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永遠(TOWA)  作者: 三雲
不死ノ鬣(現代編)
12/178

12話 ジャルダン

ぐうっとお腹が鳴る。

「おなかすいた」

異常な食欲が続いていた。

鈴凛はうずくまって空腹に耐えていた。

悲しいはずなのに、食べ物が喉を通ってはいけないはずなのに。

あんなに悲しくて怖かったはずなのに。

死ぬべきだったのは自分だったのに。

「はやくでかけないかな」

新しく鈴凛の部屋となった納戸で、籠城状態になっていた。2段の押し入れのふすまははずし、収まりきらない膝下を入れて寝ている。

あれ以来ひどい空腹だった。母親と咲がいない間に冷蔵庫の中のものを全部食べてしまう。それでも足りないから、コンビニに行く、例の百万円は食べ物代にあっという間に消えていく。

「あと十万円くらいしかない」

納戸の小窓から静かに雪が降っているのが見えた。そこにいていいよ、とまるでさ、ささやいてくれているみたいだった。

学校へもう一ヶ月も行っていない。

いつの間にか冬休みに突入して、もう2月になっていた。

「はじめからこうすればよかった」

家が嫌だからって、学校に行くよりはましだ。

「とりあえず学校に行くのをやめればよかったんだ」

その発想がどうしてできなかったのか自分でも不思議である。

静かな団地の家々がそこにある。鈴璃の世界は何も変わっていなかった。

父は死んでしまったが、世界は何食わぬ顔で動いている。

「お父さん、おばあちゃんに会ったのかな」

納戸に配置した祖母の遺品を眺める。鍋敷きや、タペストリー、ぬいぐるみ−−。昔は他の部屋にもいたるところに祖母の作品があったが、色移りするからと母は、祖母の藍染をひどく嫌っていたから、もう鈴璃の部屋にしかない。

−−ドンドン!ドンドンドン!

納戸の扉が何度もたたかれて埃が舞う。鈴凛は耳を塞いだままふとんに潜り込む。

「また冷蔵庫のもの食べたな!ふざけんな!」

鈴凛は食事を抜かれていた。鈴凛も食べにダイニングに降りていかなかった。

「ひきこもり!迷惑だ!出てこい!」

−−ドンドンドンドン!

