『超越者《カタストロフ》』
ーー何だ?……ここは……。
暗闇。今目の前を覆い尽くすのは、ただただ広がる無窮の闇。
『ここは、あなたの意識の中だよ。』
ーー誰だ……?
声ではない。しかし紛れもなく響いた自分の声が、更に現状の把握を妨害する。
『私はあなたに、もっと活き活きして欲しいんだ……今のあなたは死んでる。』
質問の答えにならない言葉が返ってくる。
『生きているのなら、もっと自由でいて欲しい。もっと人間らしいあなたが見たい。』
生まれてこのかた、まともに自由を実感したこともないのに、一体こいつは何を言っているのか。
ーー俺は……死んだんじゃないのか……?
そうだ。俺はあの時男に刺され、死んだはずだった。
やっと終わったんだ。もう放っといてくれーー。
『ダメだよ。まだ会えてない。』
ーー会う……?
『私に、会ってない。』
ーーどうして……お前に会わなきゃいけないんだ……?
そのうち、黒しかなかった世界に、限りなく小さな、しかし確かに輝く白が見えた。
ーーなんだ……これは……?
『それがあなたの箍。あなたが考える呪い。』
ーーこんな小さな光が……俺の箍か……?
俺を縛るものがこんなに小さく弱々しいものとは、我ながら呆れ返る。
『そう。でもそれは、あなたにとって最も不可解で、あなたにとって最も理解したいと願っているもの。支配したいと考えているはず。』
どうやらこの声の主は、俺の心中の粗方は理解しているらしい。
ーーこれを取り除いて……俺はどうなるんだ?……自由になるとは……どういう意味だ……?
『そのままの意味だよ。あなたが縛られていたものを、あなたが支配するんだよ。』
ーー支配……か。
『あなたが考えているそれは、手にしてみなければ私にだって分からない。』
ーー。
終わればいいとしか思っていなかったこの人生という呪い。何も楽しくなんてないのに生きていなければならない。呪い。
もし、それが俺の望む理解したいものならば。
ーー支配した先が……この呪いすら楽しめるというならーー。
瞬間。目の前の小さな光は、視界を覆い尽くした。
「(……。)」
頭が痛む。
何より腹が痛い。血も出ている。
だがーー。
「(今は……そんなことはどうでもいい。)」
消えかけた意識が一気に戻って来る。
目の前に広がる光景がハッキリとし、流れる血と、男の顔が鮮明な情報となって脳に伝わる。
今も冷たい地に手を付き、ゆっくりと体を起こし、立ち上がる。
指先から滴る血は、俺の腹から溢れたもの。傷はいつの間にか塞がっている。
「……な……なんだよお前……何なんだよ……!?」
ガタガタと忙しなく歯を動かす男は、相変わらずの顔でこちらを睨む。
いや、今は恐怖の色が濃いか。
「……綺麗さっぱり終わる予定だったんだが……気が変わってな。」
えもいわれぬ程の高揚感。
「(性に合わないが、感情が昂ぶっているらしい。)」
新しい玩具を手に入れた子供のように、気持ちが昂ぶっている。
体のどの感覚よりも明確に、今まで決して感じなかったものの存在を認識出来る。
「(まだよく分からないが、試してみるより他はないか。)」
元より何でもやれば人より上手くこなせるのだ。得体の知れぬこの感覚だって、使いこなせる。
まるで体の一部の様に、それを使いこなせる自信がある。根拠も何もないが、不思議と確信出来る。
「うぅ……ぅぅうううああああああ!!」
錯乱した男が、血塗れのナイフを手に突進してくる。
「止まれ。」
「ーーっ!?」
一瞬だった。男の足から毛の一端までもが、完全に停止する。
「……あっ……が……っ……っ!?」
やっとの思いで呼吸が成り立つまで固まった男の目には……。
「ほう……これが。」
目元から、蛇がのたうち回る様なドス黒い模様を垂れ流す、湊の姿だった。
「……あ……な……んだ……こぇ……!?」
喘ぐように声を出す男に、湊は模様の這った目を向ける。
その目からドロリと塊が落ちるようにして、模様が男の体を縛るように這っている。
「いいな……これは使えるぞ。」
感心したように呟く湊に、模様に縛られた男は声にならない声を出す。
「……ぉ……おま……な……に……た……。」
先程まで狂気に満ち、奇声を発していた男は、今では押しのごとく黙っている。
いや、黙っているというよりは、声を出せないというだけのことだ。
「ああ……確かに気分がいいな……まさかこんなに気分のいいものとは……。」
言いながら男に近付く。男は、最早ただの恐怖のみに支配されていた。
「お前のおかげで俺はこれを手にすることが出来た。礼を言うよ……じゃあ。」
湊が男の側を通り過ぎた瞬間。蛇のような模様が消え、男の体が地に倒れる。
男はそのまま走って行ったが、湊は気にも留めない。
やっと、生きる楽しさを見つけた。
ーー
「ふぅ……。」
とりあえず家に帰り、ソファに腰を下ろす。
これからどうしようか。
正直。この家にいる気はまるで無かった。一人で生きていくだけのものを手に入れたのだ。まだその実態はよく分からないが、この不可思議な力は大いに使える。
だが、すぐにここを出る気にもなれず、あれこれと考えているとーー。
ピンポーン。
「……誰だ?」
家に人を呼んだ覚えはない。訪問してくる者などいないはずだがーー。
扉を開けるとーー。
「どうも!超越者管理局員の、七瀬 未鈴です。」
「……は?」