田心姫様の沖ノ島、沖津宮です」
「田心姫様の宮は姫宮ではなく、神域の海にあるのです」
「え?」
「田心姫様と白麗衆は特別なのです」
「へえ……田心姫様って……」
鈴凛は一生懸命思い出すが、まだ誰が誰だかわからない。
「初代戦姫にして、最古の戦姫。いつも戦姫の頂点にいらっしゃる」
「……あ、番付で見たかも」
「番付をご覧になられましたか。初代に戦姫になられてから、百姫様まで、百人の戦姫が誕生しましたが、武功で田心姫様を超えた者はおりません」
「へえ……最初からずっと一番ってこと? ほんとうにすごい人なんだね……」
「白麗衆は田心姫様によって下界から特別に選ばれ、沖ノ島の白麗社で特別に暮らします。めったに街にもでません。お言葉をかけないように願いますね」
「……」
足音もなく女たちはゆっくりと去っていく。
無機質で感情がないように見えた。まるでゆっくりと進むロボットみたいだった。
突然照日ノ君の言葉が帰ってくる。
守らなければいけないのは、神籬。つまり心だ。
それはまるで心がないかのようだった。鈴凛はもし心を殺されたらあんな感じかもしれないと思った。
「こちらにおられる湍津姫様も」
「初代三代の戦姫方……三女神の姫君方は特別です」
「え?三女神?」
「はい。宗像三女神の姫君方は、ご存じの通り、かつて素戔嗚と照日ノ君の誓によって誕生しました。外界では神として尊ばれ、その神性は他の戦姫とは−−」
「あ、ああ〜……」
鈴凛は先ほどの反省を生かして話を無理やり合わせようとした。
「あら?」
稲姫はすぐに気が付く。
「もしかして……百姫様……宗像三女神の三柱をご存知ないですか?」
「……」
湍津姫がじっとみる。
「……しらないです……すみません……」
「田心姫、湍津姫、市杵島姫(たごりひめ たぎつひめ いちきしまひめ)。かつて素戔嗚が天照大御神に敵意がないことを示すために誓をし誕生した」
湍津姫が珍しくぽつりと言葉をはいた。
稲姫がにっこりとする。
「そうなんですね……あの……ほんとうに、すみません……」
「いえいえ。わたしも思い込みで。百姫様は帰国子女か何かであられたのですね」
「……いいえ……あはは」
気まづい空気が流れる。
「そういうことも……あるかもしれませんね」
稲姫がにこにこして言うと、ぎゃくにぐさっりときた。
「またご教示いたしましょう」
稲姫は苦笑いをしてついに諦めたようだった。
「とにかく田心姫様はナンバーワンなのはわかったよ」
「格別にお強く、お美しい方です。そして、人間であったお方としては、最も長寿です」
「そうか……いったい、どれくらい?」
鈴凛は興味本位できいた。
「正確には不明です。ご本人も、もう面倒なので数えてないとか。ただし有史より以前から生きておいでと聞き及びます。2000歳はゆうに超えておられます。人間というよりは神に近いお方です」
どんな人なのだろうと想像を巡らしてみた。その名からは強そうな美女が思い浮かぶ。
しかし有史ということはイエスキリスト誕生よりももっと前なのだと鈴凛はぼんやり世界史を思い出していた。
それほど長く生きるとはどんな気分なんだろうとぼんやりと想った。
*
夜の闇にオレンジ色の灯籠が美しく輝いている。
水の上に造られた舞台に女たちがぎゅうぎゅうになっている。
運動場ほどに広いその舞台でも、全て入り切ることがでずまわりの廊下にまで美しく着飾った女たちが立ち見していた。遠くの水面に近い舞台に照日ノ君、白月の上、三人の女人たちがわずかに見える。対岸にも明かりがみえた。扇町の人々も霧姫の死を見届けようと集まっているようだった。
「わたくしと湍津姫様は役がありますので前へ行きますね」
「いろいろ、ありがとうございました!」
「あの人……」
鈴凛は人混みに見たことのあるきつい横顔を発見する。
鈴凛を新幹線でグズ呼ばわりしていた影姫とその花将の技蛇だった。こちらを見て、冷たく目をそらす。
