13話 博多
ジャルダンを出て、駅前まで戻る。
「走って!」
どうにかしなければ。心臓が早撃ちする。あの鴉天狗の男にまた捕まってしまう。
「ちょ!」
鈴凛は名残惜しそうな未来妃をひっぱって通りを小走りしていた。
「ま、まだ時間あるよ?」
ひっぱられている未来妃が困ったような声をだした。
鈴凛は無視して未来妃をひっぱって走ったり、早歩きで駅へ戻ってきた。
「まけたかな……」
鈴凛はあたりを見回した。駅から出てくる人も、駅前を走っている車も、通りを歩く人も、バスの運転手も、店の中でなにくわぬ日常を行う人さえも八咫烏に思えてくる。
「ねえ……り」
誰も鈴凛と目は合わなかった。
「大丈夫かも」
「はあ……はあ……」
「!」
未来妃の息が切れて苦しそうに体をおっている。未来妃が体育を見学するほど、心肺機能が弱かったことを思い出す。
「ご、ごめん!」
「だ……大丈夫……ねえ……、だ……誰が追いかけてきてたの?」
未来妃が手をついて息を整えたあと、顔をあげる。
ヒラリとバスのチケットが落ちた。
「……」
鈴凛はそれをひろう。
「ごめん、あそこのベンチに座ろう」
鈴凛は未来妃を肩車してバス待ちのベンチに未来妃を座らせる。
「はあ……はあ……」
未来妃が言った通り、未来妃への興味関心の薄さを痛感して鈴凛は少しいたたまれなかった。
「大丈夫、じっとしてればすぐ治るから……ねえ……うちの親?」
「あ、えっと……未来妃んちの車みたいなのが見えたきがして」
鈴凛は申し訳なさを噛み締めながらまた嘘をついた。
「ほんと?やだもうママにばれたのかな……バスまでかなりまだ時間があるのに」
−−バス何時だったっけ?
−−あと10分!
−−はやくしないと遅れるよ
−−博多ほんと久しぶり
母と娘らしき二人とすれ違う。
「!!」
カバンに同じ色のチケットを入れるのが見えた。
鈴凛の心臓が早撃ちし、脳が勝手に回転して、体にくるりとむきをかえさせた。
「……」
鈴凛はチケットをみつめたあと、左手にバスのチケットを持ち変える。
「未来妃、ここで、まってて」
「ちょ……ちょっと鈴凛?」
緊張で空気の音が聞こえる。鈴凛は自分のチケットを指に感じさせつつ歩いた。
もし、ここで悪い子なら?
馬鹿げた発想ができる気がしてならない。
−−ど……どこいくの?
動けない未来妃の情けない声が後ろからしたが、鈴凛は無視して先ほどの親子を追いかける。
花柄のワンピースを着た母親と、ミニスカートをはいた中学生くらいの女の子が仲がよさそうに歩いている。
−−ねえわたしキルフェボンのタルト食べたい。
−−いいわねえ
−−予約してたバッグを先に受け取るの後回しにする?
