迫る手応え
巨獣の咆哮が森を震わせる。
その振動が足元から突き上げ、心臓の鼓動と同じリズムで体を揺さぶった。
俺は小刀を握り締め、乱れた息を整えながら視線を逸らさずにいた。
すでに何体かの雑魚モンスターを倒し、力を吸収したおかげで体の感覚は明らかに変わっている。
視界は広がり、筋肉はしなやかに反応する。何より、恐怖で固まっていた足が今は自然に前へと動く。
「……やれる」
低く呟き、自分を奮い立たせる。
だが目の前の巨獣は傷を負いながらも健在で、圧倒的な存在感を放ち続けていた。
「コーダイ……気を付けて!」
後方でミリアが声を張り上げる。彼女の声に背中を押され、俺は地を蹴った。
巨獣の爪が振り下ろされる。
狼から得た俊敏さと、コウモリの滑空感覚を組み合わせ、ぎりぎりでかわす。
その勢いのまま足を踏み込み、小刀を振り上げた。
刃が肉を裂き、巨獣の腕に浅い傷を刻む。黒い血が飛び散り、鼻をつく臭気が広がる。
「ぐっ……これでもまだ浅いか!」
巨獣は怒り狂い、尾を振り払ってくる。
俺は転がるように避け、木の幹に背を打ちつけて息を呑んだ。
痛みが走るが、同時に体の奥に何かが溜まっていくような感覚がある。
「これが……レベルアップってやつか」
体の中に溢れる力。自分の枠が少しずつ広がっていくのを確かに感じる。
――ステータスを確認しろ。
頭の奥で声が響いた気がして、思わず意識を集中させる。
目の前に淡い文字が浮かび上がった。
【吉良航大 Lv3】
【HP:65/80】
【MP:15/20】
【能力:吸収(撃破した敵から能力値・特性を一部取り込む)】
「……上がってる。本当に、強くなってるんだ」
恐怖に支配されていた心に、確かな希望の光が差し込む。
巨獣が吠え、踏み込んでくる。
地面が砕け、土砂が舞う。その迫力は相変わらず圧倒的だ。
だが今の俺は、ただ逃げるだけじゃない。
目を凝らすと、巨獣の動きがわずかに鈍っているのが見て取れる。
負わせた傷が確実に効いているのだ。
「ミリア! 合図したら囮になってくれ!」
「な、囮!? 本気で言ってるの!?」
「大丈夫、すぐに終わらせる!」
彼女が歯を食いしばりながら頷いた瞬間、俺は駆け出した。
巨獣が振り上げた爪が俺に迫る。
その時、ミリアが横合いから石を投げつけた。乾いた音が響き、巨獣の視線がそちらへ逸れる。
「今だ!」
俺は足に力を込め、巨獣の懐へ飛び込む。
俊敏さと滑空感覚を合わせて跳躍し、肩口に小刀を突き立てた。
「――っ!」
肉を裂く感触と共に、血飛沫が夜空に舞う。
巨獣が悲鳴を上げ、体を振り回す。俺は必死にしがみつきながら、小刀をさらに深く突き込んだ。
「効いてる! これなら――」
だが次の瞬間、巨獣の振り払いをまともに食らい、俺は地面に叩きつけられた。
肺から空気が抜け、視界が白くかすむ。
「ぐっ……まだだ……!」
震える足で立ち上がる。
確かに傷を負わせた。少しずつだが追い詰めている。
だが、それでも巨獣は健在で、俺の体力は限界に近い。
「コーダイ!」
ミリアが駆け寄ろうとするが、俺は手を上げて制した。
「来るな……まだ、やれる……」
巨獣が再び咆哮を上げ、地を揺らす。
その姿に、俺の心臓は再び恐怖で締め付けられる。
だが同時に――まだ終わっていないという感覚が、確かに俺を突き動かしていた。
「ここからだ……! 俺はもっと強くなれる!」
小刀を構え直し、俺は再び巨獣へと駆け出した。
息をするだけで胸が焼ける。腕は痺れ、握る小刀は汗で滑りそうになる。
だがそれでも、まだ立っている自分がいた。
――吸収。
雑魚モンスターを倒して得た力は、確かに俺を変えてくれた。
だが、それだけでは足りない。あの巨獣の圧倒的な力に打ち勝つには、さらなる手が必要だ。
「くそっ……! どうすりゃ……」
考えを巡らせながら巨獣の爪をかわし、足を滑らせて地面に膝をついた瞬間だった。
巨獣の気配がすぐそばに迫る。
「コーダイ!!」
ミリアの叫び声。
巨獣の影が覆い被さり、視界が暗闇に閉ざされる。
死が迫るその瞬間、俺の中で何かが閃いた。
――吸収は倒した時だけじゃない。
触れている今なら……直接奪えるんじゃないか?