妹の咲が通るたびに扉を何度も叩き、蹴り、去っていく。

「お父さんは、おねえちゃんのせいで死んだんだからね」

「なんでおねえちゃんが死ななかったの?」

「わたしの活動費用どうしてくれるの?」

「おねえちゃんが死ねばよかったのに」

「でてこい!」

がしゃんと音がする。咲が父親の部屋にあった写真を投げつけたらしかった。

咲は猛烈に機嫌が悪かった。

世の中が家族で正月をしているころ、源家は、恐ろしい状態だった。

「咲、でかけるわよ」

階下で今日子の声がした。

「わたしたち焼肉食べてくるから」

しばらくすると階下の生活音が鳴り止んで、車が出ていく音がした。二人はどこかへ買い物へ出かけた。

「焼肉……」

「急がなきゃ」

一枚しかないトレーナーとグレーのダッフルコートを着る。そしてひとつしかない祖母が手作りした愛染のショルダーバックを下げる。

鈴凛は身支度をして重たい腰をあげた。

お腹が空いているのだ。

ガラスが割れて、父の写真が剥き出しになっている。

鈴凛はかたずける気にもなれず、それを避けて階段をおりた。

「しばらく帰ってこないといいな……」

母や妹がいないときに、冷蔵庫やお風呂を拝借する必要がある。

コンビニに食べ物を買いに行く必要がある。

これも変化の一部なのか妙にすぐお腹が空いた。

「焼肉弁当食べよう……」

出かけようとしてすぐチャイムが鳴る。

−−ピンポーン

またか、と鈴凛は思った。

「……」

−−ピンポーン

二回目がすぐになる。

鈴凛はモニターをオンにした。

「あ、夏川です!わたし鈴凛ちゃんに−−」

いつも見る未来妃の顔があった。

車がないのだから留守だと察知すればいいものを。

こっちは学校どころではないし、もう放っておいてほしい。

「もう来ないで」

「鈴凛?」

未来妃は鈴凛が出たことに驚いている。

「もう学校いかないから」

「よかった声が聞けて。本当によかった。無事だったのね」

夏川未来妃は大袈裟に喜んでいる。

「悪いけど、もう未来妃の生徒会の功績作りにも協力できない」

「……!」

「友達ごっこなんてしたくない」

「でも鈴凛の家は」

「未来妃には関係ない」

「わかってるでしょ? お金持ちで優等生な未来妃とわたしじゃ住む世界が違うの」

「ずっとうっとうしかった。もうかかわらないで」

自分でもびっくりするほど酷いセリフが出た。

これでいい加減、自分の無神経さに気がついて帰ってくれると、思うとすっとした。

「……」

無言で未来妃がそこに立っているのを感じる。

長く中途半端な友達ごっこが終わるのだと思った。

これでいいんだ。

鈴凛はなぜか自分に言い聞かせながら、自動で電源が切れることを願った。

「……?」

しばらくしても門から去っていく音がしない。

鈴凛はモニターをオフにして小窓から玄関の門を見た。

「?」

がちゃりと玄関で音がした。

「え!?わ、ちょっと」

未来妃はなんと勝手に玄関から入ってきていた。

「おじゃまします」

落ち着いた冷静な声がひびく。

「ちょ」

その顔は、冷静さを装いながらも怒りを押し殺していた。

「わ、え」

急に鈴凛の両腕を掴んだ。

「!……なにする」

「うっとうしいですって?」

未来妃が迫ってくる。

「関係ないですって?」

鈴凛はわけがわからなかった。

未来妃は見たこともないほど顔を真っ赤にした。

「!」

「関係ないなんてよくも言えたわね。友達も家族も頼れる人なんか、全然いないくせに」

「!!」

「味方なんてわたししかいないくせに」

「……それは」

「わたしは……鈴凛がいなくんって、すっごく心配したんだから。関係なくなんかない」

未来妃の低く唸るような声がした。

「こんなに心配しているわたしに……ずっと友達のわたしに……か、関係ないなんて!よく言えるわよ!」

「え……」

「あなたの母親も妹も!誰もあなたのこと、心配してないじゃない!あなたを一番心配しているのは、このわたしよ!」

「このわたし。わかる? なんでわからないの?」

未来妃はすごい剣幕ですごんでみせる。

未来妃はふーふー怒って顔を真っ赤にしていた。

鈴凛は何が起こっているのかわからなかった。

「なんであんな性格が悪いバカ女たちを友達にするわけ?あんな子たちのどこがいいの? あなたをいじめるような子たちでしょ? あんな派手にしてバカみたいなことしていきがって人を見下している連中がそんなにいいの?」

「み……未来妃」

「諦めてわたしを親友って認めなさいよ」

「え……あの……」

「惨めだろうが、悔しかろうが、地味でガリ勉でつまらないわたしと友達しているほうが学校生活は平和なのよ」

「未来妃……」

「わたしと一緒にいるのが幸せなのよ」

「……」

「今だって母親と妹に置いてかれたんでしょ? 全部わかってるんだから」

「……それは」

「いくわよ」

「え?」

「あの二人が帰ってきちゃうまえに」

勝手に未来妃が手を取る。

「え、わ、ちょっと」

「もうにがさない」

「!!」

「今から家出よ!もう消えないように捕まえとく!」

「ええ」

未来妃は鈴凛を連れて家を飛び出した。



未来妃は手を引っ張って強引に歩いていく。団地をぬけて街に出た。鈴凛はただ流されていた。

「どこいくの?」

呆れて鈴凛はため息をつくが、争う気力も残っていない。

「果てしなく遠く」

「なにちょっとどうしちゃったの」

鈴凛が圧倒されてひきつってそういうと、彼女は力を緩めてこう言った。

「どうもこうも前からわたしは鈴凛を心配してるわよ」

「……」

未来妃はずんずん鈴凛をひっぱって歩いていく。

いつもの汚れたトンネルまで来た。

「どこいくの」

「親にみつからないところまでいく」

「二人で」

「……!」

「うちの親も最悪なんだから。鈴凛にはわかんないかもしれないけど」

「!」

未来妃が急に立ち止まる。

「今、あなたが、来田野奈たちに学校でいじめられているのもわかってる。先生たちは無能すぎて何もできなかったけど」

いじめのことを通報したのは未来妃だったのだ。

鈴凛はただなされるがままにひっぱられながら歩いて、未来妃の言葉を浴びていた。

「わからないのは、どうやったら、あなたがわたしに心を開いてくれるかってことだけ」

鈴凛は驚いて目を丸くした。

「……本当のこと言ってくれるかってことだけ」

「……」

「本当の友達にどうやったらなれるかってことだけ」

「未来妃……」

「昔は本当にバカだった。鈴凛はわたしと一緒にいてくれたから、鈴凛もわたしと一緒が楽しいんだと思ってた。でも中学生になって違うってわかった」

「いや昔はわたしも何も考えてなかったというか……」

「だんだん何を話してもわたしばっかりしゃべってて」

「わたしがお菓子をあげたり、色々することを、あなたがウザいと思ってることもわかってた、だけど」

「いや……その」

「わたしのことつまらない金持ちのダサいガリ勉と思ってることも」

「いや……そんなことは……えーっと」

「思ってたでしょ。わかるの」

未来妃が鈴凛を睨んでいた。

「う……」

鈴凛は未来妃のそんな顔をはじめて見たような気がしたが、はっとする。知っていた。ずっとずっと昔二人がまだ小学生の頃いつも見ていた気がした。遠くなっていた過去が急に近づいたような気がした。

