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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

囃子姫 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 あら、つぶらやくん、何か御用?


 ――借りてたCDの返却? 


 え、もういいの? 私が最近聞いた中でもフェイバリットな一曲なんだけど、お気に召さなかった?


 ――自分用に買ったから、もういい?


 これはこれは、失礼しました。またひとり、大切なファンが増えて何よりよ。

 音楽っていいものよね。耳で聞いたり、口ずさんだりすると安らげるし、元気が湧いてくるし。さすがは有史以前から続いている、古参の芸術といったところかしら。

 ねえ、つぶらやくん。あなた、疑問に思ったことはない? どうして音楽にはこれほど、感情を揺さぶる力が秘められているのか。私たちの遺伝子は、どうして快楽を感じるようにできているのか。

 あたし、このことについて昔にちょっと調べたことがあってさ。その中で、不思議な昔話を知ったわけ。つぶらやくんも、聞いてみない?



 むかしむかし。農耕の文化が広がりこそすれ、まだ全国がまとまりをもたなかった時代のこと。ある集落では、数十年ぶりの凶作に襲われたわ。

 作物は大打撃を受けたけど、かろうじて全滅は免れる。それでも蓄えを放出して、10日もつかどうかという差し迫った状態。人々は生きる糧と、これから寒くなる冬を乗り越える毛皮などを得るため、山々へ分け入っていったわ。

 年若い少女も食べ物を集めるべく、竹を編んだ籠を手に森の中を奥へ奥へと進んでいく。そしてふと気がつくと、遠くの方からかすかに、祭囃子に使われる笛や太鼓の音が聞こえてきたの。

 

 こんな森の中で何を? 疑問に思う彼女の耳に、囃子の音はどんどん大きくなっていく。出どころを確かめようと、彼女はそうっと歩き出した。

 聞こえる限りでは、使われている笛も打楽器もひとつずつ。更に近づくと、木々の合間からちろちろと火の手がのぞき出したわ。より一層、暗さを増してきた森の中では、ついつい身を寄せたくなってしまう、いざないの光も同然だった。


 楽器の音に加え、草をしきりに踏む足音が聞こえる位置まで近づき、彼女は樹の幹に姿を隠す。そっと目だけを出してうかがってみると、ほんの10歩ほど先で、自分と同じ年頃の少女が背中を向けて踊っていたの。

 周囲の木々の枝たちには横笛、太鼓とばちが、それぞれツタで吊るされている。なぜか彼女の周りだけで風が吹いているらしく、奏者のいない笛がひとりでに鳴り続けたり、自らの身体同士をぶつけ合わせていたり……それが途切れない祭囃子となって響き続けていた

 その上、ちろちろと見えていた火も、燭台で焚かれていたものではなく、宙に浮かび上がって踊る彼女の周りを飛び回っているものだったの。


 ――関わるべき相手じゃない。


 彼女はすぐに判断した。けれど、身体を樹から出したところで、折悪しく自分に向けて拭く突風。やや遅れて、逃げようとした彼女の背中を強く打つものがあったわ。

 振り返ると、自分にぶつかってきたのが、ツタに縛られたあのバチだということに気づく。その時にはもう、あの踊っていた娘が自分のすぐ後ろに立っていたわ。

 目を見開き、まばたきをしないその娘は、ぼんやりと彼女を見つめてくる。肩を隠す長い黒髪のところどころが得体の知れないもので、てかっていた。顔は頬も額も何かで擦りむいた傷がつき、手足の指先にも同じようなものが見受けられる。どこかの集落から逃げてきた、民の姿を思わせる。

 娘は、口がすっかり隠れてしまう大きさの泥玉をくわえている。むっちゃ、むっちゃと粘り気のある音と共に、玉は上下に揺れた。その縁と口元からかけらがぼろぼろ落ち、何とも不潔な気配が漂っていたの。

 

 彼女は逃げようとしたけど、いつの間にか娘に腕を掴まれている。恐ろしい力で、振りほどくどころか微動だにさせることができない。

 身体は震え始めたのに、お腹の方は正直で、このような時にも「ぐうう〜」と辺りをはばからない、虫の音を響かせてしまったわ。


「――お腹が空いているの?」


 おそらくは目の前の娘の声。泥玉で口が塞がっているにもかかわらず、話しかけてきた。食料温存の指示を受けて、彼女は今朝にかゆを一杯だけ食べたのみ。物足りなかったけど、その事情を見知らぬ相手に話す義理はない。

 不意に、娘のくわえる泥の玉のうち、半分近くがボロリと取れる。それは地面に落ちず、勢いよく彼女の口へ飛んで来たわ。


 彼女にかわす余裕はない。糸引くような正確さで口に取り付いた泥玉は、そのわずかに開いた唇から、一気に彼女の中へ。喉を通って腹の中に、冷たいものが注がれていく。気色悪さに、何とか吐き出そうとする彼女だけど、効果は現れず。

 対する娘はというと、少し首を傾げただけ。相変わらずまばたきひとつせず、彼女が苦しそうにする素振りを、理解できていないみたいだった。


「空腹を覚えたら、ここへ来て。満たしてあげるから」


 娘がそっと手を離すと、これを好機とばかりに、彼女は踵を返して逃げ出したの。

 反撃しようなど、さらさら思わなかった。夢中で家を目指して駆けつつ、指を突っ込んで泥をかき出そうとしたけど、とうとう吐き出すことはかなわなかったそうよ。


 その日に森の中であったことを、彼女は誰にも話さなかった。代わりに今度は、木の実拾いから水汲みに仕事を代えてもらい、娘が踊っていたあの場には極力近寄らないようにしたの。

