村を守る人外娘の恋心が理解されなかった話【人外少女シリーズ】
その村は魔界との境界にあり、代々、モンスターの襲撃に見舞われてきた。
そこで村が編み出した方策は、人の人外化である。
特別な魔力を養う巫女の家系を庇護し、その家の女の子を人外へと変化させ、防衛戦力とした。
「なあ、絶対に避けられないのか」
「はい。絶対です」
少年ダンは幼馴染のキャルトゥと話し、絶望を新たにした。キャルトゥ。村の巫女の次代として、力を失いつつある叔母の代わりに人外となる予定の少女。
ダンは眼下に見下ろす村を見た。憎かった。か弱い少女に自分たちの命運を託して平気でいる村人たちが。大きく息を吸い、魔界赤い空を睨む。奴らも憎い。平和を脅かす奴らが。
「なあ、逃げよう、キャルトゥ。こんな村、いいじゃないか。もとより人が住む土地でもないんだよ」
「そうかもしれませんね」
「……洗脳されてるんだよ、君は」
キャルトゥは答えなかった。風が二人を包む。崖の上からの光景は美しかったが、ダンはそれが一つも好ましいとは思わない。この土地は人には厳しすぎる。そして、人は人の姿を捨てることを選んだのだ。
いや、捨てさせる、か。無理矢理女の子を生贄に捧げている。それがダンの認識だった。
「おかしいよ、やっぱり」
「そうかもしれませんね」
「もうすぐ君は、十七の誕生日だろう。儀式の年だ。怖くないのか」
「わかりません」
「……昔に君はもっと明るかった」
「そうですね」
キャルトゥの白い顔がダンを向く。黒い髪がなびく。
「ダンくん。あなたは幸せになってくれますか。私がいなくても」
ダンは吠える。
「俺は幸せになりたいんじゃない、幸せにしたいんだよ、君を!」
こんな衝突は二人が十六になってから、幾度となく繰り返されてきたことだ。そして、これがきっと最後になるだろう予感があった。
「ダンくん。これ以上私を困らせないで……」
「覚悟してるってのかよ。嫌な運命を」
キャルトゥは黙って崖を降りていった。ダンは日がくれるまで眼下の光景を睨んでいた。
※※※※※
キャルトゥの家。
村の村長の家を兼ねる巫女の家は、貧しい村には不釣り合いな大きさだ。
食卓に女中たちを退がらせた上で、キャルトゥの母親……村長にして人外に変わった巫女の妹、が、座っていた。
「また、あの子に会ってきたの?」
キャルトゥは感情のこもらない声で、はい、と言った。
「もう会わないほうがいいわ。人間への執着が強いと、人外の姿に人間の名残が残って儀式が失敗してしまう」
「分かっています」
食卓が平手でバンと叩かれた。
「分かってないでしょう!? そんなことで、今も村から離れて闘っている私の姉様に顔向けできると思ってるの!?」
きつい沈黙が部屋を包んだ。キャルトゥはボソリと言う。
「お母さんは生きるのが楽そうですね」
「何を言うのです! 村を守る重責で日々押しつぶされそうなのよ!?」
それが「娘を人外にしなければならない葛藤」でない限り、キャルトゥにとって母親は味方ではなかった。
自室へ行き、上等なベッドに倒れ込む。儀式の日は近い。それまでに、人間としての生に、ケリをつけねばならなかった。
※※※※※
「あの、ダンくん」
「なんだい? キャルトゥ……」
儀式の前日、キャルトゥは村外れにダンを呼び出した。
「どうしたんだよ。今から逃げてくれるのか」
「それは出来ません」
キャルトゥはキッパリと答えた。ダンは落胆する。明日になればもうチャンスがない。キャルトゥはやはり村の巫女という名の奴隷へと、その精神を染めあげていたのか……。
「そのかわり」
キャルトゥが俯いて言った。ダンが見ると、その頬は赤く染まっているように見えて……。
「そのかわり、その、あの、わ、私の部屋を、今夜、訪ねてください。誰にもバレないように……」
「え? それって……」
桃のようなピンク色の顔だった。ダンは久々に、キャルトゥの人間らしい面を見た。
「あ、いやあ、キャルトゥ……そっか。うん。分かったよ。必ず部屋まで行く」
