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少子化対策でHカップの先生が保健を担当することになった件

作者: ろん



 中学生のクラスと動物園との間に、明確な違いを見つけることは難しい。よほどの進学校でもない限り、全員が二足歩行であることを除けば、そこは本家顔負けの奇声が飛び交うだけのサファリパークだ。むしろ飼い慣らされているぶん、動物たちの方が扱いやすい存在かもしれない。


 しかし、その日はいつもと違う様相だった。授業開始のチャイムが鳴った後、教室に静寂を取り戻すまでの時間は、新人教師なら五分、ベテランの先生でも三分はかかる。この学校における最高記録は鬼の教頭による「一分」で、その偉業もクリアファイルを床に叩きつけるという荒技によって達成されたわけだが、開校四十年の節目にあたる今年、ついにその記録を破る猛者が現れた。


その記録、なんと「三秒」。


「おい……あれ、美波先生だよな?」


 男子全員がひゅっ、と息を吸う。ワールドカップ並みに盛り上がっていた「消しゴム落とし」は終戦を余儀なくされ、しりとりも10回クイズも強制終了。彼らより知能指数が高いはずの女子グループも、大多数は前の女子の腰に手を回したまま、まるで氷像のごとく固まっていた。


 雪野美波。二年前に赴任してきてからというもの、苦手とする者が多かった「理科」を体育なみの人気科目に押し上げた立役者だ。何かの間違いで将来、この学校からノーベル賞を受賞する科学者が生まれたとしたら、それは彼女の功績だろう。


 だが、生徒から絶大な支持を得ているとはいえ、その理由は男女によって異なっていた。実験が楽しい、わかりやすい、大好き——そんな声はほとんど女子生徒によるものだ。同じ質問を男子に投げかけたなら、共通しているのは最後のコメントだけで、その意味合いは女子とまったく異なるだろう。


 ドアの向こうに、透き通った亜麻色の髪が揺れる。長さは肩をやや越える程度で、右のこめかみにはひし形の髪留めが光っているが、生徒たちの記憶通りの「美波先生」はそこまでだった。彼女は教壇まですたすたと歩き、いつもよりずっと少ない量の教材を机に置く。


「せ、先生……三時間目は『理科』じゃないです」


 見慣れない風貌への質問をぐっとこらえて話しかけたのは、最前列に座っている女子のクラス長だった。彼女の机の上に出ているのは、確かに「保健」と題された教科書だ。そもそも理科は移動教室のため、教員の方からクラスに入ってくること自体あり得ない。


「ん? ああ、大丈夫よ。今日はここで合ってるの」


 彼女は背筋を正し、すらりとした指をお腹の前で組んだ。他の教師のように、両腕をハの字にして教卓に突き立てるようなことはしない。


「えーっと、まずは自己紹介かな。今日と来週の二回は体育の大澤先生に代わって、私、雪野美波が保健の授業を受け持つことになりました」


 よろしくね、と笑顔で付け足した後、顔の横で人差し指を立てる美波。授業中に最低でも十回は登場する、お決まりのポーズだ。


「それじゃ、始めましょう。今日のテーマは『性』について。まずはみんなに質問! 今日の先生の服を見て、何か気付いたところはある?」


 この親しみやすい語り口も、美波が生徒たちの人気を集めている理由の一つだ。かつて授業参観で彼女の生徒への接し方を見た親からは、「教育番組のお姉さんみたい」と揶揄する声も上がったそうだが、クラス全体の理科の成績が伸びてからというもの、そんな意見はすっかり鳴りを潜めるようになった。


 いつも通りの彼女に安心したのか、女子生徒の一部が口を開き始める。


「か、かわいい……」

「でも、ちょっと寒そう」


 一方、多くの男子が無言を貫き、そそくさと自分の席に戻る中、黒ぶち眼鏡をかけた

小柄な男子が手を挙げる。彼もこのクラスにおいて、次の授業の教科書が机に出ている数少ない一人だ。


「はい。普段より……肌を露出されていると思います」


 最初に沈黙を破ったクラス長が英雄なら、その件に触れた彼もまた英雄だ。美波先生の人気が、とりわけ男子の中で圧倒的な理由——それは厚手の白衣越しにもありありと分かる、モデルのようなプロポーションだ。赴任初日、彼女が校長から「健全な青少年の育成に必ずしも寄与しない」という回りくどい指摘を受け、愛用のニットから白衣に統一したのは有名な話だが、あの日、着任挨拶で全校男子が身を乗り出した珠玉のボディラインが、彼らの脳裏から消えるはずもなかった。いまや美波先生のニット姿を見たことがあるというだけで、それを他校への誇りにする者も多い。