 彼女はこれまでにも増して、水を多く飲むようになっていた。上の口から出てこない泥たち。そうなれば下の口から出すよりないと、躍起になっていたから。だけど、一向に望んだような効果は得られなかった。


 ――身体のどこからでもいい。飛び出してくれれば、少しはこの心地も和らぐのに。

 

 彼女がそう願う傍らで、村の蓄えはじりじりと減っていってしまったの。

 

 一ヵ月後。食料を大切に大切に分けていた集落にも、限界が見え始めたわ。

 水でどうにかお腹は膨らませていたものの、栄養が圧倒的に足りない。体力の少ない赤子や老人から、次第次第に起き上がれなくなってしまったわ。

 動ける者もまた余計な消耗を嫌い、当初より食料集めに出向こうという者は減少の一途。ちょうど冬ごもり前のクマに襲われて、帰らぬ人が出たこともあり、外出にはこれまで以上の勇気と覚悟が求められるようになっていたの。

 彼女もまた動くことを避け、寒さをしのぐために、家族と家の中で震えていたけど、夕方近くにふと立ち上がったの。


「来る。あの子が、来る」


 耳がずっと遠くから響く、祭囃子の音を捉えた。頭は「行くな」と叫んでいるのに、身体は勝手に家を出て、音の下へ向かおうとしてしまう。

 家族は何かしゃべっているようだけど、聞こえない。自分を止めようと身体に取り付いてくるけど、屈強な父の羽交い絞めすらも、今の力はわらにも及ばぬ弱いもの。容易に抜け出し、跳ね飛ばして、家を飛び出してしまった。

 外にはいくつかの人影が見える。彼らも囃子の音が聞こえているらしくて、耳に手を当てながらきょろきょろと辺りを見回していた。彼女は彼らの間を抜けて、集落の3つある出入り口のうち、西の方へ駆け出していく。その耳にはもはや、あの時以上に鮮やかに響く楽器の音と、自らの高鳴る胸の鼓動しか届いていなかった。


 その入り口に娘は立っていた。今日は長い黒髪の一部を、あの日の枝のようにぴんと横に張って、そこに笛と太鼓を吊るしていたの。

 どうしてあの重さを髪で支えられるのか。その疑問も、すぐに彼女は感じなくなる。

 身体が踊った。彼女の動きに合わせて、腕を曲げ、腰をひねり、足の運びはしらふでとうてい踏めないような、複雑なもの。やがては彼女の動きに追いつき、完璧に重なった時には、すでに村の者たちがこの場に集まり出していた。


「あなたたち、みんな満たしてあげる」


 娘は踊るのをやめた。いつの間にか口にくわえた泥玉を、あの時自分にしたように、他の者たちへ飛ばしていく。避けられなかった何人かが、口を押さえて倒れ込むけど、それも束の間。ほどなく立ち上がり、踊りの中に加わっていく。

 彼女は娘の動き、増える仲間を見ても、踊りを止めはしなかった。絶え間なく響く囃子は、先ほどまで飢え、冷え続けていた身体を、どんどん火照らせてくれる。胃に温かいものがうずくまり、それがじわじわ身体の端々へ広がっていく。この上ない、快感。

 後から踊りに加わる皆は、一様にだらしない顔をしながら、一拍子もずれることなく、自分の動きについてくる。娘はなおも泥玉を飛ばそうとし、残りの人々は逃げ散り出すのが見える。


 ――みんな、早くこの踊りに加わればいいのに。


 ぼんやりと考え始めた時、にわかに鼻の穴が大きく開き、中から勢いよく飛び出すものがあったの。

 どんぐりだったわ。村で食べられている主食のひとつ。それが後から後から漏れ出てくるの。他の踊っているみんなも、口から獣の肉、尻から根菜を出したりと……。


 囃子が止んだ。とたんに身体が踊るのをやめると、広がっていたぬくみが、一気に激痛へ変わる。自重を支えられず、その場へ倒れ込んだ。周りでも自分に続く音が聞こえた。

 重くなり出すまぶた。それが完全に閉じ切る前に彼女が見たのは、肩口に矢を生やしたまま去っていく娘。それを追う、武装した村人数名の姿だったとか。


 彼女は夜更けに目を覚ましたけど、身体を動かすことはできなかったわ。痛みは引くどころか、意識を失うよりますますひどくなっていく。自分は長くないかもと前置いた彼女は、自分の体験したことを、その場の家族へ伝えたわ。

 それを終えると、「ふうう」と長い息を吐き、再び目を閉じる。家族がその頬を叩いて起こそうとしたけど、すでにその身体は冷たくなっていたそうよ。あの時、踊りに加わっていた皆も、ひとり残らず同じ末路を辿ったとか。

 彼らがひり出した食べ物は、確かに本物。その代わり、彼らの身体は生前よりはるかに軽くなっていたの。そのうちの一人の身体を開いたところ、詰まっているべきハラワタが一片も入っていなかったんですって。

 


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