「わ、わたしを頼ればいいでしょ! わたしはいつだって味方だったんだから! 今はわたししか味方はいないんだから!」

未来妃はたどたどしくつっかえながら怒っていた。

「鈴凛を一番心配してるのは、このわたしなんだから……」

鈴凛はしばらく固まっていた。少し大きな声にトンネルが反響させる。

「ちゃんと……友達にしてよ」

最後に、未来妃は力無く言った。

「……」

体から力が抜けていった。

トンネルの向こうに光が見える。

立ち止まった。

鈴凛も住む世界が違うと思っていたし、それを彼女自身もよくわかって行動していたのだと思っていた。

物を惜しみなく与えたり、勉強の話をすることも、綺麗な格好で横を歩くことも鈴凛にはどこか不快だったのだ。

でも彼女は、ただ友達に戻りたくて、近づきたくて鈴凛を救いたかっただけだったのだ。

「ごめん……」

鈴凛は思わず言葉が漏れた。思い返してみればなぜ気がつかなかったのかという気もする。別に未来妃が嫌味で高級なマフラーをしているわけでもない。

「あの日何かおかしいと思ってた」

鈴凛が美東橋に行った日のことを言っているらしかった。

「鈴凛が消えちゃうみたいな」

未来妃は思い出すように言った

「だから明日ねって約束したのに。まさにその日にいなくなっちゃうなんて」

「!」

「鈴凛が行方不明になってすごく後悔した」

「なんで一緒にいなかったんだろうって。嫌がられてもくっついてればよかったって」

「……!」

「死のうとしてない? 死なないでって、遠慮なく言えばよかったって。ずっと後悔してた」

「なんで……」

昔から家が近くて、ただ友達だっただけ。それだけなのに。心も開いたこともなかった。悩みは一度も相談しなかった。

「なんで……わたしたち昔ほど……いや昔から……」

「今説明したでしょ。あなたの味方はわたししか」

「違う。そうじゃなくて」

「なんでわたしのことそこまでしてくれるのかって、言ってるの」

「他の子でいいじゃん、友達なんて」

「だめよ」

未来妃はすかさずそう言ったが、自分でも理由になっていないことに気がついているようだった。

「……そりゃあ鈴凛がダサいわたしと一緒にいたくないのはわかるけど……でも昔から友達だし……色々わかってることもあるのよ……」

未来妃はもじもじとしている。

「せっかく同じ高校なんだし。入学式の時、目があったでしょ」

未来妃が思い出すように言った。

鈴凛もそれは覚えていた。

始業式の時、彼女と目があった。でもそれはただの一瞥だと思っていた。なぜなら、彼女は成績が一番で壇上で宣誓を行っていた時だから。ただ群衆を流し見ているのだと思っていた。

まさか自分を認識していたとは思いもしない。

「あの時、もう一度。って思った……」

「もう一度鈴凛ともっと仲良くしたいって」

「この感情は……」

「うまく言えないけど」

「わたしは鈴凛のことがいつも気になってた」

「!」

唖然としたのと、胸が高鳴ったのと同時だった。

衝撃だった。これは漫画で読んだことがある。

マフラーやらお菓子やら色々あれこれくれたことが急に思い出される。

「それは……もしかして」

女の子同士の……秘密の……

幼馴染が急に思春期なりお互いを意識し始めて……

鈴凛はどんな表情をしていいかわからない。告白されたことなどないし、女の子から告白されると思ってもみなかった。

鈴凛は未来妃が恥ずかしそうに赤くなっているものか?と思って、急いで顔をあげると、全然違った。

「勘違いしないでね。性的に好きって意味じゃない」

鈴凛はわけのわからない期待をしていた自分をひっぱたいてやりたかった。

「なんだ……」

予想外の面白そうな展開がしぼんで、ちょっと残念な気もする。

「じゃあ、なんで?」

未来妃は難しい顔になって理由を考えた。

「……わからない……鈴凛の見た目が可愛いからなだけかも。可愛い子と友達になりたがりなのよ、女子は」

「なにそれ……」

鈴凛は耳を疑った。そんな理由だけでこだわるのも謎だが、未来妃が鈴凛の見た目が可愛いと思っているのとは思わなかった。

そんなこと言われたことない。日陰のきのこだ。鈴凛を褒める言葉など、祖母以外から久しく聞いておらず、鈴凛は不思議な気持ちになった。

それに、かわいい〜、とか綺麗〜とかは女子の挨拶みたいなもので、

本心などこもっていないことが多い。

「わたしを可愛いって思うの?」

目の前の少女の目が心配になってくる。

「可愛いわよ。だからみんなに妬まれるんでしょ」

鈴凛は賢く優等生な未来妃がほんの少しバカに思えた。

「その発想はすごい」

未来妃がにこりとする。

「鈴凛は気が付いてないだけ。いつも鈴凛はみんなをひきつける」

高速バスから景色が流れていく。

「……?」

「ピアスも指輪も似合ってる」

「……」

「来て。わたしだって本当は、もっと悪い子で面白いんだから。わたしと友達するのも悪くないって思わせてあげる。もっと笑わせてあげる」

いつもの汚いトンネルを通ると、髑髏マークの前で、ふざけて未来妃があかんべーをして鈴凛を見た。

「なにそれ」

全然悪そうに見えない。笑いがでてきた。

未来妃はいつも通り綺麗で真面目でここでは異物に見えた。

「わたしもピアスあけようかな。髪も染めて」

「未来妃」

「?」

「わたしにあわせようとしないで」

「そのままでいいの」

「そのままで……」

「ごめんね……今までごめん」

未来妃はきょとんとしたが、照れたように笑った。

「確かにちょっと調子にのってたのかも」

「やっぱり可愛い」

「マフラー、強引に、金持ちをみせびらかせて、おしつけがましく、かしてあげる」

「ごめんって……」

未来妃が鈴凛にマフラーを巻いた。二人して笑う。

「いいこと思いついた!」

未来妃がトンネルの入り口あたりの自転車を物色する。

「え、まさか」

「そうパクるのよ。こんな汚いトンネルに鍵もかけずに放置されてるし、大丈夫でしょ。ちょっと借りるだけ。防犯登録してあるから大丈夫。すぐ持ち主のところに帰るわよ。駅に着くのに早いほうがいい!」