−−そうねお店しまるの早いかもだから
鈴凛は二人が妹の咲と母の今日子に見えてくる。
顔がそっくりな母と娘が楽しそうに笑い合っていた。
「……」
鈴凛は呼吸を浅くして足を早めた。草原の肉食獣のように静かに、でもそっとその親子の後ろにつく。
一度、深呼吸した。
母親のルイヴィトンのカバンの中のチケットの券面が見える。無防備に開け放された鞄の入り口で揺れている。やはりひとつ前の便のチケットだ。
「バスあれだ!」
娘がすぐ前で言った。
鈴凛は『いまだ』と思った。
集中力が高まって、急に時間がゆっくりに思える。
足を早めて、鈴凛は右手をカバンに滑り込ませ、チケットを人差し指と中指ではさみぬきとり、同時に左手で自分達のチケットをカバンへ落とす。
そしてふたりを何食わぬ顔でぐんと抜いた。
鈴凛はバスロータリーを一瞬して、何食わぬ顔で未来妃のもとへ戻る。
「バスのチケットがない落としたかも」
未来妃が不安げにカバンの中だのベンチのまわりを探している。
「あったよ」
「え?」
「乗ろう、もう時間だから」
「え、これいっこ前の……」
未来妃が立ち上がった。もう大丈夫そうだった。
「いこう」
−−これひとつ先ですね
−−えーそんなわけない
−−もー!お母さん間違えないでしょ! あーあ……お店しまっちゃうよ
−−ごめんね
親子のやりとりを横目で流し見て鈴凛と未来妃はバスに乗った。
鈴凛は車掌にチケットを差し出した。
未来妃をバスに押し込む。
「え?え?なんで?」
「いいからいいから」
「え……でもおかし」
「あ!ほら未来妃の親がきてるかも!」
「え!」
「ほら急ごう、一番後ろの席だよ」
未来妃は慌てて身を屈める。
本当は誰も追ってきていない。
ごめんと思いながら、未来妃が可愛く思えてくる。
−−発車します シートベルトを—
車掌がアナウンスをかけて無事にバスがでた。
「ふう……」
バスが発進した。田舎の街を抜け、畑や田園を抜け、高速道路の入り口で止まる。
よかった。あやしげな車にも尾行されていない。
鈴凛は安心して肩を撫で下ろす。
「ついに家出してやったのね……」
未来妃も感動したように言った。
「だね」
「やってやったわね、わたしたち」
「なんだかワクワクしてきた」
「わたしも」
鈴凛は先ほどのスリルを思い出しながら言った。
「今頃あわてふためいているかしら。わたしが悪いことなんてすると思いもしないだろうから」
鈴凛にいわせればこれは全然悪いことではない気がする。
それでも二人は少しだけ邪悪な笑みで笑い合った。
「なんか、小三の時、鈴凛が音楽の先生が用意したCDをこっそり踏んでたの……思い出した」
「え?なにそれ?そんなことあったっけ?」
鈴凛は思い出せなくて未来妃を見る。
そういえば昔から未来妃は記憶力がいい。
鈴凛は嫌なことばかりが多いせいか、小学校の時のことや中学のことはあまり細かくは覚えていなかったが、とにかく貧乏を思い知らされた黒歴史しかない気がした。
「グランドピアノを弾く三浦先生の周りでみんなで合唱してる時、先生が落としてた合唱CDを鈴凛がごりごり上靴で踏んで傷をこすりつけてた」
「わたし……そんな子だったの……」
鈴凛は愕然とする。
「わたしもそれ見えてたけど、あの時は先生に言わなくて、鈴凛と笑い合ってた。今みたいに」
未来妃が懐かしいといった風にクスクス笑っている。
鈴凛は言われてみればそんなことあったような気もすると思った。確か音楽の先生には歌が音痴で、ピアニカも吹けない、不衛生なことで目の仇にされていた記憶はあった。しかし改めて過去の話を客観的に聞くと、なんて陰湿な子なんだろうとしみじみ思う。
当時は良くも悪くも本能的に教師に仕返ししたのかもしれない。
「三浦先生嫌なやつだったもん」
未来妃は先生の名前までちゃんと覚えていてまた真面目だなと思う。
