15話 猿の正体
幻覚が消えて、崩れた建物の中で、鈴凛は立ち尽くしていた。
「は……!とんでもないものみせてくれたわね」
佳鹿が目をキラキラさせて寄ってくる。
「神威と隠世の同時抜刀とは……」
「信じられない……。拘式谷で消費されたものと思っていました。巫女の血はそれ自体が不死ということでしょうか?」
羽犬が小さく考えるように言った。
「かもな」
鴉天狗の頭領は不満そうに顔を背けている。
「櫛灘様の血は生きているということですか?」
「わたしにも何がなんだかさっぱりよ……」
「ただ蘇るだけの能力ではなさそうだ」
「この子は一体何者なのかしら」
「蘇ったことといい、本当に死を超越した存在なのかもしれないわね」
「わたしたちは最強の兵器を手に入れたのかも」
そう言ってにっこり笑いかけられたが、鈴凛は全然元気がでなかった。
「……」
遠くでサイレンが聞こえる。ここへやってくる警察や救急車だ。
青い雨は水溜りをつくり、地面に水が染み込むように消えていった。
「黄昏の血に囚われし鬼よ、月と日の名のもとに、今こそ汝の衡を断ち切らん……」
佳鹿はそう化物がいた場所に弔いの言葉をかけた。
「未来妃……」
息はしているが、気を失っている。抱きしめた。
「鈴凛……?泣いて……るの……」
夢も希望も才能も正義感も何もない。
自分には何もない。
でもこの小さな温もりだけでも、守りたい。
守り通せたならば、わたしにも価値があるのかもしれない。
世界なんてどうでもいい。
これからどうすべきかなんてわからない。
でも、未来妃だけは—
「他に忌はいない。感染は食い止めたようだな」
「あなたたちのせいなの!これは!」
鈴凛は怒りが爆発した。
「ちがう」
「!」
「前回はおまえのせいだったが」
「今の所、今回の鬼化は原因不明だ」
「かせ」
「う……」
鴉天狗の手が伸びて未来妃の体に触れた。
「なにをするんですか!」
「たいした怪我はしていない」
「……」
鴉天狗の男が小さな箱を開いている。
怪訝そうな鈴凛に向かって小さく言った。
「玉手匣だ」
あたりに少しだけ良い芳香が漂う。
蜃気楼のように空気が歪んで見える。
「これで直前の記憶が曖昧になる」
「大丈夫なんですよね」
「覚えていたら殺処分になる」
「……!」
「おまえはあまり吸うな。明が激っている時には効きづらいが」
「……」
鈴凛は未来妃の頬についたすすを指でぬぐう。
「未来妃……ごめんね……」
「お見事、お見事」
拍手が鳴り響く。
「親友を見殺しにするほどお間抜けさんではなかったようですね」
猿面の男が軽やかなツーステップでやってくる。
「あなたねえ……」
「よかったじゃないですかあ!友情も取り戻せて」
「……!」
鈴凛は怒りがわなわなと溢れてくる。
「よしよし。夏川君は、本当にいい仕事をする」
調子のよい感じで男はぽんぽんとその頭を撫でる。
「あなたって人は」
鈴凛はついに怒りが爆発した。猿面の男に掴みかかろうとした矢先、猿は軽やかにくるりと鈴凛の手をかわす。
「おっと!」
「拘式さんたち、彼女はまかせてもいいですか?」
「ああ」
「未来妃をどこに」
「大丈夫ですよ、警察が自宅までお送りします」
「それよりほらわたしに腹が立っているのでしょう」
悪びれる様子もなく自分を指差して猿は言った。
「……」
鈴凛は未来妃を蹴り落とした猿面の男を睨む。
「ああ、百姫様、申し遅れました」
猿が進み出てきた。
「八咫烏、西国の司嫡男、黄猿こと」
そして仮面に手を添えた。
「!」
鈴凛はその顔を見て絶句する。
「毛利就一郎にございます」
