第十三話 黄昏時の声 後編
※残酷な表現があります。苦手な方は下まで飛ばして読むことをおすすめします。
――――――えっ?
トランシーバーから聴こえた声に、俺は頭がついていけずに固まった。
――――今の……早坂のお姉ちゃんの声?
そうなると、やはりトランシーバーのもう片方は二階の休憩室にあるということだが…………
身動きできない俺の手は、トランシーバーのボタンを押したままだ。そしてそのまま、そこから早坂さんと誰かの会話が流れてくる。
『……なんだよ、今さら怒ったって仕方ないだろ? 俺だって親父にバレて、渋々“真由美”と結婚することになったんだから……俺が結婚発表したからってそんなに怒んなよ』
『真由美……って後藤さんのことだよね? いつの間にそんな親しかったの!? 渋々? アタシが怒ってんのは、あんたが二股かけてたってことだ!! しかも、彼女……子供まで……!!』
『あぁ? それはたまたましくじって…………真由美はそれを親父にチクったから…………』
『そんな…………あ、アタシ…………アタシだって、お腹に赤ちゃんがいるのにっ!!』
『マジか……チッ!! だりぃなぁ……』
聞いたことがないほど切羽詰まった叫び声。
それに応える気怠そうないい加減な男の声。
後部座席から異様な会話が運転席にいる母親にも聴こえて、彼女はすぐに車のエンジンを切って俺に呼び掛けてきた。
「……ちょっと、仁? な……何、その会話は?」
「わ…………わから、ない……」
本当に解らなかった。
でも、それがとても酷い話だということは、小学生の俺にも充分理解はできたと思う。
だからこそ、二人の会話を無視してトランシーバーの電源を切ることができなかったのだ。
『ほら、ここに十万あるから、これでお前の方は何とかしろよ。手術費用が足りなきゃ、後から百万は出してやる。それで手切れ金にしてくれないか?』
パサ……と、乾いた音が聴こえた。
『…………手切れ金って…………赤ちゃんをなかったことにして、あんたと別れろって言うの……?』
『あ? お前だって、金貰って元通りの生活したいだろ?』
『アタシは……子供産んで、普通に幸せに…………』
『お前が普通? 教養も環境もねぇのに、普通の子供なんて育つわけないだろ』
鼻で笑うような声。
『堕ろすのも別れるのにも納得しなきゃ、他に言いふらしてもいいぜ? 俺はここの次期社長だし、肩身が狭くなるのはただの事務員のお前の方だ。ここを辞めることにでもなったら、中学しかまともに出てないお前は他に就職なんてできないからな!』
『〜〜〜〜…………』
声が聴こえないのに、早坂さんの苦しそうな息使いが聴こえてくるようだった。
「ひ、仁……それ……手を離して……」
「…………………………」
運転席から顔を出している母親の声はひどく震えていた。かなり動揺していたのだろう。俺は反応もせずに、トランシーバーを握って放さない。
『…………フザケンナ…………』
『あ?』
ガコォオオオンッ!!
叫びと共に、何か硬いものがぶつかる音がした。
『ぎゃあああっ!!』
『フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!!』
『ギャッ……や、やめっ……!!』
『フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!!』
ゴッ!! ガゴッ!! ゴンッ!!
ゴスッ!! ガンッ!! バキッ!!
『フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!!』
『……ひぎっ……ぐぁっ…………!!』
ゴッ!! ガゴッ!! ゴンッ!!
ゴスッ!! ガンッ!! バキッ!!