鈴凛はそんなことをした相手の名前さえ覚えていない。
「嫌いな生徒には嫌がらせして、お気に入りの生徒ばっかり可愛いがってたもんね。あの時はスカッとしたわ」
*
その後バスでは何気ない思い出話や学校の会話をした。未来妃は本当に細かく覚えていて、鈴凛は忘れていた二人の記憶が少し戻った気がした。
「ついた!!」
2時間ほどたったころ、宇多ではみたこともない高いビルの間にバスは止まった。
「博多!」
騒々しく車やら人が行き交っている。
「夜とは思えない賑やかさだね」
夜の街は危険なネオンに満ちているように思える。鈴凛は一度咲のライブを母親と無理矢理見にきたのを思い出す。それでもあの時は昼だった。
「……夜の街ってはじめて」
未来妃も緊張したように言った。
歩いている人体の服装も顔つきも宇多と全然違った。
「いこう」
「この服かわいい!」
ショーウインドウが照明に照らされていた。マネキンが可愛らしい冬服に包まれている。
「かわいい」
赤いチェックのワンピースにファーのついたダウンがあわせてあった。
少しギャルっぽい派手な店だった。
「まずさ服買おうよ!見つかりにくくなるためにも。この店、そんなに高くなさそうだし」
「このマネキンが着てるやつ、右は鈴凛に似合うんじゃない? わたしは一番左の一式買おうかな」
店にはいると、すぐに店員が来て、未来妃が説明すると試着室に通された。
「……」
鈴凛はベージュのダウンに、短い白スカート、ロングブーツに着替える。
「落ち着かない」
足は寒いし、いつも慣れた服ばかり着ていたのでゴワゴワしている気がした。
いまさらあのドブネズミコートが恋しいような気さえした。
ふたりはすっかり別人になった気になって、店を出た。
「これなら絶対ばれない気がする」
未来妃も短いスカートにわくわくしていた。
その時ぐうっと鈴凛のお腹がなる。
「お腹すいた……」
「結局何も食べれなかったもんね」
「あ、あそこにフロアガイドあるよ?」
エスカレーターの脇の表示を未来妃が真剣に吟味している。
「8階にレストラン街がある」
*
鈴凛と未来妃は洋食屋風の店に入った。そこが一番こじゃれすぎておらず落ち着く雰囲気だった。
未来妃は鈴凛が注文して運ばれた量に少しだけひいていた。
「おなか……すいてた……のね……」
明らかにおかしいと思うとは思ったが、我慢していたせいか食べ物へ渇望が爆発していた。ハンバーグ、エビフライ、シチュー、パフェ、パンケーキ、オムライス、ポテトと唐揚げがところせましとテーブルにぱんぱんになっている。
「頼みすぎた」
限られたお金なのにさっそくやらかした感がある。
「まあいいわよ」
「未来妃もちょっとずつ味見で食べていいよ」
鈴凛は気まづい雰囲気をそんな言葉で誤魔化した。
テーブルの料理の量は明らかに異常で、フードファイターが注文する量である。
「鈴凛……」
未来妃はそれを見て愕然としている。
何かおかしいと気がついたらしい。
「あの……これは……」
鈴凛は未来妃に妙な体質になったことをまた説明したくなった。
しかし未来妃が色々なことを安易に話すのことに責任がとれるのか鈴凛は心配だった。未来妃が簡単に鈴凛の秘密を口外するとも思えないが、どこでまたあの連中が未来妃に危害を加えてくるかわからない。
何を言おうか迷っていると、未来妃がばっと顔をあげた。
「本当はそんなに大食いなこと隠してたのね」
「え」
「いつもお腹すかせてたのね?」
「わたしお菓子とかあげて、鈴凛を助けてる気になって、勝手に満足してた……わたし鈴凛のことなんでもわかってる気になってた……」
未来妃は目をうるうるさせている。
「え?いやー……」
これは突然体質が変わったせいだった。
「量が全然足りてなかったなんて」
未来妃は賢いはずなのに、どこか鈴凛のことになるとおかしい思考回路になるらしかった。どう見てもこんなに急に食べるようになるのはおかしいはずなのに。