「……生徒会長−−」
ハーフの青年は綺麗に笑う。
「何を隠そう……」
「あなたを、こんな大変な運命にしてしまったのは、この僕なんです」
そういうと毛利就一郎は大袈裟に額に手をあてた。
「毛利……先輩が……?」
鈴凛の声は怒りも驚愕もその他わけのわからない感情も混じって震えていた。
「はい」
生徒会長はさわやかな笑顔でそこにいた。
「僕があなたを拘式谷の『餌』に選定したのです」
鈴凛は今までのいろいろなことが込み上げた。
「よくも!」
勢い余って掴みかかろうとしたが、するっとまたかわされてしまう。
「まあまあ」
「それも八咫烏の仕事だYO」
黒人の男がやってきて言った。足にはまだあの糊のようなものがついていて、ひとりだけ雪道を歩いてきたみたいになっていた。
「あなたが知らない仕方ないことがたーくさんあるのよ」
佳鹿もさらりと言った。
「仕方ない? お父さんは死んじゃったん—今だって未来妃を殺しかけて」
「忌の発生は我々のせいではありませんよ」
毛利就一郎は悪びれる様子もなく笑っていた。
鈴凛は怒りと悲しみとで声が震えた。
「どうして……わたしを……! わたしがあなたに何をしたっていう」
「何も」
早押しクイズかのごとく、素早く朗らかにに毛利就一郎が答える。
「じゃあどうして!」
鈴凛は叫んだ。
「あなたが学園で一番、死にたそうだったので」
質問が来ることが予想されていたかのごとく、毛利就一郎は次々にあっさりと質問に答えてみせた。
「それは」
「その見立ては間違ってはいなかったでしょう? ヒュー!ボキッ!あなたは美東橋から飛び降りて自殺しようとしていた」
毛利就一郎はふざけた態度で身振りを加えて自殺を演出した。
「最低な人ですね」
鈴凛は睨みつけた。
毛利就一郎は真顔になった。
「自死して命を粗末にするほうが最低でしょう」
「……」
「まあ、わたしもあなたを選んだのは、いけなかったのですがね」
鈴凛は唇を噛んだまま毛利就一郎を睨んだ。
「本来、拘式谷の生贄は、八咫烏の掟に従えば、厳正な抽選によって選ばねばならないのです」
自分の爪が気になったのか、いじりながら毛利就一郎は言った。
「じゃあなんで」
「しかしながら!」
今度は舞台上の俳優のごとく、演技がかってくるりとターンしてこちらを見る。
その様子はどうもイカれていた。
「しかしながら……」
一息溜め込んで男は鈴凛をしっかりと見た。
「しかしながらですよ? そんなこと、非効率的でしょう?!」
「非効率的!?」
「だって死にたい人がいるのに、死にたくない人を餌にするなんて」
「!」
鈴凛は唖然とした。
「そこで僕は、少し柔軟に、餌の選定の運用方法を変えておりまして」
「!」
「餌には、なるべく、なるべく、なるべく……! 死にたい人を選んでいるのです。優しいでしょう?」
「はあ?」
「あの時、そろそろ若い餌が必要だったんですよねえ。ご高齢の方ばかりを送りすぎて、変則的な運用が本部にバレそうだったので」
「そして……そして! 実に! 実にタイミングよく!」
鈴凛は固まっていた。
「学校で!」
毛利就一郎はもう一度くるりと回ってにっこりと手をこちらに向けた。
「あなたが死にたがっていたというわけです」
「あの品の無い柊木建設のバカ息子連中ともめて……」
「わたしは彼らにいじめられて−−」
「あなたが死んでも。彼らはまた別の誰かをいじめるだけ。そんなことも想像がつかなかったんですか?」
意地悪く毛利就一郎がハーフの整った顔で笑っていた。
「……それは」
鈴凛は睨むことしかできなかった。