「他の戦姫はどこにいるんだろう……」
「忙しくてほとんど帰ってきてないわよ」
佳鹿がぬっと顔を出す。
「わあ!びっくりした!迫力ありすぎるから、急に後ろに立ったりしないで」
「あなたの鈍さのほうにびっくりよ。こんなに体積が多いわたしに気がつかないなんてやばいわよ」
「だってこんなに人が多いんだもの」
「ここがわたしたちの席? 棺桶が全然見えないわよ、前にいく?」
「いいよ、これ以上でしゃばりって思われたく無いし」
「あ、そう。ま、どうせ遺体は棺には入ってないから見るものもないしね」
「あ……れ?」
「雪?」
「雪……じゃない」
「どうして灰が?」
「おのごろ島にある火山が噴火するとか諸説あるが謎のままよ」
「なぜか戦姫が死んだ花葬の時は、よく灰が降るとか、降らないとか」
「はじまった……みたいね」
式らしきものが前のほうではじまったが、遠過ぎて何が何だか全然わからない。
「遠すぎる」
簪と花が盛られた船を女たちがそっと水面に送り出した。
「霧姫様……」
鈴凛たちの周りにいた宮仕たちの女たちもしくしくと泣いて、それは闇に消えていった。
遠くで髪を編み込んだ若い小柄な女が泣きながら、棺に花を入れている。
「あれが霧姫の花将?」
「そうよ。何代目だったかしらねえ」
「彼女はどうなるの?」
「IUに戻るでしょう」
「でも霧姫が死んだから、彼女が死ぬことは無くなったのかもしれないのね。彼女が人間としての人生を歩める……」
「あら〜花将あるあるきいちゃったの?」
「うん。ねえ、佳鹿はなんでここにいて花将になったの?わたしの血を浴びたり、危険な目に遭うのに、何もいいことないし、普通の道だってあったはずなのに」
「あらそんな重たい質問、こんな序盤に、もうしちゃうの?」
「おしずかに願います」
すぐそばにいた、貝の魚などの海模様の単をきた軍団の一人にたしなめられる。
鈴凛はしゅんとなる。
「ほら怒られた……」
式では鯨山が何か言っているようだったが、鈴凛の場所からは遠すぎて聞こえない。
「こんな遠くで何やったって式の進行には何の影響も与えないわよ」
戦姫は簡単には死ねない。
佳鹿がそう言っていた。傷が塞がるから。
だけど霧姫はあの時、あっさり死んでしまった。
黄金の矢……槍のように太い矢だったけれども−−。
「あの時どうして霧姫は死んだの?」
佳鹿に小声で聞いた。
「黄金は戦姫にとって劇物なの。他の金属も体を重くするけど、特に黄金は黄泉に通じている特別な穢れたもの」
「え?でも」
鈴凛は自分の指輪を見た。
「それは神々の羽衣……ヒヒイロカネ。意志の力で変形する神の物質。金じゃないのよ。ほらオレンジ色に近いでしょ?神の一部。戦姫の武具……それから打ち出された指輪は御刀に、羽衣は神衣に変形する」
「神の一部……」
「金だと思ってた」
母の結婚指輪を昔見た。あの指輪も今日子の指から消え、もう随分見ていない。本物の金のアクセサリーなど鈴凛は見たことないことに気がついた。
「逆に大地土由来の金属には神の物質・明を抑制する作用がある」
「特に金は急激に明を打ち消して吸収する素質がある。それはつまり神の再生能力を低下させ、肉体を人間に戻す。でも戦姫の本来強めの穢レはそのままだから」
「パン!」
佳鹿が急に目を見開いて恐ろしい顔をした。
「わあびっくりした。だから脅かさないでって……」
「穢レが噴出して戦姫は忌になる」
「今さっきお静かにって言われたでしょ!」
「どうせあっちまで聞こえてないわよ」
鈴凛はぞっとする。
「わたしって穢レ強いって」
「言われてた言われてた」
「でもそんなことで戦姫が忌になったら、手がつけられないほどになる。でもそれじゃ困るでしょ?」
「だからそうなった時、神々が神の火で持っていかれる」
「え……?それはつまり……」
「そう。その保険が発動したのよあれは」
