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ファントム・ナイト

作者: 長井カツヤ

 語り継がれてきた悲劇がある。

それは小さな港町。ある嵐の晩のことだった。



 5分で読める伝奇小説です


 地響きのような雷鳴と、ゴォーッと激しい海鳴りが聞こえてくる。折からの風は一段と時化て、それは夜になると獰猛な嵐に変わり、この港町にどくろを巻いていた。


 神父は窓辺に立ち、風雨に耐えるレンガ造りの町並みを心配そうに見つめていた。各戸すでに寝静まったようで建物に明かりはない。夜半の外出はかたく禁じられ、住人は暴風雨に備え家の戸締りをし、じっと朝を待っているように思われた。それでも今夜は不吉な胸騒ぎを感じ、神父は神のご加護を祈った。


 ドン、ドン、ドン──。 


 激しく教会の扉を叩く者がいる。

 何事かと神父が扉のかんぬきを外すと、突風と共に若い男が飛び込んできた。


「おお、チャドか、だがどうして……」


 昼間、みやこに使いを出した、この教会の侍者である。


「外は大変な嵐だ。こんな日に無理して帰ってくる必要はない」


 神父はその身を案じて諭した。だがそんな親心をよそに、チャドは懸命に走ってきたようで膝に手を置き下を向いたまま荒い息をしている。耳には入っていない様子だ。


「はあ、はあ……。神父様……はあ、大変です」


「落ち着きなさい。いったい何があったのですか」


 チャドは息を整え真っ直ぐ神父の顔を見つめた。目は血走ったまま、顔には今にも泣き出しそうな悲愴感が満ちている。チャドはいった。


「吸血鬼です。都にバンパイアが現れました」


 一瞬凍りついたように神父は動きを止めた。


「それは本当ですか。チャド、詳しく話なさい」


「はい、ですがその前に、水を一杯飲ませて下さい」


 ドス黒い雨雲から龍のような稲妻が走り、荒れ狂う海へと落ちた。雷光は神父の深刻な顔を照らした。


「──それで、都の司教はどのような対応を?」


「はい。早速討伐隊を結成し捜索に当たっています。しかし吸血鬼は人に姿を変えます。見つかるかどうか、またその数もわかっていません。あるいは都を離れ、もうすでに周辺の町に向かっているかもしれません」


「ああ……よりによって、こんな嵐の日に……」


 神父は天を仰ぎ、胸のロザリオを握りしめた。


「仕方がありません。町のみんなを教会に避難させましょう。おそらくここなら安全です。チャド、あなたは疲れているところご苦労ですが、町をまわって教会に集まるよう皆に伝えて下さい。私はすぐに聖水の準備にとりかかります」


「はい、わかりました。神父様」


 降りしきる雨の中、チャドはまた外へ飛び出していった。弟子を見送り、神父は祭壇の盃に向かって歩き出した。そのとき背中に風を感じた。神父は訝しんで後ろを振り返った。


「どうかしましたか、チャド?」


「はあ、はあ……神父様、大変です……都にバンパイアが現れました」


 まさに恐れていた懸念と脅威が的中したようにカッと稲妻が光った。事態は風雲急を告げ、凄まじい雷鳴が響き渡っていた。




 神父の命に従い、チャドは助けを求め都にむかって馬を走らせていた。後から教会に訪れた、もう一人のチャドである。神父は聖水をふりかけ、彼が()()であることを確かめていた。

 掛け声も勇ましくチャドは馬にムチを打った。雨にぬかるんだ街道を全速力で駆け抜けていった。


 その頃教会では町の人々が集められていた。神父は皆の前に立っている。ひとしきり目を動かし、子どもから大人や老人に至るまで住人の全てが揃っているのは知れた。しかし予想した通りだった。神父は苦渋に満ちた溜息をついた。


 ──やはりいない。チャドの姿はここにはない。いや、チャドに成り済ましたバンパイアと言うべきか。


 神父は誰にも見せたこともない深刻な顔をしている。重苦しい緊迫感に汗が噴き出し、こめかみを流れた。


「どなたか、弟子のチャドがどこに行ったか知っている人は居ませんか? どんな些細なことでもかまいません。教えてください」

 