可能性は一瞬の直感に過ぎない。だが迷っている時間はない。
俺は巨獣の腕を両手で掴み、叫んだ。
「――吸収!!」
次の瞬間、巨獣の体から熱が流れ込んでくる。
燃えるような力、重く荒々しいエネルギーが俺の体を駆け巡る。
脳裏に轟音が響き、視界が眩しく揺らめいた。
「ぐ、あああああっ!!!」
叫び声を上げながらも、腕に力が漲る。
巨獣の押し潰そうとする力に対し、俺は逆に押し返していた。
「こ、コーダイ!? なにそれ……!」
ミリアが驚愕の声をあげる。
だが俺自身も驚いていた。力が、止めどなく溢れている。
巨獣が怒り狂い、全身を振り回して俺を振りほどこうとする。
だがその度に、俺は吸収を続け、力を奪い取り、自分の中へと取り込んでいく。
巨獣の咆哮が次第に苦悶の声へと変わっていった。
「はぁっ……! はぁっ……! そうか……! これが、応用だ……!」
息を荒げながら俺は確信する。
倒さずとも、接触している限り力を奪える。
この力を応用すれば――勝てる。
小刀を構え直し、俺は巨獣の胸元に飛び込んだ。
今度は攻撃と同時に吸収を発動させる。
刃が肉を裂き、同時に赤黒い光が俺の体へと流れ込んでくる。
「おおおおおおっ!!!」
力が爆発的に膨れ上がる。
巨獣の腕を払いのけ、その巨体を押し返した。
森が揺れるほどの衝撃音。
信じられないことに、あの巨獣を後退させたのだ。
「やれる……! 俺は……やれる!」
興奮に全身が震える。
それでも油断はできない。巨獣はなおも健在で、咆哮と共に突進してきた。
「来い……!」
地を蹴り、真正面からぶつかる。
爪と小刀がぶつかり合い、衝撃が走る。
だが今の俺は吹き飛ばされない。吸収で得た力が全身を支えていた。
「はぁあああああ!!!」
叫び声と共に小刀を突き立て、巨獣の胸を貫いた。
そこからさらに吸収を発動する。
怒り狂う巨獣の力を、命そのものを、俺は根こそぎ奪い取っていく。
巨獣の体が震え、咆哮が次第にか細くなっていく。
その巨体が膝を折り、やがて地響きを立てて倒れ込んだ。
「……はぁっ……はぁっ……」
全身が汗に濡れ、息が荒い。
だが、俺は立っている。巨獣は――動かない。
「コーダイ! 本当に……やったの!?」
駆け寄ってきたミリアが目を見開き、信じられないという顔をしている。
俺は小さく頷き、荒く笑った。
「……ああ。俺が……倒した」
その瞬間、全身の力が抜け、膝をついた。
吸収で得た力は膨大だが、それに耐える体はまだ未熟だ。
限界まで酷使したせいで、意識が途切れそうになる。
それでもミリアの腕に支えられ、俺は必死に目を開いた。
「……すげぇな、俺」
「当たり前でしょ! バカみたいに無茶して……でも、本当にすごいよ」
ミリアの声が震えている。
安堵と怒りと喜びが混じったその声に、俺は微かに笑った。
森には静寂が戻っていた。
倒れ伏した巨獣の亡骸が、月明かりに照らされている。
俺たちはその前に立ち、互いに息を整えながら、ようやく勝利を実感した。
「……やったんだな」
「うん……生きて帰れる」
その言葉に、全身の力が抜け落ちる。
今度こそ俺は意識を失い、暗闇の中へと沈んでいった。




