06 sideユリウス
ユリウスは第3騎士団の事務所からの帰り道、レティシアの顔を思い出して、にやつく顔を隠せなかった。
ユリウスが事務所に入った時のあのぎょっとした顔!
デートに誘った時の嫌そうな顔!
団員に注目された時の困った顔!
どの顔もとても可愛らしかった。
浮かれていると言ってもいい。事務所内という注目される場所でデートの約束をしたのも、レティシアが自分のものだと自慢したかったからだ。
騎士たちの驚きようと、ホランの苦虫を嚙み潰したような顔と言ったら! とユリウスは上機嫌で経理課に戻った。あまりの上機嫌ぶりに、普段の穏やかなユリウスしか知らない課員たちはぎょっとしたが、ユリウスは全く気にならなかった。ちなみにミーティアはちらりと一瞥しただけで、無表情だった。
先日の顔合わせの日、ユリウスはレティシアがもっと騒ぎ立てるだろうと思っていた。
だがレティシアは表面上はこの婚約を受け入れたようだった。普段のレティシアは騎士として振る舞っているが、一応は伯爵令嬢。家の一存で嫁がされることもあるかもしれないと覚悟はしていたのかもしれない。
ユリウスが最初にレティシアと結婚したいと言った時、両親は渋った。いくら結婚相手は自分で選んで良いと許したとはいえ、まさか変わり者の女性騎士として有名な伯爵令嬢の名前が出るとは思っていなかったのだろう。しかも格下の伯爵家のレティシアと結婚しても家にはメリットが全くない。
だからユリウスは感情面で両親に訴えた。これまでどんな女性にも心動かされなかった自分が初めて好きになった相手なのだとか、レティシアが頑張り屋さんでどんなに素晴らしい女性なのかなど、言葉を尽くした。感情をあらわにすることがめったにないユリウスの珍しく感情的な一面を見て、両親は考えを改めたらしい。最終的にはそんなに結婚したいのなら好きにしなさいと言わせることに成功した。
長かった、とユリウスは回想する。両親を説得するのに3ヶ月、レティシアの両親を説得するのに2ヶ月、婚約の書類を整えるのに1ヶ月。レティシアを手に入れると決めてから半年もかかってしまった。
今思うともう少し口説くような態度を見せるべきだったかもしれないが、レティシアの嫌そうな顔が可愛くて、ついついいつもいじめてしまっていた。
今までいじめ倒した分、これからは甘やかそうとユリウスは改めて決意した。
そして3日後、ユリウスは約束通り10時に騎士団女子寮の玄関前で待っていた。レティシアは何を着てくるだろうか。男装? それともドレス? どちらを着て来ても誉め言葉が10くらいは出てくる自信があった。
時間ぴったりに現れたレティシアは、騎士らしい男装でも、貴族の令嬢らしいドレスでもなく、町娘のようなワンピースを着ていた。髪はハーフアップにしており、素朴な髪留めで留めていた。
「レティシア、おはようございます。先日のドレスも素敵でしたが、こういうワンピースも可愛いですね」
「…ありがとうございます」
レティシアは特に照れるでもなく、無表情で言った。それもまたユリウスを喜ばせているのだが、レティシアには知りようがなかった。
それでは行きましょう、とユリウスがレティシアの手を取ると、手を振り払われた。
「あ…ご、ごめんなさい!」
どうやら反射的に振り払ってしまったらしい。
「いいえ、気にしていませんよ」
これは相当嫌われているな、とユリウスは苦笑してからレティシアを促して歩き出した。
ユリウスは騎士団の経理課に勤めているが、寮ではなく実家のサルティア家から通っていた。なので今日は家の馬車を用意している。レティシアをエスコートして馬車に乗せると、自分も隣に座る。出発してしばらくすると、レティシアがポツリと言った。
「このような格好をしてきて怒らないのですか?」
「何故です? こんなに可愛らしいのに」
「…ユリウス様が行くようなコンサートは市民が行くコンサートではなく、貴族が行く格式の高いコンサートでしょう? 普通はドレスで着飾って行くものです。それをこんな町娘みたいな服装の女と行くのは恥ずかしいのではありませんか」
ユリウスはそんなこと、と笑った。
「確かに今から行くのは貴族向けのコンサートです。でも正装でなければいけないというわけではありませんし、私も今日は略装です。それよりレティシアが私のために何を着るか迷って、最終的に私を試すような服装をしてきたことが嬉しいです」
「試すような真似をして怒らないんですか?」
「怒りませんよ。試したってことは希望があるということですし、なにより今日のワンピースは似合っていてとても可愛いですから」
レティシアはおそらく無意識だろうが、嫌そうな顔をしていた。きっと内心「可愛いだなんて一体どういうつもりで言っているのか」とでも思っているに違いない。ユリウスはにやけそうになるのを必死に耐え、爽やかな笑顔を取り繕った。