叫び声、悲鳴、打撃音…………それらが混じって不協和音を奏でている。
「「…………………………」」
俺と母親は車の中で完全に息を殺して停止した。
まるで、動いたら自分たちも同じ目に遭うような気がしてしまったのだ。
『はぁ、はぁ、はぁ………………』
『う………………』
いつの間にか激しい音が止んだ。それに代わって、息切れと呻き声が聴こえ…………
『うぐっ、うえっ……うぇええええええええんっ!! あぁああああああああああああっ!!』
早坂さんの号泣が、車内に響いた。
「………………お姉ちゃん……」
その泣き声に俺は我に返る。
早坂さんが、ものすごく悲しい思いをしている。
「お姉ちゃん!!」
「…………仁!?」
俺は車から飛び出して、工場の方へと全力で走った。
後ろから母親の呼び止める声がして、走る途中でも数人の工員とすれ違ったが、俺はそんなことも気にせずに走った。
『…………なんで? なんでよぉ…………』
走っている途中にも、トランシーバーからは早坂さんの苦しそうな声が聴こえてくる。
「お姉ちゃん!! お姉ちゃん!! 聞こえる!?」
『アタシ、なんでこんな…………』
早坂さんは俺の呼び掛けには応答してくれない。
もう片方のトランシーバーが近くにあると思うが、そのボタンを押してもらえないと、どんなに叫んでも俺の声は小さくて聞こえないのだ。
「お姉ちゃん!! お姉ちゃん!!」
『もう、ヤだ…………』
工場の玄関に辿り着いた。しかし扉には鍵が掛かっている。玄関扉はガラスでできているとはいえ、分厚い強化ガラスは大人でも割ることは無理そうだ。
次に工場の搬入口へ回ったが、そこもシャッターが閉じられ、素手で持ち上げるのは到底不可能。工場には窓もあるが、かなり高い位置にあるので届く訳がない。
「お姉ちゃんっっっ!!」
『アタシ……なんか…………』
小さく聴こえる声は今にも消えそうだ。
迷っているうちに、早坂さんに何かあってほしくはない。
――――他に、他にどこか入れるところは!?
キョロキョロと辺りを見回していると、駐車場の方から母親と他の工員がこちらに向かって来ていた。
――――みんなに捕まったら、お姉ちゃんの所に行けない!!
本能的にそう悟った俺は咄嗟に敷地の奥へと逃げた。すると、そこには外から直接二階へと上がれる非常階段があるのが見えた。
――――そうだ、あそこなら!
非常口は休憩室に直結している。階段を上がればすぐに彼女に会えるはずだ。
「お姉ちゃん!! 待ってて、今行くから!!」
『…………………………………………』
シャー…………ザザザ…………
トランシーバーからは何の声も物音もしない。
角度の急な非常階段を一段飛ばしで駆け上がる。しかし、思った以上に距離があって速度は落ちていった。
「はぁはぁ……」
昇りきったが、非常口にも鍵が掛かっている。
「お姉ちゃん!! いるよね!? 開けて!!」
俺は中にいるであろう、早坂さんに向かって扉を叩きながら大声で呼び掛けてみたが、中からの反応は何も無い。
――――泣いて動けないのか? お願いだから…………
絶望感いっぱいで顔を上げると、扉のすぐ近くにすりガラスの窓があるのを発見した。休憩室の窓だ。
――――そうだ、窓を割ればいい!
近くに棒などがないか探したが、それらしいものが無くて途方にくれそうになる。
シャー…………ザザザ…………
「あっ……!」
手に持っているトランシーバーに目が止まった。
トランシーバーのアンテナ部分を握って、底を思い切りガラスに叩き付ける。
ガンッガンッガンッ!!
「割れろーーーっ!!」
ガシャアアアンッッッ!!!!