「ああ……えーっと」
「パフェも全部頼みましょう」
未来妃はきりっとして、注文ボタンを押す。
「鈴凛の本当の胃袋を知りたいから」
抹茶パフェ、チョコレートパフェ、いちごパフェ、巨大な花火がついたパフェを未来妃が注文し、鈴凛はそれを全て食べ切った。
*
「いい食べっぷりでなんだかわたしまですっきりした、すごいじゃん。テレビでれるよ」
「うーん……そうかもね……目立つの困るけど……」
二人は食事を終えると、夜の街をまた歩いた。
鈴凛は一気に食べすぎたのか少し体が重い。
「こんなに家出が最高なら、もっとはやくやればよかった」
街の狭い夜空を見上げて未来妃が言った。
「もし捕まっても何回もやりたい」
「そうだね」
「かわいいお店たくさんあるし、朝まで起きててもいいし、うるさい人もいないし!」
「でもどこで寝る?」
「あのね、ネットにね、カラオケ店で夜が越せるって書いてあったの。大丈夫ちゃんと調べてある。未成年にゆるい店探しといたんだ」
「フリータイムは23時くらいから入りたいわね……」
街をうろうろしていると、通りに人が集まっていた。
「……なんだろ?」
ずんずんと重低音が響く。
「音楽が聞こえる」
人だかりの向こうに小さな地下への階段がぽっかりと口をあけていた。
風がひゅうううと飲み込まれていく。
「……」
「ライブハウスだ」
不良の巣窟が口を開けていた。あたりにいる人はスキンヘッドに刺青のある男や、ピアスがあきすぎている金髪の女性、ゴスロリの衣装の女の子たちなど刺激が強そうな人が群れていた。
みるからに真面目で優等生な未来妃は派手な服をきても、あきらかにこの連中をかき分ける時に浮くだろうなと鈴凛は思っていた時、未来妃が意外なことを言った。
「ちょっとみていこうよ」
「え」
白い四角い箱のような二階建ての建物に、アルファベットで大きく、青いペンキでROPと文字が書かれていた。まるでコーヒーシュガーみたいだ。ひとつも窓はなく、地下へ続く階段への入り口がアリに食べられたように、ぽっかりとあいていた。
「あ、フェルゼリアがきてる!さすが都会!」
「エ?フェルゼ」
未来妃が看板をみて嬉しそうに言った。化粧の濃い派手な子やガラの悪そうな男がじろっとこっちを見る。
「え!!時間七時から! ちょうど、もうすぐ、はじまるじゃん!!」
鈴璃は嫌な予感がした。
「未来妃まさか」
「ちょっとだけ見ていきたいの!フェルゼリアすっごくかっこいいんだよ」
鈴凛は少し驚く。
未来妃がロックなど聴くと思っていなかった。どう見てもクラッシックしか聞いてないように見える。まわりの人々も異物を見るように未来妃を見ていた。
「……うーん……またこんどで……」
それになんとなくここには入りたくない気がして鈴凛は思わずそう言った。
「お願い」
未来妃は意外にも食い下がった。
「まだフリータイムまで時間あるし」
確かにこれ以上時間は潰せそうになかった。
「わかった……いこう」
「やった!じゃあ二人お願いします」
じろじろと刺青が腕に入った男が二人を見る。
「……」
未成年がばれたかと思った。
「どうぞ。再入場の際にはこちらを見せてください」
入り口でマーカースタンプが押される。
「……」
看板に出場グループがいくつか記載されていた。どれも聞いたことのないのばかりだ。さらにいえば、どのバンド名も、日本語ですらない。
「!」
階段にさしかかると、すでにガラの悪そうな男が何人かいた。パーマをかけたモップ頭の男が、興味深そうに鈴璃をじっと見た。彼らは大学生よりもっと歳がいっているように見えた。
「へんなやつ多そうだから、気をつけてね。なめられたらだめ」
鈴璃は未来妃の後ろに回るようにして、目を合わせないようにする。
鈴凛はどうしてこんなにも人がいるのだろうと思う。
社会や学校や家庭で居場所がない人。そんな気がした。
