洞窟での目覚めと帰還
――冷たい岩肌に背中を預けているような、ひどく硬い感触。
そして鼻をくすぐる湿った土の匂い。耳を澄ませば、水滴が岩に落ちる音が静かに響いていた。
俺はゆっくりと瞼を開けた。
ぼやけていた視界が次第に形を持ち、天井のごつごつとした岩肌が目に飛び込んでくる。
「……ここは……洞窟……?」
身体を起こそうとすると、全身に鈍い痛みが走り、思わず顔をしかめた。
骨が折れているほどではないが、体中に残る打撲や擦り傷が動くたびに訴えかけてくる。
そんな俺の横に、誰かが寄り添うように眠っていた。
金色の髪を肩まで垂らし、小さな寝息を立てている少女――ミリアだ。
「……ミリア……」
名前を口にすると、胸の奥に安堵が広がった。
無事で良かった。それだけで、目頭が熱くなる。戦いの最中、意識が途切れ、彼女がどうなったか確かめることすらできなかったのだ。
俺が動いた気配を感じたのか、ミリアの眉がぴくりと動いた。
そしてゆっくりと目を開けると、青い瞳が俺を映し、驚きに見開かれる。
「……コーダイ!? 起きたの!?」
彼女は慌てて身を起こし、俺の肩に手を置いた。
その手が少し震えているのを感じて、俺はかすかに笑った。
「ああ……なんとか、生きてるみたいだな」
「よかった……ほんとに……」
ミリアは目尻に涙を浮かべながら俺を見つめ、力が抜けたようにその場に座り込んだ。
どうやら、俺はかなり長い間眠っていたらしい。
彼女の表情には安堵と疲労が入り混じっていて、相当心配をかけてしまったことが容易に想像できた。
「ここは……どこだ? 俺たち、あの魔物に……」
「うん……森の奥で気を失ってたコーダイを、どうにかして運んだの。近くに洞窟を見つけたから、ここで休ませてるんだ」
ミリアは小さく肩を竦め、俺の顔をじっと見た。
「正直、もう……目を覚まさないんじゃないかって思ってたよ」
「悪かったな……心配かけて」
俺がそう言うと、ミリアは首を横に振った。
「謝ることなんてないよ。むしろ私の方こそ……あんな危ない目に遭わせちゃって」
「違う。俺が勝手に突っ走ったせいだ。……でも、無事でよかった」
心からそう思う。彼女が傍にいる。それだけで、どれほど救われるか。
ふと気づけば、外は真っ暗になっていた。洞窟の入り口から差し込む月明かりが、地面に淡い光を落としている。
どうやら戦いが終わってから、既にかなりの時間が経っているらしい。
「夜になっちまったか……」
「うん。今は外に出ない方がいいよ。魔物の気配もまだあるし……暗闇じゃ危険だから」
ミリアはそう言って、洞窟の奥を指差した。そこには即席の焚き火があり、小さな炎が岩壁を照らしている。
俺が眠っている間に、彼女が用意してくれたのだろう。乾いた枝や枯葉を集めて、見事に火を起こしていた。
しかも近くには水を汲んだ皮袋や、木の実を入れた布袋まで置かれている。
ここまで全部、ミリア一人でやってくれたのだ。
「……ありがとうな、ミリア」
「ふふん、これくらい当然でしょ。コーダイにはいつも助けてもらってるんだから」
少し得意げに笑う顔が、焚き火の灯りに照らされて柔らかく見えた。
俺たちはそのまま、火を囲んで腰を下ろした。
木の実を齧りながら、これまでの出来事を振り返る。戦いの恐怖、魔物に追われた緊迫感、そして辛くも生き延びたこと――。
「それにしても……コーダイ、あのとき急に強くなったよね。なんか、力を吸い取ってるみたいで」
「ああ……自分でもよくわからないんだ。倒した魔物から力が流れ込んでくる感覚があった。おかげで戦えたけど……正直、怖い能力だ」
自分の言葉に、焚き火の音が重なる。
吸収の力――それは確かに俺を助けたが、同時にどこか底知れない不安をもたらすものでもあった。
「でも、その力があったから今こうして生きてるんだよ。……私は、そう思う」
ミリアの言葉は真っ直ぐで、俺の胸を温かくした。
「そうだな。……うん、生きて帰ろう。街に戻って、報告して、次に備えよう」
そう誓い合い、俺たちは火の前でしばらく語り合った。
疲労が限界に近づき、いつしか言葉も少なくなり、二人は焚き火を挟んで横になる。
岩肌は硬く、風も冷たいが、不思議と心は安らいでいた。
こうして俺たちは洞窟での一夜を過ごすことにした。
岩肌に反響する水滴の音で目を覚ました。
洞窟の入口から差し込む光は青白く、夜が明けたばかりだと知らせていた。
俺は身を起こし、隣を見る。そこには眠たげに目をこするミリアの姿があった。
焚き火はすでに消え、炭の名残だけが赤くくすぶっている。
「……おはよう、ミリア」
「ん……あ、おはよう、コーダイ」
彼女はあくびをひとつすると、小さく笑った。
疲れているはずなのに、その笑顔を見ただけで不思議と元気が湧いてくる。
「もう出発しようか?」
「うん、街に戻らなきゃね」
俺たちは荷物をまとめ、洞窟を後にした。
外に出ると、森は薄靄に包まれ、鳥の鳴き声が響いている。
昨夜の恐怖が嘘のように、穏やかな朝だった。
しかし油断はできない。森にはまだ魔物が潜んでいる。
俺は腰の小刀を確かめ、ミリアは杖を握りしめて歩き出した。
◆
森を抜ける道のりは容易ではなかった。
倒木を乗り越え、ぬかるんだ土に足を取られながら進む。
途中、小型の魔物に遭遇することもあったが、昨日の戦いで得た力が役立った。
俺が前に出て斬り払い、ミリアが後方から援護する。
連携はぎこちないが、少しずつ「戦える」実感が生まれてきた。
「昨日とは全然違うね、コーダイ」
「まあ、昨日は命懸けで強制的に成長させられたようなもんだからな」
苦笑すると、ミリアもつられて笑った。
その笑顔があるだけで、疲労も恐怖も薄らいでいく気がする。
◆
昼近くになり、木漏れ日の下で休憩をとった。
泉のほとりで顔を洗い、水を飲む。冷たい水が喉を通るたび、全身が生き返るようだった。
「ねえ、コーダイ」
「ん?」
「街に戻ったらさ、ちゃんと休もうね。……無理しすぎだから」
彼女の声音は柔らかかったが、心配の色が濃い。
俺は頷き、石の上に腰を下ろして答えた。
「わかってる。お前がいるから無茶もしたけど……これからは気をつけるよ」
そう言うと、ミリアはほっとしたように息をついた。
少し照れくさくて、俺は空を見上げた。
木々の隙間から差し込む光は眩しく、まるで祝福のように感じられた。
◆
午後、森を抜けた時、遠くに見慣れた街の輪郭が見えてきた。
高い城壁と、煙を上げる屋根の群れ。
あれほど恋しかった景色が、目の前に広がっている。
「……帰ってきた」
胸の奥から言葉が漏れた。
ミリアも隣で目を潤ませ、静かに頷いた。
「うん……帰ってきたんだね」
その瞬間、全ての疲労が報われた気がした。
命を懸けて戦い、必死に逃げ、こうして戻ってこられた。
それだけで十分だ。
俺たちは互いに顔を見合わせ、笑い合った。
足取りは重いが、心は軽い。
街の門が、確かに俺たちを待っているのだから。