二度三度叩いて、四度目でひび割れ、五度目でガラスは砕けて半分が落ちた。少しだけ引っ掛けたのか、自分の手も切れて血が出ていた。
「お姉ちゃ………………」
割れた窓から室内へと呼び掛けようとした時、その部屋の光景がいっぺんに視界に入ってくる。
休憩室は六畳の和室だった。
そこには座布団が沢山あり、みんなが休憩時間にのんびり過ごす。
その畳が真っ赤に染まっている。
部屋の中心には派手なスーツを着た人が倒れていたが、頭が畳と同じ色になっていて顔が見えない。
そして、部屋の奥…………いつもは入口の扉の近くに、座布団が散らばっている。
いつもは部屋の壁際に積み重なっているものが、何故か入り口近くで雪崩のように折り重なっていた。
「…………………………」
不思議に思いながら、視線を床から少し上に向けた。
崩れた座布団がある上。
夕方の薄暗い休憩室の天井から、何かがぶら下がっているのに気が付いた。
「……………………あ……」
それに気付いた瞬間、俺は窓の下にペタリと座り込んだ。
――――へ? あれ? おねぇち…………
考えがまとまらない。
急に頭が回らなくなった。
「仁っ!!」
「おい、どうした大丈夫か!?」
ドカドカと非常階段を大人たちが上がってくる。
母親が俺を抱き締めて窓から退け、誰かが窓の中を覗き込んで別の誰かに大声で何か言っていた。
カラン……。
手からトランシーバーが転げ落ちる。
シャー…………ザザザ…………
シャー…………ザザザ…………
シャー……『ーーーー』……ザー……
何か声がしたが、それは小さ過ぎて聴き取れなかった。
その日、工場は救急車やらパトカーやらで大騒ぎになった。
俺は呆然とそれを眺めている。
お巡りさんに何か聞かれたが、答えることができない俺に代わって母親が話していた。
………………………………
俺がきちんと思い出したのはここまでである。
あとは姉と母親から聞いたり、新聞で当時のことを調べたりしたものだ。
当時はこの話題は近所では大騒ぎになった。
甘やかされて育った社長の長男が、社員の女性二人に手を出していたこと。
別れ話が拗れて、男は部屋にあったガラスの灰皿で滅多打ちにされ、女はその場で男のネクタイで首を括ったということ。
それらは暇な主婦たちの格好のネタになった。
あの後、社長の息子は奇跡的に一命を取り留めた。しかし、あの大怪我が原因で後遺症が残り、工場の跡を取ったのは次男だったそうだ。結婚した後藤って女性も、数年後に離婚したという。
早坂さんは病院に運ばれたが翌日に亡くなった。彼女に対してはそれ以上のことは何も言われていない。
工場も商業的な事で移転したし、何年も経てば人間関係の噂など自然と消えていくだろう。
あんなことはあったが、一応あの工場の中では誰も死んでいなかったため、廃墟になるまでは心霊らしい話も無かったようだ。
――――そう、何も無いはずだったのだ。
「フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!!」
「高宮…………いや、早坂のお姉ちゃん!! やめてくれ!! 俺は、社長の息子じゃねぇ!!」
ガンッ!! ガンッ!!
今現在、俺は高宮にパイプで殴られている。
その様子はまるで、あの日の早坂さんの叫びの様だ。
あの時と違うのは、高宮の持つ凶器がガラスの灰皿ではなく細い鉄パイプで、俺が社長の息子よりも頑丈で筋肉質なことだろう。
シャー…………ザザザ…………
シャー…………『フザケンナ!! フザケンナ!! フザケンナ!!』……ザー…………
スピリットボックスから怖いくらいにハモった声が聴こえてくる。
どうやら、この工場は一部の人間には心霊スポットで間違いなかった。
そして高宮が霊感あるのも、一概に嘘とは言えなかった。
何故なら、今の高宮は完全に早坂さんにしか見えなくなっていたからだ。
俺には霊感は無い。
だが、早坂さんが未だにここでさ迷っていて、たまたま訪れた高宮に同調したと言われたら、俺はそれを全て信じよう。
――――話…………何とか、早坂のお姉ちゃんと話をしないと……!!
バシィイイインッ!!
「痛ってぇっ!!」
「っっっ!!」
高宮が振るうパイプを何とか握って動きを止めた。高宮の向こうにいる早坂さんと話をしようと試みる。
「高宮、早坂のお姉ちゃん!! 話を……」
「フザケンナ!! フザケンナーっ!!」
パイプを俺の手から引っこ抜こうと、高宮は力を込めて引っ張る。
ダメだ、まったく話にならない。
完全に目がイッてしまっている。
神様頼む!! こいつの攻略法を教えてくれ!!
涙目になって神頼みをした。その時、
バァアアアアアンッ!!
「大丈夫っ!?」
休憩室の鉄の扉が開いて、誰かが飛び込んできた。