 

 しかし逆にいえば、彼らの記憶は「ボディライン」止まりだった。少なくとも今日まで、その先の彼女の姿を知る者はこの学校にいなかった。断言できることは昨日、家族で焼肉に行き、レバーにあたってしまったという噂の村田——今日は学校を休んでいる彼が、あらゆる意味で「不運」ということだろう。


 今日の彼女はまるで、モーターショーにいるコンパニオンのような服装だった。黒地のオフショルダーにはピンクのラインがあしらわれ、生地の薄い袖は巫女服のようにゆったりとしている。唯一白い襟の下には水色のリボンが結ばれ、胸元にわざとらしく開いたひし形の窓からは、デザイナーの意図を裏切らないボリュームの谷間が覗いている。教卓に隠れているが、下はツートンカラーのミニスカートで間違いない。


「齋藤くん、正解! それではご褒美をあげるので、前に出てきてください」


 おそるおそる教壇へと向かう齋藤の背中に、クラス中の視線が集まる。道中、当の本人は机の脚に何度もつまづきかけていたが、それも仕方ないことだろう。明らかに布面積が足りず、両脇から少しはみ出している美波先生のおっぱい——まだ日本語で何と呼ぶかも教わっていないその部分に、彼の目は釘付けになっていた。


「齋藤くん、じっとしててね」

「は、はい……んぶっ!?」


 目にも止まらぬ早業だった。教え子が教壇に上がるや否や、美波は彼の後頭部に手を回し、その顔を自身の胸にある小窓へと抱き寄せる。


「みんな、斎藤くんのお股に注目して! ズボン越しで分かりにくいと思うけど、おちんちんが少しずつ膨らんでるのが見える?」


 彼女は分かりにくいと言ったが、それは先週行われた「蒸散の観察」より明白で、スチールウールの燃焼実験なみに分かりやすい結果だった。彼のタイトなスラックスの中で、何かがむくむくと起き上がろうとしている。


「むうっ……!」


 横で見ている生徒たちには一目瞭然だが、齋藤は胸の形が変わるほど強く押しつけられており、おっぱいに埋まっているといっても過言ではない。そこで美波がさらに腕を引きしぼると、齋藤のズボンは一気にテントを張った。


「えっ、面白い!」

「ふふ……面白いでしょう。これを『勃起』と言います」

「先生、どうして勃起しちゃうんですかー?」


 興味津々で前に出てくるのは女子ばかりで、男子の大半は机に張りついたまま動かなかった。


 あるいは、動けなかったのかもしれない。


「勃起っていうのはね、男の人が女の人と子作りをしたいと思った時に、おちんちんが固くなって上を向くことよ。つまり齋藤くんは今、先生と赤ちゃんを作りたい気持ちでいっぱいなの」

「赤ちゃん……? 先生に赤ちゃんができるの?」

「そうよ。先生がママで、齋藤くんがパパになるわね」


 衝撃の事実に、多くの女子が「えー!」「ヤバい!」と声を上げる。まさか目の前で抱き合っている教師とクラスメイトに、自分たちの両親の姿を重ねる日が来るとは思わなかっただろう。後ろにいる女子にもたっぷりと観察する時間を与えてから、美波は齋藤を解放した。


「あれ……齋藤くん?」


 朝、布団から抜け出すのにやたら時間がかかる小学生のように、齋藤はもたついた。抱きしめられた直後、驚きから行き場を失っていた両手は、いつの間にか彼女の腰へと回り、むしろ全力でしがみつく形になっていた。それが唐突に終わりを迎えると、彼はどこか名残惜しそうに身悶えしてから、よろよろと後ずさりした。