鈴凛は目をぱちくりさせた。

「言ったでしょ、今日から悪い子」

「いや、わたしはそんなに悪い子が面白いと思ってたわけでは……」

確かに真面目ではないが、野奈たちをちょっとずるくて華やかだとは思っていたが、悪い子だとは認識していなかった。

「後ろに乗って」

「今日からわたしたちは悪い子よ。親をとことん困らせるの」

「もちろん二人乗りよ。ワルだから」

鈴凛はあたりを見回した。後ろを振り返る。

「鈴凛、ほんとびくびくしてるわね。そう簡単に親にみつかりはしないわよ」

鈴凛が心配しているのは親ではない。

連中のことだ。

未来妃との話に夢中になっていたが、鈴凛は今それどころではなかった。

「大丈夫かな……」

しばらく走って駅前についた。

「あ……もしかして電車怖いの?」

「うんう……そうじゃないんだけど」

「あ、チケット買ってくる!」

未来妃がチケット売り場に行って肩を落として返ってくる。

あいかわらず田舎で人はまばらだ。

「どうしたの?」

「夕方までないわよバス」 

「時間まで何する?あ!図書館に……」

未来妃は言いかけて顔をしかめて訂正する。

「じゃなくて……ゲーセンにいく?」

無理矢理軌道修正してそう言った。

鈴凛はクスクス笑う。

「だから無理だって。いつもの未来妃でいいんだよ」

「あはは。あ、とりあえずコンビニいこうか?」

駅の横にある一件しかない今にも潰れそうなコンビニだ。

「うわ。ブブリアンのお菓子またでてる可愛い……」

未来妃が黄色いパッケージを眺めた。

「うわ高い。バス代とか交通費は温存しないとね……逃げ続けないといけないんだから」

鈴凛は自信満々にカバンを見せた。

「実は、わたしも。今日はお金持ちなんだ」

鈴凛は八咫烏からもらっていたお金を差し出した。

「え……すごい大金。なにこれ。こんなお金いったいどうしたの」

未来妃は急に不安な顔になって、いない間に鈴凛が何をしていたのか勘繰った。

「心配しないで、やばいお金じゃないから。尊敬できそうな人がくれたの。一緒にしとこう」

そう言って、これは本当にやばいお金ではないかと自分を疑問に思った。

「ええ?……まあ……うん」

お金が混ざると、本当に二人の旅が始まった気がする。

「わたしたちの全財産ね」

二人は袋を眺めた。それがふたりをつなげたみたいだった。

「おなかすいた。食べていい?」

鈴凛は我慢できずに、メロンパンの袋をがしがし開けてにかぶりつく。

コンビニを出て歩きながらバス停に向かう途中未来妃はびっくりしていた。

「鈴凛。やっぱりごはん抜かれてたの?」

「ごめん最近食欲を我慢できなくて……行儀悪いよね。でも我慢できなくて」

「食いしん坊な所もかわいい」

未来妃が笑う。

「わたしも食べようかな」

未来妃がチョコレートを取り出す。

「ほらチョコレートもあげる」

未来妃がチョコレートを取り出して割った。そして顔をしかめる。

「ごめん思ったより小さくなっちゃった」

「ひとかけらでいいよ」

未来妃がじっとそれを見る。

差し出された白い手。

「ひとかけらか」

未来妃がしみじみと声をあげる。

「?」

「わたしたちまだ、ひとかけらも味わってないのよ」

「え?」

「楽しい青春のひとかけら」

「青春って?」

「こういうことしたり」

「うん」

「とにかくやりたいこと、おもいっきりするの」

「……そっか……」

やりたいこと。

そう言われてもピンとこない。鈴凛には夢もないし、何かが得意なわけでもなかった。夢が無ければ青春が楽しめない。

「何困ってるのよ」

「え」

「鈴凛なら」

未来妃がいたずらっぽく笑う。

「如月周馬にバレンタインに告白する、とか」

鈴凛はチョコレートが口から少し落ちた。

「ええ!」

未来妃はどこまでも見透かしたような笑みを浮かべていた。

「気がついてたの?」

「バレバレよ。神社であれだけ毎日スタンバッてみてたら、誰でも気がつくわよ」

「そうだよね……」

「それに。まあ学校の半分以上の女子たちは如月周馬にほれてるわよ。あいつイケメンだもの」

そう言った未来妃が周馬が好きではないのかと少し不安になる。

「そう……だね」

「でも鈴凛ならいけるわよ。可愛いもの」

「え?」

「わたしも彼氏を作って」

「そしたらダブルデートしよう。いつか」

「それって最高の青春じゃない?」

「最高の女子高生の夢! 青春!」

「そう……だね」

未来妃の考えている青春が、意外にも可愛らしく思える。

真面目で優等生の未来妃がダブルデートを目標にするなんて。

「……」

鈴凛の頭に如月周馬と手を繋いで帰る自分を想像する。その空想はそこはかとなく幸せで満たされた。胸がときめいた。

「でもそんなの無理な気が……」

「簡単だけど簡単じゃないことをクリアしなきゃ」

急にまた体が重くなる。何を浮かれているんだ。

そんなことは、天地がひっくり返っても起こらない。

壮大なことではないけど、可能性がほぼないことだ。

如月周馬をつれてダブルデートなんかできるわけない。

「わたしは相手をみつけるとこから。鈴凛は如月周馬に好きって伝えること」

「無理だよ、ふられて……これ以上……気持ち悪いって思われたく無いし」

「だめだっていいじゃない?」

未来妃はけろりとして言った。

「鈴凛の評価は、もうそんなに如月周馬の中で高いの?」

未来妃は意地悪く笑うと、急にぐっさり刺さることを言ってきた。

「いや……目にも入ってないと思う……」

「そうでしょ。いや、ごめんごめん意地悪だよね。でも考えてみてよ。目にも入ってないのと、きもいって認識されるのとどっちがいい?」

「どっちもやだよ」

「ははは、そうか」

「わたしはきもいって思われる方が認識されてて嬉しいけど」

「それってちょっとストーカー」

