月光草の群生と待ち受ける影
泉での救出劇からしばらく経ち、俺とミリアは全身泥まみれのまま、再びその泉のほとりに腰を下ろしていた。夜の冷気が漂う中、水面は月光を受けてきらめき、まるで宝石を散りばめたように美しい。だが俺たちの姿は、そんな幻想的な風景とは正反対だ。
「ふぅ……こりゃひどいな」
俺は自分の腕を見下ろし、溜息をついた。泥と草がこびりついて、もはや人間の肌色すら分からない。
「コーダイもすごいよ。服も髪も、全部泥まみれ」
ミリアは肩を揺らしながらクスクス笑う。その彼女も人のことを言えた状態じゃなかった。顔の端に泥がつき、スカートの裾は茶色に染まっている。
「笑い事じゃないって……ほら、とりあえず洗おうぜ」
俺はそう言って泉に手を突っ込み、冷たい水をすくって泥を落とし始めた。冷気に身震いしたが、汚れが落ちていく感覚は妙に爽快だった。
「よーし、私も!」
ミリアは靴を脱ぎ、足を泉に浸すと、そのまま両手で水をすくい、自分の顔を洗い始めた。水滴が頬を伝い、月光に照らされてきらりと光る。その姿はどこか無邪気で、俺はつい見惚れてしまった。
「なに? どうかした?」
「いや……別に」
慌てて視線を逸らす。危ない危ない、余計なことを考えるな。今は月光草を探すのが先だ。
しばらく水浴びを楽しんだ後、俺たちは並んで腰を下ろした。濡れた服や髪を軽く絞り、夜風で冷えるのを避けるように肩を寄せ合う。
「あと一本……いや、一本以上採れれば依頼は達成できるんだよな」
「うん。泉で三本、森で六本。これで九本。目標は十本だから……あと一歩だね」
ミリアは小さく息を吐き、拳を握る。その横顔には疲労の色も見えるが、それ以上に前を向く意志の強さが宿っていた。
「よし。最後までやりきろう」
「うん!」
俺たちは互いに頷き合い、立ち上がった。
◆
探索を再開した俺たちだが、最後の一本はなかなか見つからなかった。
「これ、月光草に似てるけど……ただの雑草だな」
「こっちのも違う。葉っぱの形が丸すぎる」
月光草は、夜にだけ淡い光を放つ。その特徴さえ押さえれば簡単に見分けられると思っていたが、実際には似た植物がやたら多く、暗がりでは見間違いも多発した。
「コーダイ、ちょっと待って……あ、やっぱり違った。光ってるのは水滴だったみたい」
ミリアは肩を落とす。俺も思わず同じ仕草をしてしまう。
森の中は昼間よりさらに不気味さを増し、木々の間から吹く風がざわざわと音を立てる。虫の羽音や動物の鳴き声に、何度もびくりとした。集中力も削がれ、足取りは重くなっていく。
しかも、道中はトラブルだらけだった。俺は木の根に足を引っかけて転び、ミリアは低い枝に頭をぶつける。小さなことの積み重ねが、じわじわと体力を奪っていった。
「ねえコーダイ……もう暗くなってきたし、今日はここまでにしない?」
ミリアが弱音を漏らす。確かに空は濃紺に染まり、星々が輝き始めている。夜更けになれば視界はさらに悪化し、魔物に遭遇する危険も増すだろう。
「そうだな……仕方ない、今日は切り上げ――」
そのときだった。木々の隙間から淡い光がいくつもちらついて見えた。
「……おい、見ろよ!」
俺は思わず声を上げ、ミリアの肩を叩いた。彼女も目を見開き、息を呑む。
「すごい……! あれ全部、月光草……?」
二人で駆け寄ると、そこは開けた小さな草地だった。泉から流れ出した細い小川が注ぎ込み、湿った土壌に群生するように、数えきれないほどの月光草が咲き誇っていた。青白い光が一帯を照らし出し、まるで月明かりの花畑だ。
「やっと見つけた……!」
胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、俺は思わず拳を握った。ミリアも目を輝かせ、飛び跳ねるように喜ぶ。
「これで依頼達成どころか、大成功だよ! いっぱい取れる!」
「ははっ、もう苦労が全部報われた気分だな」
二人で顔を見合わせ、笑い合う。だがその喜びは、次の瞬間に打ち砕かれた。
◆
――ずるり。
湿った土を踏みしめる重い音が、群生地の奥から響いた。俺とミリアは同時に動きを止める。背筋に冷たいものが走る。
「コーダイ……今の、聞こえた?」
「ああ。……来るぞ」
茂みの影が揺れ、低いうなり声が夜気を震わせる。草がざわめき、何か大きなものが近づいてくるのが分かった。空気が一変し、月光草の淡い光すら不気味に見える。
やがて姿を現したのは、獣のようなシルエットだった。鋭い牙が月明かりに反射し、目は赤く光っている。
「魔物……!」
ミリアが小さく叫び、背を震わせる。俺は彼女の前に立ち、拳を握った。
せっかく見つけた月光草。ここで引き下がるわけにはいかない。だが、相手は未知の魔物。油断すれば一瞬で命を落としかねない。
月光草の群生地を背に、俺たちの初めての本当の試練が、いま始まろうとしていた。




