一寸心に大ダメージを受けまして。
一寸心に大ダメージを受けまして。
ええ、もちろん大したことではないんですよ?
少し昔を振り返っただけなんですが。
重症負わせたわけでなく、人を殺したわけでなく。
しかし私の豆腐メンタルは崩れましたよ。
だから今日に叫びました。消えたいと。
昔のことです。些細なことです。
もう当人たちは気にしていないでしょう。
しからばこれは生霊などでなく、私の妄執なんでしょう。
妄執に憑りつかれるとはなんと馬鹿馬鹿しい。
けれど思いは先走り、こんな私になりたくなかったと、心が叫ぶのです。
分かっていても、感情が溢れるのです。
そう思って人に話すのです、消えたい死にたい存在しなければと。
するとその人は笑うのです、馬鹿馬鹿しいと。
重々しくも笑うのです、過去にとらわれることのなんと愚かしいことかと。
私はもう過ぎたと言って、あいつもそんな悩みを抱えていたよと言って。
では私が掘り起こしたこの思いには、一体何の意味があったのでしょう?
君が過ぎたなら、彼が抱えていたなら、誰しも持つものであるのなら。
考えることに、意味はないのでしょうか?
分からぬのです、私には分からぬのです。
君と話して軽くなり、離すものかと記憶に後ろ髪を引かれ
軽重相まみえる私の心は、まるで青空の下の泥濘だ。
過去を糧とし、失敗を繰り返さなければ、過去は用済みなのでしょうか。
思いを抱えて体を丸めていれば、私は優しくあれるのでしょうか。
同じような失敗を繰り返し、そうして今の私はあるのです。
で、あるならば。私は過去を、糧とできていたしょうか。
妄執から目を背け、過去から学ばなかったのでしょうか。
あの傷ついた顔を忘れ去り、痛みに気づけなかったのでしょうか。
・・・一つ、確かなことは。私は、進むべきなのです。
悩めど忘れど、時は進むのです。
迷って立ち止まることも、知らぬ間に立ち止まることも、きっとあるのでしょう。
もう、十分でしょう?
もう、十分に立ち止まったでしょう?
逸る気持ちに気づいているではありませんか。
今は、その一歩を踏み出すのが怖いのでしょう?
あまりに座り込んでいたから、立ち方を、踏み出し方を、忘れてしまったのでしょう?
ならば今日は。振り返って愕然とした今日は。
ようやく私が立ち上がる日として、よき旅立ちの日ではありませんか。
がんばれ私。もう手を引く家族も、友もいないのです。
いつか友の隣に、胸を張って立つために。
小さくとも、踏み出そうではありませんか。
2020年、ある曇った日の私より。