薄味
晩餐である。
いつも通り、白い大理石の長い長方形のテーブルの、短辺のところに吾輩だけが座る。吾輩のところにだけ、赤いランチョンマットが敷かれている。
今日はシェフに和食を作らせた。
まずは汁物から。これは日本のしきたり?というやつだ。吾輩は粋なのでそういったルールには敏感だ。
椀を左手に持ち、ゆっくりと飲む。
味噌汁はずいぶんと薄味だった。味を濃くしようと思って、吾輩は目の前の味噌汁に追加でハチミツを垂らした。
「わっ、わぷぷっ!ちょっと、アンタ、なんてことするんです!?」
…またか。どうやら今日も、茶碗を風呂桶と勘違いした小妖精が味噌汁に浸かっていたらしい。
「吾輩のディナーの中に勝手に入り込んだお前が全面的に悪い。ハチミツで苦しんでいるところ、そしてその赤々シワシワとした身体をみると、どうやら煉獄小妖精だな?よし、セバスチャン、聖水を持って来い。今すぐにな。」
後ろに控えていた黒髪のスーツ姿は
「かしこまりました。」
と静かに言って、そのまま倉庫に向かった。
「ヘエッ!?!?だ、旦那、まさかワシを…」
「もちろん殺すつもりだが?…なんだその目は。小妖精など、ブンブン空を飛び回って、ロクに働いてもおらぬではないか。どうせ怠惰でいるなら、死んでしまったほうがマシだろう。吾輩が直々に殺してやるから待ってろ。」
「そ、そんな…ワシは死にたくない!!どうか、どうか見逃してくれ!」
小妖精はブルブル震えている。ここまで弱っちそうでも煉獄小妖精を名乗れるのだから、やっぱり冥界はどうかしている。
「なんだ?死神貴族である吾輩の味噌汁を台無しにした分際で、よくもまあそんな舐めた口をきけるなぁ?」
そう、吾輩は死神貴族。命を奪う権限を掌握するもの。
吾輩の言葉を聞いた途端に、煉獄小妖精はピョン、と張り詰めたように一回跳び上がって、それから真っ青に変わった。
さめざめと泣いている。シワシワで醜い顔が、なおのことクシャクシャになってたいそう滑稽だった。
ここら辺が潮時か。
「…怖がっているようだな。これだから小妖精は駄目駄目なのだ。吾輩が、そんな些細な出来事が起こるたびに、いちいち力を行使すると思うか?」
「え?」
動転していたのが一転、キョトンとした様子になる小妖精。
「煉獄から我が屋敷の辺りまで飛んできたということは、お前も住処を失ったのだろう?ちょうど一週間前に、赤蛇尾星が出たばかりだしな。
吾輩は心優しいからな、お前に居場所を持つ機会をやろう。どうだ、吾輩の眷属にならないか?最近はちょうど、もうちょっと魔法火力を補強したいと考えていたところなのだ。断ったら…どうなるか分かっているな?」
赤蛇尾星が冥界をメチャクチャに荒らしていったのは記憶に新しい。あれを追い払うのも、冥界支配者の一人、吾輩の役目だったからな。
大ざっぱには守れたものの、ライトクラスの魔族たちの居住区の保護をしているほどの暇は無かった。
第一に守るべきは冥王様である。
「…へい。呑みましょう契約を。」
目の前の煉獄小妖精は、(多少しぶしぶとした様子にも見えたが)契約を飲み、儀式を済ませるために吾輩の肩に乗った。
虚空にマチネ紋を描く。これで成立だ。
耳元でキラキラと音がして、小妖精は吾輩を纏うオーラの一部となった。
「ただいま戻りました。」
聖水を持ったセバスチャンが帰ってくる。
「…おや、リゾテル様。また契約を結ばれたのですか?本当に、とんでもない浮気症ですね。」
自身も小妖精であるセバスチャンは、このことに不服そうな顔だ。
「お前は特別扱いしてやってるじゃないか。我が魔力を存分に与え、実体化までさせている。」
「…やっぱりリゾテル様は魔族心を分かっていませんね。」
そう言うとセバスチャンはプイとそっぽを向いてしまった。
こればかりは吾輩が悪い、のかもしれない。
おっと、せっかくの他の料理が冷めてしまう。
吾輩は次に、鯖の味噌煮に箸をかけた。
やっぱり薄味だ。全く、コックのやつに注意しておかねばならないな。
せっかくなので、吾輩はセバスチャンが持ってきた聖水をほんの少しだけ、味噌煮に振りかけた。
おお、なかなかスパイシーな味わいになったではないか。この妙味を堪能できない煉獄小妖精はやはり不憫だな。
そんなことを考えた瞬間、我がオーラが、文句を言うかのように、少しだけ、キラッ、と光ったのであった。