自分達も−−。
扉をあけると、わずかに音が漏れてきた。ベースの重たい響きが、地面を揺らしている。銀の扉の前までやってきた。
「入るよ。」
「うん」
未来妃が扉を引くと、一斉に音が飛び込んできた。
中にはすでにたくさんの人がうごめいていて、前のほうでは、ゴスロリ衣装の女の子たちが、ブンブン頭を回しながら飛び跳ねている。観客たちにかこまれて、気持ちよさそうに男ボーカルが歌っていた。天井のミラーボールがまわり、緑や赤の光がうっとうしく行きかう。とてつもない音の大きさに、鈴璃はクラクラとした。ただでさえロックを聴かない鈴璃には、不協和音に感じた。ギターのキュインキュイン唸る音が、鳥肌を誘う。
「まあまあ、うまいじゃん。」
未来妃が鈴璃に聞こえるように大きな声で言った。
「そうなの?」
鈴璃も負けないように声をだす。
「でもギターは……」
いかにもモテそうな華奢なその茶髪の男は、ギターをかき鳴らしながら、声をたぎらせていた。二十代後半くらいだろうか。見た目よりポップな可愛らしい曲だと鈴凛は思った。鈴璃にとって、異世界の空気と臭いが会場に渦巻いている。タバコと機械と熱い湿気の匂い。
なんでこんな不快で狭い場所に集まるのか。
自分達は悪だと陶酔したいのだろうか。
母がこんな場所に自分が来ていると知ったらどうなるだろうと鈴璃は思った。
未来妃の親に至っては泡を吹いて卒倒するかもしれない。
「みんなありがとーっ」
二十歳くらいに見えるその男の声が、耳を劈くように轟いた。拍手やら観客が歓喜にわーっという声を出す音やらで、会場は盛り上がる。
「次のfellsegeriaもよろしくーう!」
そのバンドは、自分たちの機材を舞台から下げて出て行った。鈴璃はやっと少し静かになったと思い、一息ついた。
−ああやっとフェルゼゲリアか
−あいつ名前間違えてね? ポンコツだからなあ。あのボーカルは
−いい年こいていつまでやってるんだろうね
「……」
のりのりで飛び跳ねていた隣のグループから冷たい会話が聞こえてくる。
「すごい音量だったね」
「こんなもんなんだよ」
まだまだ知らない世界は、広がっているものだ。
こんな煩い音のどこがいいのやら……
鈴璃は自分の耳が心配だった。
「最初はうるさいけど、だんだん音に乗るのが楽しくなるよ」
その物言いに鈴凛はびっくりする。
「なーんてわたしも軽音部のライブいったことがあるだけなんだけど」
未来妃は優等生にみえてこんな場所に来たことがある風だった。
「鈴凛も好きな曲だったらきっと体がうずうずしてくるよ」
そうは思わない、と鈴璃はあたまのグルグルを直すのに必死だった。
―ねえ?fellsegeriaって……fellseriaじゃなくて?
観客たちがさわさわと声をだしていた。
―間違えたんじゃない?
―fellseriaって、あのナッキィのバンドでしょ?
―え?でもインディーズデビューしてたし、こんな小さなハコに戻ってこないでしょ。
皆が次のフェルゼゲリアというバンドに興味深深だった。
「なっきーっ!!」
キャーッという歓声とともに、一人の女がギターをかかえて出てきた。いかにもパンクを追及した格好で、ブルーのボブカットに、ところどころ刈上げが入っている。ビジュアルメイクで元の顔立ちがどうであるのかもわからない。
女は歓声のほうに、にっこりと手をふった。
「あれだよ」
「!」
鈴璃は目をしばしばさせて、スチールをいじる壇上のギタリスト見た。とても同じ歳には見えない。同じ幼稚園にいたはずなのに、何が違えばああなるのだろうかと思った。
ドラム、ベースは男の人で、こちらはヒゲがちらほらと生えており、社会人に見えた。いかにも落ち着いた雰囲気で、それぞれがチューニングを手早く終わらせる。
場数を踏んでいることが、その余裕からうかがえた。
−−ナツミがうたうのかな?