「まあその辺は僕はどうでもいいんです。とにかく」
「都合が非常にいいでしょう? 死にたいあなた方と、死んでほしい我々。まさにウィンウィンの関係でした」
「ウィンウィン?どこが」
鈴凛は怒りを通り越して、舌をかみそうになる。
毛利就一郎何人も死にやってさながら快楽殺人犯かのごとく楽しそうにしていた。
「後処理上も、非常に都合がいいんです。死にたい人がいなくなっても、『ああ、きっとあの人、どこかで死んだのでしょう!お辛そうでしたものねえ……』と思われる! しかし元気で健康で愛されている人の死は、え……何で急に?どうしたの?おかしくない?……みたいに偽装工作が大変なんです」
「つまり……わたしの死は……簡単でお手軽だったってこと」
「まるっと、まとめて、ひらたくいうと、そうです」
毛利就一郎はビシッと鈴凛を指差してきた。
頭に血が登って鈴凛はこぶしを振り上げた。
「く……む」
しかし、すぐに下ろした。色々なことでどっと疲れていた。
「やらないんですか?」
「もういいです……あなたと真面目に話しても無駄だし……疲れるので……」
「おや、そうですか」
「で。わたしはどうすればいいんですか?もういきなりあんなのに出くわすのは嫌なんで。あれは何でわたしの行くところ行くところに出てくるんですか?」
「お、ついに戦姫になる決意をされましたか。よかったよかった」
「そういうわけじゃない。あなたたちのためになんか働かない」
「おや」
「でも……」
「でも?」
「正義も責任も知りはしないけど、未来妃だけは守らないと」
「未来妃が傷ついていいわけがない」
「よい心がけです。そのへんもまるっと上で説明受けてきてください」
「上って」
鈴凛はだいたい想像がついて空を見上げた。
「おっといけません!もうこんな時間だ。お送りしなければ」
「車きたYO」
鈴凛は黒塗りのベンツをみやる。
「どうぞ」
「……」
嫌な気持ちを押し込める。
佳鹿と名乗った大女がにっこりとした。
「さあいくわよ。あなたの帰るべき場所へ」
鈴凛は八咫烏と名乗るその連中と車に乗り込んだ。
「……」
車は街の国道をしばらく走ると、どこに向かっているのだろうと思った。
「本当に未来妃は大丈夫なんでしょうね?わたしそれが保証されないならその戦姫とかいうのにはなりませんよ」
「ええ。彼女なら大丈夫。拘式さんがちゃんと送ってくれますよ」
「鴉天狗ってやばいって聞いてたけど案外普通だったじゃない」
佳鹿がこほほと笑った。
「わたしは、どこへいくの?」
「もちろん高天原ですよ」
わかっていたものの気が重くなる。あの黄金の人にもう一度会えるかもしれないということが唯一のモチベーションだった。
「……」
鈴璃は車に乗っている無言の猿面の男たちをちらりと見た。助手席に座っているのは猿面の毛利就一郎、鹿面の佳鹿と名乗った大女だということはわかる。
「あの夜、拘式谷にお連れしたのも我々の仲間です」
察したように別の猿面の男が年老いた声で言った。
「!」
「我々のように面をかぶり神々にお使えする者を八咫烏というのです」
横にいる年老いた男が優しい声で鈴凛の不安に答えた。
「八咫烏?」
猿の面なのに?と思う。
「わたくしは、毛利照親。就一郎の父親です。中四国領の領主にございます」
毛利照親?リリはどこかでその名前をきいたような気がした。
「選挙中に外でポスターをご覧になったことがありますかな?」
「毛利家は代々、西国の政治家で、毛利照親氏は、毛利就一郎の父親、県議会議員。見ざる聞かざ言わざる〜三本の矢〜!」
佳鹿が笑いながら弓を撃つふりをして言った。