「ごめんね。ちょっと苦しかったでしょう?」

「ぜっ……大丈夫っす」


 「全然」という言葉を呑み込んだあたり、彼にもプライドがあるようだ。さらにずれた眼鏡を直しながらも、どこか運動部のような言葉遣い。席に戻る途中、核戦争後のようなパンツの中を整えるのに苦戦しながらも、その顔は一分前よりあか抜けていた。


 いずれにしても、この齋藤に白羽の矢を立てた美波の判断は正しかった。『勃起』という現象名を知っていたかどうかに限らず、彼女が教壇に立った時点で、ほぼ男子全員が今の彼と同じ状態だったからだ。使用済みのリトマス試験紙のような男子の中で、唯一「新品状態」を保っていた齋藤にしか、今回の実験役は務まらなかっただろう。


「それではもう一回質問します。今日、先生がどうしてこういう服を着てきたか、分かる人はいるかな? ふふっ……齋藤くん以外で」


 美波に微笑みかけられ、齋藤は慌てて手を下ろした。代わりに発言したのがクラス長だ。


「肌がいっぱい出ている方が、男子がどきどきする……から?」

「さすがクラス長、大正解! 先生たちがみんなに教える内容を決めている『文部科学省』っていう所があるんだけど、保健で『性』の授業をするときは、必ず女性教師がこの服を着るルールになっているの。女の子にはピンと来ないかもしれないけど、これは慣れていない男の子でもちゃんと欲情できるように、国の偉い人たちが考えた服なんだよ」

「せんせー、欲情ってなーに?」


 美波はあっ、と両手を口に当てた。改訂されたばかりの学習指導要領にそう書いてある以上、彼女が思わず口走ってしまうのも無理はない。


 少子高齢化が叫ばれるようになってからというもの、そのスピードに歯止めがきかないことを悟った日本政府は、昨年、これまでの消極的な性教育を転換する方針を打ち出した。「性について学ぼう! キャンペーン」という、行政らしい何の捻りもない名前だが、下手に「第三次ベビーブーム作戦」などと名付け、マスコットキャラに「ずっこん君」や「ばっこんちゃん」を作って炎上するくらいなら、最初からこだわる必要はないという、自分たちの危険なセンスを理解した上での命名だろう。


 そのキャンペーン内容は多岐にわたるが、注目されているのが「保健用指導服-B」の導入だ。「税金でパリコレをする気か」という野党の反対を押しきり、若い男子に異性への関心をもってもらう目的から、それなりの予算を投じてデザインされたこの服について、指導要領にはある文言が付け加えられている。「上記指導服に関しては、上胸囲・下胸囲に二十センチ以上の差を有する者の着用が望ましい」——俗に言えば「Eカップ以上」ということだが、国家ぐるみのセクハラと糾弾されてもおかしくないこの努力目標を、美波は悠々とクリアしていた。


 ちなみに、なぜ「B」か——これは文科省で最初に考案された「A」が、あまりにも大胆、かつ露骨すぎるデザインだったためだ。作成メンバーに中高年の男性議員ばかりを並べたことが原因とも囁かれているが、デザイン案はその後「大幅」に修正された。


「……ま、いっか。『欲情』っていうのはさっき言った通り、異性と子作りをしたいと思う気持ちのことです。ちょっとした実習をするので、男の子は女の子と、女の子は男の子とペアを作ってください!」


 当初、美波の指示に多くの生徒は戸惑っていた。通常の授業であればスムーズに別れることができるのだが、これが男女でのペアとなると話が違う。それでも頭の中に相関図を思い描き、少しでも自分と太い線で繋がっているクラスメイトの元へ、まるで磁石が引き合うように移動していく。部活の仲間や、小学校から付き合いのある相手、この間ノートを届けてくれた相手——相手に迎えに来てもらう者がいれば、お互いの席の中間地点で落ち合う二人、その光景を見て進路を変える者もいる。


