冒険者ギルドの本登録
冒険者ギルドの巨大な扉を押し開けた瞬間、俺とミリアは思わず立ち止まった。
中は活気に溢れていた。奥のカウンターに並ぶ冒険者たち、掲示板の前で依頼票を真剣に吟味する人々、酒場のような一角ではすでに酔っ払いの笑い声まで響いている。鼻をつく香辛料と鉄の匂い、木の床を踏み鳴らす重いブーツの音――どれもこれも、俺にとっては異世界を実感させるものばかりだった。
「おお……これぞ、まさに冒険者ギルドって感じだな」
興奮混じりに呟くと、横のミリアは少し苦笑した。
「観光地じゃないんだから、あんまりキョロキョロしないの。さ、受付に行くよ」
そう促され、俺は慌てて視線を前に戻した。広間の奥に、木製のカウンターがずらりと並んでいる。その一角に「新規登録」と書かれた札が掲げられていた。
列に並んで待つ間も落ち着かない。前に進むたびに心臓が早鐘を打つ。昨日の役所での冷や汗まみれのやり取りが脳裏をよぎったからだ。
(また何かややこしいこと言われるんじゃ……いや、今度は仮登録証があるんだから大丈夫なはずだ……)
俺は懐に忍ばせてある紙切れをぎゅっと握りしめた。ミリアが「大丈夫だって」と小声で笑うのが、少しだけ救いだった。
やがて順番が来た。
「次の方、どうぞ」
受付の女性は若く、眼鏡を掛けた真面目そうな顔立ちだった。事務的な笑みを浮かべながら俺たちを迎える。
「新規登録ですね? では身分証明書をお願いします」
俺は慌てて懐から仮登録証を取り出し、両手で差し出した。
「こちらです」
女性は受け取り、ぱらぱらと確認する。数秒後、彼女の眉がぴくりと動いた。
(うわっ、来たか!? また何か不備か!?)
心臓が凍りつく。が、彼女は落ち着いた声で言った。
「仮登録証に保証人の記載がありますね。ええと……“ミリア・エルドラン”。こちらの方で間違いありませんか?」
「はい、私です」
ミリアが一歩前に出て、堂々と胸を張る。
「こちら、私の……弟ですから」
その瞬間、受付嬢の視線が俺に突き刺さった。俺は慌てて頷く。
「そ、そうなんです。ええ、姉さんにはお世話になってます……」
口の中が乾いて舌がもつれる。バレやしないかと内心ひやひやだ。
しかし受付嬢は深く追及せず、淡々と次の書類を取り出した。
「それでは本登録の手続きを始めます。いくつか質問に答えてください」
机の上に広げられた羊皮紙の束を見て、俺の背筋に悪寒が走った。
(……嫌な予感しかしない)
質問は細かかった。
「出身地は?」
「えっ……ええと……」
「ほら、“北の村の孤児院”って言っておきなって」ミリアが横から小声で囁く。
「あっ、はい、北の村の孤児院です」
「家族構成は?」
「えっ……えっと……」
「“両親は早くに亡くなって、今は私が家族”って答えて」
「両親は早くに亡くなりまして、今は姉さんが唯一の家族です」
「生計手段は?」
「……」
「ここは“冒険者を志してる”でいいよ」
「ぼ、冒険者を志してます」
俺は必死にミリアの囁きを復唱した。完全にカンペ頼みでのりきっている。
受付嬢は淡々と記録を進めていたが、ときおり冷ややかな視線をよこす。そのたびに胃が痛んだ。
(……これ、絶対怪しまれてるよな?)
それでも最後まで質問は続き、何とか答え終えた。
「ありがとうございます。次に、冒険者として活動するための規則について説明します」
受付嬢は冊子を取り出し、俺に手渡した。そこには「冒険者ギルド規約」と刻まれている。
「依頼を無断で放棄した場合、罰金と一定期間の活動停止となります。市民に対して危害を加えた場合、除名と処罰の対象となります。また、報酬の横領や依頼者との契約不履行も同様です……」
延々と規則が読み上げられる。俺は途中から頭が痛くなり、半分以上右から左へ流れていった。
(くそっ……なんで異世界に来てまでこんなにお役所仕事なんだよ……)
最後に確認の署名を求められ、震える手で書き込む。
「これで登録は完了です」
受付嬢が奥から小さな金属板を取り出し、俺に差し出した。
「こちらがギルドカードです。身分証明書としても使用できますので、大切にしてください」
銀色に輝くカード。表面には俺の名前「コーダイ・キラ」と刻まれている。
「……ついに、手に入れた……!」
胸の奥からじわじわと熱いものが込み上げる。昨日からの苦労が報われた瞬間だった。
「やったじゃん、コーダイ!」
ミリアが笑顔で肩を叩いてくる。その笑みに救われる思いだった。
しかし安堵したのも束の間、周囲からの視線に気づく。
酒場の席に座っていた大柄な男がこちらを睨んでいた。鎧を身にまとい、剣を腰に下げた歴戦の冒険者らしい。
「……新入りか」
低く呟く声が聞こえた。するとその仲間らしき連中もにやにや笑いながらこっちを見ている。
(な、なんだよ……歓迎されてるって雰囲気じゃないな……?)
不安を覚えつつも、俺は視線を逸らした。
そのとき、ミリアが俺の袖を引いた。
「コーダイ、あそこ」
視線の先には巨大な掲示板。そこには無数の依頼書が貼られていた。
荷物運び、護衛、採取、討伐……見慣れぬ言葉と共に報酬額が並ぶ。
俺は思わず息を呑んだ。
(これが……俺の異世界生活の第一歩か)
そう思った瞬間、胸の奥が高鳴った。
だが同時に、未知の世界に踏み出す怖さも確かにあった。
――こうして俺は、冒険者としての第一歩を踏み出したのだった。