コンサート会場に到着し、馬車を降りる。予約していた席に向かう途中で知り合いに会った。
ユリウスの隣に町娘がいるのを見て一瞬眉をひそめていたが、レティシアが名乗ると噂の…と呟いた。レティシアが貴族令嬢で珍しい女性騎士だと知っていたのだろう。
その様子を見てレティシアは複雑そうな顔をしていた。
「先ほどの方はご友人ですか?」
席に着くとレティシアが聞いてきた。
「ああ、騎士養成学校時代の友人ですよ。彼ももう騎士ではありませんが」
「え? ユリウス様は騎士養成学校に通っていたのですか?」
「ええ。レティシアの世代だと知りませんよね。私も元々は騎士で第3騎士団所属だったのですが、モンスター討伐で怪我をしまして。長時間剣を持つのが難しくなったので、経理課に異動になったんです」
「知りませんでした…」
ユリウスが経理課になったのはレティシアが騎士になる前。ユリウスは第3騎士団の現団長のホランと同期で、養成学校からの付き合いだ。
学生時代にホランが好きだった女の子がユリウスを好きになり、ユリウスがその子と一時期付き合っていたので、その頃からホランにはライバル視されていた。憎まれているというほどではないが、ホランは今でも根に持っていて、経理課に出す書類をわざと間違えて時々嫌がらせをしてくるのだ。
という話をレティシアにすると、レティシアは納得した後、呆れた顔をした。
「だから団長はいつもギリギリに書類を出してくるんですね。私が不備に気付かないように。全く子供っぽいことを…」
そしてその書類の間違いをわざと嫌味ったらしくレティシアに指摘して、レティシアの嫌そうな顔を楽しむところまでが一連の流れである。いつもホランは良い仕事をする、と内心思っていたのだが、もちろんこれはレティシアには内緒だ。
コンサートが始まった。今日のコンサートはフルオーケストラだ。前半に交響曲、後半に有名な小曲をいくつか演奏し、昼過ぎに終了した。
演奏の間中、ユリウスはずっとレティシアの様子を窺っていた。曲ごとに大きな拍手を送り、顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
うん、悪くない。コンサート自体は楽しんでもらえているようだ、とユリウスは安心した。
コンサートは昼過ぎに終わったので、食事にしようと馬車に乗り込む。庶民街の近くで馬車を降りると、ユリウスは馬車を家に帰した。
「今日はここでランチにしようと思うのですが」
その店は庶民街の中では少し値段が高めだが、貴族が行くには安すぎるカジュアルレストランだった。
ユリウスは侯爵家の次男ではあるが、養成学校時代から付き合いのある友人には平民もおり、こういう店にもそこそこ詳しかった。今日のレティシアの服装ならばぴったりだろう。
レティシアも異論はないらしく、素直に店に入った。貴族の令嬢とはいえ、第3騎士団には平民も多く、こういう店にも馴染みがあるのだろう。
食事中はコンサートの感想やユリウスの騎士時代の話、ホランの失敗談などで盛り上がり、レティシアの警戒心も少しは解けたように見えた。とはいえ終始ニコニコしているユリウスに違和感を感じているらしく、時折変なものを見る目で見られてはいたが。
食事の後は少し街を歩いた。途中でアクセサリーショップに立ち寄ると、ユリウスは髪留めをレティシアに贈った。
「普通貴族が婚約者にプレゼントするなら、もっと高価な宝石が付いた物を贈るものですが、レティシアはあまり好みませんよね?」
「そうですね…私はお茶会や夜会にはめったに参加しませんし」
「それにこのくらいなら仕事中にも付けられますよね」
ユリウスが贈った髪留めは、シンプルだけれども品の良いデザインのものだった。レティシアは仕事中、ポニーテールにしていることが多いので、これなら使ってくれるのではと思ったのだ。
「…」
レティシアは髪留めを見て沈黙した。婚約者からの贈り物なら使うべきだろう、けれど素直に使うのも気に食わない、というところだろうかとユリウスは考えた。
ユリウスはレティシアの髪を一房手に取ると、口元に持っていきキスをした。
「是非使ってください。私が贈ったものを身に着けてほしいんです」
「け、検討します」
レティシアは頬を少し染めて俯き加減で言った。
可愛い。めちゃくちゃ可愛い。うっかり心の声が漏れてしまいそうで、ユリウスはレティシアと手を繋ぐと馬車乗り場まで歩いた。今度は振り払われなかった。
2人は無言で馬車に乗ると、レティシアの寮に向かった。ユリウスはちょっとキザすぎたかな、と遅れて恥ずかしくなってきて、なんだかレティシアの顔を直視できなかった。
寮までレティシアを送り届けると、ユリウスは1人、馬車で自宅まで帰った。馬車の中で今日のレティシアの様子を思い返し、好スタートを切れたのでは、と顔を綻ばせた。