鈴凛は指輪を見た。これは自分が化け物にならない保険でもあり、もしなった時に自分を殺す爆弾のようなものなのだ。
「えー……」
「神々への信仰を糧に明を強化することね」
「黄泉あっての明、明あっての黄泉だけどね」
「忌を殺す時は逆。穢レが強い忌の力の源を神のヒヒイロカネでたつ。忌の体からっぽになり体は崩壊する」
「!」
それぞれの華族の女たちは想像したよりずっと多く、戦姫らしき人物が囲まれて見えない。
「みんな……」
影姫の一団はすぐ後ろのほうにいて、影姫だけは少し見えた。
「みんなわたしに興味ないみたい」
「戦姫たちは、興味はあるけど見てみぬフリをしているのよお」
「どうして?」
「あなたが、すぐ死ぬかもしれないからねえ」
佳鹿が笑顔のまま言った。
「え……」
「あなたで戦姫は100代を数えるけど、11人しか生き残っていない。つまり選ばれた八十名以上は死んだのよ」
「!」
体が硬直する。
霧姫のように殺されたか、もしくは忌との戦いで死んだのだろうと思った。
「それって」
「戦姫だって簡単に死ぬわよ」
「生存確率は10%ってとこよ」
鈴凛は愕然とした、自分が10分の1の枠に入れたことなどこれまでの人生でない。
「まあ、あなたは蘇りがあるから特別かもだけど」
「まあ、みんな、そこまでの事情は知らないわ。なんか素戔嗚様の同じ力らしいってことくらいしか。死なないなんて知らないし、そんなことあるわけないって思ってるだろうし、事実あたしも思ってるし」
「まあ……そうでしょうね。わたしもそう思ってますよ」
「でも他の戦姫でも、簡単に死んでしまうのね……」
「毎回忌に殺されにいくようなもんだからね」
「お姫様じゃないんですか」
「お姫様はいつもかわいそうな運命がセオリーでしょ?」
やはりやりたいことはやっておこうと鈴凛は思った。
「パン!」
また佳鹿が大きな声をだして、周りがうっとうしそうにする。
「ちょっと」
「今度は何?」
「アンパンを忘れてたわよ」
神妙な話なのに、きゅうにがさごそと軍服の中を漁り、急に佳鹿が大きな口で何かをほおばった。
「それ……」
鈴凛は固まって状況を確認する。
「はい、あなたのアンパン。昔はおはぎを配ってたのよ」
「え……」
鈴凛にも同じ紙袋に入ったパンが渡される。
周りは不謹慎なといった目でますますみてくる。
「でも今は配るのが大変だから、おはぎから、あんパンになったのよ」
「いやそうじゃなくて……」
「葬式の時には配られるの、知ってた?」
「いやそうじゃなくて! 何で佳鹿だけいまたべてるの?」
「パンで思い出したのね。脳って不思議!」
「不謹慎でしょう」
「あと単純にお腹すいてお腹なっちゃいそうで。だれもこっちみてないわよ〜」
式の進行の次に佳鹿が注目されていると鈴凛は思った。
一番巨体の佳鹿は頭が飛び抜けている。
アンパンをかじったら嫌でもさらに目についた。
声もでかい。
「ちなみに」
「パンの生産は西欧館が独占しているわ。あなたと羊杏がはじめて出会ったとこよ」
佳鹿が鈴凛にあんぱんをおしつける。
「呆れた……悲しんだり、追悼の念とかないの?」
「あなた、あの女に八岐大蛇の餌にされそうになってたんでしょ? 悲しいの?」
なんだかその言い方にもやもやしながら鈴凛は言い返した。
「それはそうだけど。誰かの命が、色々頑張って、頑張って、ついに旅立ったって思うと……なんというか……」
霧姫がおまえに何がわかると言って泣いた顔が蘇った。
「ナイーブねえ。このアンパンおいしいわ……少し甘すぎだけど、牛乳が飲みたいわねえ」
「……」
「人なんてそこらじゅうで死んでるわよ。いちいち喪に服してたらきりないわよ」
「佳鹿は図太すぎる」
「あなたの考えは、甘すぎる。このアンパンの加糖レベルに。だるだるに、甘甘すぎよ」
「!」
