Ⅵー2
「今日は、君に頼みたいことがあって……」
「え? あ……そうですよね。すみませんでした。もらった電話なのに自分の言いたいことばかり話して」
先生が、わざわざ桐原さんの話をするために電話してくるはずがない。タイミングが良すぎて、つい一方的に感情のまま話してしまった。
それにしても、わたしに頼みだなんて一体何だろう。
「どうしたんですか?」
わたしは聞いた。
「理央が風邪で寝込んでいる。医者に診てもらって、熱はだいぶ下がったが……」
「え? すみません。そんな大変な時に、すぐ話を聞かなくて。あの、理央さんが具合悪くしたのって、この間雨に濡れたせいなんじゃないですか?」
あの雨の日以来、理央さんから連絡はない。でも、ただ単に映画の撮影で忙しいのだと思っていた。
「……疲れもあって免疫力が低下していたんだろう。それで……あいつに何か作ってやってくれないか?」
「……作る?」
「食欲が無くて、ほとんど何も口にしない。何でもいい。君が作ったものなら食べるはずだ」
先生はそう言った。わたしを買い被っている。
簡単なものなら作れるけど、別段料理が得意なわけではない。だけど、料理の腕前についてどうこう言っている場合でもない。彼のことが心配だった。
「……あの、わたし……今から行っても……いいですか?」
「……すまない。迎えに行くか?」
「いえ、大丈夫です。食材買ったら、すぐに行きます」
わたしは急いで近所のスーパーに寄り、タクシーで理央さんのマンションに向かった。
先生にエントランスキーを解除してもらい、そのまま理央さんの部屋の鍵を開けてもらう。
それから、先生は「悪いが少し留守にする」と言ってマンションを出て行った。
「おじゃま……します」
わたしは小声でそう言って、理央さんの部屋に入る。彼の返事はない。
キッチンに食材を置き、がらんとしている広いリビングを見ながらどうしようか考えた。
理央さんは多分寝室で眠っている。
起こしてしまっては申し訳ないけど、起きているなら何かしら声を掛けておかないと、気づいたときに、不審者が部屋の中に居てびっくりしてしまうだろう。
やっぱりここは、思い切って声を掛けよう……。
リビングから続く部屋は三つあり、どの部屋の扉も閉まっている。
とりあえず手前の扉をノックしようとしたら、一番奥の部屋から微かに物音がした。
「……理央さん? 入っていいですか?」
わたしは、その一番奥の扉の前でそう言った。
返事をしたようだったけど、小さくて聞き取れない。
「……失礼します」
わたしは扉を開く。
理央さんはベッドに横になっていた。
「……ゆ……づき…?」
微かに開いた虚ろな目で、こちらを見ている。声は掠れていた。
「いえ、あの……茅野です。勝手にすみません。先生から聞いて、心配で……」
「ふみ……さん? 本物ですか……? どうして……ここに?」
「……先生から何も聞いてないですか?」
理央さんは、首を横に振る。そして、ベッドから起き上がろうとした。
「あ、駄目です。そのまま寝ていてください」
わたしはそう言い、理央さんに近づいた。
「寄らないで!!」
思いもしない大声に吃驚して、わたしはその場に固まる。
「ごめ……なさい。近づかないでください。ふみさんは……その場に……居てください」
理央さんは、ふらふらしながらなんとかベッドサイドに座ると、真っ直ぐにわたしを見た。
「理央さん、大丈夫ですか?」
「……大丈夫です。熱も下がりましたし……。ずっと寝ていたせいで体力が落ちて、少しふらふらしているだけです」
「あの、買物して来たんです。お腹空いてないですか? 良かったらお粥か、雑炊、うどんとか何か食べられそうなもの……作ります」
「……とても嬉しいです。でも、すみません。今日は……帰ってください」
「迷惑……でしたよね」
理央さんがどう思うかなんて全く考えていなかった。
いくら先生に頼まれたから……と言っても、勝手に部屋に上がり込み、プライベートな寝室にまで入って、失礼な行為だったと恥ずかしくなる。
「違うんです。そんな顔……しないで……ください」
理央さんはそう言って顔を覆うと、急に左に揺れ……倒れそうになった。
わたしは咄嗟に彼に近づき、額に触れた。
「理央さん!! まだ、熱があるじゃないですか?」
「……熱なんて、どうでもいいんです。あれほど近づかないでって……言ったのに」
言い終わらないうちに、彼はわたしの腕を勢いよく掴んだ。
どういうわけだか、わたしはベッドに押し倒されていた。
彼のこういう表情を見たことがある。あの時の先生……。理央さんにしか見えていなかったのだけど、今と同じ表情で桐原さんを見ていた。……でも、今日は決して傍観者ではない。
「理央……さん?」
「……ふみさん……好き……です。僕のものに……なって」
そう言うと彼は少しずつ近づく。スローモーションみたいに。
切ない表情……。さらさらの彼の髪がわたしの頬に触れた。
綺麗すぎて……怖い。
いつの間にか体の自由を奪われ、わたしの口は塞がれていた。理央さんの唇は柔らかく、彼からとても甘い香りがした。体が自分のものじゃないみたいに熱い。
理央さんは唇を離すと、わたしを抱きしめた。
びっくりして、そのままどうしていいのかわからない。
彼は体勢を起こして、わたしを見つめると再び口づけた。でも今度は全く離してくれない。理央さんの舌は熱く、容易にわたしの中へ入ってくる。
「やめ……て。理……央さん……。熱い……」
理央さんの体温が高いせいなのか、恥ずかしさから自分で熱を上げているのか、もはやそれさえわからなかった。でも、これ以上なすが儘にされていたら、完全におかしくなってしまう。
離れたと思っても、彼は角度を変えて何度も何度も侵入を繰り返す。
「……ダ……メ……です。やめ……て」
涙声になっていた。
それでもすぐにはやめてくれず、しばらくその行為は続いた。
どれぐらい経ったのだろう。
彼はようやくわたしを離した。
「……すみ……ません……。やっぱり……理性…………飛んで……しまいました」
荒い呼吸でそう言うと、そのままゆっくりわたしのほうに倒れこんだ。
「理央さん? ……理央さん?」
呼びかけても反応はなかった。意識を失っている。
わたしはそのまま引きずるように理央さんをベッドに寝かせ、冷やしたタオルを額にのせた。
彼の呼吸は正常に戻っている。さっきの激しさが白昼夢に思えるくらい、綺麗な顔で眠っていた。
わたしの心拍数は下がらない。
突然、あんなふうに襲われて怖かったし、ドキドキしすぎて死んでしまいそうだった。
なのに、わたし……おかしい。
嬉しかった。嬉しくて嬉しくて仕方がない。