 だが問題はもう一つあった。このクラスは男子17人、女子15人の合計22人。男子が二人多く、彼らはどう足掻いても女子とペアを組むことができない。


 しかし、今日は男子の村田が腹痛で欠席している。つまり余るのは——。


「それじゃ、齋藤くんは先生と組みましょうね」


 この結果をペア作りにあぶれた人間の哀れな末路と捉えるか、美波先生を「ひとりじめ」できるチャンスと捉えるかは本人次第だが、他の男子の多くは後者として受け取ったらしい。彼女がそう言った瞬間、クラスのあちこちでガタッ、という音が響いたのが良い証拠だ。


「みんな、ペアは作れたかな〜? 男子はズボンだけ下ろして、女子の前に立ってください。女子はセーラーのチャックを外して、パートナーに自分の胸を見せてあげましょう。あっ、今日はインナーは着たままでいいからね」


 教師への信頼の表れか、生徒たちは言われた通りに服を脱ぎ始める。美波はクラス内を歩いて見回りながら、女子を中心に声をかけていた。


「みんな、男の子の様子はどう? 元気が良い子なら、この時点でもう勃起しているはずよ」

「先生! 大杉くんが勃起してる!」


 後方からの報告に、彼女は「本当?」と嬉しそうに答える。そこには口に手を当てて驚いている女子と、先ほどの齋藤に負けず劣らず、トランクスをパンパンに膨らませている男子の姿があった。何を隠そう、幼稚園からの幼なじみとして有名な二人だ。


「大杉くん、おめでとう。田口さんもすごいわ。二人はそうね……お互いの身体に触りっこしながら、どうすればおちんちんをもっと喜ばせられるか、考えてみて。もちろん、他の人へのアドバイスもお願いね」

「「は、はい!」」

「女の子! もし男子が勃起しないようだったら、さっき先生が齋藤くんにしたことを試してみて。男子の頭の後ろに腕を回して、顔におっぱいをぎゅっと押し付けるの。お手本を見せるので、自信のないペアは遠慮なく前に来てください」


 結果、全体の三分の一ほどのペアが教壇前に集まる。美波がクラスを周回している間、チョークに触ったり、手遊びに興じたりして孤独感を紛らわせていた齋藤だが、彼女が戻ってきた途端、その表情は母の帰りを待っていた幼子のごとく晴れやかになった。


「齋藤くん、おまたせ……あら」


 彼が「おいで」とも言わないうちに胸に飛び込んできたため、美波もつい苦笑いをこぼす。とはいえ、教え子の衝動を受け止められるだけの豊かな胸と愛情を、彼女が持ち合わせていないはずもなかった。ホルモンバランスが不安定な思春期ゆえ、皮脂やフケがたっぷりと乗った頭でも関係ない。片腕できつくホールドし、その小さな鼻と口を、ご所望であるひし形の窓へと沈めるだけだ。


 当然、齋藤のおちんちんはすぐに反応する。女子生徒の何人かがおーっ、と声を上げた。


「すごい。なんでそんなに上手なんですか?」

「ふふっ、だって先生だもの。出来るだけ、おっぱいの柔らかいところを押しつけるのがコツよ。それでも難しかったら、おちんちんを下から揉んであげるといいわ……こんな風に」


 美波は齋藤の股間をもう一方の手のひらで包み込み、ゆで卵が潰れない程度の力でゆっくりとマッサージし始める。教え子が谷間からくぐもった喘ぎ声をもらし、身をよじり快感を逃がそうとしていることに気づいた彼女は、抱き寄せる腕に力を込め、その顔をより深い位置へと封じた。「大人しくしてて」というメッセージなのだろう。


「さあ、やってみて」


 美波のアドバイスを受け、おそるおそる男子の股間に触れてみる女子。一番乗りの大杉・田口ペアは例外にしても、顔立ちが整っていたり、胸の発育が良い女子と組んだ男子の方が、より早く勃起する傾向にあるようだ。