「人の負の気持ちに引きずられ過ぎ、人の心配しすぎ、神籬がろくに扱える容量も技術もないのに共鳴したり干渉したりやめなさいよ〜対処できる知識も技術もないくせに」
「それは……」
「あんたはとりあえず自分が生きることだけ考えなさい」
「!」
「生き残れるのは、一番タフなパンだけよ」
こんなにもふざけている佳鹿が軍人であることを思い出して、急にぞくりとする。
「あなたは戦姫になったの」
「それは……そうだけど」
「甘っちょろい考えはやめときなさい。ただでさえ悲劇の戦姫になったんだから、甘い考えでのらくらしてら、すぐ死ぬわよ。ただちょっと体が頑丈なだけなんだから。」
「あらやだ。食べ過ぎたわ。筋トレしてこよう。あとは羊杏に色々きいて〜」
「え」
佳鹿だけが式から出て行った。
「スクワットして、バーベルあげして、ランニングして水泳してと……」
佳鹿がぶつぶつ去りながら言った。
「わたしもいつ死ぬかわからない……やっぱりやりたいことはやっておくべきなんだ」
鈴凛は独り言を言ってみた。
「でも青春なんて言ったけど、なにからしていいかわからない……」
鈴凛は口癖でそう言いかけて、はっとする。
ただちょっと体が頑丈なだけ。
佳鹿の言葉が帰ってくる。
「あれ?」
普通よりは頑丈になっている。
「わたしはすぐ死ぬかもしれない可哀想なお姫様。でも、わたしは、超人になったんだ……わたしが戦姫の中でどんなに弱くても……ただ蘇るだけだとしても」
「仕事中にすぐ死ぬかもしれないけど……悲劇的な運命かもしれないけど」
鈴凛はアンパンのあんこをみつめた。
「学校では」
やりたいことがすぐに判った。
「わたし……学校に行かなきゃ……」
鈴凛は自分の顔で恐ろしい笑みが張り付いているのがわかった。
*
高天原からヘリコプターで空港に戻ると、朝日が登り始めていた。
今日から違う毎日がはじまる。鈴凛は学校に行きたくなった。
翔嶺と神嶺が待っていた。
「翔嶺君、未来妃は」
「無事に送り届けました。玉手匣でよくお休みになっていると思います」
今日のことを考えると、突然にワクワクしてきた。
姫宮に戻ると、鈴凛は元の服に着替えて、また飛車どころまでいった。
降り立った空港は今度は宇田空港だった。
「あの……霧姫様の葬儀はどうでしたか?」
翔嶺が遠慮がちにきいた。
「あ……すごくたくさんの人がいて、綺麗な花が盛ってあって」
鈴凛は少し申し訳なく思いながら言った。
「そうですか……よかったです」
翔嶺は何かを思っているようだった。
「報われたでしょう……」
あの里で二人は仲がよかったのかもしれない。
「……」
拘式は興味なさそうにそっぽを向いている。
拘式はあの夜、あんなに霧姫を守っていたのに、死んだら何も聞かなかった。
やはり血も涙も無い男である。
「それよりすごいことになったわよ」
帰りの車の中で拘式たちに『戦姫と女子高生の平行生活』が告げられた。
「あなたのハローワーク行きはなくなったわね」
佳鹿が冗談っぽく言った。
拘式神嶺は一瞬目を見開いた。
「この子のおかげで無職じゃなくなったわよ」
「よかったですね」
鈴凛は小さく笑って言った。
「クソ餌の分際で調子にのるな」
苦虫をかみつぶしたように眉間あたりをくしゃりとして鈴凛を睨んだ。
「ではしばらくあの街で、我々は百姫様のお側にいられるのですね」
翔嶺は嬉しそうに言葉を弾ませた。
「いろいろなことで隠蔽工作が必要になるわ」
「この街に原状回復のスペシャリストがいてよかったわ」
「もしかしたらそれも色々見越した毛利の仕業かもしれませんね」
「それって」
「ああ蟻音……回瀬さんです」
山田が言った。
「いい男よねえ」
「あのガーデンの……」
「じゃなくて」
「さ、明日から、日本の社会を守るために、チームで頑張るわよお!」
佳鹿は燃えていた。
「よろしくお願いします」
鈴凛は別のことに燃えていた。
ただ早く学校に行きたくてウズウズしていた。