未来妃がステージを見上げた。壇上の三人が、楽器を構えると自然と観客は静かになった。観客の全員が誰が歌うのだろうとステージを一心に見つめた。
客が静かになるのを待っていたかのように、歌い人はステージに姿を現した。
ヒールの音が静寂に落ちる。
「……!」
一瞬にして空気を支配すかのように、一歩一歩ステージを進む女に、誰もが釘付けになった。すらりと伸びた長い足。引き締まった体。人を引き付ける大きな黒目が妖艶にこちらを眺め、真紅の唇が余裕に満ちた表情で笑うと、会場を見渡す。
シャドウを深く入れたその目元はどこか美しい少年のようでもある。
はっきりとした顔のほりが、陰影をつくっていた。
すらりとしたモデル体系に、黒の短パンをはき、ロングブーツがいっそう足の長さを感じさせる。
挑戦的なほほ笑みを一瞬浮かべると女はマイクを握り締めた。
悪魔が降臨したように、会場の人間は誰一人、ぴくりとも体を動かさなかった。
「fellseriaは、なくなった」
女の甘いハスキーボイスが、ハウスに響き渡った。背の高い女は、目を閉じて微笑む。
「今日は、あたしが歌う。」
真っ黒なショートカットのその女は自信に満ち溢れているように見える。
聴衆は一心に女を見ていた。いや目が離せなかった。
「あたしは、アイ」
大きな目が猫のように、カッと見開いた。
「覚えときな!」
そのドスのきいた一声とともに、一斉に音が爆発した。重低音が心臓を揺らす。ドラムが走るように鳴り響き、ベースも軽やかに弾んだ。ナツミの手は人間の手とは思えぬ速さで動いていた。
「すごい」
鈴璃は思わずつぶやいた。観客も一瞬その完璧な炸裂音に驚いていたようだったが、すぐにリズムに体をまかせはじめた。
ベースのおとがリズミカルに弾かれて。鈴凛の中の何かもむくむくと起き上がるようだった。
「鈴凛ものりなよ」
未来妃は体を揺らしていた。
「え、でも踊れない」
「めちゃくちゃでいいんだよ!」
心臓の鼓動が聞こえる気がした。
「飛び跳ねよう」
「誰もわたしたちのことなんか知らない」
それもそうだと思った。
「!」
鈴凛は足をリズムにあわせて、それを肩、首に伝えた。
−−黙れ 怒れ 死ね 歌え 踊れ 怒れ
女の力強い声が深いところを逆撫でしているようだった。
「……」
いじめのことや、咲の顔が浮かんだ。
今までの怒り、悲しみが燃えているようだった。音楽だけに身をまかせると、気持ちが驚くほど軽くなる。
押し込めた憎しみと怒りが叩き起こされ、ねじり上げられ、昇天していく。
鈴凛は夢中でめちゃくちゃに飛び跳ねた。
―なんとなくなど 死ねる はずない
女のクールな美声に観客は逃げる間もなく囚われた。莫大な声量を持った彼女は、休むことなく観客に熱を与えた。
そこで鈴凛はこの人たちも世界に怒っているんだと思った。
暗い場所で悪をしたいわけじゃない。
怒りを爆発させたいのだ。
ボーカルの彼女は見事な扇動者だった。
よく見ると歳はあまり変わらないようにも見える。
夜に誰にも止められることもなく、濃いメイクをして大人を率いて歌う。
自分もあんなふうになれたら……
「!」
目があった来たした。
鈴凛が思い描く悪い子、そのもののような気がした。
ほどよく低い女の声は天性のようだった。
客たちははじめ彼女の絶対的な歌唱力に圧倒されていたが、しだに踊り、狂ったように飛び跳ねはじめた。
―過去だけ研ぎ澄ましても
救えない残像を 追うだけ
―サダメからは 逃げられない
―覚悟をきめろよ 死んで 死んで 死んで 生まれ変われよ
未来妃が飛び跳ねているこっちを驚きと称賛の目でみる。
「鈴凛いい感じ!」
本能を刺激するようなその音に、聴衆は踊って、鈴凛も飛び跳ねていた。
ナツミやベースの男も、楽器を持ったままリズムに酔いしれる。
「頭をぶんぶん回すのもあり!」
―SHALLOW SHADOW!!
―SHALLOW SHADOW!!
体の深いところを殴るように攻め込む音。恐ろしい音。地獄の音楽があればこういう感じだろうと思った。その音楽にあわせてめちゃくちゃに誰もが飛び跳ね続けていた。
鈴凛もその衝撃を心地よいと感じていた。
ステージ上の彼女に魅入られる。
わたしたちをかき混ぜて、さぞかし彼女はもっと気持ちいいに違いない。
なんてかっこよくて、美しいんだろうと思った。
あんなふうになれたら
鈴凛はふとそう思った。
熱を保ったまま、、何度か曲が巡り、そして終わった。
「もう終わり?」
未来妃がさみしそうに言った。
一斉にアンコールがはじまった。
―アンコール!
―アンコール!