「……何だか乳しぼりみたい」

「その感覚で大丈夫よ。がんばって!」


 他の生徒にエールを送った後、美波は自らの胸に埋もれている齋藤に目を移した。


「齋藤くん、大丈夫?」

「は、はひぃ」

「よく聞いて。齋藤くん、ちゃんと勃起してて偉いし、みんなのお手本になってくれて助かるんだけど……一つ注意しておきたいの」


 股間を揉む手を止めることなく、美波は彼の耳元に口を近づける。しばらく言葉選びに迷った挙げ句、彼女は唇をなめ、ストレートに囁いた。


「……イッちゃだめだからね」


 風紀を律する立場の教師である以上、その要求は真っ当なものかもしれない。幼稚園に入園したばかりの幼児に、「おしっこはトイレでしましょう」と教えるのと同じだ。


 だが社会的に正しくとも、それが彼にとって残酷な指示であることは確かだった。齋藤自身は精通前で、まだ「イク」という言葉の意味さえ知らないはずだが、美波の口ぶりから「今の状態を終鈴までキープしてほしい」というニュアンスを感じ取った瞬間、それは100%無理だと悟ったに違いない。


 


 ——二十分後。


「さあ、残り五分です! まだ勃起できていない男子はいるかなー?」


 美波の呼びかけに対して、男子の約二割がバツの悪い顔をする。たいして仲良くもない女子、それも胸の膨らみや腰回りが至って「健全」な相手とやむなくペアを組んだ彼らは、うまく彼女たちに欲情できず、美波のはち切れんばかりの巨乳をちらちらと窺うことで、ようやく勃起を果たしていたのだ。むしろ「カンニング組」の下半身の方がより盛大に屹立しているのを見て、彼女はクスリと笑みをこぼす。


「すごいね、みんなとても優秀……ん?」


 その時、あわよくば教師にも気付かれないことを願うように、右手を気だるげに挙げている男子がいた。隣では彼のパートナーと思しき女子がすすり泣いている。


「齋藤くん、ちょっとごめんね」


 齋藤の股間を揉みほぐす手を止め、美波は二人の元に向かった。とにかく授業態度の悪さで有名な多田と、読書好きの寡黙な新井。この異色のペアがどのような経緯で生まれたのか、理由は想像もつかない。


「新井さん、泣かないで。多田君も焦ることないわ。こういうことはそれぞれのペースがあるんだから」

「……別に焦ってねーし。こいつの触り方が下手なだけだよ」


 パートナーからの容赦ない一言に、新井はさらに顔を伏せる。他の教師なら問答無用で多田を怒鳴りつけていたに違いないが、彼の下半身が一切反応していないのを見て、美波は多田が最後まで「カンニング」に走ることなく、パートナーである彼女だけに集中していたことに気づく。


「……わかったわ。多田君、少し先生の方を向いてくれる?」


 その言葉がお願いではなく命令だと分かった頃には、美波の顔は多田の眼前まで迫っていた。左手で彼の首を固定し、正面から有無を言わさず唇を奪う。同時に股間にあてがった右手を、美波は齋藤の時とは比較にならないほど「強く」握り込んだ。


「いっ……んっ!」


 痛みと快感——どっちつかずだった嬌声が後者に転んだ瞬間、「多田慎吾」という男の人生において、とある重要なレールが定まったことは間違いない。今日は人生のターニングポイントとして、彼の記憶に永久に刻まれるだろう。生徒の思いもよらぬ門出を祝福するように、美波はますます右手に力を入れる。


「は〜い、よく勃ちました。新井さん、多田くんはちょっぴり『強め』がお望みだったみたい。次も一緒に組むようなら、今度は力いっぱい握ってあげてね……きっと簡単よ」

「は、はい」

「それから、多田君」


 十秒前の悪党ぶった表情はどこへやら、そこに立っていたのは、これまで味わったことのない感情に、ただ茫然と頬を赤らめているだけの中坊だった。今、その感覚を自分自身に説明できるだけの語彙すら習得してこなかったことを、彼自身が猛烈に後悔しているだろう。そんな悔しさも含めて「別に嫌じゃない」と思っていること自体、最大のヒントなのだが。


「……君、意外と真面目なんだね」

「は、はあ? 別にそんなんじゃ」


 ぎゅーっ、と右手による愛の指導。やんちゃな多田を軽々と海老反りにし、声変わり直前の喉から聞いたこともない音色を引き出している美波の魔法に、彼と仲の良い男子は一様に震え上がっていた。


