草原の出発
「……マジで、異世界だな」
俺は草原の真ん中に立ち尽くしていた。
足元に広がるのは、柔らかな緑のじゅうたん。どこまでも続く地平線。雲ひとつない青空に、太陽がジリジリと照りつけてくる。
日本の風景とも似てるんだけど、違う。空気が澄みすぎてるし、草の匂いが強すぎる。まるで濃縮還元された“自然”の中にいる気分だ。
「で、問題はここからだよな……」
腹が減った。喉も渇いた。そもそも俺は、街の場所もわからない状態でここに放り込まれている。女神様、説明不足すぎだろ。
「まあ……歩くしかないか」
太陽の位置を頼りに適当に方向を決める。RPGならまずは“街”だ。装備を整えて情報収集、これが基本。……いやまあ、現実でできるかどうかは別だけど。
そう思った、その瞬間だった。
「きゃあああああああ!!!」
草原に響き渡る悲鳴。反射的に振り返ると、遠くの草むらから何かがものすごい勢いで突っ込んでくる。
「え、なにあれ、イノシシ? モンスター? ……いや、人間!?」
ドンッ!!
「ぐふっ!!!」
俺の胸に思いっきり飛び込んできたのは、一人の少女だった。衝撃で肺の空気が抜けて、呼吸ができねえ。
少女は肩までの茶髪を二つ結びにして、冒険者っぽいマントを羽織っている。……が、泥だらけでボロボロだ。大きな瞳が涙で潤み、必死に俺の服を掴んでいる。
「た、助けてぇぇ!!!」
「ちょ、待て! まず誰!? なんでいきなり胸にダイブ!? ……てか近い!」
俺が混乱していると、背後からブンブンという羽音が迫ってきた。振り返った瞬間、息を呑む。
「おい嘘だろ……」
そこにいたのは、俺の体と同じくらいのサイズの巨大な蜂だった。全身が黒と黄色に光り、針は槍みたいに鋭く尖っている。
「チュートリアルで出す敵のレベルじゃねえぞコレ!?」
蜂は躊躇なく突進してきた。
俺は少女の手を引き、反射的に走り出す。
「きゃあああ! 速い! お兄さんすごい速い!」
「褒めるな! 今は逃げるしかねえんだよ!!」
必死に草をかき分け、丘を駆け下りる。背後から羽音が追いかけてくるたびに心臓がバクバクする。俺は運動神経は人並みのはずなのに、なぜか体が軽い。足が勝手に前に出ていく。……これがチート能力ってやつか!?
「うわっ、転ぶ転ぶ転ぶー!!!」
「転ぶな! 死ぬぞ!」
少女の悲鳴に引っ張られながら、必死に逃げ続ける。どれくらい走っただろうか。やがて蜂の羽音が遠ざかっていき、ついに聞こえなくなった。
俺と少女は同時に地面に倒れ込み、息を切らす。
「……はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」
「ほんと……ありがと……助かったぁ……」
少女は汗だくになりながらも、俺に向かってニコッと笑った。
その顔を見て、思わず心臓がドキッと跳ねる。
(いやいやいや、可愛い顔してもお前、さっき俺を盾にして突っ込んできただろ!)
「……あ、私ミリアっていいます! 見習い冒険者です!」
「お、おう……俺は吉良航大。一応……勇者?ってことになってる」
「勇者!? すごいじゃないですか!」
「いや、まだなんもしてねえけどな」
ミリアと名乗った少女は、目を輝かせて俺を見てくる。その笑顔が妙に無邪気で、なんだか犬っぽい。
「で……あの蜂に襲われてた理由は?」
「えっと……初心者向けの依頼で“草原にいる弱い魔物を倒せ”って書いてあったんです!」
「どこが弱いんだよアレ!!」
「……あはは、ですよね」
完全に詐欺依頼だろこれ。
「……で、ミリア。これからどうするつもりだ?」
「本当は、この草原を抜けた先に街があるって聞いてたんですけど……」
「けど?」
「私、方向音痴なんです」
「…………」
「だから、一緒に探してほしいなぁって……ダメですか?」
にこーっと笑いながら言ってくる。おいおい、そんな顔されたら断れねえだろ。
(くそ……やっぱ俺チョロいな……)
「分かったよ。一緒に行こう。どうせ俺も街を探してたとこだしな」
「ほんと!? やったー! 勇者様ばんざーい!」
「……いや、まだ勇者っぽいこと一つもしてねえんだけど」
ミリアは子犬みたいに跳ね回って喜んでいる。その無邪気さに、俺は思わず苦笑するしかなかった。
(ま、異世界生活の最初の仲間ができたってことでいいか……ただし、ポンコツ属性付きだけどな)
俺のため息が、草原にこだまするのだった――。