「約束ですよ。そして、明日になったら、どうか儀式は見ないで……こんな村を出て、幸せになって……」
※※※※※
しかし、夜遅くになっても、ダンは彼女の部屋に現れなかった。キャルトゥは泣いた。きっと見張りの大人に見つかってしまったのだろう。
「それで吹っ切る気持ちだったのに……」
ベッドの中でたくさんの、たくさんの涙を流すキャルトゥ。しかし、こうなったら仕方ない。ダンの幸せを願おう。きっと、自分なしでも誰かを幸せにして幸せに暮らしてくれるだろう。彼女はそう信じ、眠りについた。
翌日は、まさに儀式の日である。
村中の魔力を村長であるキャルトゥの母親が集め、転生の魔法陣を敷く。
キャルトゥが集まった村人の姿を見回すが、そこにダンの姿はなかった。きっともう村を出ているんだろう。すーっと息を吸い、儀式に臨む。
(これでもう、私は人間じゃなくなるのですね)
魔法陣の真ん中で、母親の呪文を聞きながら、キャルトゥはゆっくりと自分の体が変化していくのを感じる。
「さあ、なるのです。村を守れる強い強い守護獣に……」
母の言葉を聞きながら、キャルトゥは不思議な感覚に身を任せる。体がはちきれんばかりに膨らみ、手足が伸び、全身が重くなる。
「あ、そうそう」
呪文を唱え終え、あとは魔法陣に流し込まれた魔力でキャルトゥが変化するのを待つばかりとなった頃、母親が思い出したように言った。
何事かと、瞳の色すら変わった目で母親を見るキャルトゥ。
「あの子ですが、こんな風になりましたよ。もう人としての生に執着する必要は一切ないのです。わかりますか?」
母親が取り出したのは……ダンの生首だった。
「うわああああああああああああああああああああああああ」
変化が完了する前に、キャルトゥは魔法陣から飛び出してしまった。
「ダメ! 待つのです! どうして!? 儀式が途中では!?」
キャルトゥは、大きくなって鱗や爪が生えた手足で、魔界へ向けて駆けていった。
※※※※※
魔界は過酷な環境だ。赤い空は昼でも夜でも変わらず邪悪な魔の光を降り注がせ、魔族以外に存在に継続ダメージを与える。
荒野に、一匹、異形の生き物がいた。四本の手足、大きな縦に裂けた口、人間の名残が一切ないその姿は、キャルトゥが変化しようとしていたものであった。
そこへ近づいていく同じような姿が一頭。
振り返る異形は、少し、人間のそれでない顔に、笑顔を浮かべた気がした。
「ああ、私の姪っ子ですね。はじめまして。よかった……これでこの運命からやっと解放される……。!? あなた!? その顔は……」
キャルトゥの右前脚が、彼女自身の叔母の首を吹き飛ばした。
※※※※※
「どうしたことでしょう」
儀式は失敗である。村人たちの不安と非難の入り混じった視線を受けながら、村長は頭を抱えていた。
あの出来損ないの巫女で村が守れるのだろうか。村に近づく魔物を狩り尽くすことができるのだろうか。
「出来ないかもしれない……」
とりあえず、儀式の後始末に村人をかからせ、自らはぼーっと魔界の荒野の地平線を見つめる村長だった。が、しかし……
あれはなんだ?
地平線の方から、土煙を上げて何かがやってくるのが見て取れた。しかし、それは一匹ではない。たくさん、たくさんいる。
なんだ、なんなんだこれは。いくらなんでも、今日のうちにこんなことには……。
「怨! 怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨!!」
呪詛の言葉が聞こえる。キャルトゥの声に聞こえた。
「ひ、ひい!」
村長は恐怖の声を上げる。
憎しみは、魔界の生き物が大好物とする黒魔力の原動力になる。それを振りまく魔法生物が一匹、魔界に入り込んだらどうなるか……。
その存在を追って、百鬼夜行が村に殺到した。
巫女の村はその日のうちに全滅することになる。村長は、自分の選択ミス……子を育てる難しさを思い知りつつ、魔物の口の中に消えた。