11話 葬儀
白い花ばかり飾られた祭壇を鈴凛はパイプ椅子に座って呆然と見つめていた。
知らない人ばかりだ。鉄道会社の人、エンドドリンコの会社の人、遠い親戚の人。
よく見れば誰も悲しんでなどいないように見える。
「今日子さん、大変だったね」
「いえ」
母の今日子は何人もの相手を淡々と処理していく。
今日子が冷たく言い放つ声が聞こえた。
今日子に鉄道会社の人が平伏して頭を下げている。
「……」
どうしてお父さんの棺が目の前にあるんだろう。あの橋で死のうと決めたのは自分だった。死ぬべきだったのは、自分のはずだったのに。
あんな非現実的なことで、お父さんが本当に死んでしまった。
「違う……あの時」
鈴凛は拳を握りしめた。
父が死んだのは自分が手を離したからだ。
ただ、怖くて手を離した。どんな言い訳をしても自分が助かりたかったのだ。
もし妙な体質になった自分の方が巻き込まれていたら、死ななかったかもしれない。
「ごめんねお父さん……」
鈴凛は現実が受け入れられないでいた。
木魚の音と念仏が流れている。
焼香をただ無心に行っていく人々が申し訳なさそうな顔で何度も通り過ぎた。
あの出来事は新幹線の脱線事故として処理された。
連日あたりまえのように、嘘の映像が流れ、人々は真実を知ることはなかった。
「……」
通夜や葬儀には、会社関係、新幹線の事故関係など大勢の人が来た。
遺体の移送や事故の検証などで、年開け三日は目まぐるしく過ぎていった。
年末年始に人が死ぬと、葬式は1月4日になる。
父親の勤務先であるエンドドリンコの青いニコちゃんマークのような笑顔のバッジをつけた人たちだ。エンドドリンコは『無限大ドリンク』『ソーラ!』などというふざけた名前の炭酸飲料を販売している。父は開発にでも関わったのか、棺の中に商品がいくつか供えられていた。
「……」
遺影の首だけの写真が笑っている。
葬儀もひと段落した頃、火葬場で待っている間、咲が鈴凛の横に立って、前を見据えたままぼうっとつぶやいた。
「あんたは何を調子に乗っているわけ?」
ピアスと指輪のことだろうと思った。
「あんたの馬鹿げた不良ごっこでお父さんが死ぬなんてあっていいわけない。責任とりなさいよ」
愛らしい顔が睨んでいた。
「……」
鈴凛は俯いたまま何も言えなかった。咲を見る勇気も無かった。
「大変だったなあ」
親戚とおぼしき大柄な男が近寄ってきた。
といっても源家は親族とほとんど交流がないため、鈴凛は誰がどういう血縁なのかさっぱりわからない。
火葬場までついてくるので近しい親戚らしかった。
「大変だったなあ、鈴凛ちゃん。でも……大きくなって鈴凛ちゃんも咲ちゃんも美人さんだ」
くるくると髪が少し天然パーマの浅黒い中年の男が笑顔で鈴凛に声をかけた。
頭の中で咲だけだろうと思いながら、咲もその発言が気に入らなかったのかぷいとどこかへ行ってしまった。
「?」
こんな場所で、こんなにも絶望感を漂わせて言い争っている自分たちに安易に話しかけてくる呑気な男だった。
「阿木の大内のおいちゃん」
鈴凛と目があうと、キラキラした目になって、男は自分を指さして言った。そう言われてもまだ誰だかわからない。
「あの、えっと……」
困ってみせても伝わらない。
「覚えてない?大内太郎です。鈴凛ちゃん小さかったからなあ」
フルネームを言われて更にきまづくなる。誰だか全くわからなかった。
阿木というと祖母の美鈴の親戚だろうとなんとなく思う。
「大内さんは、大内家の今の御当主です。お父さんのご実家。美鈴おばあちゃんの甥にあたる方」
母がやってきて、他人であるかのごとく冷たく言った。父親の親戚であり、自分は血縁でもないからか、母親はいつもにまして冷たい。
大内家は父親の母親、つまり祖母・美鈴の実家であり、母は嫁にあたるはずであるが、大内家の人たちと、親戚の誰とも父の話をしていなかった。
「きょうちゃん、昔みたいに太郎ちゃんってよんでや」
鈴凛は、え?と思う。
「……」
母はそう言われて、なぜそんなことを言うのかといった風に苦々しい顔をしていた。
「僕と博美君は二つ違いの従兄弟。きょうちゃんとは高校の同級生なんや」
「僕の父と君のお婆ちゃんが兄妹だよ。君のおばあちゃんの美鈴さんは僕の叔母にあたるんだ。博美くんとは従兄弟で歳が近かったから……仲がよくてよう面倒みてくれた。優しゅうてなあ……学校で一番のアイドルの今日子ちゃんと結婚した時は羨ましかった」
母が学校で一番のアイドル。確かに聞いたことはあった。二人は高校の時の同級生。それを聞いた時は、子どもだったからか全然違和感を感じなかった。
母親はとても美人。だから咲も美人。鈴凛は父親に似てしまった。
そういう話に聞こえた。
しかし今となっては高校生から結婚まで付き合っておくのがどれほど難しいかわかる。
そんな時代に出会って、恋に落ちて、社会人まで関係を保って結婚する。
それは、たぶん、わりと大恋愛だ。
自分が如月周馬に抱いたような恋心を、母と父のどちらかが持っていたのか??