「ふふっ、みんな個性があって素敵よ。男子全員が勃起できたので、今日はここまでにしましょうか」


 クラス全体にそう言ってから、美波は多田の股間を解放した。教壇へと戻り、そこで大人しく待っていた齋藤の肩に手を回す。


「みんな、齋藤くんに拍手を送って。齋藤くんはみんなのお手本として、ずっと先生の胸の中で勃起し続けてくれました。さあ、拍手!」


 特に女子生徒から盛大な拍手が寄せられたのは、実際、彼を参考にしてパートナーを勃起に導いた者が多かったからだ。逆に男子からの賞賛が少ない理由は、「残り物には福がある」ということわざを体現した同性に対する嫉妬——これ以外にない。


 美波は笑顔で手を叩きながら、膝を折って彼に目線を合わせる。


「齋藤くん、ありがとう。とても助かったわ」

「いいえ。こちらこそ……」

「こちらこそ?」


 少し意地悪っぽく聞き返され、齋藤は髪を掻きむしった。美波が多田の面倒を見ている間に勢いを失っていた彼の股間も、彼女が戻ってきたおかげで見事に復活していた。


「あっ、いや……お役に立てて良かったです」

「ふふっ、優しいのね。席まで気をつけて戻ってちょうだい」


 夢見心地からの帰還——この時の齋藤の心境を推察するなら、大体そんなところか。まだ足元がおぼつかない精神状態だからこそ、先生が何に「気をつけて」と言ったのか、そこまで気が回らなかったのかもしれない。間近で揺れる美波の豊満な胸を目に焼き付けておこうと、明らかな脇見をしていたのも原因だ。


 齋藤の下半身は、そこに「段差」があることなど忘れていた。

 

「あぶない!」


 前のめりに倒れる彼を支えようと、その身を背後から抱き込む美波。後々のことを思えば、たとえ額に傷を負う羽目になったとしても、齋藤は素直に倒れていた方がマシだったかもしれない。


「あっ、ああっ……あああっ!」


 背中に強く押しつけられる柔らかい感触。それだけならまだ耐えられたはずだ。問題は、自分を教壇へと引き戻してくれた二本の腕のうち、片方に股間を鷲掴みされたこと。この一時間で一度も刺激されたことのない先端部分に、彼女の温かい掌が密着する。


 体内で煮えたぎっていたマグマを呼び起こすには、それで充分だった。下半身から脳へと突き上げる強烈な快感に、彼は甲板でのたうち回るマグロのように、びくん、びくんと身を打ち震わせる。その激しさは回数を重ねるごとに弱まっていき、やがて何事もなかったかのように静寂を取り戻す。


 沈黙を破ったのは、先頭に座っていた一人の女子だった。


「あーっ! 齋藤くんがおもらししてる!」


 おもらし——この単語が思春期の学生にとって、どれほど高い殺傷力を持った言葉か。彼のズボンに超大陸のごとく出現した黒い染みを拝もうと、クラスメイトのほぼ全員が前に集結する。


「あちゃ……次の授業でやる予定だったんだけどな……」


 ズボン越しに手に付着した液体を見ながら、美波は溜め息をついた。時を同じくして、授業終了を告げるチャイムが鳴り響く。


「皆さん、来週もこの教室です。各自、汚れてもいい服に着替えておいてください……齋藤くん、先生についておいで」


 稲妻に撃たれたような感覚と、衆人環視の中で粗相をしてしまった恥ずかしさで、彼は立っているのがやっとの状態だった。それでも美波の肩を借り、傷を負った兵士のような足取りでクラスを後にする。


「先生……これからどこに……?」

「教職員用のシャワー室よ。パンツの中、とても気持ち悪いでしょう?」


 美波が選んだルートは、職員室方面に向かう道としては遠回りだった。他のクラスの生徒に見られないよう、あえてひと気のない渡り廊下から回ってくれたのだろう。「ついておいで」と言われた瞬間から心配していたその点を、何も言わず配慮してくれた彼女の心づかいに、齋藤は嗚咽を抑えられなかった。


