月光草の採取
泉の中洲、その小さな崖の上に淡い光を放ちながら揺らめく草があった。
夜の森を照らす月光と混じり合い、まるでそこだけが別の世界に切り取られたかのように幻想的だ。俺とミリアはしばし言葉を失い、ただ見惚れていた。
「……あれが、月光草だよね」
ミリアが息を呑みながらつぶやく。
「ああ、間違いないな。図鑑で見せてもらった絵と同じだ」
けれど問題は場所だ。月光草は中洲の崖の途中に、ひっそりと生えている。周囲をぐるりと泉に囲まれていて、簡単に近づけそうにない。
俺がどうやって行くべきか悩んでいると、ミリアが靴を脱ぎながら言った。
「コーダイ、私が行くよ」
「お、おい待て。危ないぞ? 崖だし、水も深そうだし」
「大丈夫。私、こう見えて泳ぎは得意なの」
自信ありげに笑うと、ミリアは腰のポーチを外し、中にギルドから支給された保存袋をしまい込んだ。
月光草は乾燥や衝撃に弱い。保存袋に入れて密閉すれば鮮度を保てると説明を受けていた。ミリアはしっかり準備を整え、決意を宿した瞳で泉を見据えた。
「コーダイは、もしもの時は助けてね」
「……分かった。絶対無茶すんなよ」
俺がそう返すと、ミリアは水に足を浸した。夜気に冷やされた泉の水が脚を包み、さっと鳥肌が立つのが見えた。それでも彼女は怯むことなく、ゆっくりと体を沈めていく。
やがて肩まで水に浸かると、軽く息を吐いてから、スイスイと泳ぎ始めた。月明かりが水面で反射し、白い飛沫を散らしていく。俺は岸辺から目を離さずに見守る。
崖の下に辿り着くと、ミリアは岩を確かめながら登り始めた。手をかける位置、足をかける窪みを丁寧に確認している。華奢な体に似合わず、動きはしなやかで安定していた。
やがて崖の中腹、光を放つ月光草の前に辿り着く。ミリアは慎重に根元を覆う苔を払い、保存袋を取り出した。そして指先でそっと摘み取るようにして、月光草を一株ずつ袋に収めていく。
「……三本、あった」
小さく声を上げるのが聞こえた。
崖を揺らすことなく、彼女は保存袋をしっかり閉じ、濡れないようポーチの中に戻した。光を帯びた袋が一瞬きらめき、それが確かに収穫できた証だった。
「よし……これで」
ほっとした様子で岩を降り、再び泉を泳いで戻ろうとしたその時だった。
――ぐいっ。
「きゃっ!」
ミリアの足が引き止められたように沈む。よく見れば、泉の底から伸びた長い水草が足首に絡みついていたのだ。
「ミリア!」
「く、苦しい……!」
水草は思った以上に強靭で、必死にもがくほど絡みが強まっていく。顔が水面に沈み、泡が立った。
俺は慌てて周囲を見渡す。すぐに目に入ったのは、岸辺の木から垂れ下がる太く長いツタだった。俺はそれを力いっぱい引きちぎり、両手で握って岸から身を乗り出す。
「ミリア、掴め!」
ツタを投げると、彼女は必死に片手を伸ばし、なんとか掴み取った。
俺は全力で引き寄せる。水草の抵抗で思うように体が上がらないが、歯を食いしばって力を込めた。
「くそっ……離れろ!」
ミリアも残った力で足を振り払い、水草を蹴り裂こうとする。すると偶然にも、硬い石の角に擦れて茎が切れた。拘束が弱まった瞬間、俺は一気にツタを引いた。
「今だ、上がれ!」
「っ……はぁっ!」
ミリアは水面から顔を出し、大きく息を吸い込む。そして俺が全身を使ってツタを引くと、ついに岸辺まで引き寄せることができた。俺は手を伸ばし、彼女の腕をがっしりと掴んで、引き上げた。
二人とも息が荒く、しばし言葉も出ない。水が地面に滴り、夜の冷気が体を包む。
「……助かった。ありがとう、コーダイ」
ミリアは震える声でそう言い、胸元に手を当てて安堵の息を漏らした。
彼女は濡れた髪を払いながら腰を下ろす。服やスカートをぎゅっと絞ると、水滴がぽたぽたと地面に落ちた。疲労と緊張が一気に解けたようで、肩の力を抜き、息を整える。
俺も隣に腰を下ろし、改めて保存袋を確認した。ミリアが取り出して見せてくれる。袋の中には、月明かりを帯びた草が三本、しっかり収まっていた。
「三本か……依頼は十本だから、あと七本必要だな」
「うん。でも、ちゃんと無事に採れたんだもん。これから少しずつ集めていけばいい」
そう言ってミリアは微笑んだ。頬は濡れたままだが、その笑顔は力強く、俺の胸を安心で満たしてくれた。
「よし、あと七本だな。次はもっと安全に行こう」
「もちろん。もう水草には引っかかりたくないしね」
二人は顔を見合わせ、思わず笑った。恐怖を乗り越えた後に生まれる絆は、どこか温かい。
泉のほとり、冷えた風が吹き抜ける中で、俺たちは月光草の光を再び見つめながら、これからの冒険に胸を膨らませていた。」




