03
書類の不備を修正して再提出し、なんとか残業を回避した私は、久しぶりに実家に帰っていた。前回帰ったのはいつだったか、と思い返すと半年も前だった。同じ王都内に住んでいるのに、両親と会うのは年に数回だ。
馬を降り、従僕に預けると玄関からホールに入る。私の生家であるトーンバル伯爵家は武門の家系で、その代々の気質を表し華美な装飾は少ない。もちろん伯爵家として恥ずかしくない程度に質の高い調度品は揃えられているが、貴族の家にしては質素に見えるだろう。それは私の部屋も同じで、女性らしさはほとんどなく、むしろ剣や鎧が飾られており武骨と言っても良いほどだった。
私は自室に入ると騎士服を脱いで簡素なワンピースに着替えた。本当は男性が着るようなパンツにシャツで過ごしたいのだが、母親がうるさいので実家では一応女性らしい格好をしている。
ちょうど着替え終わったところでメイドが呼びに来たので、部屋を出て食堂に向かう。食堂では父と母が既に着席して待っていた。
「お待たせいたしました」
「レティシア、お帰り。久しぶりだな」
「こうやって呼び出さないと帰ってきてくれないんだから…もう少し顔を見せに来なさいな」
「善処します」
改善する気の全くない声音で答えてから席に座る。テーブルに並べられたカトラリーは3人分。両親と私の分だけである。
私には2人の兄がいるのだが、2人とも私同様騎士として王都で勤めている。父も元々は騎士だったが、伯爵位を継いで今は領地運営に専念していた。兄2人が今夜ここにいないということは、用事があるのは私にだけらしい。
使用人によって料理が運ばれてくる。母に請われるまま近況を報告していたが、私は呼び出された用件が気になりさっさと問うことにした。
「お父様、お母様、今回は何のご用件ですか?」
「なに、たまにはお前の顔を見たくてな」
「明日は3人で観劇にでも行きましょう。この前観に行ったお芝居がとても面白かったから、レティシアとも観に行きたいと思ったの」
笑顔の両親。
怪しい、と思った。
確かに2人は唯一の娘である私を可愛がっているが、たかだか観劇のためだけに呼び出すだろうか。絶対ないとは言い切れないが、私の勘が何か裏がある、と告げていた。
とはいえ今問いただしても本当のことを教えてもらえるとは思えず、とりあえずそうですか、とだけ答えておいた。
翌朝、私は普段通り早朝に起きると、屋敷の裏庭にある訓練場に向かった。部門の家系で騎士を多く輩出しているトーンバル家には、広い訓練場が設けられている。生成りのシャツにゆったりしたパンツという令嬢らしからぬ格好で、自主練のルーティンを始めた。
私の母はトーンバル伯爵家の遠縁の子爵家から嫁いできた。2人の息子を産み、3人目でようやく産まれた娘を可愛がり、立派な淑女に育てようと奮闘した。だがそんな母の思惑とは反対に、私は幼い頃から騎士になるための教育を受けていた兄2人に影響されて、数少ない女性騎士となってしまった。
私が騎士になると言った時の母の衝撃は相当なものだった。なんとか矯正しようと無理矢理淑女教育を受けさせたのに、いつの間にか私は剣の腕を磨いて騎士養成学校の試験を突破し、入学と同時に寮に入ってしまった。
養成学校時代も、騎士見習いになってからも、正式に騎士に叙任されてからも、母は事あるごとに私をお茶会に参加させたりドレスを作ったりしたが、私はどんどん実家に寄り付かなくなり、果てには騎士として身を立てるから結婚はしないとまで言ってしまった。
父はその時には既に諦めていたのか何も言わなかったが、母は私に泣いてすがった。お願いだからあなたのウェディングドレス姿を見せてほしいと。
母に泣かれて私も流石に心が痛み、騎士を続けさせてくれる人となら結婚しても良いと言ったのだった。実際には女性が騎士をしているだけで眉をひそめる貴族が多いため、20歳になった現在まで良縁は見つからなかったのだが。
朝の自主練を終えて水浴びでさっと汗を流し、朝食の席に着いた。何故か両親は昨日に引き続きご機嫌で、私にはそれが妙に気になった。
朝食後、部屋でくつろいでいるとメイドを数人引き連れた母が突然やってきた。
「さあレティシア、ドレスに着替えますよ」
「…何故です?」
「今日は観劇に行くと伝えたではないですか」
「数人がかりで着せるようなドレスを着る必要はないと思いますが」
「ダメよ、仮にもトーンバル家の令嬢なのですから、ちゃんとした格好をしていなければ恥をかきます」
そうだろうか。私が女性でありながら騎士になった物好きだというのは有名な話で、今更ではないか? と思ったが、反抗するのも面倒だったのでおとなしく母の好きなようにさせた。
1時間以上かけてようやく、見た目だけは立派なトーンバル伯爵家令嬢が出来上がった。ドレスを着るだけでなく、化粧を施され髪を結われた姿はどこからどう見ても立派な令嬢だ。ちょっと行き遅れているが。
普段の私を知る者が見てもパッと見では私と気付くまい。そのくらいの変貌ぶりだった。
「お母様、観劇に行くだけですよね? やはりここまで着飾る必要はないのでは?」
「まぁ、娘を着飾らせる楽しみをわたくしから奪うつもり?」
「……」
「せっかくですもの、外でランチをしてから行きましょう」
そう言うと母は嬉々として私を部屋から連れ出した。
父もエントランスで合流し、3人で馬車に乗る。しばらくして馬車が到着したのは老舗の高級レストランだった。騎士としての給金ではなかなか行けないレストランに、私は久しぶりに自分が伯爵家の令嬢であることを思い出した。
店は予約してあったのか、父が名前を告げると奥の個室に案内された。そして室内に入ると何故かそこには2人の男性と1人の女性がいた。私は部屋を間違っているのではないかと父を見た。
「サルティア殿、お待たせして申し訳ありません」
父が老紳士に向かって言う。
「いえいえ、私たちも先ほど来たばかりですよ」
老紳士はにこやかに立ち上がった。それを合図に老紳士の奥方と思しき女性と、息子らしき若い男性も立ち上がる。
そこで私は若い男性にものすごく見覚えがあることに気付いた。
「…ユリウス・サルティア様?」
そう、昨日もネチネチとレティシアに嫌味を言ってきた、経理課主任のユリウス・サルティアその人であった。
「レティシア嬢、我が愛しの婚約者殿。ドレス姿もとても素敵ですね」
「は? 婚約者?」
私は自分の家の方が爵位が下であることも礼儀も忘れ、ぽかんと彼を見つめた。