 神父は消えたバンパイアの手がかりを求めた。


「チャドなら今日おらが荷車を引いて帰ってきた時、町のはずれの街道ですれ違った。これから都に行くと言ってた」


「いいえ、昼間の話ではなく、ほんの半刻前のことです」


「うーん? 誰か見たか?」


「いんやあ、見とらん」


「今日はチャドとは会ってない」


「わたしも知らないわ」


「ちょっと待って下さい、ではどうして皆さんは教会へお越しに?」


「どうしてって、神父さん自ら声をかけといて、そりゃないだろう」


「えっ? 私が?!」


 神父は皆を見つめた。誰もがその通りだという顔をしている。


 ──そうか、今度はこの私に化けたのか。吸血鬼はあたかも変幻自在というわけだ。それならば、またこの中の誰かに化けているのかもしれない。


 神父はぐっと唇を真一文字に結んだ。これでは足りないとガラスの瓶を握りしめていた。全員を調べるだけの聖水はなかった。神父は息が詰まった。わけもなくからだが熱くなり、そして震えだした。ドクンドクンと心臓の音は大きくなり、今にも胸を突き破って破裂してしまいそうだった。


「神父さんよお、こんな嵐の夜更けになんの用だよお」


 ──鍛冶屋のスミス。バンパイアは貴方ですか? 


「ちょっと神父さん、あたしも信仰心はあるけどいきなり呼び出されたら迷惑よ」


 ──それとも宿屋のレイラ。今度は女性に化けたか……?


「ねえねえママ、ぼくおなかへった」


 ──いたずら好きのトビー。まさか五歳の子どもが?!


 取りとめのない疑惑が神父の頭の中を駆け巡っている。頭痛がしてきた。使命感と重圧により押し潰されそうだった。神父は光のみえない苦境に立たされ、神にも見放された思いだった。


「ふあぁぁぁ、せっかくの寝酒が覚めちまったぜ」


 ──まさか船乗りのジム。


 神父は、はっとした。急速に顔が青ざめていくのが自分でも分かった。

 

 ──まずい、船乗りはまずい。半島のこの港町が最後の砦。もしもこの地から逃してしまったら、世界はバンパイアが支配する闇に閉ざされてしまう。それだけはなんとしても食い止めなければならない。


「吸血鬼め、正体をみせろ!」


 いきなり神父は聖水をかけた。それにはジムのみならず教会にいる誰もがあっけにとられた。皆放心している。


「おい、何するんだ!」

 

 わけもわからずびしょ濡れにされジムはいきり立った。その後なんの変化も見られない。神父はあわあわと後じさりした。そこに神の使いである格式や威厳はない。泣き出しそうに顔をゆがめ、ついに神父は思い余って教会を飛び出していった。からとなった聖水の瓶は放り出していた。


「おーい、神父さんよおー」町の人々は口々に文句をいった。「いったい何のつもりだ」「説明しなさいよ」「もうどこ行くんだ」「逃げるのかあ?」


 おもてに出ると外から教会の扉に鎖をかけた。神父がその場しのぎに思いついたのは、こうして住人たちを閉じ込める方法だけだった。


「皆さん、許して下さい。この中に吸血鬼がまぎれ込んでしまっているのです」





「追い込まれた神父は完全にパニックに陥っていた。やがて閉じ込めただけでは飽き足らず乱心ともいえる暴挙に出た。この後の続きは町の慰霊碑からもわかる通りさ。だからお前も知ってるだろ? ピーター」


「うん、知ってるよパパ。正気を失った神父様が教会に火を着けるんだよね」


「ああ、そうだ。町のみんなを焼き殺してしまった。残酷で悲惨な事件さ」


「でもさ、それで一緒に吸血鬼も退治できたんでしょ?」


「いやいや、そうじゃない」


 父親は左右に首を振った。


「吸血鬼なんて最初からいない。気が狂い殺人鬼になった神父を指して彼自身をバンパイアに例えたというわけさ。事の顛末はすべて神父の妄想が生み出した幻想で、これがこの港町に古くからあるバンパイア伝説の真相なんだ」


 ピーターは唇を突き出した。


「なーんだ。じゃあやっぱり吸血鬼なんて作り話だったんだね」


「アハハハ。どうした、がっかりしたか。さっきまで怖がってたくせに」


 父親はピーターの頭を大きな手で撫でた。


「おっと、もうこんな時間か。さあ、今日はもう寝ろよ。明日は早い、教会のミサがある」


「うん」


「おやすみ、ピーター」


「うん、おやすみパパ」


 スタンドの明かりを消してピーターは毛布にもぐり込んだ。すると、閉まったばかりのドアが開いた。


「あれ? まだなに、パパ?」


「ピーター、声がしたけど……。お前、今だれと話していたんだ?」



どうでしたか。

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