鈴凛の表情を見て、信じていないと思ったのか、男はごそごそと荷物を探す。
「……?」
男はカバンから古い写真を取り出した。
学制服を着た4人組が写っている。
「!」
「なんでそんな写真を」
今日子は顔を曇らせる。
一人はまっすぐにこちらを見る若い頃の父親、一人は目の前の男が今と変わらずニタニタ人の良さそうな顔をして写っている、もう一人はおとなしそうに手を自分の腹あたりで重ねる今日子、そして知らない玲ちゃんという女の子がもう一人写っている。少し離れ目で独特な雰囲気の女性だった。どこかその人は気に入らないっといった風に不機嫌に見える。
「お父さん若い……ですね」
学生たちはどこかかしこまってカメラを見ているが、今日子だけが、はにかんで父親である博美の横顔を少し見ている瞬間をとらえた写真だった。鈴凛はこんな表情の母を見たことがなかった。
「僕にとっても博三君は従兄弟以上の存在やったんです」
「今日は玲ちゃんは、きてないんか」
「ええ」
今日子はますます冷たく返す。
父親の最後の言葉を思い出す。すまないれ……い……玲子—
鈴凛は何となく悟った。
あの探偵に父と写真をとられた人はこの人だ。
「海外で仕事やから……仕方ないなあ」
彼女は葬式に来たいがこれないのではないか?
鈴凛は母の横顔をちらりと伺った。
浮気相手として写真をとられた相手。あれが玲子。そういうんじゃないと父親は言ったが……昔の友人の玲子に全く触れない今日子を見てますます確信する。
「最近は僕も連絡とってないけど今はどうしてるのかなあ。連絡あったか?」
「いいえ」
その顔はこれ以上その話への立ち入りを禁止していた。
「……」
改めて写真を鈴凛は見た。
母は美人だ。母を父がくどき落としたのかと思っていた。だがこの写真はそうではない雰囲気を漂わせている。
「……」
もしかしてと思う。
自分と咲の問題で二人は意見が割れていた。
博三は単身赴任で名古屋に行くまで、鈴凛によくしてくれていた。
もしかしたら、父親とこの友人だった玲子さんは、どこかで繋がっていたか、再会してふたりは特別な関係になったのではないか。
家庭はうまくいっていなかった。
咲も今日子も父を働いてお金を持って帰るのが当然といった扱い方をしていた。
鈴凛は自分のことばかりだったが、父もどこかにすがる場所が必要だったのだと思った。
父親に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
この人がいなければ父ももしかしたら−−
「四人でよく遊んだんや。仲よくてな。博三君がほんまにええやつで……また、長門……それか阿木でも遊びにきた時には連絡してな」
男は今日子の殺気など無視して話すのんびりとした男だった。
「ええ」
今日子は真顔で素早く応える。明らかに否定を表していた。
「順番がきた」
親戚の一人が入ってきてそう言った。
ごーっという音が鳴り響く部屋に案内される。コンクリート打ちっぱなしに、鉄の小さなドアがいくつも並んでいる。あそこに棺桶を入れるのだ。
鈴凛は火葬室が恐ろしかった。
父が燃やされてしまう。鈴凛は涙が溢れてきた。
あの釜に入れるなんて。燃やすなんて。
もう死んだはずなのに、今から殺すみたいな気分だった。
「鈴凛」
鈴凛は思わず棺をつかんでいた。
母がたしなめた。
「故人様を、安らかに見送ってあげましょう」
火葬場の係員も穏やかな声で言う。
「うう……」
棺は押し込まれ、ガチャンと音がして扉が閉められた。
「……」
ごーっという音が響く。
「戻ろう」
鈴凛は親戚にはついていかず、中庭で一人待つことにした。
空を見上げる。
それが父の煙だろうか。
父は煙となって空に消えていった。
「……鈴凛お骨を拾うわよ」
しばらくして母が呼びにきた。
「……」
石の台座には砂と珊瑚がちらほらと残っているようだった。
薄っぺらい砂浜のようになってしまった父。
お骨を拾うことになると、もうそこにはすっかり誰もいなくなっていた。
初めて見る火葬された人間の骨だった。
ほとんど何もない。砂みたいな粉と破片だけだった。
「骨だけになるなんて」
咲がつぶやいた。
それを聞いて思った。
違う。
もうここに父はいない。
この部屋にはいないと思った。