「そうかもね。でもさ、ほら、男って、好きって言われると好きになるってきいたことある」

未来妃は自信満々に眉唾な情報を言ってきた。

「ほんとそれ?」

「認識されてなきゃそっと、じっと見てることもできる」

「なるほどね。なんて地味な発想なの」

「ほんとにわたしのこと好きなの」

「あはは!すきすき!」

「もう!」

あれ? 楽しい。

鈴凛は楽しかった。笑っている。

この小さなやりとりだけで、こんなにも笑える。軽くなれる。

誰かと一緒が久しぶりに楽しかった。

嘘でもいいや。なんだかそう思えてきた。

「自転車、駐輪場に置きにいこっか」

「うんそうだね」

「鈴凛は新幹線の事故で死んじゃうかもって思ったんでしょ?」

「うん……」

「誰でも人生は一回しかないことに間違いはない」

「何も無いより、如月周馬と何かあって死んだ方がましでしょ?」

「後悔したくないでしょ?」

「それは……そうかも」

「まだやりたいこと何もやってないじゃない?死んじゃうなんてもったいないわ」

「……そうだね。それは、ほんとうに、そう」

鈴凛は父親を思い出す。

ちゃんと言わなきゃいけないって父親が言っていたなと思う。

「簡単だけど難しくて、簡単だけど大切なこと」

「伝えること」

鈴凛は体が震えた。今だ。父がそう言った気がする。

「!」

「あの……」

「あのね……」

伝えたい。知ってほしい。もっと繋がりたいから。

やっと取り戻した少しだけ確かな何かを放したくないから。

誰のものかも知らない自転車のハンドルを握りしめる。

「わたし未来妃と別れたあの日の夜−−、『また明日』って言ってくれたあの夜に……」

「?」

「美東橋で−−」

「あ!」

キキキキキーッ

タイヤの摺れるものすごい音がした。

先ほどまで青だったはずの信号が気づけば赤になっていた。

「未来妃!!」

駅前で、車が歩道に乗り上げる。

鈴璃は突然のことに息を飲む。

「未来妃!あぶない!」

「ああっ!」

ガシャーンッ!

未来妃の体が投げ出される。ブルーのチェックマフラーが空を舞った。

鈴璃は思わず恐ろしくなって目を閉じる。

「!」

「未来妃!!大丈夫!」

何がどうなったかはよくわからないが、とりあえず収まったらしい。

未来妃はコンクリートの上で尻もちをついていた。

バス停の自転車がカラカラと音をたてて回っている。

鈴凛はぞっとした。

鈴璃は慌てて未来妃にかけよった。

「いたたた」

とりあえず血はでてない。骨が折れていたらどうしようと不安がよぎる。

「未来妃、大丈夫……?!」

「ええ。平気。信じられないけど、そんなに痛くない」

未来妃は自分の膝にできた傷から顔をあげる。音のわりに未来妃は大丈夫そうだった。

「青だと思ったけど」

「どこも打ってない?」

「うん……」

まだ鳥肌がたっている。

おかしい。

未来妃に死神がついたみたいな気がした。

「……」

鈴凛は不安になる。また自分の近くの人がーー

「!」

車から、誰か降りて来た気配があった。

「それより……やばいね。高そうな車」

未来妃は車を見て青ざめていた。

確かに高級そうな白い大きな外車だった。

ボディがピカピカに磨かれており、夕陽を反射している。

「しょうがないよ。わざとじゃない。歩行者優先だろうし」

「大丈夫ですか?!」

背の高い男となよっとした細身の二人の男がこちらに近づいてくるのが見えた。

車から降りてきた片方の男は急いで走って来て、未来妃のまえにかがんだ。

細身で、肩まで届きそうなほど伸びた髪がゆるくうねっている。

銀縁の眼鏡をかけ、アーガイル模様のニットを着ていた。

嗅いだことのある病院の匂いがした。

鈴璃は驚いて目を丸くする。

「仙藤先生?」

「未来妃ちゃん」

驚いたことに、方羽箕大学病院の未来妃の主治医、仙藤夕吏だった。

「あれ、鈴璃ちゃんと未来妃ちゃんだったのか!いやいや、そんなことより怪我してない?」

心配そうに未来妃に顔をむける。

「はい」

未来妃は呆然として返事をする。

仙藤は慎重に未来妃の体を調べはじめる。

その真剣な眼差しは、いつものふざけた様子ではなく、医師そのものだった。

「いいんだ。こっちが悪いんだよ」

運転していたのはもう一人のほうらしい。

背の高い短髪の男が近づいてくる。

「君のせいで、彼女、怪我してしまったんだよ。」

「知っている」

無機質で、濃淡のない声が上から降ってきた。その声には加害者になってしまった慌てふためく抑揚や、動揺が全くない。

「……!」

聞いたことのある声のような気がした。

じいっと男が鈴凛を何かを意図するように見据えた。

鈴璃は鳥肌が立った。

「……!」

あの鴉天狗の男だ−−。

鈴凛は様々な記憶が蘇る。

「自業自得だ」

男は鈴璃に流し目を向けてそう言った。

「!」

心臓がびくりとなる。 八咫烏がおまえを見ているぞ、その言葉が返ってくる。

目を見開いた。あの烏天狗からのぞいていた鋭い瞳。冷たい声。若いのに色が抜け切った灰髪。

いったいなぜここに?

いったいなぜ仙藤先生と?

やっぱりずっと監視されていたのか?

鈴凛の頭に混乱の嵐が吹き荒れていた。

「牽いておいてそれはないだろう?ほんと人でなしなんだから。車の方が悪いんだよ」

仙藤がやれやれといった風に首を横に振った。

「警察よぼう」

鈴璃は死神男を睨んでやった。

「そうだね」

仙藤があわてて携帯をとりだした。

「やめてください! いいんです! 警察には言わないでください」

未来妃が慌てて仙藤の手を止める。

「え? そういうわけにも」

「心配しないでください。先生のお知り合いなんでしょう?わたし誰にも言いません。それに連絡先がわかれば、ひき逃げにはなりません。それよりここにいることが、今、親にバレるほうがまずいので」