ぎゅうぎゅうになって息苦しい。
しばらくその声は響き渡ってたが、彼らは戻ってこなかった。
「だめだ……」
「もう限界」
人がアンコールを叫んでステージに押し寄せていた。
「圧迫死しちゃう……一回でよ!」
*
部屋を二人で出ると、未来妃はふうっと息を整えた。
「鈴凛ったらあんなにパワーあったんだね」
「え」
恥ずかしくなった。
「キラキラしてた。いつも以上に美しかった」
未来妃がそんなことを言うから鈴凛は恥ずかしくなる。
「……なんか歌詞が入りこんでくる気がして」
「わかる。そうなのよ。死んで生き返る。安全にただ間違わないように生きて、その先に何があるの? ただ生きているだけじゃだめなのよって。 それは生きているってことに感謝してないってわけじゃなくて、命をかけても必死に何かをやってみることもきっと大事なの。あの歌はそれを込めて、死んでもいいほどの覚悟を持ってもっと……」
未来妃はあんなロックな曲を優等生らしく真面目に分析していた。
「……」
鈴凛がまたついていけなってきょとんとしていると思ったのか、未来妃がはっとする。
「ごめん、とにかく、ただ生きているだけじゃだめなの」
ストローを未来妃の小さな口が離した。
「わたしたちは自由よ」
「……」
「いつもそれを忘れてる」
「……」
「縮こまって枠にはまって、同じところをぐるぐるぐるぐる、誰かのせいにして」
「……」
「文句ばっか言って不満を抱えている」
「誰だってはじめの手札は選べない」
「でも次の一手はいつだって選べる。嫌なことはしなきゃいいのよ」
「自分で何をするか考えて、何をするか決めて、何かをしなきゃ。時には何もしなきゃいいのよ」
「……そうだね」
「あの曲はそのことに気が付かせてくれた」
「そっか……」
「ママはあたのため、これが一番。これが安全って言うけど……この物語が楽しいかどうか、やるべきことが何なのか決めなきゃいけないのはわたしなのに」
未来妃は思い詰めたように言った。
「自分が安心したいから、愛してるふりしてそれを奪うんだわ」
未来妃は冷たい真顔になってぽつりとそう言った。
こんな音楽を好きだなんて、未来妃も小さな闇を抱えているのだなと鈴凛はふと思った。
鈴凛はあのバス停で見た仲の良い親子を思い出す。
ああいうのは本当は稀なのかもしれない。そう思ってそれも違うかと思う。うまくいっているという風にみえても、そこの親子も問題を抱えている。
「ごめん、これが文句ばっかたれてってことなのよね。鈴凛のうちのこともあるのに、わたしってまた無神経だよね」
「うんう……」
放置されるすぎるのも辛いが、拘束されすぎるのも辛い。
そういうものかもしれない。
未来妃と鈴凛の境遇は正反対すぎて、鈴凛には正直なところ気持ちがあまりわからない。干渉されすぎるのがどれほどうっとうしいのかわからない。
幼いころから母の今日子の視線の先にはいつも咲しかいなかった。
可愛い咲が羨ましかった。
母はいつも咲を心配して、咲のことを一番に考えていた。
鈴凛の誕生日はいつも忘れられたが、咲の誕生日は1ヶ月も前から計画された。
鈴凛はそれが羨ましかった。
こっちをむいて。お願い。どうやったらこっちをむいてくれる?
小さなころはそれだけいつも考えていたことを苦みのように思い出す。
「……」
ちょうどいいところって、どこにあるのだろう。
世界はそんなにうまくできていない。それはしょうがない。
「わたしたちの青春物語が今日ここから始まるの!」
未来妃はとりなおしたように笑った。
「……!」
「これからは、青春のために生きよう」
未来妃は自分の極論に笑った。
自由に、何にも縛られることなく、興味のある方へ。
鈴凛はそれがあのボーカルのような子になることな気がした。
「あ、グッズ運ばれてきた」
未来妃がグッズを見たそうにしていた。
「みてくれば?」
「次まで、まだ時間あるから。わたしがワンドリンクとってくるよ」
「ありがとう」