「ははは!佳鹿様、お噂通りのお方だ」
どこまで本気なのか、仮面の下で笑い合う大人たちが不気味だった。
仮面をかぶっているのでぱっと映像もつながらない。
「八咫烏は日本で戦姫様に仕える秘密を守る人間たちの組織」
「毛利就一郎の一族である毛利家は本州の西部を担っている。他の地も日本各地に八咫烏がいる。日本は太陽の神の国。使える者も一段と多く、陽族の力が一番強い地域なのよお」
「あなたはその国の守護戦姫。あなたは恵まれている」
「……」
恵まれているというのがなんだかしっくりこなかった。
「あの鴉天狗や狐旅館の人たちもそうだったのね」
リリは彼らが狐か烏天狗の面をしていたことを思い出した。
「はい。でも彼らは我々の中でも特別でした。拘式家は外界と関係をたち、太古の昔から八岐大蛇の封印を守ってきたのです」
「神嶺様を見られたでしょう」
「彼らは特別な天狗の加護を受けた一族なのです。幼い頃から鴉天狗の戦いを仕込まれる」
「我々は彼らを天狗や狐とも呼びますね」
「ではここで」
車が止まった。
「え?」
「いってらっしゃいませ」
毛利就一郎がひらひら手を振っていた。
「?」
「神聖な高天原は、男子禁制なのです」
「男子禁制?」
「世界中から集められた美女だけのの天空の島。羨ましいですね」
フェンスで囲われた福岡空港が見えた。
「……」
男が搬入口らしい場所で何かを見せると、物資搬入の男がうなづいた。
車は難なく敷地内に入る。
*
プロペラが二つもついた大きなヘリだった。
運転席も金髪の女性だった。
「高天原は今は離れている。ヘリでいくぞ」
羊杏が飛車と言ったのを思い出す。
「ユナイテッドステイツって書かれてる」
鈴璃は女をみやった。
「我々はインナーユニバース、通称IUと言われる組織。八咫烏の実働部隊といった方がいいかしら。ちなみにわたしは立場上は中国軍の軍人だけどね」
「すごいでしょう?アメリカ軍の戦闘機に中国軍人が乗っている」
「……」
「世界情勢をまったく知らないのねこの子は」
「まあいいわ」
「八咫烏は主に普段は一般人で、隠蔽工作を主に行う」
「世界には規模は違えど、八咫烏と同じような、太陽神と戦姫を支える隠密組織が十二ある。彼らは『十二宮』と呼ばれ現実世界でも大きな影響力を持っているの」
リリは驚いた。
佳鹿は刺青をみせた。
「普通の人間も鬼退治に参加させられているのね」
殺されていった軍人たちを思い出した。
「言っておくけど、これは鬼退治や化け物駆除といった単純な話じゃないわよ」
「え……」
佳鹿は一息ついた。
「これは戦争なの」
「戦……争?」
鈴凛はその響きが怖かった。
「夜の神と太陽の神の戦争」
「……夜の神」
「そう。人間を巡ってのね」
「だから人間の世界はいつも、その戦争のもとにある」
世界は平和じゃなかったのか。
鈴凛はいつも戦争のもとにあるというのがぴんとこなかった。
鈴璃は一瞬思考が停止した。鈴璃にとってそれは遠い歴史の言葉だった。
「血を授けるのは太陽の神だけではない」
「夜の神にも子らがいる」
「わたしは……その人たちと戦うの?その戦姫とかいうのになって……」
「もう戦姫よ」
「……強くならなきゃいけないの?」
鈴凛は全然できる気もしないし、やる気もでなかった。
「もう強いわ」
「……」
「あなたは核兵器など足元にも及ばない、人間を守るための兵器」
「これからあんなことがたくさん……戦わなきゃ……」
「あなたは兵器よ」
「兵器そもそも戦わない選択肢なんてないわよ」
「兵器……」
「大丈夫、大丈夫。わたしがちゃーんと支えてあげるわ」