「お母さんに黙って出てきたの? 未来妃ちゃん?」

「内緒にしてて! 先生! いつも管理されてるの知ってるでしょう?」

「えー嫌だよ……家出を見逃して事故をスルーなんて僕の責任になりかねないし……」

「未来妃! でも怪我が」

未来妃が仙道を隅のほうに引っ張っていく。

「先生の医療ミスいくつか知ってるんだからね、わたし」

未来妃は小声でとんでもないこと言った。

「ええ!」

「僕は何も言いませんし、何も見ていません」

仙藤はあっさり態度を変えた。

「よろしい」

「未来妃!だめだよちゃんとしなきゃ。それにこの人信用できないし……」

「何も起こってないよね。うんうん、起こってない。白昼夢だ」

仙道ははははと笑っていた。

「ちょっと!仙藤まで!!それでも医者なんですか?!」

「鈴凛、今から青春の大冒険に、悪いことしにいくのよ! これくらいで親を呼んでどうするの!」

「それは……でも……これは……」

「話は済んだか」

はっと気がつくと、気配なく白髪の男が後ろに立っていた。

「警察には手を回してある」

鈴凛にだけ聞こえる声でそう言った。

「!」

「これは警告だ」

男はわざとやったのだ。

どこでどう会話を聞いていたのだろうか。鈴璃は自分の体に盗聴器でも仕掛けられていたのではないかと思った。怒りと戦慄がびりびりと身体中にはびこっている。

「なんで……」

未来妃を使って脅迫する。

この人たちからは、もう逃げられないのかもしれないという考えがよぎった。

「ああ……?!」

死神男は今度は音もなく未来妃の方に言っていた。

「わ!」

死神男がひょいと未来妃をかかえて歩き出す。

「ちょっと」

未来妃を車の後部座席に放り込んだ。

「ちょっと!未来妃を誘拐しようっていうんじゃ」

「怪我の手当てはここじゃまずい。回瀬の店に行く」

「あ、それ名案だね!」

「え……ちょっと!」

「鈴凛!いこう!」

車からひょっこり未来妃が顔を出して、わくわくした顔で手招きしている。

「行こうよ鈴凛!」

「ええ……でも……」

「だって、鈴凛、この人と知り合いなんでしょ?」

未来妃が安心しきった笑顔で言った。

「いや……知り合いじゃ」

鴉天狗の男が鈴凛を睨んでいた。

「時間まだたっぷりあるし、駅にいるよりみつからないって!」

「ほらほら鈴凛ちゃんも乗って、乗って!」

「ええ……」

このまま未来妃だけ行かせるわけにはいかない。

鈴凛は展開にこまりながら、とりあえず未来妃の隣に座った。

「しゅっぱーつ!」

「……なんでこんなことに……」

「鈴凛!……みつけたわ」

未来妃がこっそり耳打ちする。

その声には抑えきれない興奮が含まれていた。

「え?」

未来妃がうずうずして顔を赤らめている。嬉しさをこれでもかというほど堪えている顔だった。

「この人、超かっこいい!」

未来妃は死神男を恥ずかしそうに見ていた。

「え……ええ?!」

鈴凛はさあっと血の気が引いた。

「どこが……!」

小声で怒る。

「こんなにドキドキしたことない。これはきっとこれはきっと運命の出会いだよ!」

「それ吊り橋現象だよ!ドキドキが間違ったほうになるやつ! 交通事故を起こして揉み消すような人だよ!」

鈴凛は小声で捲し立てた。

「これはきっと運命の出会いよ」

「ちがうちがう」

「だめだよ、だめだって。……だって」

鈴凛は必死にもっと男の悪いところで、あの拘式谷での内容ではないことを探す。

「歳が離れすぎてる!なんか死神みたいに顔白いし、目つき悪いし、ほらストレスで若白髪すごいし」

「そうかな?……30くらいに見えるけど?何歳なの?知ってる?」

「知らないけど、とにかくダメ!」

ふたりはこそこそと会話する。

今度は仙藤が運転席に座る。もう一人は仏頂面で助手席に黙って乗り込んだ。

仙藤がエンジンをかけて車は静かに走り出す。

もう誓いを破っている。大切な人を巻き込んじゃいけない。

「彼は拘式(くしき)君っていうんだ。彼も僕の患者なんだ。なんか院長の遠い遠い親戚とかで……めんどくさい持病持ちで、おしつけられて、僕忙しいのに大迷惑だよ」

仙藤は悪びれる様子もなく患者の前でそう言った。

拘式は黙っていた。

「こう見えても元神主らしいよ。下の名前、神嶺だって。すごい大袈裟でしょ。笑っちゃうよね。なぜか担当にさせられてさ。僕の手が一番あいているとかで、おしつけられてさ、パワハラだよ。僕は女の子しか診たくないのに」