「先生、ごめんなさい……僕……」


 言い付けを守れなかった自分への情けなさに、先生に怒られるのではないかという恐怖も加わる。


 だが、美波は首を横に振った。


「ううん、謝らきゃいけないのは先生の方。齋藤くんはずっと我慢してくれてたのに。あんなのイっちゃうよね……」


 その一言で、下腹部に当時の感触がありありと蘇る。齋藤以上に反省の色を浮かべている美波の面持ちは、今回の事故がいかに避けられないものだったかを表していた。


 長い道中——休み時間にはしゃぐ学生たちの声を背に、とうとう二人の会話もなくなった。教師と生徒という関係がベースにあるとはいえ、男と女。学習の一環だったとはいえ、射精させた側とさせられた側。たとえ齋藤に性の知識がなくとも、この場は気まずくて当たり前だ。


「齋藤くん、いつも理科のテスト頑張ってるよね。勉強は好き?」

「……好きです。先生の理科はわかりやすいし、一番好きな教科です……僕だけじゃないと思うけど」

「よく手を挙げてくれるもんね。予習もしてるの?」


 コクンと頷く齋藤。


「そっかぁ……」


 他愛もない世間話。少なくとも齋藤の方は、この時の会話をそう捉えていた。


 職員室を通りすぎ、美波は齋藤をさらに奥へといざなう。生徒にとっては壁と同等の存在である「生徒立ち入り禁止」という貼り紙つきのドアが、彼女の細い指であっさりと押し開かれたことに、齋藤は新鮮さを覚える。ドアの先は短い階段になっており、やたらと長い半地下の廊下は、まだ昼間だというのに薄暗かった。「非常口」と書かれたグリーンの誘導灯と、消火栓の上に付いている赤いランプ、天井近くの窓から射し込むわずかな日差しを頼りに、二人は目的地のシャワー室へと突き当たった。左が男性用で、右が女性用だ。


 当然、齋藤は左のドアに入ろうとした。

 ごく自然に踏み出された一歩目を、美波が止める。


「齋藤くん。今からとっても大事な質問をするから、『はい』か『いいえ』で答えてほしいの。もし君が『いいえ』って答えるなら、先生はここであなたを待ってる。『はい』なら……」


 美波はその先を言わず、人目を気にするように後ろを振り返る。そこには誰もおらず、五月のがらんとした廊下が続いているだけだった。東風が頭上の中庭を吹き抜け、残り少ないソメイヨシノの花びらを攫っていく。

 

 長いコンクリートの壁に、突然「ぷちん」という音が響いた。脱・ゆとり教育が叫ばれる昨今、年々肥大化する学習内容に対応するため、教師は限られた授業時間を有効に使うことが求められる。だからこそ、その服はうなじにあるたった一個のスナップで脱ぎ着できるよう、最初から綿密に設計されていた。


 ずっしりとした重量感とは逆に、あまりにも軽々しく露わになる美波の乳房。その価値は本来、目当ての女性がいる店に足しげく通い、大金を積み、親密な関係を築き上げた男性が、数ヶ月を経てようやくお目にかかれるかといったものだ。ひし形の小窓越しにあった谷間は崩れることなく、あんな窮屈なスペースにこれほどの分量が収められていたという事実は、見る者に感動すら呼び起こす。吸湿性の高い生地が柔肌を離れる瞬間、胸全体が引っぱられるように「ぶるん」と弾んだが、この揺れ方が日本中の男子に与える心理的影響まで計算に入れているとしたら、今の文科省はおそろしく優秀だ。色、形、大きさ——どれを取っても、絵画の世界から飛び出してきたような一級品の双乳を、こんな若いうちから税金を使って拝ませるのが現代の義務教育だと知ったら、上の世代の人間は卒倒するかもしれない。


「どう……まだどきどきしてる?」


 生まれて初めて目撃する、自身と血の繋がりを持たないおっぱいの全貌に、齋藤は「はい」も「いいえ」も答えられなかった。言葉を失った主人に代わり、一仕事を終えたばかりの彼の股間が、クラス長の号令に従う男子さながら、だらだらと立ち上がる。


「あらら……じゃあ、ちょっとだけ『予習』しようね」


 どこからともなく迷い込んできた花びらが、右側のドアに行く手を阻まれる。その花びらを先に通した後、最後にもう一度だけ背後に目をやってから、美波は齋藤を中に招き入れた。



 おわり



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