05
ユリウス様の家族との顔合わせから数日が経った。申請書は先日提出したばかりなので、この数日はユリウス様と顔を合わせることもなく、私はいつも通りに過ごしていた。
ああ、あれが夢だったら良かったのに…。
訓練から戻り、報告書に記入する。今日は定時で上がれそうだ、と考えていると、事務所の扉がノックされた。第3騎士団の人間はノックなどしないので、来客だろう。
失礼します、という声と共にユリウス様が入ってきた。
うげ…いったい何の用事? 私に用事じゃありませんように…と私はユリウス様を見ないようにして努めて平静を装った。だがその努力は直後に無に帰した。
「こんにちは、レティシア。次の休みはいつですか? コンサートに行きませんか?」
ユリウス様は私の席まで歩いてくると、そう問いかけた。私はぎこちない動作でユリウス様を見上げる。
「おいユリウス、ウチの補佐官をからかいに来たのか? だったら迷惑だから帰ってくれ」
団長が低い声で言った。
しまった…そういえば婚約したことを報告してない! やばいやばいやばいやばい…。
「迷惑? 婚約者をデートに誘っただけですが?」
「は?」
団長の声と共に、事務所にいた全員が私達に注目した。
わああああ…!!! 何もわざわざこんなところで大声で言わなくても良いじゃない…!
どうしよう、どうしようと焦るばかりで、私はどう立ち回るべきか判断できなかった。何しろ私は騎士の道一筋の女。これまで恋愛なんてしたこともないし、告白されたこともなかった。養成学校時代になんて、鉄の女とかいうあだ名まで付けられていたのだ。
「婚約者ってどういうことだ…?」
「そのままの意味ですよ、ホラン。私とレティシアは先日婚約しました。両家の顔合わせも済んでいます」
「はぁ!? おいレティシア! 本当か!? なんで言わないんだ!」
バンっと机をたたいて団長が立ち上がった。団長は縦にも横にも大きいので、立ち上がって見下ろされるとかなり威圧感がある。私は内心ヒッと悲鳴を上げた。
「えっと、その、こ、婚約は事実です。親が勝手に決めて…私も混乱していて、ご報告するのを忘れていました…」
「よりによってユリウスなんて…」
団長が長いため息をついた。
すみません団長! 本当に忘れてたんです! というか忘れたかった!
「それでレティシア、休みは?」
ユリウス様が再度聞いてきたので、私は渋々答えた。
「…3日後です」
「では3日後、10時に寮の玄関まで迎えに行きますね」
そう言うとユリウス様は事務所から出て行ってしまった。何という男だろう。こちらの都合も聞かずに一方的に約束して行ってしまった。実際私に予定はないし、断る理由もなかったんだけど。
ユリウス様の背中を見送って視線を戻すと、事務所内の騎士全員が一斉に詰め寄ってきた。
「レティシア、婚約したのか!?」
「嘘だろ? 結婚しないとか宣言してたじゃねぇか」
「婚約おめでとう!」
「ユリウス殿と言ったら経理課の出世株だろ? しかも侯爵家。良かったなぁ!」
「いやぁしかしあのレティシアが婚約とか…槍でも降るのか?」
皆口々に好き放題言っている。おい誰だ、槍が降るとか言ったやつ!
…はぁ。騎士団の連中にはいずれ知られるとはいえ、なるべく黙っていたかったのに、あの男は何ということをしてくれたんだ。もしかしてこれもいつもの嫌味の延長の嫌がらせ?
「おいお前ら! 散れ! 散れ! 仕事に戻れ! レティシアはちょっと来い」
団長は団員を散らすと、私を連れて応接室に移動した。あまり広くない応接室のソファーに対面で座る。
「で、どういうことだ?」
「それが…」
私は正直に自分が知らない間に婚約が成立していたこと、先日の休みに顔合わせをしたことを話した。
「ユリウスとはもともとそういう関係だったわけではないのか?」
「違います! むしろ…」
どちらかというと嫌いな人です。と言いそうになったが、団長とユリウスは名前で呼び合う親しい間柄のようなので、口をつぐんだ。
「むしろ?」
「いえ、なんでもありません」
「そうか。政略か? そこまで両家に旨味がある話には思えないんだが」
そうなのだ。政略結婚と考えると、特別両家にメリットがあるわけではないのだ。トーンバル家からしてみれば、行き遅れの娘が片付くというメリットはあるが。
「それが…その、ユリウス様が私のことを好きで、婚約したのだと…」
相手が自分のことを好きらしいと言うのはなんだか自意識過剰みたいで恥ずかしかったが、ユリウス様がはっきり言っていたので、正直に話した。
「あいつが? マジかよ…」
「団長はユリウス様とは親しいんですか?」
「馬鹿言え。あいつとは、まあ、腐れ縁みたいなもんだ。しっかしユリウスがレティシアを、ねぇ…」
団長は何故か感慨深げに言った。
「結婚したら騎士は辞めるのか?」
「いえ、続けても良いそうです」
「そうか。あいつも次男で家を継ぐわけじゃないから、お前が騎士を続けても問題ないのか。だがお前はそれで良いのか? お前はあいつのことを何とも思っていないんだろう?」
私は普段から騎士として身を立てたい、結婚はしないと宣言していたので、団長は心配してくれたのだろう。私は気にかけてくれたことを嬉しく思いつつ答えた。
「まぁ、私も一応貴族の娘ですから、もしかしたら家の都合で結婚する日が来るかもしれないとは思っていましたし、騎士を続けても良いと言ってくれていますから…それに両親も安心させられるでしょうし」
結婚しないと言って両親を困らせていた自覚はあった。両親も乗り気だし、ユリウス様は騎士を続けても良いと言っているし、客観的に見ても良縁なのは間違いない。唯一問題なのは、私がユリウス様のことをあまり好きではないことだが、どうしても嫌だったら結婚しなくても良いと彼は言っていた。だからしばらく様子を見るくらいはしても良いかと思っている。
「お前が良いなら俺から言うことはないが、何か困ったことがあればいつでも相談しろよ」
「はい、お気遣いありがとうございます」
私は目の前の上司に頭を下げた。