仙道は笑顔で毒を吐いた。

鈴璃はミラー越しにちらりと拘式神嶺を見た。黙ってまっすぐ前を向いている。

「それにしても、偶然ってすごいね」

しばらくしてから仙藤が唐突に言った。

「え?」

鈴璃があわてて返事をする。

「まさか未来妃ちゃんを僕の患者が轢いちゃうとは……」

運転していたのはもう一人の男だが、仙藤は少し申し訳なさそうに言った。

「はい。本当に」

未来妃がクスクス笑う。

「しかも……まあ……次の春から……いやこれは内緒にしとこうか……」

仙藤も楽しそうにミラーごしに笑って見せた。

「??」

偶然ではない。鈴璃はぎゅっと拳を握りしめた。

「……」

八咫烏の男は冷たい目で景色を見ていた。

この男は悪魔だ。確信犯でやったのだ。

鈴凛を脅迫するためにやったのだ。

鈴凛は怒りが収まらなかった。

「……」

しばらく走ると車は止まった。国道から浜の大通りの道を、少し奥にはいったところだ。住宅地が並んでいる。知らなければ、誰も気づかない。そんな所にその店はあった。

車はその店の裏側にある駐車場に止められた。

「さあ、着いたよ。」

四人は車を降りると、正面のほうへ回って入口へ向かった。

緑の生い茂った大きな建物だった。入口に門があり、その脇に看板がさげられている。

jardin(ジャルダン)。フランス語で『庭』という意味だよ。」

扉のすぐ脇に植えられた木が、店の全体をわからなくしている。道からは簡単に見えない、不思議な場所に、その店はぽつりと入り口をかまえている。

小さな門があって、それがなおさら、人をよせつけなかった。

レンガ造りの小道に沿って様々な植物が植えられていた。

建物も同じ色のレンガで造られており、格子のついた窓がどこかアンティークだ。

店自体が何年もまえに潰れてしまったかのようだった。

「素敵なお店……」

未来妃がぽつりとつぶやく。

鈴璃もその絵本から飛び出したような風貌にしばらく見とれていた。

無愛想な短髪の男はさっさと降りると、中に入って行った。

「そこが入口だよ」

仙藤が少し先を指さす。

建物の窪みに玄関があった。

ほのかに入り口のガス灯のような照明に明かりがともっている。

扉は木製で、小さなステンドグラスのガラスがついている。

「ささ、入って」

そう言うと仙藤は扉をあけて、中へと促した。

未来妃と鈴璃はおそるおそる中へ入る。

店内は薄暗く、どこか雑然としていた。

鈴璃は不思議ないい匂いがすると思った。はじめてのようでもあり、何かを思い出させるような、しっとりとして、それでいて、爽やかな香り。何の花だろうかと思った。

大きな明かりはなく、スタンドランプや、外にもあった奇妙なガス灯が、オレンジ色にぼんやりと、店内にまろやかな光をあたえていた。  

レトロな家具が散乱し、ダンボールもごろごろしている。アンティークなお皿がカウンターに並べられていた。

壁や床を見ても、かなりの歳をとっている建物に思われた。

チェストには色の白い陶器の人形が飾られている。妖精のような人形はわずかにほほ笑んで、ケースの中に収まっていた。

店内の所々にはバラやカスミソウのドライフラワーが飾られている。

「……?」

入口には大きな色の白い油絵が飾られていた。

ぼんやりとしたタッチで花畑の女がふりかえっていた。

その絵の表面もひび割れ、年期が入っている。

この店は本当に営業しているのか?と鈴璃は思った。

「……?」

ふと奥のカウンターに包帯を何重にも巻いた少年がいた。

「!」

鈴璃は息が止まるかと思った。あの小狐の少年。鍵をくれたあの子だった。

新幹線でも大怪我を負っていた。

生きていたのだ。

鈴璃は慌てて駆け寄った。

「無事だった——」

「はじめまして」

冷たくそう返されて鈴璃はびくりとした。

「その子は拘式祥嶺(くしきしょうれい)君。神嶺(じんれい)君の子供だよ。中学二年生。ちょっと自転車とってくるから座ってて」

驚いたことに、この二人は親子だったのだ。無愛想な男と少年を見比べる。

確かにどこかぬくもりがなく冷たいところは似ている。

この二人はあの神社で鬼を守る一族だった。あの夜残った生き残り。

少年は少し鈴璃を見つめただけで、すぐに食べかけのパンケーキを食べ始めた。

「こんな大きなお子さんがいるとは……」

未来妃がぎくしゃくしながら言った。その顔は明らかにショックを受けていた。

「回瀬」

神嶺が静かな声で、カウンターのむこうの誰かを呼んだ。

すると、奥からすらりと背の高い黒いエプロンをつけた男がでてきた。左手にワイングラス。右手で古いガラケーでメールを打っている。携帯ストラップの鈴が音をたてて揺れた。

むずばれた髪が馬の尻尾のようにつややかで長かった。

「!」

鈴璃はそっとその男をじっと見る。

背は天井に届きそうなほど高く、綺麗に整った花柄のシャツが白い肌に映えた。目はまるで歌舞伎役者のようにすっと綺麗にひかれている。長い腰まである髪が、女みたいだった。外国人のように背がたかく、肩がかっちりしている。

その男は未来妃と鈴璃をかわるがわる見た。

「これはこれは、可愛らしいお客さんだ」

突然の来客に驚いている。

鈴璃はふと記憶を巡る。

長髪の男は何故鈴璃たちがここにいるのか知りたくて、再び神嶺に目を戻す。

「俺に何もきくな」

無愛想の男は面倒くさそうにそう言った。

未来妃と鈴璃はどうリアクションをとっていいのかもわからず、ただ、困ったような顔でロン毛の男を見た。

回瀬は目を丸くした。両手にワイングラスと携帯電話をもったまま固まっている。

「彼が彼女をひいたんだ。ありがたいことに、僕の患者さんをね!」

仙藤が戻ってきて、困ったようにそう言って神嶺を見た。

「なるほどねえ……」

しばらく状況を観察した後、回瀬はにこりとほほ笑んだ。

ベストな対応を思いついたらしかった。

「まあ。とにかく、いらっしゃいませ」

回瀬は二人に、にっこりと笑いかけた。優しそうなその表情に、鈴璃は少しほっと安心した。男は携帯電話をポケットに放り込む。

「そのおわびの序章に、君のゴハンを食べさせようと思って」

「なるほど」

「救急箱ある?」

「ああ。そうだね。まず怪我の手当てをしようか、とりあえず」

回瀬はいったん奥にひっこむと、救急セットもってきた。

未来妃をカウンターのイスに座らせると、足を消毒し、包帯をまいてあげた。そのテキパキとした自然な流れに、未来妃は身をまかせている。未来妃は恥かしくて、目のやり場に困っているようだった。本来それは仙道の仕事のようにも思えたが、業務時間外ということだろうか、もぐもぐとカゴに入っていたパンを食べている。

拘式神嶺は祥嶺の横に座ったまま、何も言わず相変わらず冷徹な眼差しで茶色い酒のようなものを飲んでいた。反省している様子はまるでない。この男の態度は、事故の張本人であることをまったく覚えていないようだった。横にいる息子に声をかけることもなかった。いつもそうなのか少年も静かにしている。今はあの時手を必死に引いてくれた時の勇ましさはどこにもなかった。

鈴璃ははっとした。

この男の妻で、少年の母親はあの出来事で、もしかしたら死んでしまったのかもしれないと思った。

そう思うとわざと未来妃を轢いた怒りが、氷のようにすうっとひいていった。

自分にこの男を責める権利は無いのかもしれないと鈴璃は思った。

鈴璃はトランスモードに入って化け物を倒したらしかったが、少年の母親を救わなかったのだろう。

「このバツイチ子持ちは、僕の大学の友人」

仙藤がにっこりと笑う。

「君を轢いたあの無愛想な男と、この子の面倒をみてもらってるんだ。院長にむりやりまかされたけど、僕なんにもできなくてさ」

「もう、こんな時間だ。おなかすいただろう。さあ、ご馳走しよう」

回瀬は袖をさっとまくると、手を洗う。

後ろにある業務用の冷蔵庫から、回瀬は野菜を選ぶと、それを洗い、まな板に置いた。

鈴璃は美しい模様のタイル張りのカウンターキッチン見た。

オシャレな男が立つと、絵になった。

「祥嶺くん、ラディッシュ、裏でとってきてくれない?」

回瀬はそう言ってカウンターごしににっこりと笑った。

「はい」

カウンターにはグラスキャンドルと小さな器に飾られたスズランが活けられている。

庭にもたくさんの植物があった。園芸や菜園に興味があるのかもしれない。

祥嶺が外にでた。

「あの、わたしも庭みていいですか」

鈴璃は思わず祥嶺についていった。

「あの、ねえ君」

「いい加減につきまとうのはやめるよう、お父さんに言って!」

「それはできません」

祥嶺はかがんで、すぐに畑からラディッシュをとりはじめた。緑の畑に、短くし過ぎて青くなっている坊主頭が揺れている。

「それに百姫様口外は禁止と」

「いったいどこで監視しているわけ」

「八咫烏はどこにでもいるのです」

「未来妃を轢くなんていったい」

「警告を込めて……神嶺様がそうされたのでしょう」

怪我が痛そうである。

「!」

少年は振り返った。

「あの時は……ありがとう。ひどい怪我みたいだけど、大丈夫なの」

「はい。百姫様、わたしのことは知らないふりを」

「もしかして、あのマスターの人もあなたもわたしを」

「はい。神嶺様とともに、百姫様を監視する任務を受けています」

少年も同じくらい冷たい調子で答えたが、どこか優しさが残っていると思った。

なぜか父親のことを神嶺様などと呼んでいる。

「もしかしてあの夜、あなたのお母さん——、あの夜のこときいたの……ごめんなさい……」

「母はずっと昔に亡くなりました。それにあの夜のことは、あなたのせいではありません」

鈴璃はどこかほっとした。

「でも……」

あの夜のことはまだよくわかっていない。知りたいという気持ちとこれ以上先に進みたく無いという気持ちが戦っていた。

「わたし……こうやって外にでても大丈夫なのかな」

「神具はつけておいでですか」

「ピアスと指輪だよね。うん」

「では発症することはないはずです」

−−あったー?

中から声がする。

「そろそろ戻らないと」

「ねえ、お願いだから、わたしのことは、もう放っておいて」

「……」

じっと少年はこちらを見据えると、先に中に入ってしまった。

「お茶がはいったよ」

「鈴凛、この紅茶美味しいよ」

「はあ……」

鈴凛は座って高そうなカップを持ち上げる。

口に入れると、優しい香りがする。

「ん……」

どこかで……と思っていると、回瀬が鈴凛を見てにこりとしていてびくりとした。

「さあ何つくろうかな」

男のナイフが静かにじゃがいもの皮をするすると剥いていく。迷いのない手さばきは、見ているとなぜか恍惚とした。

この男もおそらく八咫烏なのだ。拘式谷のことを思い出してはっとする。料理に何を入れられるかわからない。

あの八絞酒には幻覚剤が入っていた。

「……」

何とかしてここを出なければ。鈴凛は必死に考える。

そうだ、と思いつく。

何かいい言い訳か、嘘か……

これしかないと思った。

店内を見回っている未来妃に歩み寄る。

こっそり耳打ちした。

「仙道先生、やっぱり未来妃の親に電話したみたい」

「え?!」

「ここにくるってこと?」

「わからないけど、はやくここはでなきゃ」

鈴凛は小さく言った。

「わかった」

未来妃は名残惜しそうにしていたが、立ち上がった。

「家出の日に、運命の恋に落ちるなんて……また会えるかな……」

未来妃は悲劇のヒロインのように大袈裟に言った。

「まだ間に合う」

「バスに飛び乗って遠くへ行こう」

未来妃は急にやる気になった鈴凛に驚いていた。

「わたしも親につかまりたくないし」

「……わかった」

「あ……」

こっそりドアから抜け出した。

鈴凛がそっと扉を締めようと、顔を上げた時、びくりとした。

「……!」

回瀬は気がついていて、にこりとして鈴凛を見ていた。さらさら手をふっていた。

またねと音もなく口が言っている。

「!」

鈴凛は扉を閉めて未来妃と走り出す。

その笑顔がなぜかあの太陽の君を思い出させた。



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